開発教育 あしたのきのう -5ページ目

瀬戸内国際芸術祭 旅行記7 男木島 後編

一夜明け。

ご飯を食べながら、島の話とか聞く。
小さな冊子を見せてもらって、
借耕牛のこととか、
他の島のこととか、教えてもらう。

朝も、ご飯がうまい。


開発教育 あしたのきのう
ご飯食べたのこんなとこ。仏壇の目の前。


9時くらいになると、
shine's kissの二人がやってきた。

おやじさんに頼んであったんだけど、
道場に、シャワーを浴びに来たのだ。


お掃除をして、「浄財」をおさめる。

ここは寺なので、浄財。



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道場の庭で


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おやじさんとおかみさん



昨日残り損ねたアートをめぐる。
しかし、朝一番の舟ですでに島はひと・ひと・ひと。

甘かった。


結局、すぐに入場制限となり、
ぐるぐると島をちょっと周ってみる。


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せとものでできた枝とはっぱ



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新聞記事の残虐なものを集め、イメージした絵をつけたアート


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おさなき、おんば職人


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漆塗りのかべ


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団扇の竹の骨組みを使ったアート。キレイ




そして、出発。


出発する時は連絡して。


おかみさんに言われていたので、電話する。


海の上から、道場の窓が見え、
おかみさんが赤い布を振っているのを確認した。


きっと、またくるよ。



男木島編 終

瀬戸内国際芸術祭 旅行記6 男木島 中編

夕日、こんなん。


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若者3人で、夕日を眺めてきゃっきゃ、きゃっきゃやってると、
うしろから、ふいに声を掛けられた。


見ると、おやじが一人、
キャベツ片手に、ポーズをとっていた。


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彼は、かっちゃんと言った。


もう一人の乗組員,、岡ちゃんの意見など、、、。

おしどり夫婦のような二人だった。


「よってきなよ」
気軽に声を掛けられた。


無遠慮な我らは、
そのまま舟にお邪魔することになった。


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ゆみちゃんとかっちゃん


かっちゃんはえでぃをいたく気に入り、
日が落ちるまでの間、
ビールを飲んだり、自己紹介をしたりして過ごした。


もちろんこの舟は、二人の持ち物で、
名前をshine's kissと言った。


二人は長い休みを利用して、
こうして時々、瀬戸内を航行しているらしい。


このときは、次の日この舟に乗って、
自分も航行しようとは、ゆめゆめ思っていなかった。


さて。


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日も暮れたことですし、
もうすぐ、今日のイベントの語りも始まることですし。


と思い退散しようとすると、
「カレー食っていきなよ」

とかっちゃん。


そういや、さっき注文したもん食べてないし、
いずみさんひとりで待たせて悪いとさすがに思い、

ひとまず食事どころに戻った我ら。



いずみさんに一部始終を話し、
飯をくらい、

さっき、夕日が沈むのを教えてくれたおっちゃんに挨拶をして。


再び舟に戻る我ら。


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えでぃとかっちゃん                 ゆみちゃんとえでぃ



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キャプテンルーム                  寝室


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居間?的なスペース


たわいもない話をして、
かっちゃんのぶろーくんいんぐりっしゅが炸裂して、
夜は更けていったのでした。


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結局語り(テーマは借耕牛)ちょっとしか聞けず。



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8時の舟で、帰っていく、えでぃとゆみちゃん。



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「明日の舟で、直島に行こうと思ってるんだけど、
ちょうどいい時間のがないんだよね」
と私。


「じゃあ、乗っていったらいいよ」
と、かっちゃん。


ちょっと迷った末に、お邪魔することになった。


「朝起きたら、とりあえず来るよ」

簡単な約束をして、道場に戻る。


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港にある、アート                  おい。


とっぷりくれた島の夜。
気持ちいい、夏の名残の夜風。


道場の敷居をまたぐと、
人の話す声。


今日泊まるという、男の子、女の子、いづみさん、
そしておかみさんと、おやじさん。


「ちょっといっぱいやりましょう」
と、酒とご飯と、つまみが出てきた。


こういうの、すごくいいなと思った。


男の子は、大阪から来ていて、
明日帰ると言っていた。

でも、私が翌日行くことになっていた直島には何度か行っていて、
また今度来るといっていた。


私は全然知らなかったけど、
それなりに芸術的世界では有名な直島だった。


女の子は、明日豊島を経由して、
犬島に行きたいと言っていた。


彼女の名前は、あんなといった。


犬島は、舟が1日3便しか出ていないから、
なかなか行くのは勝負の島だ。


しかも、こんなに混雑しているこの時期。
豊島にいっても、
犬島いきの舟に乗れないかも、と。


のほほんと、島巡りをしようとしていた私は、
現実を知ることになる。


大丈夫かなー。


そんなこんなで、酒を飲み、つまみをたらふく食べ、
大阪名物という、かすうどんをごちそうになり、
(おかみさんがこの道場の人で、大阪に出ていたんだけど、
継ぐために戻ってきたという。だから大阪名物のかすうどん)



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うしだか、ぶただかの、腸?それがかす。

だしが、うまい


寝る。


瀬戸内国際芸術祭 旅行記5 男木島 前編

前回の記事から大分間がありましたが、
瀬戸内芸祭、続編です。


香川の高松港から船に乗り、
女木島にまず降り立ったちえぞー。


芸祭のときだけ、島には人が来る。
島に来た人は、自分の家に帰る。
人が帰り、芸祭が終わると、やっぱり島には人がいなくなる。


展示会場だった廃校は、
カフェになっていた家は、
そのあとどうなるんだろう。


でも、こうして人が来ることで、
ここに住みたいと思う人も出てくるかもしれない。


複雑な思い。


でも自分自身、
カメラの電池がなくなって、
農協が土曜日は休みだから島では買えなくて。


「不便だな」


と感じた、その矛盾。


(前回までのあらすじ)


そんな思いの中、
男木島に向かった。


『借耕牛のはなしー島と生活』


男木島の地形は、典型的な山岳性のもので、
島内に平地といい得るところはただの一ヶ所もありません。


水田もなく、男性は漁に出るため、あとに残る女性が畑の担い手として働きました。


牛はどの家でも飼っていました。


春と秋の農繁期には、遠くまで牛を泥田鋤きに貸しつけます。


牛舟に乗せられて四国へ渡り、それから長い長い舗装の道を歩いて、
奥深い在の農家へ借りられて行く、いわゆる「借耕牛(かりこううし)」です。


牛は、一ヶ月ぐらい働いて骨と皮になって、
ふたたび舟に乗って島へ帰ってきます。


船が岸辺に着き、
浜へ追いあげると牛は高らかに啼いて、
住み慣れた主人の家めざして独りでのそのそ帰ります。


家を忘れたり、道を間違える牛はまずいません。


島の女性たちは、牛は釈迦牟尼の化身だと信じていて、大切に扱います。


一回の出嫁料は、昔は米三俵、今(1958年)はざっと1石。
それも耕運機の発達に反比例して減りつつあります。


しかし女性たちは牛を手離そうとしません。

げっそり痩せてそうろうと我が家に帰り着き、主人に大きな顔をすり寄せて、
ほとほとと首筋を叩いてもらいながら、
黒い瞳をうるませている牛の姿はそこここに見られます。


もし事故で牛が死んでも、島では売りもしなければ食べもしません。
ていねいに土葬します。


男木島の集落は、
石畳と石垣の細い路地に家々が積み木のように密集しています。


頂上には豊玉姫神社があり、
そこから見る夕日は格別に美しく、嬉しい時、悲しい時、寂しい時、
人々はここから海を見つめて暮らしてきました。


路地には人々の記憶、そして歩いた牛たちの足跡が折り重なっています。


(資料:西村望『男木島の歴史』など、瀬戸内国際芸術祭2010公式ガイドブックより)



男木島は、坂の多い島。


とりあえず、荷物が重い。


次の船で、宇野港(岡山)か高松港に行って、
宿を探しつつ、電池をゲットする予定だった私は、
「荷物預け所」
にカバンを預けた。


電池がないので、写真も撮れない。
とりあえず、携帯で写真を撮るしかないなぁ。



ガイドブックにしたがって、
島を回り始める私。


でも、写真も撮れないし、
時間もあんまりないし、
結構疲れていた。


と、
「休憩所」
と書かれた看板が目に入った。


その時は、ここに泊まることになるなんて、
想像もしていなかったんだけど。


そこでは、絵葉書を売っていた。


それが欲しくなって、
とりあえず、
いわゆる、軒先に腰を下ろした。


関係者らしき人と、話をする。


「どこからきたの」
「神奈川です」
「あらー、ずいぶん遠いところから」


そんな話をしていると、
日本人と、金髪の男の人のカップルがやってきて、
ブイを使った、アート体験をしたいと、
目の前に座った。


名前を、ゆみちゃんと、エディといった。


私は、道場(そう、ここは道場だった)のおやじさんに


「電池がね、なくて。写真が撮れなくて。
宇野か高松に戻って泊まろうと思ってるんです」

と言った。


するとおやじさんは
「電池なら、ここにあるよ。
じゃけん、ここに泊まってったら」

と言った。


唐突だったけど、それもいいなと思った。
島に泊まるのは面白そうだと思った。


確かに、さっきの張り紙の隣には、
「素泊まり1500円」
という文字もあった。


おやじさんにもらった電池を入れて、
カバンも預け所に取りに行って、
道場に預けた。


今日、一緒にここに泊まるという、
いづみさんに会った。


過疎化が進む島。


いづみさんは、この島の出身。

だけど、墓参りに戻ってきた時に、
島で泊まるところがない。


そんな人たちに利用して欲しいと、
道場のおやじさんと、おかみさんはこの泊まり場を始めたそうだ。


日暮れまでの時間ができた私は、
ゆみちゃんと、えでぃにお別れを言って、
さっきとは全然違う気持ちで、
島を回り始めた。


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夏の忘れ物1                    夏の忘れ物2


開発教育 あしたのきのう  開発教育 あしたのきのう
時間差で水が落ちるしくみ            こんなところにもアートが


確かに坂ばっかりで、


開発教育 あしたのきのう


狭い路地ばっかりで、


開発教育 あしたのきのう  開発教育 あしたのきのう

お年よりも多くて、
みなおんばと呼ばれる、手押し車を押して歩いていて、


この島で暮らすのは大変だなと思った。


開発教育 あしたのきのう  開発教育 あしたのきのう

天然の日よけと                   公共ベンチ?これもアート


夕暮れ時に港に行くと、
ゆみちゃんと、エディがいた。


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「舟を逃しちゃって。8時までないみたい」

という話だった。


「じゃあ、一緒に夕飯食べませんか」
お誘いした。


夕やけに色づく港の食事どころに、
さっき会ったいづみさんがいたので
みんなでご飯を食べることになった。


たこ飯と、お好み焼きと、ビールと、、、
注文してぼっとしてると、


「ねーちゃんたち、夕日が沈みよるよ。」

おっちゃんに声を掛けられた。


見ると、確かに、防波堤の向こうのそらが真っ赤に染まって、
今にも夕日が沈みそうになっていた。


注文して食べ始めようとしていた料理をほっぽって、
私たちは、沈み行く夕日目指して走った。いや、ほんとに走った。


続く



新年に

年が明けた感じが

全然しない正月でしたが。


2日に実家に戻ると、

結構な数の年賀状が来ており、

「そういえば、ルワンダからの帰国報告、まだきちんとしてなかったな」

と思い立ち、

パソコンをカタカタ。年賀状づくり。


「ルワンダに行く前は、毎年年賀状作ってくれてた」

と姉に言われ

「そうだったかなぁ。。。」

と、姉の分の年賀状も作らなくては思いつつ。


結局50枚印刷して、

40枚近く、すでにポストに入れてきました。


家に帰ってみると、

封筒が2つ。


封筒そのいち。


「清水千絵様 17組」(配達日指定 1月3日)


なんだ、なんだ。


と思いながら、封筒を開けると、

英語の授業を受け持っている1年7組の生徒それぞれが、

私宛に年始の挨拶を書いてくれたA4の紙が4枚、

入っていました。



達筆なのかわからんが、

名前が読めない生徒がいたり。


この子、ちゃんと文章かけるんだ。

と新たな発見をする生徒がいたり。


名前を見ると、不思議と顔が浮かんできて。


もっと、席替えしてください。とか、

ARASHIの曲、掛けてください。とか、

リクエストもあったりで、

サプライズの、かなり嬉しいプレゼントでした。


ま、ほとんどの生徒が

「ちえちゃん」呼ばわりでしたが。。。



もう1つの封筒は、

9月に、瀬戸内の男木島で出会った、

女の子からの手紙。


糊付けしたところに、

ふわふわしたうさぎのシールが貼ってありました。



旅での出会いは、こうやってつながっていくんだなぁと、

やっぱり出会いは宝だなぁと思いました。



出会いは偶然

再会は必然





今年も、たくさんの出会いに恵まれる年に。


していきたいです。



良い年に、しましょう!



ちょっと、年が明けた感じがしてきた、1月3日の夜なのでした。



最近思うこと

必要とされることって

うれしいことだよね


ごめんって言えるのって

たいせつなことだよね


ありがとうって言える誰かがいるって

しあわせなことだよね

1枚の写真 1回のシャッター

やっと

ルワンダの写真を整理しました。



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あるばむ1→ルワンダの様子編
あるばむ2→活動編


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拡大ばーじょん


結局200枚近い数になってしまったので、
常には持ち歩けないんですけども。


時間があったら、
それぞれの写真にキャプションを。。。


と思ったけど、多分無理でしょう。


使っているあるばむは、
無印良品の、
廃材利用のプラスチックあるばむ。


宣伝するつもりはないですが、
バックが黒のあるばむ、なかなかいいです。


普通のよか、安かったし。


最近は、撮った写真を、
時々プリントアウトしては、
飾ったり、あるばむに入れたりしています。



そのきっかけになったのは、
ルワンダでのある日、ある家庭の訪問でした。



彼女の名前は、Sifa

通っているあがせちぇ(ルワンダの伝統的編み籠)工房の、
おかーさんの1人でした。


ずっと前から、訪問するといっていて、
「いつ来るの!!!???」
という展開になり、
お仕事のあとに、お邪魔しました。


「すぐそこ」
って言ってたのに、
すべりやすい、乾季の山道を、
30分以上歩いて、
やっとついた、土壁の家。


他の普通のお家と同じように、
なーーーーんにもない、居間。


「これに座って」
と取り出された、木のイス。


ござを持ち出して、
そこに座る、
彼女と、2人の息子。


「写真、見る?」
と、いつものように、
いつも、ルワンダお宅訪問でされるのと同じように、
100枚足らずの写真を、
持ってきて、ござの上に並べてくれました。


「これが、兄の写真。
これが兄の結婚式の写真。
これが家族の写真。
これが友だちの写真。
これが私たちの結婚式の写真。。。。。」


と、すべて並べながら紹介してくれます。


「これが、あ、さっき見せた兄の、息子の、
友だちの写真。。。」


レベルは、どんどん高くなります。


その時、私はふと思いました。



今の日本では、
写真はほとんどデジタルで撮影します。


撮影した写真は、
ほとんどカメラの中か、
パソコンの中にしまったまま。


昔のフィルム撮影の時のように、
写真にすることは、
ものすごく少なくなりました。


撮った写真は、
簡単に消えてしまうし、
消せてしまう。


何度でも取り直すことができる。

いくらでも、編集は可能。


目を大きくしたり、
しわを消したり。


少しでもいいものを撮るために、
目の前にある花火を楽しむより、
写真撮影に夢中になったり。


簡単に撮れるから、
簡単に消せるから、
簡単に編集できるから、
安いから。


「1枚の写真」
「1回のシャッター」
というものが持つ価値が、
小さくなっているように思いました。


もちろん、
誰かに写真をもらった時の嬉しさ、
これは、変わらないと思いますが。


Sifaの持っている1枚1枚の写真には、
すべて裏にネガがついていました。


これを持っていけば、
焼き増しすることはできますが、
おそらくそんな機会もないでしょう。


でも、ついているんです。
それが、写真を誰かにあげる時の、マナーなんです。


本当にもののない、家。

お客さんに見せるものといえば、
写真くらいのものです。


大切そうに再びそれを、
家の中にしまいます。


帰るとき、
家の前で撮らせてもらった写真、
数日後に、彼女に渡しました。


デジカメだから、
ネガはなかったけど。


きっと彼女はその写真を、
あのコレクションの中に加えてくれたでしょう。



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Murakoze.
Naybonye ikinhu cya kuzira akamaro.


ありがとう。
私、大切なもの見つけた。

世界について


開発教育 あしたのきのう

@Disney Sea


最近、授業によくいろいろなグッズを持って行く。


中国産のキョロちゃん(おもちゃの缶詰の中身。すでに、生徒に壊されたために動かないけど)

メキシコ産の皮のバッグ。


高校生くらいの時に買った、大好きな地図(カナダ産で、地図上に、その地域で有名なものの絵が描いてある。楽しい♪)


ルワンダ産のせっけん(授業の単語ビンゴで当たった子にあげるため。値段を聞かれたので、pricelessと言っといた。)


これら全部、英語授業に関係する。


というより、関係を持たせてしまえば、
なんでも持っていける。。。


特に、地図はよく持って行く。


中学生にとって、
世界=教科書に出てくる国 

であることが多いように思われる。


米国、中国、ケニア、オーストラリア。


あと、経済的につながりのある国。


その他の国に興味を持っていない、訳ではない。
でも、出会う機会がないと、興味を持ちようがない。ようである。


私は、世界遺産の番組を観ていたので、
結構世界の国々、特に遺産に興味を持っていたけど。


英語の授業は、
他の教科に比べて、
世界のほかの国、そしてそこから見た日本に、
興味を持ってくれるように、工夫がしやすい教科だと思う。


だから、まずはそこから始めてみようと思っている。


「Japanは、日本。Japaneseは、日本語。
ほとんどの日本に暮らす人は日本語を話すので、
Japanese=日本語となります。
ただし、日本にも、日本語を話さない、民族はいます。
知ってますか?」


「アイヌ」
と答える生徒は、いた。


でも
「琉球」
はいなかったから、紹介した。


「同じように、IndiaとIndianを考えてみよう。
Indiaはインド。Indianは、インド語に、なるだろうか。」


生徒「。。。。」


「インドではたくさんの言葉が使われています。
だから、Indianは、インド語にはなりません」


こんなもんだけど。


学校の先生も、
生徒も、
目の前にあることで、
毎日大変だから、
世界のほかの国とか、
日本の中であれ、他の場所のこととか、
興味を持ってもらうのは、難しい。


でも、
とりあえず、
言ってみている。


興味を持ってくれる生徒も、
いるかもしれないから。


今興味を持たなくても、
「あー中学の時、そんなこと言ってた先生いたな」

って、思い出してくれるかもしれないから。


確かに、日本に暮らしていたら、

世界のことは関係ないかもしれない。


でも、日々の生活は、

とても強く、他の国々と結びついている。


「平和を願うだけでは平和にはならない」

かもしれない。


でも、私たちが何かをしたり、

しなかったりすることで、

それは、世界に大きく影響する。


日本というのは、そういう国だ。


いい意味でも、悪い意味でも、

大きな影響力を持っている。


あなたが、それを、

どう思おうと。


目の前のことは確かに大変かもしれない。


友だちのこと、

家族のこと、

仕事のこと、

勉強のこと。


だから、ほかの事に目をむけるのは、

難しい。


かもしれない。


でも、

ほかの事を考えることで、

自分自身の状況を、

冷静に見られるようになる。


火曜日は、
地球家族を使って、1年生で授業をしてみようと思ってまっす。


ちゃんちゃん。

Heal the world

10月13日から先生をはじめて、

2週間と少し経ちました。


今のところ、何とかやってます。




・声が教室の後ろまで届くのか

・生徒になめられないか



という不安を抱いて出勤した初日。



「今日は授業ないだろ」



と勝手に思っていたら、



「3時間目から、お仕事ですよ」



と言われ、

何の準備もないまま、授業を3つ。

やりました。




朝、弁当の注文を忘れて、

昼も食べないまま、

マグカップも忘れて、

ガラスのコップに水を足しては、

飲み。




3時過ぎに帰ろうとしたら、

学年会(学年の先生の会議)があり、

早く状況をつかみたいから出席して、

結局7:30ごろに帰宅するまで、

まともに飲まず食わず。



さすがに、疲れました。


9時には、就寝。





そんな初日のおかげで、

2日目以降からは、かなり楽でした。




担当しているクラスの生徒の顔と名前は、、、

まだ半分くらいしか一致しませんが。。。





学校の授業は、結構イベントや休日でつぶれるんですね。。。


現在は、次のテストまでに範囲が終わるのか。

そのことで結構頭がいっぱいです。。。。



「学校の中で、開発教育」


って、かなり大変みたいです。

が、

少しずつ、機会を見つけていきたい。





そして、それよりも、

私は生徒の話を、

たくさん聞いていきたいなと思っています。




さて。





生徒から、


「歌を歌いたい」


とリクエストがありました。


かなり前からリクエストされていたんですが。





というわけで、選んだのがこの曲。


生徒に言われるまで、聞いたことがありませんでしたが、

世に出されたのは、かなり前なんですね。




PVがかなり印象的で、

映像を見せてって生徒からリクエストされそうですが。。。


映像を見せると、そっちに思考はいってしまうので。

とりあえず、曲だけにしとこうかなと。


映像にあふれているこの世の中で、

子ども達の想像力は、

やはりどんどん落ちているように感じます。


今日はこれから、CDを借りに行ってきます。。。




「Heal the world」 by MJ (Michel Jackson)


There's a place
in your heart
and I know that it is love


and this place could be much
brighter than tomorrow


and if you really try
you'll find there's no need to cry


in this place you'll feel
there's no hurt or sorrow


there are ways to get there
if you care enough
for the living


make a little space
make a better place...



Heal the world
make it a better place


for you and for me
and the entire human race


there are people dying


if you care enough
for the living


make a better place
for you and for me ah



If you want to know why
there's a love that
cannot lie


love is strong
it only cares of
joyful giving


If we try we shall see
in this bliss


we cannot feel

fear or bread
we stop existing and
start living


then it feels that always
love's enough for us growing


So make a better world
make a better world...



Heal the world
make it a better place


for you and for me
and the entire human race


there are people dying


if you care enough
for the living
make a better place
for you and for me



And the dream we were conceived in
will reveal a joyful face


and the world we
once believed in
will shine again in grace


then why do we keep
atrangling life
wound this earth
crucify its soul


though it's plain to see
this world is heavenly
be god's glow


we could fly so high
let our spirits never die

in my heart


I feel you are all
my brothers

create a world with no fear
together we cry
happy tears


see the nations turn
their swords
into plowshares


we could really get there


if you cared enough
for the living

make a little space
to make a better place...



Heal the world
make it a better place


for you and for me
and the entire human race


there are people dying


if you care enough
for the living
make a better place
for you and for me


Heal the world
make it a better place


for you and for me
and the entire human race


there are people dying

if you care enough
for the living
make a better place
for you and for me


Heal the world
make it a better place


for you and for me
and the entire human race


there are people dying


if you care enough
for the living


make a better place
for you and for me


there are people dying


if you care enough
for the living
make a better place
for you and for me


there are people dying


if you care enough
for the living
make a better place
for you and for me


you and for me
you and for me
you and for me
you and for me
you and for me
you and for me
you and for me
you and for me
you and for me
you and for me
you and for me


瀬戸内国際芸術祭 旅行記4 女木島 後編

ざざざざん ざざん
すー...


久しぶりに聞く、
波打ち際の音。


海のあるところに、
帰ってきたんだなぁと、
今更ながら実感。


チャリをとめて、
しばし。


開発教育 あしたのきのう
眼前を行く、めおん(高松と男木を結ぶフェリー)


ふと、眺める遥か高松の景色。

海沿いに高いビルもちらほら。

開発教育 あしたのきのう


そして、視線を向ける島々の景色。

人工物のない、まっさらな海。
開発教育 あしたのきのう


この島でも、
他の島でも、
学校が、アートの会場になっている。


開発教育 あしたのきのう
一人旅=映しこみさつえいの運動会。


通常なら、すでに2学期。
学校は始まっている時期だ。

ということは、廃校を活用しているということになる。


そこに、少しの疑問を感じる私。


使われなくなった学校。
学校という場所が持っている特別な雰囲気。
その雰囲気とアートが生み出す、
なんともいえない、貴重な空間。

でも。。。


島を回る人々は、
一時ここの空気に触れるだけ。

この祭が終わったら、
島はまたいつもの静けさを取り戻す。

島で生まれた子ども達は、
おそらく対岸の街の小学校に行くのだろう。


それでいいのだろうか。


分からない。


それでも、こうして芸術祭が行なわれることで、
島には人がやってくる。

やってくる人がいて、
注目されて始めて、
住んでもいいと思う人も出てくるかもしれない。


沖縄の離島の竹富島で感じたことと同じことを、
ここでも感じた。

つまり、
よきにつけ、あしきにつけ、
人が寄り付かない限りは、
続かない。


竹富島は、
「沖縄の離島っぽい雰囲気」
を、ある意味人工的に残している島。

隣の石垣島からは、
日に何本もの船が出て、
観光客は、
昼間に見て回っては、
その日のうちに石垣に帰ってゆく。


自然っぽいけど、人工。
でも、観光業によって、
増えつつある、島の人口。

島に住んでいるわけではない私が、
口を挟むことではない。


でも。


そう言わずにはいられない。
うまい言葉も見つからない。


女木島を回っていても、
アートに取り込まれた場所以外に、
たくさんの、
おそらく長いこと人の住んでいなそうな家もたくさんあった。

どうしても目を奪われずにはいられない。


でも。
うまい言葉はやっぱり見つからない。


「あ。」

カメラの電池が切れた。


自転車返しに行って、
おっちゃんに聞いた。


「電池売ってるとこない?」


「あっちの農協に売ってるよ」


おっちゃんはそう言って、

案内しようと行きかけて


「あ、今日土曜だから開いてないわ」

となる。


困った。


今日の宿は、直島にしようかと思っていた。
(でも、電話はぜんぜんつながらない)

でも、電池を買いに、
高松か、宇野(岡山)に行って宿、さがそか。


ほら、結局私だって、
島にいたら困ること、たくさん。


「あるべき論」
はいつも空論。


宙を描く、ただの理想論。


開発教育 あしたのきのう

一人旅=映しこみ撮影の運動会 その2

瀬戸内国際芸術祭 旅行記3 女木島 中編

『女木島 鬼ヶ島伝説ー島と風』(瀬戸内国際芸術祭 公式ガイドブックより)


瀬戸内海の島々は、
海を移動する人たちの休息所でした。
海はつながっていて、どこへでも行けます。


船を島につけて風待ちをし、ときにはそこで暮らし、
上陸して島民になることもありました。


夏はおだやかな女木島ですが、
冬は風待ちどころではありません。
オトシと呼ばれる強風が島に吹きつけ、
海岸に水しぶきが上がります。


別名「鬼ヶ島」と呼ばれるこの島には、昔、鬼が住んでいたといわれています。
この鬼とは海賊のことで、洞窟は海賊たちの根城であったというのです。


女木島は、倭寇の仲間に加わって、中国大陸・朝鮮半島沿岸に進出し、文禄・慶長の役にも出陣するなど、世界の海を舞台に活躍してきた歴史があります。


島の人たちも鬼と会ったのでしょうか。
「鬼ヶ島伝説」は、風の音を孕んで謎に包まれています。


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久しぶりに乗ったチャリ。
うれしくてペダルをぐんぐんこいだ。


「これから、何が起きるんだろう」

そう思う気持ちは、
MTBを担いで、
知らない街に降り立つ。
あのころと同じだった。


まだまだたっぷり、
夏の名残を含んだ風を受けて、


「こんなに軽くていいのかしらん」

と思うくらいに、
軽快に進む、電動自転車。


あっと言う間に、
鬼が島伝説の残る、
洞窟に到着。


チャリんこを置いて、
階段を上る。


洞窟の中は、
ひんやりとしていて、
ちょっと、怖いくらいだった。

ちなみに、子どもだましのオバケ屋敷でも怖がるほど、
こういうとこ苦手な人。


前後にカップルが一組ずつ。
彼らには悪いけど、
1人じゃなくてよかったー。


洞窟を抜けると、
こんなアートが。


開発教育 あしたのきのう
『緑の音楽』


木立に囲まれた、

空間そのものがアート。


そして、この景色。



開発教育 あしたのきのう  開発教育 あしたのきのう

いわゆる、多島美と呼ばれる、
瀬戸内海の島々。


7月のはじめに、香川に電車で行ったとき、
岡山から出た電車は、いつの間にか瀬戸内の海の上を通過していた。


キラキラと光る海に、
ぽこぽこと浮かぶ、
まぁるい、緑のしまじま。

真っ白な砂浜。


息が止まるくらい、キレイだった。


その景色に見入る私の視線を追いかけて、
思わず、隣に座っていた見知らぬおねえさんも、
窓越しの景色を眺めていた。


「この島々に、行きたい」
その時、強くそう思った。


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山を下り始めて、
自分のひざが笑っていることに気付いた。


「帰ってきてから、全然歩いてないからな」

なんて、ちょっとおかしくなった。


ルワンダにいるときは、

毎日のように、何時間も山道を歩いていた。


休憩所で、
朝にぎったおにぎりを食べる。


自動販売機に1000円札を入れ、

おつりが1円も出てこなくて、

自動販売機に書いてある修理屋さんに電話しようとした女の子が、

「そんなことしたら私が怒られる」

と、店の看板娘のおかーさんに怒られていた。


「そりゃ、そうだ」

と思いつつ。


なんていうか、とても日本らしいなと思った。


下りのバスを待つ人々を追い越して、
チャリに乗り込み、
気持ちよく下る坂道。


そのまま海岸まで、一直線。