【旅行記】8/24:おばちゃんとの別れと首枕との再会と別れと友人との再会と | churob

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ちゅろぶ

【アブダビ空港】

機内で一晩寝ると、すぐアラブ首長国連邦のアブダビ空港に到着です。
北京のおばちゃんにブランケットのお礼を伝え、
ジャンボな飛行機を後にします。
到着時刻は現地時間で朝の6時半ごろ。
外はまだ少し暗かったです。
が、もわっとした暑さは強烈でした。

飛行機乗り換えの手続きや荷物検査をして、
アブダビ空港の免税店ゾーンへ。
キラキラして高級なショッピングモールみたいでした。
買う気はないけど物珍しげに、うろうろしました。

あ、また北京のおばちゃんがいる・・・
早速カカオトークで電話してました。

$churob-アブダビきらきら

次の出発は9時半頃なので、3時間ほど時間があります。
ちょっと中をぶらぶらしてみました。

通路の両サイドに8台ほど、スタンド型のディスプレイがある場所がありました。
キーボードとマウスのボールみたいなのが備え付けてあって
おそらくインターネットしていいよ、ってことみたい。
通りすがる人がいきなり触り始めてるから
「もしや無料サービス?」と思って私も触ってみたら
普通に使えました。

churob-無料PC
churob-Facebookしてる

みんな何やってるのか覗き込むと、画面上部に見慣れた青色のバーが。
画面構成をみる限り、たぶんほどんとの人がFacebookをしています。
「アブダビ空港なう」とか言ってるのかな。

私もマネしてFacebookにログインしてみました。
が、どうやら日本語には対応していないらしく
私のウォールは文字化けで□□□□□□□□□が並んだ画面が出てきました。
記念すべき投稿をしようと思ったのに、ざーんねん。

ネットは諦めて、いすに座ってケニアの予習をすることにしました。
旅行と言ったらこれ、”地球の歩き方”です。

実は、日本の自宅の近所のバーで最近知り合った常連のおにいさんが、
以前に世界一周バックパッカー的なことやっていたらしく、
ケニアも行ったとき相当身の危険を感じた話をしてくれました。
「ほんとに?いくの!?ケニアに??なにしに??
 君とは会ってまだ2、3回だけど、ぼーっとしてそうだよ!
 大丈夫!?」

何しに行くかというと、たいした目的は無いのですが
強いて言うなら友人に会いに?
「それ、男?彼氏?ちゃんと守ってくれるの?」
さあ・・・守ってくれないかも(笑)

「ナイフ持って行った方がいいよ」
「蚊に刺されてマラリアになるかもだから防虫スプレー買いなよ。
 日本のじゃなくて、現地のめちゃくちゃ強力なやつね。
 スーパーとかにあるから。」
「拳銃の音がしたらすぐに逃げなよ」
「肌が黄色いだけで目立つから石投げられたりするよ」
「ほら、この本にもこう書いてあるでしょ。
 『ナイロビ→歩き方→歩かないでタクシー利用で
 それくらいキケンってこと!」

$churob-歩き方

ーそう言って、この”地球の歩き方”を借してくれたのでした。
現地にいる友人からも、事前に日本人が殺された記事を
シェアされたりしてかなり心配だったので、
もう一回”地球の歩き方”復習しておきました。

 この旅行では絶対に無理しない!
 独りでは街を歩かない!
そう心に誓っていました。
一般的に言っても、ケニアの首都ナイロビは、世界で3本の指に入る
治安の悪い街だそうです。


そんなこんなしているうちに、もうすぐ搭乗時間です。
空港の滑走路がだいぶ明るくなり、
日も昇ってきれな風景でしたので、写真におさめました。

$churob-滑走路

日本でカメラ・写真好きの知り合いから
「これは壊れてもどうなってもいいやつだから」と
借りたカメラでとりました。
一眼レフをもつ人からしたら「どうなってもいいやつ」でも
iPhoneしか持っていない私からしたら、ずいぶん上等なカメラです。
ズームしたらレンズぐいぐい出てくる、すごい。


3時間の間、3カ所くらいのベンチをふらふらしてましたら、
赤ちゃん2人や、ギリシャの商人に話しかけられました。
赤ちゃんたちは私に寄ってきて笑いかけたり
膝を触ってきたり、かわいかった。
ギリシャの商人は、「中国人?」「仕事でこっちに?」など
英語で話しかけてきてくれました。

ギリシャの商人の反対側には、見たことある人が。

 この首枕つけてる人、知ってる!

日本の空港でいたおねえさん2人組でした。
うれしくなってつい、話しかけてしまった。
「もしかして中部国際空港からですか?」

やっぱりあの2人でした。
2人の名前は「しーちゃん」と「うーちゃん」
首枕をつけている方が「しーちゃん」、
ボブカットの方が「うーちゃん」。
本名は聞きそびれました。


churob-しーちゃんchurob-うーちゃん


2人とも海外旅行大好きで、あらかたの地域は制覇済み、
とうとうアフリカ大陸に手を出したようです。
私は友人がいるからケニアを選んだだけ。
純粋な旅行先としてアフリカ/ケニアをチョイスするなんて、
すごいなー。私は思いつきもしない気がします。

やがて搭乗が始まり、空港バスで近くまで移動して
小型の飛行機に乗り込みます。
二人はその間もバシャバシャ写真を撮っていました。
ちょっと変なポーズをして「撮って撮って~★」なんていいながら
お互い撮り合っています。自分が写真に映り込む習慣の無い私は
「若い女の子って、こういう感じか」と改めて気づかされたのでした。


【アブダビからナイロビへ】

飛行機の入り口で並んでいるとき後ろにいたおじさんから
「何かの研修旅行?」と3人まとめて聞かれるくらいには
しーちゃんとうーちゃんと仲良くなりました。
しかし、1時間ほど前に知り合ったばかりなので、当然席は別々。
残念、と内心思って自分の席に着いたらすぐ、うーちゃんが
「なんか隣の席の人が『あの子友達?窓際の席なら代わってもいいよ』って
 言ってきてくれたよ」と呼びにきてくれました。

この小型飛行機は3:3人掛けです。
幸い私の席の窓際だったため、お言葉に甘えて席を
交代してもらい、しーちゃんの隣の窓際の席に座りました。
わたくし正直、さっそく日本語が恋しくなっていたので、
日本語でしゃべれるのがうれしかったです。

二人は短大時代の友達で、
うーちゃんはバリバリ仕事のできるウーマン
しーちゃんはもうすぐ結婚するそうです。
おめでとう!

そんなふうに仕事や恋愛の話、
これまで言った海外旅行の話をしたり
機内食の味見のしあいっこなんかをして
4時間ほどのフライトを楽しみました。


【ナイロビ到着】

2人と飛行機をおり、一緒に入国審査を受けました。
しかし何故かテントの中。
そんなに物資が無いのか?それとも宗教や文化的な理由??
この謎は後で解けます。

 <外から見たテント>
$churob-空港のテント

とりあえず入国カードとパスポートをもって列に並びました。
そこで、入国カードに書くべき滞在中の宿泊場所、つまり
友人Nの自宅の住所をなぜか途中までしかメモ帳に
書いていないことに気づき、テンパる私。
「ゲートで止められたらどうしようーー」

Nの住所は、連絡手段につかっていたFacebookの
メッセージを見れば分かります。
でも、もしものときのために手書きのメモがあったほうが
いいよねー。こんな安全策を思いつくなんて、
私も成長したもんだ、と得意げにメモ帳に走り書きしたのに。
なぜ途中までしか書いていないのか。
そしてここはナイロビ、アブダビ空港と違い、テントです。
私の心配は的中し、Wifiは繋がらず、Facebookもみれません。
やはりツメが甘い。

「私英語できないからなんか言われてもどうもできない。
 電話番号なら分かるから最悪ここに電話してもらって
 Nに証言してもらおうかな・・・」とブツブツ言う私の隣で、
「そんなん適当でも大丈夫やって」と笑ってなだめてくれる2人。
とりあえずわかる住所まで、ごまかして記入しました。
やっぱり分かる人がそばにいると心強い。

審査ゲートは1人で通らないと行けません。
どきどきしましたが、2人が見守る中
すんなりゲートを通してもらえました。
ふう~~

その後、建物に入り、大荷物を受け取ります。
5回の海外旅行のうち2回も
ロストバゲッジ(荷物どっかいっちゃっうやつ)を経験している
ツイてない私ですが、今回はすんなり返ってきました。


【お迎え】

空港出口のPOLICEの数はとても多かったです。
治安向上のためでしょうか。
しーちゃんとうーちゃんは、すぐにツアー担当のケニア人と
落ち合うことができ、ばいばい。
2人は、勝手が分からなそうな私を心配してくれていましたが
私は平気なふりをして2人を見送りました。
内心は、不安で不安でしょうがなかったです。

私は、友人、もしくはチャーリーを探します。
友人からは日本滞在中に、
「お迎えにはチャーリーを呼んでおく。
 俺も迎えに行けたら行くけど、行けないかもしれない。」
と言われていましたので、きっとチャーリーという友達が
くるんだろうと踏んでいました。

「ウエルカムボード持たせておくから」という言葉を信じて
ロータリーに立つ人々の持つボードを見て
3往復ほどしましたが、それらしき人はいません。

ロータリーは直射日光直撃で暑いため、
出入り口の方に戻りましたがPOLICEに
「待つところはここじゃない、あっち」と言われて
ロータリーに戻る。手持ち無沙汰そうに棒立ちする。

不安そうにぼーっとしていると、
「ニイハオ」「TAXIを探しているのか?おれのに乗る?」
などと声をかけられます。
治安が悪いとかなり強く吹き込まれていたし、
英語がにがでなのもあって何言ってるか分からないし、
ボラれるんじゃないか、
変なとこに連れて行かれるんじゃないかと不安です。

あまり無視ばかりもできないので、勇気を持って、
声をかけてくるPOLICEやタクシーの運転手に、
「I am waiting my friend.」と言ったら納得してくれました。

そんな、いきなり取って食べるようなことはしないよね。
自分がビビって疑った目で見ると、なんでも怖く見えるものだなと
改めて感じました。

$churob-ロータリー

ロータリーで待っているうちに、iPhoneに着信がありました。
見たこと無い電話番号です。
友人がケニアの携帯電話からかけてきてくれたのでした。

友人いわく、どうやらチャーリーは渋滞に巻き込まれて
遅れているそうです。そして友人は迎えには来れないと。

忘れられているのではなく、遅れているだけであること、
友人と連絡が取れることが分かりだいぶ安心しました。

結局、ナイロビの空港に到着して約1時間後、
レポート用紙に蛍光ペンで「CHUROW(ほんとは私の本名)」と
書いた紙を持った青年が近寄ってきました。

 やったー!待ってたよー!

「チャーリー?」と聞くと「YES!」と答えてくれました。
とても人の良さそうな青年でした。
「遅れてごめんね、JAM(渋滞)がすごくて」と言っていました。


【空港からN宅へ】

あまり英語に自信がない私ですが、車内では
チャーリーはいろいろと話しかけてくれましたので
私もがんばって英語で返していました。

車で移動中、歩道の脇のフェンスに衣類が大量にぶら下げられていました。
ケニヤッタマーケットという市場だと教えてくれました。
ナイキのスニーカーが裸のままいくつもヒモでつなげられ、
プレハブの屋根から地面にかけてずらっとぶら下がっていました。

バナナとサトウキビの路上販売がたくさんありました。
 「日本にも路上販売はあるか? 値段はいくらくらい?」
と聞かれました。サトウキビの路上販売は、みたことないかな。

原付の後ろにイスがついている乗り物が、車の脇を通りました。
「ピキピキ」とチャーリーが教えてくれました。

他にもたくさん見ました。
写真を撮りたかったけど緊張して撮る勇気が出なかった。
例のガイド本に、むやみにカメラを構えてスパイと
間違われた人がいるというのをみてびびってました。

★まめ知識:チャーリーについて
 あとから友人に聞いた話を統合すると、どうやら
 日本人ボランティア団体?と提携しているタクシー会社の
 ボスの名前がチャーリー。今運転している彼はたしかケビン。
 純粋なタクシーの運転手でした。
 ボスのチャーリーに行き先とお迎えの時間を指定して電話すると
 だれかしらを派遣してくれるシステムのようです。

★まめ知識:ケニアのタクシーについて
 ケニア一般ですが、タクシー料金は交渉制のようです。
 行き先と値段を、乗車前に交渉するのが吉みたい。
 よって値段の相場をきちんと把握しておく必要があります。
 私もケニアを出る頃には、行ったことのある場所へは
 高めにふっかけられても、自分で値段交渉できるようになりました。
 あと、深夜だったり大きな荷物を運んでもらった場合は
 ちょっと加算して払ったりして、チップみたいに、
 お心次第な部分もあるようです。


ちょっと寄り道をして、やっととうとう友人と合流、
その後友人宅へ到着しました。

タクシー料金が予想以上に高かったらしく、Nの持ち合わせが不足。
「彼女は1時間まったんだよ。それでもその値段なの?」なんて
交渉していましたが、ケビンは譲らず。
結局ボスに連絡して料金を確認し、ツケてもらっていました。
わや師はここで初めて、
「ケニアではタクシー料金を交渉して決めるんだ」と知りました。

$churob-けびん


【ナイロビからN宅へ】

友人宅に家に着いて、頼まれていた日本からの荷物やお土産を渡し
ちょっと一服。

近所のショッピングモールにある換金所が閉店しそうな時間なので
急いで換金しにいくことになりました。
 「外を歩くときは基本的に手ぶら、なぜなら引ったくられるから」
ということで財布だけポケットに入れて行きました。

ケニアで初めての町歩き(5分くらいだけ)をしました。

バーのお兄さんからの言いつけが蘇り、ビビりな私はド緊張。
「絶対置いてかんといてや~~」といいながら友人に
ぴったりくっついて歩きます。
なのにふざけて急に走り出したりするので、ビービー言っていました。
どうも、バーのお兄さんが言うほどは危険じゃないのかも?
数年前と事情は変わったのかもしれません。

5分の町歩きを終えて、無事ショッピングモールに到着。
入り口では係の人に金属探知機を当てられました。
ショッピングモールの中は、ジャスコみたいなかんじでした。
わたしの前の会社の製品も売ってました。

換金所では、Nが英語かスワヒリ語で何か話していました。
大金をまとめて換金するので、値切ったそうです。
ありがたいです。
換金後はその場でちゃんと全部あるか確認しろと言われました。
初めて触る通貨を、まちがえないように数えました。
ふう、緊張した。

★まめ知識:ケニアにいる友人Nについて
 大学時代の合気道部で知り合いました。
 Nはあまり部活には顔を出さないほうで、
 プライベートで遊んだりもしたことはありません。
 つまりそんなに親しくないです。

 でもなぜか、就職活動の数ヶ月だけは、どんな会社を受けているかとか
 エントリーシートを読み合わせたりして校内で頻繁に
 顔を合わせていました。
 結局彼は、就職先も就職後の配属も他の人とは
 ひと味ちがったところに行きました。

 卒業後は一度も会っていませんでしたが、
 確か2011年の春か夏頃に部活に久しぶりに行こうと誘われ、
 そのときに「青年海外協力隊でケニアに行く」と教えてくれました。
 そして、ケニアに行く直前の2012年の春ごろ、
 お見送りも兼ねてもう一度会いました。
 Nが2年間ケニアに行く(=海外に住める!しかもタダ!)と聞いたとき、
 「私もやってみよっかな~」なんて言ってみたら
 「まあそんなん言うてもお前はやらんやろ」とサクッと言われ
 私のもやもやが刺激されたものでした。
 
 今は協力隊とは別に、ケニアの人に合気道も教えているらしく、
 聞けば大学で合気道部に入ったのも、
 将来を見越してのことだったそうです。

 大学時代から部活や学校より、社会に目が向いている人で
 やっぱり今でも、仕事っぷりやら人脈形成やら、
 なんだかバリバリしている感じは変わっていませんでした。


Nには毎晩色んな人から誘いがくるらしく、
この日も2、3件夕食のお誘いがきており、
どれかに私を連れて行ってくれるつもりのようでした。

その準備のため、友人は買い出しへ。
私はNに
「明日から別の知り合いが泊まりに来るから
 家の台所の掃除をしておいて」
と言付けられて、せっせと掃除。

あれ? 私もいちおう客なんやけど?
「いや、おまえのために掃除する必要は無いと思って」

私はどこでもそういう扱いです。もちろん例に漏れずNからも。
いいですよ別に(^q^)

台所の掃除が終わったころ、友人がかえってきました。
しばらくして夕食のお誘い先から、
「あと2、3分でお迎えに行くよ」
と連絡がありましたが
「ケニア時間の2、3分やからゆっくりしていいよ」
と言われました。

日本を出発してからずっと緊張していましたが、
ここでやっと落ち着きいた気分です。
日本の共通の友人の結婚報告やお互いの近況の話なんかを
しているうちに、時差ぼけで眠気におそわれ
「ちょっとだけ寝るわ」と、リビングに仮設してくれた
マットレスに横になりました。

このとき夕方の18時頃。
時差を考慮すると日本時間では夜の0時頃、眠くなる時間です。

$churob-N

ケニア時間の2、3分は相当長く、
仮眠から起きた後は、Nからお風呂場の掃除を
追加で頼まれて掃除し、それが終わった頃に
やっと夕食のお迎えがきました。
おなかすいたー!

で、出かけようとしたら、あれ、部屋の中なのに真っ暗?
体が動かない、ここどこ?
またマットレスに寝てる?
いま何時???? よくわからなくなりました。


ーどうやら仮眠のつもりが、私は爆睡していたようです。
お風呂掃除もお迎えもぜんぶ夢でした。

Nの寝室に寝ぼけてむにゃむにゃ言いに行ったら
私があまりにも爆睡してたから、夕食のお誘いを全部断ったらしい。
時間は夜の22時過ぎでした。
Nは、私が日本からお土産に持ってきたカップ麺と柿ピーを食べたとのこと。
「おれがリビングでばたばた動いたりズルズル食ったりしても
 ぜんぜん起きへんねんもん」だってさ。
うーん、ごめんなさい。

私はおなかもそんなに減っていなかったので、
その日はそのまま寝ました。

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長い空の旅はおしまい。
8/24はそんな感じです。

翌日はお昼から5日間、サファリツアーに出かけます。
サファリで郊外に出た方が治安はずっといいらしいです。
動物楽しみです。わくわく。

$churob-ETIHAD

$churob-0824