どんぐりの森から

どんぐりの森から

芦生の森から。

Amebaでブログを始めよう!
「ファシリテーション」という言葉を聞いたことがあるだろうか。
あるいは、「ファシリーテーター」という職業が存在することを知っているだろうか。

私のイメージで言うと、「ファシリテーション」とは、ある一つの場を成長させること、である。
高校時代によくあった(?)クラスの出し物を決める学級会を想像してほしい。

--------------------------
学級代表:はーい、今度の学芸会でやる劇を何にするか決めたいと思いまーす。
     何か案のある人いますか?
生徒A:アナと雪の女王がいいです!最近流行ってるし、ストーリーもわかりやすいし。
学級代表:はい(黒板に書く)。ほかに案がある人いますか?…いないようなので、これでいいと思う人は手を挙げてくださーい。
--------------------------

これは極端な例かもしれないが、出し物を何にするかということで議論が白熱するのは稀有な現象ではないだろうか。そして、私が思うに、この状態は学級会に限らず、社会人による会社の会議にもあてはまるのではないだろうか。
実に時間のムダである。そこで、登場するのがファシリテーター。
彼らの手によると、先ほどの学級会がこのようになる。

--------------------------
ファシリテーター(F):では、これから、来月行われる学芸会でこのクラスが行う出し物を何にするか、ということについて話し合いたいと思います。まず今日は、決め方の決め方を話し合い、その後大まかな方向性まで確定する予定です。何か質問のある人はいますか?
生徒A:「決め方の決め方」ってなに?
F:案が出たとして、多数決で決めるのか、じゃんけんで決めるのか、ということを決めます。
 ……では、まず、「こんな決め方がいいのでは」という案を出せるだけ出してください。
生徒B:多数決がいいと思います。
F:多数決がいいと思う理由はなんでしょう?
--------------------------

という具合である。学校であれば、学級代表か担任の先生などがこの役割を果たすことになるだろうか。何がよいかというと、単純に効率が上がる。また、参加者の納得率も上がるだろう。

導入はこの辺にして、ファシリテーターの具体的な仕事について書いていこう。(つづく)
師走に入り、もう10日が過ぎました。ちょうどこの作品が舞台にしている時期も同じ。
派手な事件があるわけでもなく、有川浩特有のあまーい恋愛が繰り広げられるわけでもなく。
ただ、ちょうどよい緩さにほっと息をつきました。

タイトルにクリスマスソングの曲名が充てられているのですが、初めはそれをほとんど気にせず読み進めました。その辺りの関連を考えて読むと一層楽しめる…かもしれません。

また、視点がくるくる変化する中、それぞれの登場人物の視点が楽しめます。
年の瀬の慌ただしい中、ココアを片手に読むにはちょうどよいのでは。
以前紹介した、『蒼穹の昴』の続編として描かれた作品である。
ただ、前作とは違い、皇帝の寵愛を一身に受けた、珍妃という女性の死をめぐり、複数の目撃者による証言が紹介される。果たして、どれが真実なのかは正直わからない。
もっとも、重要なのは誰が真実を語っているのかということではなく、一つの出来事に対して、立場の違いにより様々な語りができるということなのかもしれない、と思う。

物語の最後に、一つの確かな、大きな愛の形が明らかになるのも見所の一つである。
舞台に立つ、という経験をしたことがある人はどれくらいいるだろうか。
幼稚園のお遊戯発表会から、スピーチ大会、学芸会での劇など、意外とその幅は広い。
この作品は、文字通り「舞台に立つ」人、つまり舞台役者が主題である。
名家に生まれた天才女優と、役者の経験は皆無ながら「真似る」ことに天賦の才能を見せる女学生のいわばライバル対決が中心に描かれているのだが、テーマだけでなく、文章の書かれ方にも舞台の臨場感が表れている。

「恩田陸ワールド」という彼女独自の世界観は薄いようにも思われるが、実は作者の嗜好が如実に出ている作品なのではないかとも思う。
何より、舞台が好き!という人には是非読んでもらいたい。
文庫本で4冊組、長編です。
舞台は清朝の末期。乾隆帝から始まり、20世紀に突入する辺りまでを、西太后を中心に(私はそう思います)描いた作品です。
世界史の知識がなくても楽しめますが、ある程度知識があるとより楽しめるように思います。

上で、「私はそう思います」と書いたのは、この作品には主人公とはっきり呼べる人物が登場しないからです。主人公らしき人物が複数人出てくると言ったほうが正確かも知れませんが。
社会の最底辺から西太后お付の宦官にまで出世した少年、科挙を首席で通過して政治のトップに上り詰めようとする青年。途中から出てくる日本人ジャーナリストの視点もあります。
私は主人公というものを意識しながら読んではいませんでしたが、何かと西太后が話題の中心になっている場面が多かったので、先ほどのように述べました。

ただ、誰を物語の中心に据えるかは読者の自由であり、その柔軟性がこの作品の一つの特徴ではないかとも思います。自分の中での主人公を変えて再読すると、非常に面白いかもしれませんね。

また、内容とは関係ありませんが、中国人(一括りにします)の名前には現地の発音でルビが振ってあります。例えば、「春雲」には「チュンル」。
一度出てきたらそれ以降はあまり再度ルビを振ることはない作品が多いのですが、この作品には2頁毎ぐらいに繰り返し書いてあり、その点は非常に親切で読みやすくなっていると感じました。
作者の意図なのか編集部の工夫なのかはわかりませんが、「読まれる」ことを意識してあり、好感が持てます。