人それぞれ
モノガタリがあるように
服を買うという行為も
そのヒトのモノガタリに食い込む事がある
10数年舗に通ってくれる
お客さんがいる
彼は結婚してお子さんも授かり
「守るものが増えたので
以前のように 買い物ができなくなりました」と言う
「そら、そうやん!顔だけでも出しに来てや」と言っていた
それでも数か月周期で
シャツやネクタイを買いに来てくれる
以前彼のBLOGでこんな嬉しい事を書いてくれていた
そして1ヶ月程前
照れくさそうに
「いさおさん、約束通りスーツ作りにきました
でもスーツは僕の貯金では足りないのでジャケットにします」
「お~~嬉しいなあ
貯金崩して大丈夫なんか?」
「約束した日から¥500貯金してたんですよ
ようやく貯まったので」
「・・・・・・・おまえ」
現場は生きている
血の通った人間同志のモノガタリをつくるために
現場があるのかもしれない
画面越しの商品をクリックでは絶対に
購入できない逸品が現場にはある
その購入できない逸品が「感情」だ
完成したJKを
また照れくさそうに着る彼を見ていて
通いはじめてくれた頃の彼とダブらせた
間違いなく
彼のモノガタリにこの血の通ったJKも追加される事だろう。
そして
私のモノガタリにもこのJKが追加された事を誇りに思う。