りょうこのブログ 【ひとりぼっちの摂食障害】

りょうこのブログ 【ひとりぼっちの摂食障害】

摂食障害になって18年(現在31歳)。外に出られず摂食障害に溺れていた28歳のときに、唯一の支えだった母が急逝し、ひとりぼっちになった。
その後なんとか社会復帰を果たすがなかなか上手くいかない日々。

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5年ぶりのブログ投稿だ。

5年前に自分が書いた記事を読んでみると、なんだか尖っているように感じる。余裕がなかったのだろうか。いや、そんなことをいったら今の方がよっぽど余裕がない。


5年前、私は25歳で、通信制高校に通っていた。人との交流は全くなかった。そして運転免許は持っていなかった(自動車学校に通っていたが途中で辞めてしまったのだ)。

それに、母はまだ生きていた。あの頃は母がいるのが当たり前で2年半後に亡くなるとは思ってもいなかった。

4年前に26歳で通信制高校を卒業してからは、スーパーでパートとして働き始めるが1年で退職。

それからまた引きこもりが始まった。過食嘔吐が悪化し、母にも沢山当たってしまった。


2018年10月16日、母がなかなかお風呂から出てこなかった。正直にいうと、私はうとうとしていて母がいつお風呂に入ったかも分からなかったが、ハッと「あれ?お母さんは?まだお風呂?」と思った(記憶は定かではないのだが)。

お母さんは、お風呂で亡くなっていた。その日の昼間まで普通だったのに。ただ、普段から目眩がするとか血圧が高いとか言っていて、心配はしていた。病院に行くことを勧めたこともあった。しかし母は「何かあったら9月の健康診断で引っかかるでしょ(だから病院は行かない)」と言い、行かなかった。

9月の健康診断では血圧では引っかからなかったが、大腸ガンの疑いが出たため、大きな病院で再検査することになっていた。再検査しましょうという電話がかかってきたのが10月16日の昼で、母にとっての最後の昼だった。



その昼、母が大腸ガン検診に引っかかったことで私は(おそらく母も)動揺した。母は「再検査の結果によっては生活がガラリと変わってしまうかもしれない」と呟いていた。母は自分が入院になったら私が一人で生活できないかもしれないと心配したのだ。

そのあとちょっとしたことで喧嘩になった(私は母のことが心配でイライラしてしまっていた)。すぐに謝りはしたもののまだちゃんと仲直りはできていなかった…そんな状態のまま母は自身の部屋へ戻り、夜になり、私にもう二度と元気な顔を見せることなく亡くなってしまった。脳溢血だ。


ずっと、私のせいで母は亡くなったと思っている。母が亡くなってからしばらくは、逮捕されるのではないかとすら思っていた。


母は、私がどれだけ不機嫌でたとえ喧嘩になったとしても、私を見限ることなく支え続けてくれたのだ。病気のこともよく理解してくれていた。私の色々なところを褒めてくれたりもした。こんなどうしようもない人間をだ。私は母がいないと何もできなかった。

相当なストレスだったと思う。


母が亡くなってから半年後に運転免許を取得し、1年後には社会復帰した。当然のことだが、日常のすべてを自分でやらなければならない。

今でもまだ、母は帰ってきてくれるのではないかと思うことがある。今の自分でもう一度会いたい。沢山話したいことがあるのだ。そして、どれだけ謝ってもたりないかもしれないけど、ちゃんと謝りたい。



現在…
最近は精神状態が穏やかではない(仕事だけは行くがそれ以外は崩壊している)状態で、入院を勧められているのだが、またゼロどころかマイナスからのスタートになりそうなので断り続けている。

もちろん入院することで多少平穏な日々を取り戻すことはできるだろう。ただ、職場での評価を考えるとためらってしまうし、入院することで自分の中で張り詰めていたものがパーンと弾け飛んでしまいそうなのだ。10年以上入院せずにいられたのだから、もう少し頑張らせてくれという思いもある。


これからどうなるのか、自分でも分からない。