【弥生(三月)】
この三月に父の歳に並んだ。70歳を前に逝ってしまったのでまだ若かったと思う。自分も還暦を迎えた頃から、「超えるべき歳」の目標にしていたのでひとまず安堵というところか。2011年3月11日に東日本大震災が起きてから12年が経つが、’13年以降毎年3月に被災地を訪れ掌を合わせている。宮城、岩手と各地を訪問したが、今年初めて福島の沿岸部に赴いた。かつて1度行ったことのある、相馬市の松川浦にある相馬市伝承鎮魂記念館に行き、あの日の映像や資料を見て、海と慰霊碑に合掌。次の日、予定はしていなかったが浪江町と、双葉町にある「東日本大震災・原子力災害伝承館」がそれほど遠くないことが分かったので国道6号線を南に走った。2020年9月に完成した伝承館はまだ新しくきれいだったが、周りは建物は少なくまだ荒地。中で説明を受け、あの時の緊迫した映像を見、資料をたくさん見た。12年前がフラッシュバックするようで、衝撃だった。ここからほんの10数分走ったところに原発があるが、その周りはいまだ帰還困難区域、立ち入り制限区域だ。被災各地は地震、津波で甚大な被害を被ったが、福島はそれに加えて放射線。自宅や建物はやられてないにも拘らず遠くへの非難を余儀なくされた。放射線により故郷を追われた浪江や双葉の方々の帰還は、放射線量が少なくなった今でも1割ほどか。今は穏やかで美しいこの海が、あの時津波となって荒れ狂るい原発を飲み込んだ。被災地の復興は、まだまだ道半ば。明日で3月も過ぎていく。3月、4月は区切りの季節。被災された人々にも一刻も早く、平和で幸せな区切りが来ますことを祈る。