国憂い人のつれづれ日記
万世一系の皇統を死守しよう。 外国人参政権反対
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憲法は改正するべきか。

 今年も5月3日の憲法記念日は、改憲派・護憲派ともに盛り上がっていたようだ。憲法改正の機運高まる中、護憲派は必死である。ところで憲法は改正するべきであろうか。それとも改正するべきではないのだろうか。


 私は、自主憲法制定を主張し、核武装を実現するべきだと考えている。とすると、当然改憲派だろうと思われる。だがそうではない。私は現時点で憲法を改正することには反対である。とはいえ、護憲というわけではない。


 なぜ反対かというと、自民党だ示した改憲案を考えてみれば分かるように、専守防衛は維持するような改正案となっている。つまり、改正したところで、自衛隊(改憲後は自衛軍だそうだ)の飛行機が平壌を爆撃して帰還することは変わらず不可能なのである。専守防衛である限り敵基地攻撃能力は付与されない。ただ、改正によって自衛隊の海外派遣がしやすくなる。更に言えば、多国籍軍にも参加するようになるということである。換言すると、改憲によってよりアメリカの言いように利用されやすい体制が作られるという事だ。憲法を改正したところで中国の不当な内政干渉がなくなるわけでも、拉致問題が解決するわけでもない。ただ今まで以上にアメリカにいいようにされるようになるだけである。アメリカが日本に憲法改正を執拗に求めているのはまさにこのためであるといっていい。


 今の憲法は改正するべきである、というのは間違いではない。憲法は改正するべきだが、問題は改憲・護憲という範囲を超越して、いかに改正するかなのだ。改正しても自前の核抑止力を持てない、専守防衛に拘束されるという形での改正なら、しない方がましである。改正を議論する時には、改憲・護憲ではなく、改憲案の内容こそが注目されるべきであろう。

小泉と靖国について。

 先日小泉首相が、靖国問題で中国・韓国が首脳会談に応じないことについて、後悔することになるとの発言をした。私はあめぽち小泉には批判的であるが、このことには同感である。というより手ぬるいな。どうせ発言するなら、「中国や韓国が不当な内政干渉をやめ、靖国参拝を受け入れるなら、日中あるいは日韓首脳会談に応じてもよい。」ぐらいのことはいってやってよい。


 中共の殺戮行為の写真を日本軍の蛮行といったり、竹島問題で海底地名の提案をやめるといいながら、やめるとはいってないというような国が相手なのだからそのくらいは発言して当然である。むしろ公約どおり8月15日に一度も参拝しえいないことの方が問題なのだ。15日参拝といいながら、日をずらすなどという愚行ゆえに中韓に非難すればなんらかの譲歩を引き出せるというような希望を抱かせてるともいえる。堂々と15日参拝すべきである、うそつき小泉は。


 靖国神社についてだが、法的位置づけをちゃんとすべきである。戦没者の慰霊は日本の文化・伝統に即した手法によって行うべきもので日本古来の文化である神道形式によって行うのは自然なことである。政教分離というが、寺社や仏像などの文化財を保護するのが違法なのか。原理主義的政教分離を追及したらそういう結論になる。米大統領就任式で聖書に手を置くのは政教分離に違反しないのか。無名戦士の墓は完全無宗教なものなのか。政教分離は重要である。ただし、原理主義的政教分離の適用は共産主義の如き文化破壊に帰結する。なぜなら文化は宗教の影響を受けざるを得ないからである。神道が日本の文化の根源である以上その方式で戦没者慰霊をを行うのは当然だ。政教分離が問題というなら靖国より、某宗教政党の方だろう。


続竹島問題

 どうやら、韓国側が海底地名の改定提案をしないということで、日本が海洋調査をしないということで妥協が成立したそうだ。というより、日本が譲歩して譲歩して、韓国側の不当な要求を受け入れたということである。韓国の連中が半狂乱の反日で騒ぎたて、対する日本側が冷静にと弱腰な毎度毎度の状勢であった。

 

 しかし、日韓が銃弾を交えた対立に至らなかったことは残念であった。無理にでも海洋調査を行い、韓国という国が交渉するに値しない国であることを全国民に理解させるいい機会であったのに。韓国だけでなく北朝鮮・中共の3カ国は日本に対して潜在敵意を持つ友好を考えるべきにあらざる国であるのである。譲歩すればするだけ日本の国益は失われ、それに対し超然とし感謝さえしない国々である。自国の領土と主張する竹島周辺の海域を日本が自由に調査できない、不法にわが領土を占拠している国によって測量船が攻撃を受けるという逆江華島事件が生起することで、韓国の本性を国民が正しく認識し、領土侵略に対する毅然とした態度をとるべきことを理解する好機を逸したのは慙愧に絶えない。


 国民は気づかねばならない。現状維持自体が韓国に対する譲歩なのだ。冷静な対応をとる__即ち衝突を避けるということは韓国のキチガイナショナリズムに屈するということなのだ。日本の反日勢力は、「冷静な対応を」という。韓国に対してではない。日本に対してである。日本に譲歩しろというのだ。領土蹂躪を我慢しろというのだ。噴飯ものである。狂った犬は叩くしかない。韓国の無礼に対しては、鉄槌を与えるしかないのである。しかし悲しいのは日本国民がこの領土侵略に対してないも目だった行動をしないということだ。韓国大使館や民団などに対して数百人規模のデモがあってもいいくらいなのに。

 

 日本側に必要なのは適度なナショナリズムである。愛国心なければ、愛国心の塊の如き国民によって構成された国に負ける。愛国心は国家の確固たる意志の強靭さの指標ともなりうるのである。自国の領土より安全をのみ過剰に優先する国が、自国の領土を守るために流血をいとわぬ国に勝てるわけがない。海上保安庁や自衛隊の人員を犠牲を代償としてでも領土に対する執着を持つべきなのである。それでこそ国家なのだ。


 韓国との間に武力を伴う衝突が起こった時、日本国民も軍事力の決定的重要性を理解するであろう。そして、日米いかさま同盟の無力に気づくであろう。韓国の領土侵犯に対してアメリカは何もすることはない。なぜなら、韓国もアメリカの同盟国だからである。アメリカの国益に合致する範囲でしか日本の国防に寄与しないばったものに自国の抑止力を依存する愚かさに早く気づいて欲しいものである。程度の差こそあれ、所詮国際政治はパワーポリティクスでしかないのだから。 

 

竹島問題と日韓関係

 竹島問題で韓国のナショナリズムが正気の沙汰と思えない噴火ぶりだそうだ。盧政権は支持率向上のために意図的に騒ぎ立てようとしているのである。日本批判で世論が盛り上がり、政権支持率が上がるのだから、呆れたものである。逆に愛国心の問題1つであんなにもめる日本も悲しいほど呆れた状況にあるが・・・・・・。なにせ親日=売国と認識されている国であるから、そんな国を相手に日韓友好を考えることこそ馬鹿げたことなのだ。


 拉致問題での日韓連携のために穏便になどという人もいるが、そんなことは関係ない。日本が竹島の領有権を主張する以上、韓国の行為はわが国に対する侵略行為であり、断固たる措置をとるのは当然である。いままでいんちきの太陽政策によって、金正日政権の延命を助けていた、そして北朝鮮と日本が戦争になったら北朝鮮とともに日本と戦うと豪語する市民が多数存在する国に期待などするべきではない。本来旅人がコートを脱いだのは、太陽が暑くて堪らなかったからである。ここちよいぽかぽか太陽政策では喜ばすだけである。北朝鮮に太陽政策をというのはある意味正しい。ただし、灼熱太陽ならば。


 戦国策にもあるように遠交近攻は外交の基本原則でもある。かつての仏独の関係がよくそれを象徴している。なにも親日が売国とみなされるようなわが国に対して不当な敵意を持つ国と無理に友好を保つ必要はない。韓国などという潜在敵国との関係を良化させるために、竹島というかけがえのない領土のを失うわけにはいかないのである。国家にとって最もするべからざることは、自国民の生命・財産をおろそかにすること、自国の領土を大事にしないこと、自国の名誉を重視しないことである。わが国は、同胞拉致に長年無関心でいた。韓国の竹島実効支配を看過した。中国にもアメリカにも、北朝鮮にまで土下座外交をやってきた。わが国は主権国家としてなすべきことをなおざりにしてきたのだ。


 竹島だけではない。竹島が韓国に分捕られたまま放って置いたら、中国は尖閣を平然と軍事支配するようになるだろう。どんな小さな島であっても自国領はなんとしても守るという態度を示すことは自国の名誉を守るということなのだ。今こそ、戦後の呪縛から離れ真に国家としての意地を示すべきときではないか。例え、韓国との間に武力衝突が起きたとしても国家の主権と名誉のために覚悟してそれを受け入れようではないか。もし韓国が竹島の不法支配を開くまで継続するのならば、「征韓論よ再び」と声高に主張したい。

格差社会を考える。

 「勝ち組」「負け組」という言葉に象徴されるように、小泉いかさま改革の成果ともいうべき所得格差が国民の間で急速に広がっている。少し前まで「勝ち組」「負け組」っていうと利益を多く出せている企業と業績低迷している企業の対比に使われてたのに今では個人の比較に使われてます。


 その格差が一世代にとどまらず、子供の世代にも継承されていくという予測がされているぐらいで、希望格差社会なんていわれたりしてますね。子供の間でも将来の目標という大きな問題にとどまらず、親からもらう小遣いにも相当の差が出ているとか。ただでさえ、中高生が遊ぶ金欲しさに援助交際したり、犯罪に走ったりしているのに、このまま子供間にも深刻な格差が生じてくるとますます世情不安になるだろう。無論その前段階で大人による犯罪などで治安は悪化してきているけど。


 さてこの格差社会の立役者といってもいい政治屋たちだが、ある程度格差があるのはよいことだ、健全だとかのたもうてます。自民党の議員なんてすごい勝ち組じゃねーか。勝ち組が自分に都合のいいこといってんじゃねーよ。その議員の多くも親の地盤引き継いでたりするし。親から金のなる木である地盤もらってるような奴に親の低所得から、下層階級を継承させられる貧乏な子供たちの気持ちが分かるのか。竹中に至っては、某週刊誌に、「格差社会を恐れるな」とかいってるし。住民税逃れがために正月海外に住民票移すような卑怯者に言われたくないな。


 小泉に告ぐ、国民年金未納者に払えという前に税法改正して、法の不備を悪用した竹中方式を使用不能にしろ。それと構造改革というのなら、他派閥の利権だけ潰さないで、お前のところの森の文教利権もとっとと潰せ。ふざけた議員年金廃止法案(どこが廃止だよ)出しやがって。

大奥と男系継承を考える。

 昨日のNHK「その時歴史は動いた」で、6代将軍徳川家宣正室天英院のことをやっていた。徳川幕府は将軍の世継ぎ誕生を目的に大奥を創ったが、はっきりいってあまり役に立たなかったといえる。男系継承の危機が叫ばれる現在の皇室の問題とも関係する問題である。子のできなかった将軍もいるし、できても夭折してしまうケースが数多かった。秀忠の男系が家継で絶え、紀伊の吉宗の系統が将軍にあり、最後は水戸系の慶喜となるわけだけど、どうしてこんなに子ができなく、または育たなくなったのだろうか。ふと考えさせられた。


 源氏や平氏のころなど、江戸時代に比べて医療水準も当然未熟なはずなのに跡継ぎいないどころか、源氏は足利・新田・里見・佐竹・武田というように、平氏は三浦・北条・相馬など子孫が枝分れしている。更に源為義なんか義朝から行家まで10人も息子がいて皆成人している。頼朝も兄弟は、義平から義経まで10人近い。平家でも清盛に10人近い息子が成人してるし。北条氏も得宗家が絶える危機もなく高時まで続いてる。江戸時代の少し前の戦国時代でも、世継ぎがいないどころか、家督争いまでやってるぐらいなのに。織田信長は、兄弟も息子も多い。徳川も、松平氏が家康の代に至る間に多くの分枝を出し、家康自身も子沢山。どうして、江戸時代になるとあんなに子ができない、できても育たないってことになるのだろうか。大奥に限らず、大名でも養子による相続が多くなってるし。


 大奥とかだと陰謀によって、毒をもられたりとか、平和な時代の到来で将軍の子息なんか勉強ばっかりして武芸で体を鍛えてないから抵抗力がなく病気になりやすい。よってで子が夭折するのではとか考えたが。

将軍の姫君もあまり成長してない。早世が多い。ただ、息子がなく、娘婿を次期将軍になんて話がでたりしたのは、綱吉の時だけだから、息子がおらず姫君だけ無事成長なんてことになったら、将軍継嗣問題は厄介だったろうと思う。将軍家のような男子が是非生まれて欲しいところはできず、どーでもいい貧乏庶民に5人も6人も男子ができたりする。現代の皇室にしても皮肉なことだ。

小沢代表誕生__民主党。

 本日の民主党代表選挙で、小沢氏が119対72で菅氏を破り、民主党の代表に選出された。小沢氏有利の下馬評通りといえばそのとおりだが、菅氏巻き返しもささやかれていただけに47票差とは以外に差がついたと思う。今後は挙党一致を目指すとのことだが、自民党としてはどうなのだろうか。


 田中真紀子氏は、「自民党は小沢恐怖論によって、小沢代表選出を妨害している。」などと発言していたが、果たして自民党が本当に小沢を恐れているのだろうか。よく菅は2度も代表をやっていて手口を知っている、慣れているが、小沢は・・・・・・といわれれるがそうだろうか。自民党幹事長をやった小沢が自民党のウラのウラまで知っているのなら、自民党も小沢のウラのウラを分かっているのではなかろうか。それに小沢自身新進党・自由党党首として自民党と対峙したことがあったではないか。自民党は小沢のやり方も分かっているであろう。田中発言は単に田中のおばはんが小沢を買いかぶっているだけなのか。それとも内心では菅より小沢のほうがやりやすいから、小沢になってもらったほうがいい。だから、あえて小沢を恐れていると思わせるポーズなのか。


 豪腕・壊し屋といわれる小沢氏。93年に自民党を下野させた立役者であるが、その豪腕・壊し屋ぶりが発揮されたのは敵・自民党に対してではなく、自身の所属政党に対してであった。そして、そのたびに彼の同志は減っていくという縮小均衡がそこにはあった。壊し屋小沢が政権参加した自自連立(のち自自公連立)において、自民党は微動だにしなかった。壊れたのは、保守党が分裂したことで勢力が半減した小沢の自由党のほうであった。民由合併によって民主党に加わった小沢氏が、党首としてひさびさに3桁の議員を率いて自民党と戦うことになった。今度は、自民党を壊せるのだろうか。それとも民主党が壊されるのであろうか。党運営と国会論戦を楽しみに見守りたい。

外務省文書、韓国へ漏洩か。

 韓国紙が外務省の半島情勢に関する内部文書を入手したとのことである。「盧武鉉政権は竹島問題を利用してナショナリズムを煽っている。」という内容で、韓国政府はキレているそうな。そもそも外務省とは、善隣友好のためにあるのではなく、外交を通じて自国を国益を増大させることがその使命である。外交とは、武器を使わない戦争であり、そのために情報を入手し、然るべき分析を行うのは当然のことである。


 その文書の内容というのも、かの国の重要機密事項の類ではなく、一般的に国民が普通に考えている程度のことである。とはいえ、この問題が盧武鉉政権にとって支持率向上に利用しうる「新たな反日の種」となるのだから、使わない手はない。もともと、親日=売国と認識されているような国のことだから、かような国からいかなる抗議を受けようと、耳障りな雑音程度に考えておけばいいであろう。


 ただ、外務省の内部文書が漏洩したというのが事実なら重大な問題である。韓国にとどまらず、チャイナスクールの存在なども考えると、中国にも漏洩している可能性が高いのではなかろうか。早急に内部調査を行うとともに、情報管理体制を強化すべきである。小学校の保護者連絡用の名簿さえ作成できなくなった個人情報保護法のような、政治家に都合のよい国民抑圧法なんか作ってないで、国家の機密情報漏洩を防止するような法整備をしろといいたい。

代表選の民主党を論じる。

 菅・小沢両氏が立候補することが決まり、代表選の構図がはっきりしてきた。目下、小沢優勢の模様であるが、どちらが勝ってもわだかまりなく政権交代を目指して選挙後は一致結束してもらいたいものである。民主党3バカトリオの一人でもある前代表前原が、リーダーシップで党をまとめるといいながら、まとめきることができなかったのは記憶に新しい。民主党がなかなかまとまりきらないのは、寄合所帯ということがしばしば指摘される。とはいえ、四六時中党内で喧嘩しあっているわけでも、あらゆる政策テーマについてことごとく意見の対立があるわけでもない。現に年金改革に関しては党内に大きな混乱は起こらなかった。年金一元化を掲げた民主党の改革案は、自民党案より数段評価できる内容でさえあった。


 民主党内は経済政策や社会保障について、それほど大きく意見の隔たりがあるわけでもない。党内の意見が決定的に対立するのは、外交・安全保障の問題および憲法・教育基本法改正についてであり、これらの問題は国家の根幹にかかわる問題である。哀しいかな、それゆえに、憲法改正(特に第9条など)についても論憲という立場にとどめざるを得ず、マニュフェストにおいても安全保障について明確な方針を提示できないでいるのである。民主党の政権運営能力に疑問符がつけられるのもこの問題が原因であろう。自民党にきわだった政権担当能力があるわけではない。政策は役人任せ、国防や外交はアメリカいいなり。自民党の議員たちはそれに乗っかって不当な金儲けしてるだけである。自民党自身に政権担当能力がいかほどあるかは疑わしい。ただ、官僚やアメリカのいいなりでやっている以上、国家として存亡の危機にさらされることなく無難にはやっていけるのである(役所の税金無駄づかいやアメリカのピンハネで財政はボロボロだが)。


 安住や原口や枝野などテレビの討論番組によく出る民主党内若手を見てわかるように、民主党には自民党よりも優秀な若い議員が数多い。それでも、「党」としてみたら不安が残るのはやむを得まい。与党になったとき、役人いいなりはよいとしても、アメリカいいなりを左派系議員が受容するかどうか分からない。自社さ連立村山内閣のように、現状追認という選択肢もありえるだろうが、自己矛盾の露出が社会党の壊滅を招いた過去がある以上、一線は死守しようとするのではなかろうか。左派系にとどまらず、党自体が労働組合に主な組織票を依存している以上、国防・安全保障で問題が生ずるリスクは無視できない。


 また、民主党内まとまりのなさは、政策意見の対立のみから発しているのではない。今度の代表選においても、政策的に菅に近い横路グループが明確な小沢支持で、政策的に小沢に近い前原など若手グループが菅よりというように、政策とならぶ対立軸として90年代半ばの政界を思わせる、親小沢か反小沢かという問題もあるのである。政治は人がやるもので、好き嫌いが政治行動に影響が及ぶのは当然である。これが事態をさらに複雑にしている。私見であるが、党運営を考えた場合、小沢アレルギーのような露骨な拒否反応を生じさせない菅が代表、小沢が幹事長というのが望ましいと思われる。ただ、小泉にとって国会質問などでやりづらいのは小沢だろうか。とにかく、代表選の結果を楽しみに待とう。


 横路らの旧社会党系と小沢が親密・・・・・・。小沢が社会党をのけもんにして、それが自社さ連立による自民党の復権をもたらした。あの当時、あんなに社会党を村八分にしなけりゃ、とも思うのであった。

女系天皇を批判する。

 女系天皇については、賛否両論があるが、断じて容認すべきことではない。国賊アメぽち小泉が企んだ皇室典範改悪などという暴挙が、秋篠宮文仁親王妃紀子殿下の御懐妊により回避されたことは慶事という他はない。愛子様が天皇になれないなんてかわいそうとか、男女平等に反するとか主張する人もいるが、愛子様が天皇になるのが幸せであろうか。女帝なんかになったら、結婚相手は見つからないだろう。いわばご門跡様と同じ境遇を愛子様に要求していることなのだ。女帝の配偶者は何と呼ぶ__皇配陛下か。なんと権威の感じられない称号であろうか。皇太后に相当するのは皇太配、内親王宮家の配偶者は内親王配。まともな成人日本男児でこのようなものになりたいなどと考える奇特な人はいないだろう。なんだかんだいっても未だ、男尊女卑の風潮が日本には残っている。嫁を陛下と呼称し、その下僕となるなど誰が望むであろうか。望むものがいれば、邪心あって「皇族」の地位を得んとする不逞の輩であろう。そして、その輩の立場をわきまえない行動により皇族の尊厳は失われていくであろう。


 また、男女平等に反するなどと主張するものもいるだろうが、天皇を憲法などの枠内で考えることがそもそも間違っているのだ。憲法上、男女平等のみならず国民は法の下で平等である。それをいうなら、天皇や皇室が存在すること自体憲法違反ではないか。それでも天皇が存在しているのは、天皇を法の下の平等の例外規定として見做しているからなのだ。その天皇に男女平等なる観念を持ち込むこと自体戯けた事である。それ以前に、憲法が制定されて天皇が創られたのではない。憲法ができるはるか以前より天皇はこの日本に存在していたのである。憲法制定にあたってその位置づけをしたに過ぎない。したがって、天皇というものが男系による万世一系で継承されてきている以上その伝統を尊重してしかるべきなのである。外国では第一子継承だとか、女子による王位継承を認めているのにとか、日本人はやたらとヨーロッパとばかり比べたがる。アラブの国々では一夫多妻もありえるだろう。外国というなら欧州以外にも目を向けてしかるべきである。西洋から伝来してたかだか200年もしない人権や男女平等という思想を原理主義的に皇室にまで適用するなど論外である。


 長きに渡る日本の歴史の中で、天皇は権威の拠り所として日本の国を秩序づけてきた存在である。その権威は千数百年を越える男系継承の伝統により培われたものである。女系天皇を認めることは、皇室の伝統を覆し、そのアイデンティティーを否定するに等しいのである。共産党など天皇制反対を主張してきた勢力が女系容認にいたったことを良く考えてもらいたい。彼らは、女系が皇室の終焉の始まりであると正しく認識している。だからこそ、皇室の安楽死を企図しているのである。皇室典範を女系容認に改正することは、皇室の首を真綿で絞めることに他ならない。万世一系の皇位継承を維持し、皇位継承を安定的なものとするためには、三笠宮寛仁親王の仰せられたとおり、皇太子や文仁親王が第二妃や第三妃を迎えられるとしてもなんら問題はない。のみならず、旧皇族の皇籍復帰もなされてしかるべきである。


 イラクの混乱、カンボジアの安定を見ても長い伝統と歴史を持ち、国民の尊崇を集める君主の存在が国家にいかに安定を与えるか明白である。われわれ日本人の精神的支柱であり、国際社会においてもただ一人のEmperorと呼称され、その位置づけがローマ教皇と並び、英国王を上回るといわれる天皇が日本にとっていかにかけがえのない宝であるかをよく認識し、現代に生きる日本人として、子孫たちのために守っていくべきである。


竹田 恒泰
語られなかった皇族たちの真実―若き末裔が初めて明かす「皇室が2000年続いた理由」