「叩けよ、さらば開かれん」という言葉があります。これは聖書の言葉です。
キャンディに欠けているものはまさにこの精神です。キャンディは仏教を変に捻じ曲げて自己流に解釈し、「あきらめの境地」に浸っています。
キャンディに利用される仏教?もいい迷惑なのですが、キャンディがキリスト教を容認できないのは、こうした「ドアを叩く」生き方がイヤだという背景があるのでしょうネ。
何でもかんでも人から何かしてもらわないと気がすまないのです。幸せも
教団や教祖からもらわない限り何もできません。もし相手がくれない場合
は恨みます。昔はこういう人を「くれない族」と言ったんですが、、、
自分でちっともドアを叩かないし、ドアを開けて外に出て行こうともしないのです。すべて基準が自分ではなく他人にあります。幸せの鍵も自分では
なく他人にあるのです。
ひょっとしたらキャンディはとっても古風な、あなたの言いなりになります、
ついてゆきますって感じの、従順な女なのかもしれませんネ。