春うらら
子育てってすげー大変だってことを思い知らされた今年の春です。
今週は、入学式やら入園式などがあったようで、家の目の前にある母校の北高もあったようで、
「もう14年もまえかぁ~」と考えるのと
「あと16年したら、うちの子も高校生か~」
っていう考え方もできるようになりました。
子供ができようが、あれから何年もたとうが、高校生の頃の
ギラギラワクワクしてた甘酸っぱい青い春の感じはずっと心に持っていたいものです。
春になるといつも思い出す好きな曲
ACIDMAN - 式日
カズ~~
ゴールを決めるのは「もってるな~」と思います。
でも、下記の、
試合前にとったらしいメッセージが素晴らしすぎます。
カッコいいです!!
生きるための明るさを 三浦知良・サッカー人として
このたびの大震災の被災者の方々に、心からお見舞いを申し上げます。被害に遭われた方々にとって、この2週間が、その1分1秒が、どんなものだったかを思うと、おかけする言葉も見つかりません。
生きているとはどういうことなのだろう、サッカーをする意味とは何なのだろう。そういったことを見つめ直さずにはいられなかった日々のなか、思わず頭をよぎったのは「今のオレ、価値がないよな」ということ。
試合がなくなり、見に来る観客がいなければ、僕の存在意義もない。プロにとってお客さんがいかに大切か、改めて学んでもいる。
サッカーをやっている場合じゃないよな、と思う。震災の悲惨な現実を前にすると、サッカーが「なくてもいいもの」にみえる。
医者に食料……、必要なものから優先順位を付けていけば、スポーツは一番に要らなくなりそうだ。
でも、僕はサッカーが娯楽を超えた存在だと信じる。人間が成長する過程で、勉強と同じくらい大事なものが学べる、「あった方がいいもの」のはずだと。
未曽有の悲劇からまだ日は浅く、被災された方々はいまだにつらい日々を送っている。余裕などなく、水も食べるものもなく、家が流され、大切な人を失った心の痛みは2週間では癒やされはしない。
そうした人々にサッカーで力を与えられるとは思えない。むしろ逆だ。身を削る思いで必死に生きる方々、命をかけて仕事にあたるみなさんから、僕らの方が勇気をもらっているのだから。
サッカー人として何ができるだろう。サッカーを通じて人々を集め、協力の輪を広げ、「何か力になりたい」という祈りを支援金の形で届け、一日も早い復興の手助けをしたい。そこに29日の日本代表との慈善試合の意義があると思う。
こんなことを言える立場ではないけれども、いま大事なのは、これから生きていくことだ。悲しみに打ちのめされるたびに、乗り越えてきたのが僕たち人間の歴史のはずだ。とても明るく生きていける状況じゃない。
でも、何か明るい材料がなければ生きていけない。
暗さではなく、明るさを。29日のチャリティーマッチ、Jリーグ選抜の僕らはみなさんに負けぬよう、全力で、必死に、真剣にプレーすることを誓う。
(元日本代表、横浜FC)
無力
もうどんなに励ましの声を掛けても安っぽいし、自分の非力さを痛感します。
神戸の時は正直どっか他人事みたいなかんじだったけど今回は心が痛みます。
なんだろう、年とったせいかな・・・
昨日の朝、いつも通り家を出て行ったのに、それが・・・
そんなこと考えると悲しすぎる。
同じ日本なのに、たくさんの人が犠牲になって壊滅状態なのに、
わが町は、いつも通りの土曜日が過ぎていきました。すごーい不思議な感覚。
テレビはずっと地震のニュースなわけで、
八百長やカンニングが小さいことに思えてきて、
離婚するしないの話とかのワイドショーがすっごいくだらない事に思えてしまった今日。
また元気に明日を迎えれることに感謝です。
そんな今日はこんな曲
狭心症 RADWIMPS