中居正広は、「夜」である。


静けさ、落ち着きをベースに持ちながら、スイッチひとつで明かりが点くように、自在にその場の雰囲気を変えることができる。
彼は自分自身を隠し、花火やイルミネーションをどれだけ華やかに見せるかに心を砕く。



木村拓哉は、「炎」である。


周りを暖める優しさと、道標になる強さと、全てを飲み込んで焼き尽くす激しさがある。
一度燃え始めると前進することしか知らないし、常に全力で燃やし続ける。
その危うさが、人々の目線を捉えて放さない。



稲垣吾郎は、「雨」である。


雨が降ると景色が一変する。
いつも見ている街並みが全く異なる情緒を現すように、彼の存在はSMAPというグループ、アイドルという存在の中でも独特の雰囲気を持つ。
鬱々とした風情は、言い換えれば色気だ。



草なぎ剛は、「月」である。


月の形が日々変わるように、彼は立つ場所によって全く違う人間になる。
時に明るく光を放つが、決して目を背けなければいけないような強い光ではなく、優しい、淡い光だ。
昼も夜も姿を現し、見る者を癒してくれる。



香取慎吾は、「虹」である。


七色の美しい光で、見つけた人を必ずハッピーにしてくれる。
どの色も彼自身であって、彼自身でない。
何色が好きかは、見る者の自由だ。
けれどその足元には、どんなに追い掛けても永遠にたどり着くことができない。






森且行は、「風」である。


SMAPというグループを爽やかに駆け抜けていった風。
とびきりの優しさを持っている彼は、今はその中にいなくてもそっと吹いて力をくれる。
そして、彼自身も風を感じていることを皆に伝えてくれる。






…個人の感想です。


ほんとは一人1つずつ記事を書くつもりだったけど、書きたいことが多すぎて一人4つくらいになりそうだったのでこれだけ先に上げることにした。
自身のSMAPファン歴を時系列でまとめ。


これは同じくらいの人いたら嬉しいなという単純な気持ちから。

SMAP前夜
1991年~1992年(小4~小5)

SMAP熱狂期
1993年~1998年(小6~高2)
※1995年夏 ライブ初参加

SMAP倦怠期
1999年~2001年(高3~大2)
※2000年夏 ライブ不参加
※2001年夏 母、ライブ初参加(笑)

SMAP再燃期
2002年~2008年(大3~社4)

SMAP安定期
2009年~継続中(社5~現在)


年齢がバレる(笑)

個人的には最初の嫌いだった2年間がかなり重要だったと思っている。
ポイントは「知らなかった」んじゃなくて「嫌い」っていう感情を持って見ていたこと。

だから嫌いとか言うわりにその時期の番組とかよく見てたりもする。

この感情の変遷て、なんとなく家族的な目線に似てるように思う。
うちの家族も、もちろんがっつりファンではないけどやっぱり多少は好きでいてくれている気がして。


しかし、「続いてる」ということは本当にすごいことだ。
私はこの間、いろんなタイミングで彼らのいろんな曲、番組、言動に救われてきた。

そんなの私だけじゃなく日本国内、もしかしたら海外にもたくさんいるのは明白だ。


だからこそ彼らには報われてほしいと願う。



さて、グループとしてのSMAPを構成するのは、奇跡みたいな個性の集まり。

次からはメンバーについて、私の思うところを書いてみようと思う。
再燃したSMAP熱がまた落ち着いてきた頃。


私の中ではもうすでにメンバーの好きな順位的なものは存在せず、とにかく全員揃ったSMAPを見るのが大好物になった。

これだけ個性の違う5人が、ひとつのグループとして立ったときの迫力。
一言で言えば「スイッチが入る」感覚だ。

全員が、SMAPの顔になる。

ひとつの曲を歌う間にも、センターに入るメンバーが目まぐるしく変わるが、そのどの瞬間も圧倒的にSMAPだ。

余談になるが、稲垣吾郎と草なぎ剛がセンターに入ったとき、5人の空気感に深みが増すように思えるので結構好きだったりする。


インターネットでSMAP評をたくさん探して読むようになり、自分自身もグループとしてのSMAPのかっこよさ、面白さに思いを巡らせるようになった。

この頃になれば後輩グループも次々台頭してきていて、勢いが落ちたなんてメディアにも言われたりしていたけど、SMAPというグループは他にないし誰にも代わりができないと思っていたので、あまり気にならなかった。


長くかかったけど、本質的にSMAPをまるっと好きになれたのは、実はこの安定期からだったのかもしれない。


安定期を迎えて、今に至る。