夫からのファックスで、イラッとくることがもう一つ。


前回のファックスで、夫は自分の主張を書いたあげくに、「無理して同意してほしいとは思いません。」と書いてありました。はぁ?です。なので、私はそれはどういう意味かと質問を書いて送りました。その答え…


「強要され同意するのではなく、自らの選択による自己責任の上で同意すべきという意味です。そうでなければ、長続きしないということです。」


なんたる上から目線。長続きしなければ、どうなるっていうのだろう?意味わかりません。

これが私の立場からの言葉なら、まだ意味が通じるのですが。(某タレントは、離婚するとき、養育費は父親から子供への愛情だから元妻である自分からは要求しません、払いたいだけ払えばいい、と言ってました。そんなことが言えるのは、うらやましい!)


一方で、夫は私の主張については、「自分の考えは受容されて当然という傲慢さが窺われ」る、と書いています。

私は、自分が裁判所の算定方法を調べて正当だと思う主張をしているので、当然、私が主張する養育費が払われるべきだと考えています。ただし、算定根拠について夫と認識が違うので、主張が食い違っているのですが。だからこその話し合いでしょう。それを傲慢と言われても。それを言うなら、お互い様だと思います。


どっちが傲慢なんだか。


でも、私がもし下に出て、私には稼ぐ力がないんです、かわいそうな私と子供にお恵みください、と言って養育費を払う夫なら、それでもいいんです。だけど、夫に情で訴えても無駄なことは、今までの経験でよく分かってます。

今回も、はっきりと、子供が貧乏するのは仕方ないという意味のことを書いてきてますから。


夫の友人あたりが「えっ?お前の給料で養育費それだけなの?」とでも言ってくれればいいのですが、そんなこと言ってくれる人いないだろうなぁ。












養育費について夫からのファックスを読んで、やっぱり夫と別れることにしたのは正解だったと思いました。こんな人と一緒にやっていけるはずがないし、やっていってもいい事は何もなかっただろうと、つくづく思いました。

私を責めるのはいいけど、子供への気持ちが全く感じられないのが悲しい。

私が夫の提示する金額を認めていないことについて「今後親権を持ち、子供を育てていく真剣で真摯な覚悟が足りない」と上から目線。子供のためを思うからこそ正当な養育費を払ってもらいたいんですけど。養育費ケチってる人から説教?
そして、経済的援助をすることが子供への愛情表現だという意見に対しては、「愛情が養育費の多寡に結びつくか、私にとってとても難解な命題です。」と書いてありました。難解な命題って…。

で、結局、「今後は現在かかっている費用より下げざるを得ません。通常かかる費用は参考になっても、私たちの事情に応じた費用にならざるを得ません。」と、子供が平均レベルより下の生活をすることを仕方ないとしてます。夫の年収は平均より上なんですが、夫は自分が家族住宅を出て家賃を払うようになることで自分の生活レベルが下がることを心配してるようです。養育費を払うことも、夫の中では自分の生活レベルを下げる要素になってます。結婚続けてても子供にかかるお金は必要なんですけど。
まぁ、私が夫とほぼ同じくらい稼いで子育て費用をまかなうのが当然と思ってたのかもしれませんが。

離婚についての認識が違うので、夫にとっては自分が被害者でしかないんですよね。「離婚するということは…関わる全ての人が将来にわたり、精神的、社会的、経済的に辛く苦しい思いをすること」、「チロにおいても、精神的、経済的に多くのものを失うことは避けられません。」と書いてあります。私にとっては離婚は精神的に楽になるためのものだし、夫の稼ぎで生活していたわけではないので離婚によって収入が無くなるのではありません。結婚生活によって鬱病になり、休んだことで職場での立場が悪くなったり、仕事と育児を一人で両立する体力が無くなったので、実家近くに転職しようとしてて、そうすると収入は激減するだろうけど。結婚生活を続けてたら、鬱病がひどくなって、どっちみち退職に追い込まれてたでしょう。私は、結婚で辛く苦しい生活になったのであって、離婚はより良い生活を目指してのことなのですが、夫は、離婚イコール貧しく不幸な生活と思っていて、私のみならず子供もそうあるべきだと感じてるようです。そして、それは私の責任だ、と。

よく芸能人が離婚会見で、お互いの幸せのために別れるというようなことを言うけど、あれはどちらか一方が幸せじゃなくて怒ったり泣いたりしてたら、もう一方も当然幸せでなくなるから、両方が幸せになれない限り残念でも別れるしかないということですよね。けど、夫は結婚生活に満足してたんですね。私が泣いても怒っても。だから、夫にとって離婚はダメージでしかない。
妻に収入があって養う必要もなく、妻に家事をやってもらい(←夫は私の家事に不満があったらしいけど完全無料なんだから文句言えないと思う。)、出産費用や育児費用も妻がいつの間にか払ってる。家賃、光熱費は夫だったけど、結婚したおかげで家族用社宅に入れて独身時代の家賃よりずっと安くなった。結婚披露宴もハネムーンも割り勘。おいしすぎますよね、こんな結婚。
欠点は妻の機嫌が悪いことなんだけど、それが気にならないからなぁ。

夫は私が出て行って初めて悩んだようです。夫は一応、原因は双方にあるとしながらも、「私はこれまでチロの身勝手な考えや行動に振り回され、それに耐え苦しんできました。」と書いてます。そして、「チロは問題に真正面から真剣に向き合おうとせず逃避し続けてきました。」と。自分の苦しみは感じることができても、相手の苦しみはわかりませんからね。私が真剣でなかったとどこで判断したのかわかりませんが。夫が真正面から向き合ったと思えることは私から見て何もないけど、だんまりを貫いていたことを「堪え苦しんできた」と言ってるようです。

離婚なんだから、お互いを非難しあうのは、まぁ普通かもしれませんけど。もうどっちが悪いと言い合うのは止めて今後に向けて話そうと言って、私が言うのをやめたら、勢いつけて言ってくるのが何だかなぁ。

まあ、私への対応はもうどうでもいいんですけど。私への恨みを子供の養育費とごちゃまぜにしてます。夫は、私に偉そうなことてを言うときは子供を盾にするけど、基本、子供を私と一体に考えてるフシがあります。子供にお土産を持って来ても子供ではなく私に渡したり、私に礼を言ってほしそうな顔をします。父親が子供におもちゃあげて、母親が父親に礼を言うってオカシイけど。

養育費に戻ると、私は、もしかしたら夫は養育費の相場や育児費用がどんなものか分かってないのかもしれない、実情を知れば金額を上げるかもしれないという微かな望みがあって、実際かかる費用や全国統計などを示したのですが、夫は子供が貧しい生活になることも(自分の生活レベルを守るのためには)仕方ないと考えていることがハッキリしました。悲しいけど、これで心置きなく夫を冷たい人と思うことができてある意味スッキリしました。
こんなお父さんで子供には申し訳ないけど、夫の人間性を替えることはできません。わざわざ伝えようとは思いませんが、子供が大きくなって父親の生活レベルを知ったときにどう思うか…。

夫は、私がわがままで家を出なければ子供も良い生活を送れたと言いたそうで、子供が私を恨むだろうと考えてそうです。
夫のケチぶりを見てると、一緒にいてもそうなったとは思えませんが。

もう夫と話し合っても無理かな、という気がしてます。私が鬱病で一人で仕事と育児を両立できないから転職するというのも、夫からすると安定収入を自ら捨てて夫の養育費を高く吊り上げようとしていると映るようです。養育費をアテにして楽しようとしてる、と。私が要求してるのは育児にかかる費用の半分ちょいで、私の生活費まで賄える金額じゃないんですけど。(夫が主張してるのは育児にかかる費用の半分にも満たない。)

弁護士さんを入れても、夫に理解させるのは難しそう。調停で決まっても、給料差し押さえにしない限り、結局は夫の意思がないと振り込まれないわけだし。こじれて、一円も払わなくなるよりは、もう折れようかな、とちょっと思いました。もう関わりたくない。
話し合いに巻き込まれてる私の親族もかなり精神的ダメージを受けてて、これで皆体調崩したらいけないし。

まぁ、私にとってメリットがあったとすれば、以前は親族にさえ「性格が合わなかったんだね」と片付けられて悔しかったけど、今は親族みんなが私の気持ちを分かってくれるようになったことかな。以前は、うちの夫も同じようなもんだとか言ってたけど、誰もそれを言わなくなりました。みんな、自分の夫が少々グータラだったり気遣いに欠けていても思いやりがあることを再認識したんじゃないかと思います。

最近、iPodを使うようになって、気に入った曲をダウンロードして通勤のときなどに聴いてます。
お気に入りの曲の中で高橋優さんの「福笑い」は聴く度に涙が出ます。関東圏の人ならなら東京メトロのCMで聴いたことあると思いますが、サビの歌詞が「きっと世界の共通言語は英語じゃなくて笑顔だと思う」というもので、人類愛的な、幸せとは何かみたいな曲です。
曲は「君が笑っていると僕も笑いたくなる、君が泣いていると僕も泣いてしまう」で始まり、さっきのサビに続いて、「理屈ではない何かで僕ら通じ合える力を持っているはず」という所で必ず涙が出ます。
涙には色んな気持ちが混ざってます。
まず、曲のメッセージにまっすぐ感動する気持ち、次に夫とは通じ合えることが無かった寂しさ、そして人類全てに共通することを歌ったはずのこの曲がカバーできていない人がいることをどう考えていいか分からない混乱。

大人も子供も、男女関係なくと歌われるのに、そこにアスペの人(もしくは一部のアスペの人)は含まれていない。夫は私が泣いているとき、側にあったカメラで泣き顔を撮影したほどで、気持ちが通じ合うとは程遠いものでした。もしかすると、私の理解を超えたどこかで夫には何かが通じてる可能性は否定できないけど、少なくとも歌のように気持ちがほっこりするような通じ合い方はしてません。

それで、非定形の人を排除してるような罪悪感をちょっと感じそうになるのですが、最後のフレーズが「あなたは今笑えていますか?幸せだと心から言えますか?それだけがこの世界の全てで、どこかで同じように願う人の全て。」というもので、そうは言ってもまず私が笑っていられること、子供が幸せであることが何より大切で、それ以外に道はないんだと確認できるのです。

歌詞を抜きだして書くと説教臭い歌のようですが、聴くと、青臭くはあるけど説教臭くありません。

今の自分にピタッとはまるので、毎日毎日聴いてます。

10年来の友人と会って話してたら、友人は私の結婚に反対意見を言ってくれたんだそうです。私は、全く記憶がないのですが、お酒を飲んでいたそうで、夫(当時は彼氏)のグチを言ってて、友人は、そこまでグチを言う相手と結婚するのはよくないと判断したのでしょう。だけど、私は「あなたにそんなことを言われる筋合いはない」と逆切れしたそうです。せっかく、心配して助言してくれてるのに、失礼ですよね。その友人以外にも、心配して「あの人はチロを大事にしてないから辞めたほうがいい」と結婚を反対した人に私が逆切れして、絶縁状態になったことがあります。


実はあまり、その頃の記憶が無いんですよね…。

やっぱり、あの頃から鬱だったのかなぁ。

私は、道で迷ってそうな人を見かけると頼まれてもないのに声をかけて怪訝に思われたりする、まさにお節介タイプ。夫にとっては楽な相手だったんですね、きっと。
子供ができる前は私に余裕があって、時には私の家族に犠牲を強いながら夫や夫の両親に合わせてたけど、子供ができて余裕がなくなって、私は夫にとって楽な相手ではなくなりました。

そう言えば、最初に私にアスペルガーのことを教えてくれた女性は、昔の彼氏がその疑いがあって色々調べとアスペを知ったそうなのですが、気が強いし主張がはっきりしてるから一瞬ワガママキャラに見えるけど、面倒見がよい姐御肌でした。かなら苦労したそうです。今は、優しい気遣いのある人と結婚してます。

私は彼女のおかげで早くにアスペルガーを知ることができました。トンチンカンだとか無神経だとか愚痴ってたら、もしかして?…と。それで、パパはアスペルガーのサイトで似た境遇の人達の存在を知ることができ、本やテレビでもアスペが出てくる時代になっていたことが幸いでした。
そうでなければ、「旦那さんは照れ屋なんだよ」「そういう人の方がイザというときは頼りになる」「あなたが旦那を育てればいい」「思いやりで接すれば思いやりが返ってくる」などという言葉に翻弄されたままだったと思います。

だから、すぐに人をアスペ呼ばわりすることに批判的な意見もネット上で見かけるけど、アスペのことをより多くの人が知って、訳のわからない苦しみに悩んでいる人が救われる可能性の方大事だと思います。