pともち日記qω・。)
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最後のお母さん

もう3月も終わりですね

本当に早い…

一軒家に女一人だと静かです

それと、あんなに毎日お母さんに振り回されていた日々を少しずつ忘れている自分がいます。

お母さんが亡くなる前日、最後に面会に行った時の事、お母さんはなぜ死んだのか、心残り?と言う程のものではないけれど、忘れたくないので残しておこうと思います。


三月十一日
仕事の為、いつものように朝一面会へ行きました。
病室へ入るとお母さんは起き上がって布団の上に吐いた時用のカップ?トレイ?を置いてぼーっとしていました。声をかけて、持ってきた洗濯物をしまって、病院を出なくてはいけない時間になりました。
いつものように「行ってくるね。」と言って病室を出ようとして振り返ると、お母さんはそっぽを向いていて私のほうを見ていませんでした。いつも「気をつけていってらっしゃい」と言って手を振ってくれるのに…
少し気になりましたが、そのまま私は病院を出たのです。
そして翌日の朝、お母さんは亡くなりました。
私は前日の朝のお母さんの様子をふと思い出しました。もしかして、前日から具合が悪かったのかも。
お母さんは何か感じていたのかも。
私に何か言いたい事があったのかも。
あの日、気になった時になぜ足を止められなかったのか?
入院してからお母さんから愚痴や泣き言を一切言われる事はありませんでした。私は聞いてあげなくてはいけない立場なのに。
お母さんごめんね。
どんな気持ちだったのかな?
聞いてあげられなくてごめんね。


そしてお母さんの亡くなった状況は。

病院によると、朝のうち脈はしっかりあったのだけれど、急に脈が低下してしまった。との事でした。
病院に駆けつけた時、心臓マッサージと酸素吸入されていました。しかし、それは心臓が止まっているものの家族がいないと、死亡確認が出来ない為に行われているものだと、はっきりわかるものでした。
私達はお母さんの最後には間に合わなかったのです。お母さんの手を握るとまだ温かさが残っていました。
急に脈が低下なんて…
一体何があったのだろう?疑問に思いつつ、早朝だし、夜勤の看護師さん達も24時間見ている訳ではないし、亡くなったお母さんは還ってくる訳ではないので、詳しくは聞きませんでしたが、お母さんは早朝吐き気が起きて、喉を詰まらせてしまったのではないか?それで心臓が止まってしまったのではないか?と思っています。亡くなった時にお母さんから吸引したと思われる茶色い液体が病室の機械に入っていました。
義姉の話によると、お母さんは吐き気がして、嘔吐物を口に溜めて出していたそうです。カップに出すのが間に合わず、布団やシーツを汚してしまうのを気にしてしまっていたのかもしれません。
家族の勝手な想像ですけれどね。
お母さんにはまだ癌による痛みはなかったはずです。聞く話によると癌の痛みはすさまじいと聞きます。痛くて痛くて耐えられないと。
お母さんは癌の痛みに苦しんで亡くなったのではありません。
果たして、お母さんが亡くなったのは早すぎたのか?それとも癌の痛みに苦しめ事になっても、もう少し永く生きていたほうが幸せだったのか?

お母さんが居ない今はもうわからないです。

私は親孝行がまったく出来なかったな
こんなに早く両親との別れが来るのならば、もっと親孝行してあげたかった。
本当に何もしてあげられなかった。

最後もお父さんがお母さんに手を焼いている私を見兼ねてお母さんを迎えに来てくれた様にしか思えません。

親戚の人でお父さんとお母さんは仲が良かったから、お父さんがお母さんを自分が亡くなった時と同じ年齢で迎えに来ちゃったのかな。と言っている人も居ました。


まとまらないけど、少しずつ進んでいきたいと思います。




お墓

お母さんが亡くなって十日過ぎました。

仕事にも戻り、あっという間でした。

葬儀も終わって、手続きもほぼ終わりました。

で、今日兄と一緒にお墓を見てきました。
うちはお父さんが生前お墓の場所だけは用意しておいてくれたのですが、詳しい事はよく知らなくて、いざ父が亡くなって霊園に行ってみると、以前の管理者から別の管理者に変わっていました。立て看板を頼りに今の管理者の元へ向かって話を伺うと、元々その霊園はお寺さんの霊園で、別の管理会社に管理を委託していたのだけれど、その管理会社が夜逃げしてしまってお墓の持ち主と連絡がとれず、管理料の引き落としも出来ていなく、今はお寺が管理しているとの事でした。父が亡くなった事を伝え、未納になっていた分の管理料を支払い、引き継ぎの手続きをして、納骨の話をしました。父が亡くなり、今後の生活もあるので、とりあえずは墓標を建てて納骨したかったのですが、公園墓地で、景観を損なうとの事で墓標を建てるのは禁止だと言われてしまいました。仕方なく外柵と基礎工事のみで納骨したのです。
お母さんと何回か「そろそろお父さんのお墓をきちんと建てようか」と話していましたが、何度も建て替えられる物でもないし、結局建てられないままでいましたが、今度のお母さんの納骨にお墓をきちんと建ててあげる事にしました。

うちは浄土真宗本願寺派なのですが、葬儀の流れや、お仏壇と同じく、お墓にも宗派によって種類(デザイン)があるので、菩提寺の住職に確認したところ、資料とお墓の写真をいただきました。

冠婚葬祭はやっぱり難しいですね。

お墓も高価な物なので、少し迷いましたが、お父さんとお母さんがまた一緒に落ち着いて眠れるお墓をきちんと建ててあげたいと思って決めました。

二人とも喜んでくれるといいな。




お礼

なんとか無事にお母さんの葬儀が終わりました。

一度お父さんの葬儀を行っているとはいえ、何かと大変でした。

家族は悲しむ暇もない

ピッタリな言葉です。

ブログを通じて、暖かいコメントや励ましのコメントをくれたカフェさん、のぞみさん、本当にありがとうございました。
おかげで、がんばれました。

私は人前であまり感情的になれないみたいです。
この5日間ほとんど人前で涙を流す事はありませんでした。


お父さんの亡くなった時もお母さんが悲しくなってしまわぬ様、極力泣かない様にしていました。


けれど、そのお母さんも、もう居ません。


もう我慢せずに二人の事を想って泣こうと思います。




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