2016年一月

12月母は胆管炎を発症して、厳しい状況になり、退院は無理だと言われましたが母は退院しました。病院側は一切責任はもてないと、同意書にサインを母に求めましたが、母はすぐにサインをしました。




主治医はOKを出しましたが、チームの医師からは、退院は絶対にやめた方が良いと母は止められていましたが、母の意思は固く退院となりました。




母は退院後、買い物がしたいと言い、私は大型スーパーに連れて行ってあげました。本当であれば、広くて大晦日で人も多いのに歩かせたりさせては駄目だと分かっていましたが、買い物すら出来ないなんて可哀想で言えませんでした。




ですが、やっぱり家に帰ると母は表情も変わり、病院に居る時とは違いました。食事も少量ですが食べてくれて、胆管炎の治療の為の錠剤の抗生物質服用もしっかり毎日していて、母の体調も落ち着いていました。




年明け病院に診察に行くと、炎症の数値も下がっていました。




そして、1月は訪問医師が家に来られました。兄が最初に話合っていたので、状況も良く分かって来られて、母も私も初めて会う方でしたが、スムーズに話は進みました。




看護師さんと二人で来られて、これからの方針などについて色々話ました。ですが、少し互いの考えにズレがありました。



私の考えは、母の体調を良くして抗がん剤治療をしていく事が先決で、食事など取れない時などは訪問していただいて、点滴などしてもらい、体を良くする方向にもっていく事が私の望みでした。



ですが、訪問医師の先生は、抗がん剤治療に否定的で、抗がん剤治療は反対にマイナスになる様な事を言い、体に無理が掛かるからしない方が良いと思うと言われました。



先生の言っている事もわかっているし、当然、訪問診療に来られる状態だという事を考えれば抗がん剤をすること自体が厳しい状況だと、言いたいことはわかっていました。

 


ですが、母は炎症も下がり確実に回復していっていましたので、抗がん剤が出来るようになれば、抗がん剤をしていくことをしっかり伝えました。



そして訪問医師は、お母さんの状態も回復してきていて深刻ではないので、2週間に一回診療に来ますとの事で話は終わりました。



母は、訪問医師の先生を話やすい先生で良かったと言っていましたが、私は考え方の違いもあって、あまり良い気分ではありませんでした。



そして1月上旬私は、3年間働いた職場を辞めました。会社の中で一番私が若くて、入社時からみなさん良くして頂いて、凄く働きやすい環境でした。ですが、仕事で1週間県外に出ることも良くあり、毎日兄が家に来てくれていましたが、兄も家庭がありますし、私も1週間家を離れていると、母が心配で仕事も集中出来ない状態でした。


会社の方達は、母の状態も知っていましたので、なるべく県外に出ないで良いように調整などしてくれていましたが、これ以上迷惑を掛ける訳にはいかないので、自分の意思を伝え会社を辞めました。



母は、両肺 肝臓 子宮 直腸と癌があり、肝臓は12月検査をして6月検査時より、腫瘍は倍以上に増大していました。




母は、炎症の数値も下がり、回復に向かっていましたが、それは最低限生きていく為の回復。母は食欲も無く、倦怠感も強くてギリギリの状態。主治医からは、いつ急変してもおかしくないですから、覚悟だけはしておいてくださいと言われていました。




そんな状況で仕事は出来ないし、母を元気にさせる為にも毎日母を支えていくことが私の唯一出来ることでした。



そして、1月15日。血液検査の結果も良くなり、抗がん剤、フォルフォックス+ベクティビックス療法開始


母は、抗がん剤点滴も無事に終わりすぐに退院しました。



家に帰ると、母は必ず風呂に入ります。この時も風呂に入り、母は風呂から上がった母は、足がパンパンになって死ぬかと思ったと言ってビックリしていました。その時は、同じ体勢で長時間いたからと母は言っていて、それから何日も浮腫んだりしなかったので、偶々かと思っていましたが違いました。


ですが、母は家に帰ってからは、凄く食欲があり、外にも買い物に行く程元気がありまし
た。


あんなに、弱っていた母が、抗がん剤投与してから食欲も出ていました。その反面食欲が無いのは、歯が原因ではなかったんだと思いました。



それから2週間、母は食欲もあって、体を動かす日も多くありましたが、抗がん剤投与から2週間をピークに、また食欲が無くなり、体力もダウンしていきました。


また、抗がん剤投与すると2週間は、食欲も出て体も動かせるそんな状態を繰り返していました。