A happy life, like playing music.

A happy life, like playing music.

「事実」を在りのままに体験する日々のあれこれ。

こんにちは。

エンジニアや、そのリーダーとして四半世紀以上、
モノの原理原則と向き合い
モノの開発にたずさわる人々との関わりで気づくこと、

生まれたときに持っていた元気が自然に、
かつ自覚的に戻って来て
色々な物事の事実と本質を楽しく感じられる状態、

そんなことを書いてみます。
Amebaでブログを始めよう!

赤ちゃんが生まれてすぐもそうですが、

毎日、毎日、ひたすら、
「おっぱい飲んで、ねんねして、
抱っこしておんぶしてまた明日」
を夢中でやって(^^)

そろそろ1歳になる頃に更に一発気になりだす場合があります。

言葉や、歩くなどの発達・成長に関する事ですね。

「ウチの子は、他の子と較べて成長が遅くないかな?」


こんな場面では、逆説的なのですが、
思考で気になる事と正反対の事が大切です。

子供の発達成長が気になるほど、
「今目の前のその子の在りのまま」
を受け入れ認めて、
できればそれを喜び感謝を味わってみることです。

同時に、発達ぶりが気になる
親自身のその気持ちを、ゆっくり感じ気づくことが何より大切です。

・その元になる信念がどんなものか、
・どんな「あたりまえ」「社会常識」があるのか、
・その通念にどのくらい子供が達してしてないといけない(と思ってる)のか、

などなど、自分にインストールされてる社会通念や常識、自分のコダワリなどを
たっぷり味わってみる。


そして、再び目の前の子供をじっくり抱っこして、子供の体温を感じながら、

「今現在の子供の在りのままを受け入れる」
と意識してみてください。

どんな気持ちになりましたか?


では、ありがとうございます。


こんにちは。

誰かとの「繋がり」

これは、孤独感の裏返しで、
「繋がりを作らないと!!」
というふうに動くと、
いくら知り合いが増えても足りない感じになり易いように思う。


孤独感を悪いことだと評価する「思い込み」に気づき、
それはそれで味わった上で、

「元々繋がってる」というビリーフのもとに素直で居ると、

繋がりの規模に関わらず、
穏やかな気持ちで、場面が体験できます。

結果的に深い繋がりも味わえると思います☆

元々繋がってるというビリーフを持って体験を眺めると、
それを実証するような出来事が創られるということです。

では、ありがとうございます(^^)




iPhoneからの投稿
こんにちは。

人間が、ただそのままで完璧なんだときくと、
現実の生活場面では、
誰もが長所と短所があって、
完璧なんかじゃないじゃん!となるでしょうか。


では、完璧とは何のことを言ってるのでしょうか?

「それは宇宙全体のなかの一部として完璧に存在している」
ということと、

一部は全体で、全体は一部である。 
色即是空であり、空即是色である。

一部は全体。

この宇宙全体のひとつの表現として一部があり、
全体と一部は一体だということ。

すなわち、無限大の宇宙の一部は、無限大と繋がっているということ。
ということは、一人一人が無限大のリソースと繋がって一体だということ。

この世の中に「当たり前」として通用している、
「自分と、それ以外を分けてみる見方」を卒業です。


宇宙全体の視点から自分をみるのは、
相似形でいうと、自分が自分の身体の一部を眺めているようなもの。

自分の身体の部分(例えばおへそ)が、
自分全体から切離されてると思い込んで、
おへそ君がどんなに気分が塞いでしまっても、
事実は自分の一部。しっかり繋がってる。

おへそと、顔と、背中は、まったく別々(の形)にみえるけど、
大元は1つの受精卵から
自分という60兆の細胞になって集まっていて、
「私」を構成するひとつの存在。
そのどの部分をみても、それは私。

宇宙に目を移してみても、
それは空間も含めて全体がひとつの宇宙。

全てを含んでいる宇宙はまさに完璧です。
みんながその無限のリソースと空間で繋がっています。


それを人間はこれまでずっと、
自分とそれ以外は切離された別々の存在だと、
それが当たり前だという社会通念をもってすごしてきました。

しかしそれは昔、自分の村が全世界だったり、
地球が平らな板で端っこに行くと落っこちてしまう
と思われてた頃の認識。

宇宙の起源や素粒子といったものがわかっている今は、
宇宙空間全体に銀河状の星の集まりがたくさんあり、
我々のいる銀河の端っこ辺りに太陽系があり、
そのなかの地球上に僕らがいるのがわかっています。

これまでの通念から卒業して、
自分は全宇宙空間と繋がった一部だという前提に立つと、
我々は完璧なる宇宙の一部なので、完璧なのです。

その見地からこの地球上での生活を眺めてみると、
空間で繋がった無限のリソースを好きに受けとればいいと
腑に落ちてきます。

「人はそのままで完璧」とは、
健康や外観や知識やスキルが完璧だとかじゃなくて、
それらの気休めでもなくて、

「無限大で完璧な、全てを含む宇宙と一体ですよ、
 その無限のリソース(豊かさ)と空間を通じて繋がってますよ」
という意味なのでした。

その視点からものごとをみていくと、
自然に全宇宙のリソーセスを活用できる体験が、
ちらほらと現実に現れてきます。

では、ありがとうございます。


こんにちは。

週末に2歳半の末っ子がお兄ちゃんにちょっかい出して、
やりかえされて泣きついてきました。

僕に抱っこされながら、
泣きながら「お兄ちゃんが~、ダメって言った~(>_<)」と、
気持ちを吐き出しています。

この場合に大切なのは、
お兄ちゃんにちょっかい出した事を諭すのでもなく、
お兄ちゃんに、弟を泣かすなと叱る事でもありません。

それらは、子供らの健やかな成長に効果がないばかりか、

彼らが自分で感じた素直な気持ちを抑え込むようになったり、
どちらが正しいかという価値判断を仕込んでしまいがちです。

これがたび重なると、自分の感情を自分で感じにくくなって、
つねに正しいかどうかで自分を縛るクセがつきやすいです。


こんな時は、
「そうなんだね、泣けてくるんだねえ」
と抱っこして背中をさすって、
一緒にそのまま感じているのがいいです。

そうしてると、一見泣き虫で弱い子に見えるかもしれませんが、

大人が自信を持って、善悪抜きでただ感じたままを伴走し続けてれば、

その積み重ねが大きな経験となって、
自分の感情を素直に感じるのが上手になるので、
その分、人の気持ちにも共感できて、
何倍もたくましく頼もしい子になってるでしょう。

諭したり叱ったりしそうになったら、
子供の為という思考すら脇に置いて、
自分の気持ちを観察してみましょう。

「そうしないと弱い子になるんじゃないか」
「よその子にも手を出すんじゃないか」
という親自身の不安感に気づくチャンスです。

では、ありがとうございます。



子供にとって、
遊びはゲーム機や買ってきたものだけじゃない。
おやつは甘いお菓子だけじゃない。

それらばかりを子供が好んでるなら、
それは親である私たちの
おやつや遊びについての先入観や固定観念を
ただ素直に反映してるだけなんだなあと気づきます。

子供の素直な要求は、
自分が知らない間に思い込んでる
価値観の現れだと受け取ろう。

そこで親は自分(の先入観)を責めるんじゃなくて、
新聞紙を折ったり丸めてみたり、
一緒に窓拭きをして、どう拭けたかを遊んでみたり、
大人がおむすびを作って、
一緒に食べたりしてみよう。
(元々、小さい子は一度に沢山食べられなくて一日3食では間がもたない
それを補う食事がおやつ)

身の回りにあるものを、
自分で工夫して、
遊びにしたり、
おやつにしたり。

子供にとっては、
そのひとコマずつが
親との触れ合いであり、
目の前の環境を楽しみ味わう姿を
模倣する機会。
模倣から、生きていく創造力が育まれる。

大人ができる範囲でそういう時間を作ると、
子供は生活のワンシーンから
どんどん学び取って、
自分の身体が喜ぶものがわかるようになり、
楽しい生活力や、他者との経験の分かち合いを体験でき、
結果的に子供自身がますます体験を喜び、より幸せを感じられるようになると思います。


では、ありがとうございます。
かなり久しぶりの記事更新です。

自分に、不快な出来事が降りかかって来たようにみえるとき、
ますます、在りのままの自分が開かれて深い部分からラクになるチャンスです。
ところが…

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「今、その不快感を受け入れるのが大切です」

と言われて受け入れられるもんならいうことないけど、
自分の価値観や信念に触れる出来事ほど、
受け入れたくないと強い抵抗が湧きそうですよね。



そんな時ほど、
「今、『そんなの受け入れられない!』ってなってるなあ」
と眺める視点、
これが「受け入れる」
ってことだと思います。

不快を感じた状況を無理に好きになったり、
ポジティブシンキングしなくちゃと頑張る事は
「受け入れる」の正反対だと思います。


不快感の真っ只中にいるときに、
「それに抵抗してる自分がいる」こと、
「早く不快感から逃れたいと急いでる」こと、
「受け入れるなんてできそうにないと不安になってる」こと、
「こんな不快感を受け入れたらもっと大変になるんじゃないか」と恐れてること、などなど、


そんな「今の自分の状態」を拒否せず認める(じっくり眺める)ことが
「受け入れる」って事になる。


これは、あなたの忍耐力とか能力の問題じゃなくて、
不快感の最中にそういう視点を追加するというのを、
「知って実行してみる」だけでいいんです。


すると、
不快感から急いで逃れようとするより何倍も早く済むばかりか、

いつしか、
同じような場面でも不快感がなくなったり、
そんな出来事が起きなくなり、
より心地いい場面に変化してきます。

気づくと自分が一段とラクに変わって、
不思議と相手や周りの反応も変わってきます。


では、ありがとうございます。


iPhoneからの投稿
【レコード/CDの再生音でも、生演奏のように臨場感や心地よさを感じられる一方、編集時の加工や合成の度が過ぎてなんだか違和感があり心に響かない楽曲作品がある。これに屁理屈をこねてみました】

音楽家のセンパイと話してて、電気的な記録/再生を経た音楽で、聴く側の心に共鳴するものと、しないものの
その差はなんだろう?とふと思いました。

ちょっぴり読みかじった学説の宇宙観に、
「部分には全体がフラクタルに含まれている」
「したがって、個々のモノに宇宙全体がフラクタルに含まれてる」
といった見方があります。

この見方を電子回路エンジニアの立場から、音楽作品や音源にフラクタルに適用してみると…

何か実物が振動して出ている音を、電気の波形に変換し、増幅し再生する際に、生音よりはf帯域が狭まったりS/Nが悪化するかもしれませんが、充分に原音のもつ複雑な振動(に含まれる多大な情報)は伝わる実体験があります。
(ex. そもそも帯域の狭いAMラジオで、しかも放送局が遠くて入りがベストじゃない状態で聴く音楽にも感動したり)

ところが、ツギハギや、ピッチ修正が過ぎて声のホルマントが損なわれたり、方形波で電子ブザーを駆動した音や、ゼロから合成した音などは、
S/N比がいくら良くても、心に響かない感じがします。

そして、それのポイントは、「『全体』が持つ自然な『ゆらぎ』が保たれているか」とか「『ゆらぎ』そのものの変化の自然さ(ゆらぎの変化の連続性?)」じゃないかと思うようになりました。
(ex.絶妙にミネラルが含まれる天然塩や、複数種の天然ダシの効いた料理は、それが薄味でも美味しいけど、塩化ナトリウムや、グルタミン酸ナトリウムなど、純度の高い調味料で作った料理は心に響かない)

かくして、電子回路を通った音、色んなエフェクトが加わった音であっても、
それを駆動してる大元が、人の声とか、弦の振動とか、リードの振るえ、などなど、何か「実物」の振動であれば、
そのような実物が含んでる多大な情報(複雑な振動や自然なゆらぎ)に比例した波形で、電気信号が駆動され、それが再生できてればいいんじゃないかと思いました。

演奏を編集でツギハギしすぎると「ゆらぎの連続性」がツギハギした箇所で分断されたり、歌声がピッチ修正でホルマントが損なわれると、
「ゆらぎ」そのものが不自然になって、
聴いてる人が持ってる多様で複雑な振動のどこにも共鳴しにくくなってしまうんじゃないかな?

したがって、音色の好みはさておき、記録方式がアナログかデジタルかはそんなに関係なく、
心地いい「ゆらぎ」そのものが保たれて、「ゆらぎの自然な変化」が分断されてなければ、
聴く人の持ってる多様な“部分”に共鳴して心地いいんじゃないかと思います。
こんにちは。

私の実験フィールドのひとつである、某企業の職場では、
リーダー達はここのところ、日頃の設計開発に加えて、
期末の人事考課(評価)と今後の人財育成具体案、
新年度の自部署の組織方針立案、
新年度の収益改善に向けた現実策検討など、
アイテムが集中し負荷が高まる時期です。

リーダー達は「計画を立てなきゃ!」となってて、
彼らがマネージしてる組織の階層や規模が大きい程、
現場感から乖離して、上位方針などをベースに立案しがちです。

それも自然な反応なのだとOKした上で、
僕がとる行動は、
リーダー達と何気ない会話をしながら、
彼らが「現場の現実」を肌で感じるような質問をしたり、
彼ら自身の「公私共の今の実感」を想い出す質問をします。

彼らがつい、社会情勢や上位方針からプレッシャーを受けて
自分のリアリティから乖離して
「リーダー役、マネージャー役」
になり過ぎてる場合は、

彼ら自身の「挟まれ感」「ジレンマ感」に気づいて、
それを「比較、判断、評価」せずに共に味わいます。

その時間を過ごしてみると、
一点集中だった意識が、全体視野に戻って、
焦りや苛立ちが軽減し、
「今、ここ」の現実に帰ってこれます♪

そうして、ラクになってリアリティを眺めると、
本来のパフォーマンスが湧いてくるのです☆

ありがとうございます!
つよし





【募集:3/16 東京近郊限定】

ポジティブシンキングとか、
モチベーションを喚起したりしないでも、
ニュートラルで夢中に戯れてるうちに、
よりラクに、より成果があがったら楽しいですよね♪


今週末3/16金曜日、東京近郊にて、
ご希望の方にカウンセリングベースの個人セッションをします。
僕個人や、複数の大きな組織で実験してきて効果が出ています。

特に、職場や家庭のリーダー役を担ってる方にオススメです。
業界、組織の規模、置かれている状況、年齢、男女は問わず可能です。

独りで背負って立たないで、もっとラクになって、
ポジティブシンキングやモチベーション喚起などを手放して、
今までより嬉しい結果が出る方向を、一緒に見出しましょう☆

リーダーの方が「本当にラクになる」と、
チームや組織、カップルや家族などの風土が創造的になって、
結果的にアウトプットも軽やかに質/量共に高まります。

もちろん、仕事や家庭などで、表立ってリーダー役じゃなくても、
みんな自分自身の人生のリーダーですもんね(*^_^*)

学校生活、
仕事、人財育成、
家庭、育児、
パートナーシップなど
あらゆる場面に、普遍的に適用できます。


時間的に4枠のみ限定になりそうです。
3/16(金)時間帯は、およそ10:00~16:00の間を想定しています。
(ご都合によっては、18:00~20:00にも可能です)

お問い合わせは、下記のアドレス宛にメールでお願い致します。
tsuyoshi_happylifemusic☆yahoo.co.jp
(☆を@に書き換えてください)

内容や、時間&場所など、
メールにて詳細打合せいたします。

尚、返信が確実に届くよう、ご自身のセキュリティの設定の確認と、
氏名や連絡先等の記載をお願いいたします。


では、ありがとうございます、
つよし