◇2024年7月17日(水)

●聖書 列王記下12:2-9「聖なる献金」

 

 12:5 ヨアシュは祭司たちに言った。「主の神殿にもたらされるすべての聖なる献金、すなわち、各人がその割り当てに従って課された献金、主の神殿に自発的にもたらされるすべての献金は、

 12:6 祭司たちがおのおの自分の担当の者から受け取り、神殿のどこかに破損が生じたときには、それを用いてその破損を修理しなければならない。」

 

●黙想

祭司ヨヤダも、ユダの王ヨアシュも信仰のズレを正す改革者です。

 

ヨアシュ王は、祭司ヨヤダから養育を受け、主の目にかなう正しいことを行います。

彼は高き所(偶像が交じった祭壇)の撤去はできませんでしたが、主の神殿を修繕します。

 

神殿(教会)は、主の教えに従い、民(聖徒)に課せられ、自発的にもたらされた献金によって、維持・管理されるものです。

ヨアシュは、祭司たちに正しい献金の捧げ方、用い方を教え、神殿の修繕を成し遂げていきます。

 

この時代、王も民も祭司にも、信仰の改革、霊的な回復が必要でした。

信仰がズレると、与えるよりも、受けることを求め、神様よりも、自分のことを優先し始めます。

 

今も同じです。

牧師も信徒も御言葉による信仰の改革、霊的な回復が必要です。

日々、御言葉によって養育され、主の目にかなう正しいことを行う者であり続けますように。

御名によって祝福します。byバルナバ

Next:列王記下12:9-21

 

●聖書

 

 12:2 イエフの治世第七年にヨアシュは王となり、四十年間エルサレムで王位にあった。その母は名をツィブヤといい、ベエル・シェバの出身であった。

 

 12:3 ヨアシュは、祭司ヨヤダの教えを受けて、その生涯を通じて主の目にかなう正しいことを行った。

 

 12:4 ただ聖なる高台は取り除かれず、民は依然として聖なる高台でいけにえを屠り、香をたいた。

 

 12:5 ヨアシュは祭司たちに言った。「主の神殿にもたらされるすべての聖なる献金、すなわち、各人がその割り当てに従って課された献金、主の神殿に自発的にもたらされるすべての献金は、

 

 12:6 祭司たちがおのおの自分の担当の者から受け取り、神殿のどこかに破損が生じたときには、それを用いてその破損を修理しなければならない。」

 

 12:7 だが、ヨアシュ王の治世第二十三年になっても、なお祭司たちは神殿の破損を修理しなかったので、

 

 12:8 ヨアシュ王は祭司ヨヤダおよびほかの祭司たちを呼んで言った。「なぜ神殿の破損を修理しないのか。以後あなたたちはあなたたちの担当の者から献金を受け取ってはならない。それは神殿の破損を修理するために使われるべきものだからだ。」

 

 12:9 祭司たちは民から献金を受け取らず、従って神殿の破損を修理する責任を負わないことに同意した。

 

●リビングライフ

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◇2024年7月16日(火)

●聖書 列王記下11:13-12:1「主の民となる契約」

 

 11:17 ヨヤダは、主と王と民の間に、主の民となる契約を結び、王と民の間でも契約を結んだ。

 

●黙想

主はダビデと結んだ契約を守り、ダビデの子孫である幼子ヨアシュの命を守ります。

七年後、祭司ヨヤダは、アタルヤを捕え、滅ぼし、主の民となる契約を結びます。

民は皆、主の戒めに従い、バアルの神殿と祭壇を破壊し、ヨアシュを王に迎え、喜び祝い、町は平穏になりました。

 

主は契約を守られるお方です。

キリストを信じ、心の王座に迎えると、神と新しい契約が結ばれ、主の民となります。

主はこの契約を守り、あなたの命を救い、守り、助け、人生に喜びと平安を与えて下さるお方です。

 

大切なことは、主との契約を忘れず、いつも主を喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝し、主の言葉に従い続けることです。

これが主の民が平穏に過ごし、神の祝福に与る秘訣なのです。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:列王記下12:2-9

 

●聖書

 

 11:13 アタルヤは近衛兵と民の声を聞き、主の神殿の民のところに行った。

 

 11:14 彼女が見ると、慣例どおり柱の傍らに王が立ち、その傍らには将軍たちと吹奏隊が立ち並び、また国の民は皆喜び祝い、ラッパを吹き鳴らしていた。アタルヤは衣を裂いて、「謀反、謀反」と叫んだ。

 

 11:15 祭司ヨヤダは、軍を指揮する百人隊の長たちに、「彼女を隊列の間から外に出せ。彼女について行こうとする者は剣にかけて殺せ」と命じた。祭司が、「彼女を主の神殿で殺してはならない」と言ったからである。

 

 11:16 彼らはアタルヤを捕らえ、馬の出入り口を通って王宮に連れて行った。彼女はそこで殺された。

 

 11:17 ヨヤダは、主と王と民の間に、主の民となる契約を結び、王と民の間でも契約を結んだ。

 

 11:18 国の民は皆、バアルの神殿に行き、それを祭壇と共に破壊し、像を徹底的に打ち砕き、バアルの祭司マタンを祭壇の前で殺した。祭司ヨヤダは主の神殿の監督を定め、

 

 11:19 更に百人隊の長、カリ人、近衛兵および国の民全員を率いて、王を主の神殿から連れ下り、近衛兵の門を通って王宮に導き、王座につけた。

 

 11:20 こうして、国の民は皆喜び祝った。アタルヤが王宮で剣にかけられて殺された後、町は平穏であった。

 

 12:1 ヨアシュは王位についたとき、七歳であった。

 

●リビングライフ

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◇2024年7月15日(月)

●聖書 列王記下11:1-12「神殿に隠されていた」

 

 11:3 こうして、アタルヤが国を支配していた六年の間、ヨアシュは乳母と共に主の神殿に隠れていた。

 

●黙想

アタルヤは、北イスラエルの王アハブの娘であり、南ユダにバアル崇拝を広めた人物です。

彼女は、息子(アハズヤ)がイエフに殺害されると、

次期王の資格のある孫を皆殺し、自ら王になり、六年間、国を支配します。

 

主は生きておられます。

主はダビデとの契約を守り、ただ一人、乳飲み子ヨアシュを奇跡的に救出し、主の神殿に隠し、

ヨアシュは王になり、神の言葉のとおり、ダビデの子孫からメシアが誕生するのです。

 

あなたもヨアシュです。神の御心を行うために、世に生まれ、奇跡的に救い出されたのです。

主の神殿(教会)は、あなたの隠れ家です。

主はあなたを救い、守り、御言葉によって育み、油注ぎ、御心を行うために用いられるお方です。

 

この世に生まれたのも、新しく生まれたのも神の御業です。

生まれた場所、置かれた場所、遣わされた場所で、主の御心を行う者でありますように。

御名によって祝福します。

今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:列王記下11:13-21

 

●聖書

 

 11:1 アハズヤの母アタルヤは息子が死んだのを見て、直ちに王族をすべて滅ぼそうとした。

 

 11:2 しかし、ヨラム王の娘で、アハズヤの姉妹であるヨシェバが、アハズヤの子ヨアシュを抱き、殺されようとしている王子たちの中からひそかに連れ出し、乳母と共に寝具の部屋に入れておいた。人々はヨアシュをアタルヤからかくまい、彼は殺されずに済んだ。

 

 11:3 こうして、アタルヤが国を支配していた六年の間、ヨアシュは乳母と共に主の神殿に隠れていた。

 

 11:4 七年目に、ヨヤダは人を遣わして、カリ人と近衛兵からなる百人隊の長たちを神殿にいる自分のところに連れて来させ、彼らと契約を結んだ。彼は主の神殿の中で彼らに誓いを立てさせ、王子を見せて、

 

 11:5 こう命じた。「あなたたちがなすべきことはこれである。あなたたちのうち、安息日が出番に当たる者の三分の一は王宮の警備に就き、

 

 11:6 ほかの三分の一はスルの門に詰め、残る三分の一は近衛兵の背後の門に詰め、こうしてあなたたちは交代で王宮の警備に当たれ。

 

 11:7 安息日が非番に当たるほかの二組は主の神殿で王のそばにいて警備に当たれ。

 

 11:8 おのおの武器を手にして、王の周囲を固めなければならない。隊列を侵す者は殺されなければならない。王が出るときも、入るときも、王と行動を共にせよ。」

 

 11:9 百人隊の長たちは、すべて祭司ヨヤダが命じたとおり行い、おのおの安息日が出番に当たる部下と非番に当たる部下を引き連れ、祭司ヨヤダのもとに来た。

 

 11:10 祭司は主の神殿に納められているダビデ王の槍と小盾を百人隊の長たちに渡した。

 

 11:11 近衛兵たちはおのおの武器を手にして、祭壇と神殿を中心に神殿の南の端から北の端まで王の周囲を固めた。

 

 11:12 そこでヨヤダが王子を連れて現れ、彼に冠をかぶらせ、掟の書を渡した。人々はこの王子を王とし、油を注ぎ、拍手して、「王万歳」と叫んだ。

 

●リビングライフ

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『ヤロブアムの罪からは離れず』

(列王記下 10章28節~31節)

(2024年7月14日 ベテル清水教会 聖日礼拝説教)

 

先週、健康診断を受け、検診に行く度に、運動しなければと思います。

昨年、ちょこザップの話をしましたが、長く続きませんでした。

継続は力なりと言われますが、続けることは簡単ではありません。

 

私は、毎年、一年の計は元旦にありと、目標を立てて、色々チャレンジするのですが、いつの間にかやめてしまっていることが多々あります。

 

継続できない、持続性の足りない私なのですが、毎朝のQTと御言葉メールの配信だけは、30年以上、続いています。

 

ヤコブは、「御言葉には魂を救う力がある」と語り、御言葉を聞いて、行う人は、幸せになる、と語っていますが、私はこの言葉を信じ、実践し、御言葉には、魂のみならず、日々の生活を守り、救い、助け、幸せに導く力があると信じています。

 

まさに継続は力であり、毎朝のQTは、私の力の源です。

来週、QTセミナーがありますので、ぜひ、ご出席ください。

 

さて、聖書日課は、列王記下10章に入りました。

9章から続いたイスラエルの王、イエフの物語のラストになります。

 

10:28 このようにして、イエフはイスラエルからバアルを滅ぼし去った。

 

イエフは、北王国・イスラエルの10代目の王様です。

彼は、人間的な視点で見ると、謀反を起こし、アハブの一族を殺害するなど、ここまでするかというほど、非常に横暴で、残忍な王でした。

 

しかし、昨日の御言葉メールでも書きましたが、こんな彼が、北王国の中では、一番マシな王様、唯一の名君だったと評価されているのです。

どれほど、イスラエルの王たちが悪王だったかが分かります。

 

その最たる王が、アハブでした。

アハブは、史上最悪の王であったと列王記上16章に書かれています。

P561

16:30 オムリの子アハブは彼以前のだれよりも主の目に悪とされることを行った。

16:31 彼はネバトの子ヤロブアムの罪を繰り返すだけでは満足せず、シドン人の王エトバアルの娘イゼベルを妻に迎え、進んでバアルに仕え、これにひれ伏した。

16:32 サマリアにさえバアルの神殿を建て、その中にバアルの祭壇を築いた。

16:33 アハブはまたアシェラ像を造り、それまでのイスラエルのどの王にもまして、イスラエルの神、主の怒りを招くことを行った。

 

ヤロブアムの罪を繰り返す

今日のテーマである言葉です。

このヤロブアムの罪については、後で解説します。

 

アハブは、ヤロブアムの罪を繰り返すだけでは満足せず、バアルに仕え、ひれ伏し、バアルの祭壇を築いて、主の怒りを招いた、というのです。

 

9章からは、アハブの罪に対する神の裁きが語られてきました。

主は、イエフを用いて、アハブの家を滅ぼし、イスラエルからバアルを取り除かれたのです。

 

さて、今朝は、イエフがバアルをイスラエルから取り除いた後の話です。

10:29 ただ、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪からは離れず、ベテルとダンにある金の子牛を退けなかった。

 

今日の御言葉です。

ヤロブアムの罪からは離れず

今日のテーマです。

 

イエフはアハブの罪を離れ、イスラエルからバアルの偶像を一掃します。

これは、主の目にかなう正しいことであり、このことを成し遂げるために、イエフは神に選ばれ、王とされたのです。

 

10:30 主はイエフに言われた。「あなたはわたしの目にかなう正しいことをよく成し遂げ、わたしの心にあった事をことごとくアハブの家に対して行った。それゆえあなたの子孫は四代にわたってイスラエルの王座につく。」

 

主は、イエフに、彼の子孫が四代にわたり、王座につく、と預言します。

これは、神の言葉に従ったイエフに対する神の報いです。

 

主の言葉に聞き従う者には、「それゆえ」の世界が備えられます。

主の言葉に聞き従う者には、「そうすれば」の約束が与えられます。

これが神の報いであり、この報いを私は「神の祝福」と理解しています。

 

 10:31 しかしイエフは、心を尽くしてイスラエルの神、主の律法に従って歩もうと努めず、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を離れなかった。

 

前回、「神の恵み」と「神の祝福」の違いについてお話しました。

 

神の恵みは、受ける資格がない者に用意され、与えられるものです。

神の恵みは、ありえない恵みであり、神の恩寵とも呼ばれます。

これは、私たちの努力、行いによって与えられるものではありません。

 

イエフが神に選ばれ、油注がれ、王になったのは、神の恵みなのです。

彼の人間性を見れば、神の恵みが理解できます。

 

彼は残虐で、王を裏切り、謀反を起こし、アハブの家に属する者を殺害し、70人の子供の首をさらすなど、なぜ、こんな人物を神が選び、王にしたのか、理解できないような人物です。

 

この男を、神様は御心を行うために選び、油を注ぎ、王にされました。

信じられないことが起こる。

あり得ない者が選ばれ、救われる。

これが神の恵みです。

 

私自身、救われたのも、牧師になり、30年、主に仕えて来れたのは、神の恵み以外のなにものでもありません。

神の恵みによって、今の私があり、この教会があります。

 

ふさわしくない者が選ばれ、救われ、用いて下さったのです。

それは、自分自身が一番、よく理解しています。

 

私たちも同じです。

私たちが神に選ばれ、救われたのは、神の恵みです。

 

神様は、恵みを与え、更に恵みの上に恵みを増し加えて下さるお方です。

これが神の報いであり、神の祝福なのです。

 

さて、イエフは、エリシャを通し、主の言葉を聞きました。

彼は、主の言葉に従って、イスラエルからバアルを滅ぼしたのです。

 

その結果、彼の子孫は四代まで、王位に就くと約束されます。

これは、御心に従ったイエフに約束された神の報いなのです。

 

今日、覚えたいことは、神の恵みを受け、祝福に与った後の生き方です。

もう一度、31節をお読みします。

10:31 しかしイエフは、心を尽くしてイスラエルの神、主の律法に従って歩もうと努めず、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を離れなかった。

 

主の律法に従って歩もうと努めず

新改訳では「主の律法に歩もうと心がけようとせず」と訳されています。

 

主と主の言葉に従い続けることは、自然にできることではありません。

自然のままにすると、私たちの信仰はズレていくからです。

 

QTを続けるためにも、努力が必要であり、心がけが必要なのです。

継続は力であり、御言葉には、魂を救う力がある。

主の言葉を信じるだけではなく、

主の言葉に歩もうと、心がけること、努力することも必要なのです。

 

御言葉を聞くことを怠ると、心は主から離れ、信仰がズレるからです。

どんなに昔、熱心に聖書を読み、従っていたとしても、その時に与えられた神の報いの貯金は、しばらくは続いても、やがて尽きてしまうのです。

 

私は、開拓直後、ハ・ヨンジョ先生から「昨日の力で、今日を生きることはできません」という言葉を聞いて、気づかされました。

 

私は、過去の信仰、高砂時代に主に従ってきた報いを受けて、その貯金に支えられて、今がある、と。

しかし、その貯金は、どんどんと目減りしている。

 

今日の力を得るために、QTの大切さを知り、日々、今日の力によって、今日を生きるようになりました。

 

日々、主の御声を聞き、御心に従って歩み続ける。

そうすれば、神の報いが約束され、神の祝福が、やがて恵みの雨のように降り注ぐと信じます。

 

イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を離れなかった。

 

イエフの、もう一つの問題は、ヤロブアムの罪です。

もう一度、今日の御言葉をお読みします。

 

10:29 ただ、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪からは離れず、ベテルとダンにある金の子牛を退けなかった。

 

列王記上11章を見ると、ヤロブアムは、預言者アヒヤを通し、イスラエルの分裂と、彼が10部族(北王国)の王になる、と告げられます。

 

イエフが神に選ばれ、王になったように、ヤロブアムも神に選ばれ、王となります。

11:37 だが、わたしはあなたを選ぶ。自分の望みどおりに支配し、イスラエルの王となれ。

11:38 あなたがわたしの戒めにことごとく聞き従い、わたしの道を歩み、わたしの目にかなう正しいことを行い、わが僕ダビデと同じように掟と戒めを守るなら、わたしはあなたと共におり、ダビデのために家を建てたように、あなたのためにも堅固な家を建て、イスラエルをあなたのものとする。

 

ヤロブアムが神に選ばれたのは、恵みです。

主はヤロブアムにも、主の戒めにことごとく聞き従い、主の道を歩み、主の目にかなう正しいことを行うならば、と語ります。

 

主の言葉に従うならば、という神の約束が告げられます。

しかし、彼は、この後、主の戒めを破り、主の怒りを招きます。

 

列王記上12章をご覧ください。P552

ここに、今日の話につながる伏線があります。

 

 12:26 ヤロブアムは心に思った。「今、王国は、再びダビデの家のものになりそうだ。

 12:27 この民がいけにえをささげるためにエルサレムの主の神殿に上るなら、この民の心は再び彼らの主君、ユダの王レハブアムに向かい、彼らはわたしを殺して、ユダの王レハブアムのもとに帰ってしまうだろう。」

 12:28 彼はよく考えたうえで、金の子牛を二体造り、人々に言った。「あなたたちはもはやエルサレムに上る必要はない。見よ、イスラエルよ、これがあなたをエジプトから導き上ったあなたの神である。」

 12:29 彼は一体をベテルに、もう一体をダンに置いた。

 12:30 この事は罪の源となった。民はその一体の子牛を礼拝するためダンまで行った。

 

ヤロブアムが思い、考え、出した結論。

これは悪いQT、黙想です。

 

ヤロブアムは、民の心がエルサレムの神殿に向かわぬよう、金の子牛の像をベテルとダンに安置し、これが罪の源となりました。

 

このヤロブアムの罪から、アハブの罪に至り、アハブは罪のイゼベルに唆され、バアルやアシェラなど、他の神々の偶像を造り、拝ませ、信仰のズレを生じ、神の怒りを招いたのです。

 

金の子牛と言えば、出エジプト記32章の話が有名です。

出エジプトをした民は、モーセが主の山に登り、戻って来ないので、不安になりました。

そこで、アロンに金の子牛を造らせ、それを拝み、神の怒りを招きます。

 

この時、彼らは神の恵みを体験した直後です。

出エジプトの奇跡を体験し、今も生きて働く神の御業を見た後です。

 

なぜ、彼らは、金の子牛の像を造り、民はそれを拝んだのでしょうか。

彼らは、自分たちを救ってくれた神を忘れたのでしょうか。

 

むしろ、忘れるはずがありません。

彼らは、見えない神を見える形で現わしたのです。

金の子牛の像を造り、それを拝み、イスラエルの神に祈ったのです。

 

神様は、何かもご存じです。

もし人間、目に見えない神を、見える形で示し、それに向かってひれ伏し、祈り始めるならば、本当の神を見失い、信仰がズレてしまう。

 

罪とは、的外れです。

神を見失い、神から引き離す原因となる。

だから、神様は偶像を造ることも、拝むことも禁じたのです。

 

出エジプト20章 P126

20:3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。

20:4 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。

20:5 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問うが、

 20:6 わたしを愛し、わたしの戒めを守る者には、幾千代にも及ぶ慈しみを与える。

 

アロンもイスラエルの民も、自分たちをエジプトから救い出した神こそが、真の神である、と信じていました。

 

イエフも、当時のイスラエルの王たちも、神を信じていました。

アハブのように、バアルの偶像を造り、バアルの神に祈ることは、完全にご法度となのです。

 

しかし、ヤロブアムの罪、金の子牛の像は、異国の神々とは違う。

これは、自分たちの先祖の神、エジプトから救い出した神だと信じてしまっていて、簡単に取り除くことはできなかったのです。

 

その結果、彼らの信仰のズレは直らず、イスラエルも、ユダも、衰退の道を辿ることになったのです。

 

さて、今日の結論です。

ヤロブアムの罪からは離れず

 

これは、イエフだけの問題ではありません。

イスラエルの問題だけではありません。

主に選ばれ、救われた私たちの問題でもあるのです。

 

ヤロブアムの罪は、私たちの中にも残っているのです。

アハブのように、他の神々を拝み、主の目に悪を行うことはなくても、

イエフのように、主を信じながらも、信仰がズレることがあるのです。

 

神様は、目に見えません。

神を見て、安心したい、という誘惑に負けてしまうのです。

 

神様は、霊であり、目で見ることはできません。

この見えない神が、見える形で世に現れ、姿を示された。

それがイエス・キリストなのです。

 

復活の日、エマオの途上で復活の主と出会った弟子たちの話があります。

彼らは、イエス様と一緒に歩き、主の言葉を聞いて、心燃やされます。

 

そして、家に入り、イエスがパンを取り、讃美の祈りを唱え、パンを裂いて渡すと、二人の目が開かれ、イエスだと分かったのです。

 

面白いのは、その後、姿は見えなくなった、というのです。

このエピソードは、大切な真理を、私たちに教えています。

 

主は、今も私たちに語りかけています。

主の言葉は、日々、私たちの心を燃やし、なすべきことを教え、導いて下さいます。

 

ヤロブアムの罪から離れ、信仰が守られ、祝福されるためには、主の言葉が必要であり、主の言葉に従って歩もうと努める必要があるのです。

 

何が、主の言葉を聞くことを妨げる金の子牛となっているか。

そのことを黙想し、信仰のズレを直す時間が必要です。

 

アハブの罪から離れ、ヤロブアムの罪からも離れ、

すべての罪の根を取り除いて下さったキリストを崇め、

日々、主の言葉に聞き従い、衰退の道ではなく、祝福の道を、歩み続ける者でありますように。

御名によって祝福します。お祈りします。

 

◇2024年7月14日(日)

●聖書 列王記下10:28-38「ヤロブアムの罪」

 

 10:29 ただ、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪からは離れず、ベテルとダンにある金の子牛を退けなかった。

 

 10:31 しかしイエフは、心を尽くしてイスラエルの神、主の律法に従って歩もうと努めず、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を離れなかった。

 

●黙想

イエフは、神に選ばれ、バアル崇拝をもたらしたアハブの罪を離れ、

イスラエルからバアルを一掃しました。

 

しかし、ヤロブアムの罪からは離れず、金の子牛の像を退けることができず、

これがイスラエルの衰退の原因となります。

 

ヤロブアムが造った金の子牛は、バアルの偶像とは異なり、

イスラエルの神を可視化した像であり、主の律法で禁じられたもの(出エジ20:4-6)でした。

 

ヤロブアムは、民の心がエルサレムの神殿に向かわぬよう、金の子牛の像をベテルとダンに安置し、これが罪の源(列王上12:29-30)となり、アハブの罪を生じさせ、神の裁きに至ったのです。

 

今日は日曜日です。

主の言葉に従って歩み、アハブの罪、ヤロブアムの罪から離れ、主の山の上り、神の家で心を尽くして礼拝を捧げましょう。今日も祝福がありますように。byバルナバ

Next:列王記下11:1-12

 

●聖書

 

10:28 このようにして、イエフはイスラエルからバアルを滅ぼし去った。

 

 10:29 ただ、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪からは離れず、ベテルとダンにある金の子牛を退けなかった。

 

 10:30 主はイエフに言われた。「あなたはわたしの目にかなう正しいことをよく成し遂げ、わたしの心にあった事をことごとくアハブの家に対して行った。それゆえあなたの子孫は四代にわたってイスラエルの王座につく。」

 

 10:31 しかしイエフは、心を尽くしてイスラエルの神、主の律法に従って歩もうと努めず、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を離れなかった。

 

 10:32 このころから、主はイスラエルを衰退に向かわせられた。ハザエルがイスラエルをその領土の至るところで侵略したのである。

 

 10:33 侵略はヨルダン川の東側にあるギレアドの全域、ガド、ルベン、マナセの地で行われ、アルノン川の近くにあるアロエルから、ギレアドとバシャンにまで及んだ。

 

 10:34 イエフの他の事績、彼の行ったすべての事、すべての功績は、『イスラエルの王の歴代誌』に記されている。

 

 10:35 イエフは先祖たちと共に眠りにつき、サマリアに葬られた。その子ヨアハズがイエフに代わって王となった。

 

 10:36 イエフがサマリアでイスラエルの王位にあった期間は二十八年であった。

 

●リビングライフ

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