ハザマランド -28ページ目

風呂掃除

夜、風呂へ入る。

 

体を洗って湯船へつかり一息ついたところで電気が落ちる。

 

停電だ。

 

裸でブレーカーを上げるのも面倒なのでしばらく様子を見ることにする。

 

「……」

 

妙な気分だ。闇の中でお湯につかっているせいだろうか。

 

もしかすると産まれる以前の記憶でも辿っているのかもしれない。

 

小生、目を瞑り束の間の逆行を楽しむことにした。

 

視覚を閉じたせいでしたたる音がやけにが耳を打つ。

 

おかしい。蛇口はしっかり閉めているはずだ。

 

それにこの音。よくよく聞くと滴(しずく)ではない。

 

舌だ。

 

舐めている音だ。

 

かっと目を見開くのに合わせて電気が戻ってきた。

 

見回すが既に気配はない。

 

夜。風呂場。舐める音。

 

これまた懐かしいものが出たものだ。

 

垢嘗(あかなめ)だな」

 

明日は湯船だけでなく、風呂場全体を洗うことにしよう。


著者: 水木 しげる
タイトル: 図説 日本妖怪大全

シャドーボクシング

数ヶ月、下手すれば数年ぶりの全力疾走。


何故こんなにも強く駆けているかというと、追われているからだ。


何に?


影にだ。


自分の影。


正確には自分の影らしきもの。


数分前、小生の影は小生が動く通りに動いていた。


けれど数分前の数秒後、影が勝手に動いた。


見間違えではない。何故なら攻撃を受けたから。


動いた部分は小生の右腕の影で、右腕は自らの後頭部を打ち抜こうとした。


こんなときは考えるより先に体が動いてしまう。


小生はとっさに頭を左に滑らせた。


おかげで現在右耳から出血中である。


つまり影の攻撃は本体に影響を及ぼすということだ。


で、全力疾走。


当然影は追ってくる。


しかし高速の中では偽者の影は本物の影に若干遅れるらしい。


小生、走りながら影の位置を確認し急停止すると振り向きざま腕が頭をこするように右ストレートを繰り出した。


クリティカルヒット。


本物の影から偽者の影が飛び出し、煙のように消えていった。

共存共栄

五月晴れの中、砂浜を歩く。


夏には海水浴場として盛り上がる場所だが、この時期は穏やかなものである。


しばらく歩いていると波打ち際に光るものを見つける。


瓶詰めの手紙かと思いきや違った。


確かに透明だがガチャガチャのカプセルである。


拾い上げ、開けると中から一体のフィギィアと一枚の紙切れが出てきた。


フィギィアはカッパと宇宙人のグレイを合わせたようなもので紙切れには二言「可愛がって下さい。水をかければ三日間ほど鳴き止みます」と書かれている。


フィギィアに耳を近づけるとキューキューと微かに鳴いている。捨てられて三日以上経ってるらしい。


あまり可愛いと言えないが活用方法を思いついたので持ち帰ることにする。


家に着き、部屋へと上がるとさっそく貰いものの観葉植物の隣にフィギィアを立たせる。


これでもう水やりを忘れることもないだろう。


心なしフィギィアも嬉しそうである。


一方通行

再び、走り出した小生。


5分後、歩き出し、3分後、ベンチを探す。


しかしまたもや先客。今度はカップルである。


何かもめているようだ。


「だから、俺が好きなのはあの子であんたとは付き合えない」


「わかりました。けど、昨夜ホテルでのあなたと私の体の相性は最高でした。私ならあなたの持って生まれた本能を満たすことができます。お願いです。もう一度だけ考えてみて下さい」


そう言うと一方はベンチを立ち上がり去っていった。


まったく今日は頭のこんがらかる日である。


今、立ち去った彼が自分のことを私というのはまだわかる。さきほどまで小生がそうだったからだ。


しかしベンチに腰掛けてるのはどこから見ても女性。その彼女は何故、自分のことを俺などと言うのだ。


整理しよう。


彼女は姿は女性をしているが中身は男である。そしてあの子に片思いをしている。


彼は言葉使いこそ中性的で判断は難しいが見た目と同じく中身も男である。そして彼女に片思いしている。


「と、なればあとは……」


小生が疑問を尋ねようと彼女に近づいたところでつぶやきが聞こえた。


「あの子があいつを好きじゃなければ寝たりしなかったのに……」


やはり後戻りを知らない恋の矢が描く形は三角形。


私→小生

たまには体を動かそうと運動公園に立ち寄り、ジョギングコース5キロに挑戦する。


走り始めて10分後。ウォーキングへと変更する。


さらに10分後。ベンチを探す。


一脚発見するものの先客がいる。老人だ。


ここはスポーツマンらしくあいさつを交わそうと近づいたところで先手を打たれた。


「君の一人称は何かね?」


「……」


私は普通すぎるほど普通なのに、何故こうも行く先々でおかしなものと出会うのだろう。


それとも普通も度を越すと普通でなくなるのか。いやいや普通の中の普通なのだから普通の一等賞だろう。


まてよ。そもそも何を指して普通なんて決めるのだ。多数決?平均値?想定内?


「何をぶつぶつ言ってるんだ。おかしな人だな。とりあえず質問に答えてくれよ」


「……びっくりです。それをあなたが言いますか? 」


「早く」


「私の一人称は…私です」


「普通だな。君はおかしな人間なんだから普通じゃない一人称を使わないといけない。そうだな。今後は自分のことを小生と言いたまえ」


あぁ、なるほど。現在ではおかしなものがおかしなものにならず、普通のものがおかしなものになるのだな。


「わかりました。小生、これから小生と名乗ります」


「やはり君はおかしいな」


「ふふふ。わかってます。わた…小生はいたっておかしいです。それでは小生、運動の続きがあるのでごきげんよう」


立ち去る小生に向かって老人は一言つぶやいていた。


「気の毒に……」


高速の美女

昼、高速道路を滑走する。


当然、信号はなく歩行者もいない。ただひたすら変わりばえのしないアスファルトが伸びている。


過ごしやすい時期だけに眠気を覚えるが、さすがに時速100キロでいねむりする勇気はない。


そういえば一昔前に流行った噂で風圧も時速100キロを超えると軽く握れるようになるというのがあった。


つまり高速で走っている車窓から腕を伸ばして掌(てのひら)を開けば何もない空間に感触が生まれるというのだ。


しかもそれは乳房と同感覚らしい。


さっそく窓を下ろし、青空に向かって腕を伸ばす。


「……すごい」


確かにすごい。弾む力に掌のくぼみには突起物まで当るじゃないか。


「えっ?突起物?」


慌てて手の先に視線を向けるが青く広がる空があるだけだ。


恐ろしくなり腕を引っ込めようとしたところで手首をつかまれた。


「ただでオサワリはないでしょう?」


何も見えない。


見えないけど何かいる。


私は事故を起こさないようにしっかりと左手でハンドルを握り締め、ゆっくり息を吸い込むと一気に捲くし立てた。


「なめらかかつ吸い付く肌艶、重量感を保ちつつ先が上向いた理想的な丸み、一つ握れば異性を駆り立て、二つ握れば赤子に還る。あとは我を忘れて揉みしだく。たとえ姿は見えずとも貴女はただ、ただ、美しい」


叫ぶエンジン。唸るタイヤ。強風、息切れ、高鳴る鼓動。


けして静かとはいえない音の中、私は確かに聞いた。


微笑む吐息と囁く声を。


「まいど」


ようやく右手は自由になった。





混じる時

 夕刻、改築した神社へと足を運ぶ。

 社は山腹にあるため、正月や祭りでもない限り参拝する客はあまり訪れないが、お守りや破魔矢を常時販売するほどしっかりした神社だ。

 時間が時間だけに辺りに人影はなく、参拝者は私一人である。

 静寂の中、見渡せば樹齢百年は軽く超える杉が幾本も聳(そび)え立っている。

 それらをときおり見上げながら、社殿へ向かう石段を登っていると、何やら右足首に違和感を覚える。次に左の腿(もも)に左脛(すね)。痛いというより仄かに灯るような感じだ。

 違和感のある場所に目を向けると、既に治った傷跡がある。

 擦ったものや切ったもの。

 不気味になるものの、さらに石段を進むと今度は足元が透けてきた。

 それに伴い感覚も石を踏んでいるというより、水中を浮かず沈まずに進んでいるな錯覚に陥る。

 ふと、そこで、何故か自分が逆子だったことを思い出した。

 場所が場所だけに、不浄な感じではないが、鳥肌は腕全体に広がっている。

 それでも何とか社殿にたどり着き、賽銭を投げ、拍手を叩いたところで全てが元に戻った。社殿は真新しくなっているが、周囲を高く太い木々が取り囲んでいるため、古き気配が満ちている。

 辺りは既に薄暗い。西の空では夕日が沈んでいくところだろう。

 私は再び石段に足をかけ、神社を後にした。

昼、山中にある直径1キロ、周囲約4キロのだだっ広い池へ行く。


岸に何艘かボートがあるが水面に浮いている様子はない。


貸切だと一時間ボートを借り池の中央へと繰り出す。


穏やかな日差し、そそぐ皐月風。


静かである。


横になり、ついうとうととしてしまう。


数十分後。なにやら気になる物音で目を覚ます。


コポコポ。コポコポ。


跳ね起き、ボートを隅々まで調べる。


大丈夫だ。穴はあいてない。


コポコポ。コポコポ。ゴボッ。


穴はない。水が漏れてくる気配もない。しかし…・…


ゴボッ、ゴボッ、ガポッッ。


急いでオールを握り締め岸を目指す。


プク、プク、プクプクプクプク。


腕がつりそうだ。


プクプクプクプク、ブクッ、ブクッ。


「着いた!」


「お時間どおりですね」


息を切らして見上げた先の係員の顔を私は一生忘れない。




夜のあいさつ

 丑三つ時、夜空に微笑む三日月一つ。

 二階の窓から夜道を見下ろす。当然、人気はなく窓から漏れる光で真下だけが仄かに浮かんでいる。

 左右は漆黒の闇に包まれ奥行きさえもつかめない。

 そこへ懐かしい足音が流れてきた。

 カラン、コロン。カラン、コロン。

 下駄である。足運びからして男性のようだが妙に軽やかだ。酒でも飲んでいるんだろうか。

 窓に向かって左の方から聞こえて来る。

 視線を向けるとまず闇に浮かんだのは一本の大きな唐傘。続いて柄の代わりに毛の生えた素足。

 それがウサギのように跳ねて来る。


 カラン、コロン。カラン、コロン。

 傘が浮き、降りるに合わせて下駄が鳴る。

 窓の真下まで来た所で傘の表面に目玉が現れ、じっと、見上げて来た。

 こちらは見下ろしたままそっと片目を瞑り、舌を出す。

 すると傘も目玉の下から舌を出す。舌が引っ込むと同時に目玉も消え、遠ざかっていく下駄の音。

 三日月は変わらず浮いている


著者: 水木 しげる
タイトル: 図説 日本妖怪大全

光の使者

 久しぶりの雨。

 動体視力でも鍛えようと頬杖をつきながら窓の外を眺める。

 30分後、何とか一滴なら落下まで捉えることができるようになったので切り上げようと集中を解いた瞬間、赤い雫が目の前を通過する。

 気のせいだろうとまぶたや目の周りをマッサージして両手を下ろした所に黄色の雫が落下。

 なるほど。どうやらこれは合図らしい。

「すると、残りは五回か」

 思った通り雫は落ちていき、雨上がりと共に視点をゆっくり遠方へと合わせる。

 空には見事な七色の大橋。

 久しぶりの虹である。