このブログを愛し訪れてくださった皆様方

すでにコメントなどでご存知と思いますが、國場一成は私達に多くの奇跡を残し、
10月9日大好きだった太陽の降り注ぐ晴天の午後2時23分旅立ちました。

最後までパソコンの前に立ち、皆様の温かい励ましを受けての安らかな旅立ちでした。

ガンと共に生き、大自然と天地のパワーそして皆様をはじめ数多くの友人達の
心温まる励ましをエネルギーとしての闘病生活でしたがブログにもありますように
何時も笑顔で前向きな彼の姿に家族はもとよりどれだけの方が励まされたか、
100万を超えるアクセス数にただ感謝、感謝です。

肉体は神のもとに召されましたが、「魂は永遠に皆様と共に生き続ける」と
信じて旅立ちました事を報告して御礼の言葉と致します。



                                國場勝子、家族一同








このブログではよく頻繁に、最近交流が復活した父とのことが書かれますが、

じつは、ベースとなる我がK家の家族も、僕が病気になったことで大きく変わりました。


「病気になってよかったこと」として、友人や職場の人間などとの関係が、

より濃く、濃密なものになった――とは以前に書きましたが、その中でもいちばん濃度を増したのは、

やはり家族関係かもしれません。


正直、僕がこんなことになるようになる前は――家族はバラバラでした。


子供3人を女で一人で育て上げ、いまでも必死に家族を守ろうと働いているオフクロ。

家族に対して距離をおき、自分勝手に、自分のやりたい仕事をし、マイペースに道をひた進む僕。

夢に挫折し、心の傷を負ったままそこから立ち直ることができず、実家にひきこもる弟。

鉄砲玉のような性格で、あるとき突然妊娠、結婚。

いまはシングルマザーとなって一所懸命に働きながら子供を育てている妹。

ちいさなころからのさまざまな家庭環境の変化や、いろんなこと――があり、

ある程度の年齢になるころには、お互いがお互いを反面教師とするような部分も多少は

あったような気がするし、ゴタゴタだらけのウチの家族から一度自由になって、

また別の場所で、自分の理想とする生活をはじめたい・・・。

きょうだい3人ともにそういう思いがあったかどうかはわかりませんが、

大学生のころから、僕自身はは強くそう思うようになりました。


オフクロも、ここまで女でひとつで3人を育て上げてきました。

子供の独立はひとつの目標でもあったはずです。


そうして、はじめに僕が家族から自立しました。


「忙しい」「仕事が大変」常にそれが僕の常套句。

以来、たとえ正月であろうといっさい実家にも帰らず、好き勝手に遊び、もちろん仕事も死に物狂い

でやりました。本心をいえば、そのモチベーションの多くはじつは、家族からの自立、脱出だったのです。


もう何年も家族で食事をともにする、なんてことがないこともザラでした。

客観的にも、異様な家族だったと思います。

それが、たまに家族が顔をあわせるのはどういうときかというと・・・

僕の病気(これは定期的にありました。笑)、あとは家族のだれかが問題をおこしたとき

(妹の離婚や、弟の女性問題)など。

そんなことが、まあおこらないほうがよいのですが、ある時期をおいて起こる様になり、

いわゆるどこでも開かれる「家族会議」というものが開催されるようになりました。


そのころにはもうみんなよい大人です。

自立した自分の意見も持っています。


気がつくと、長男である自分の意見をオフクロもいつのまにか頼るようになっていました。


そうして、ようやくほんのちょっとは父親がいないこの家族においての家長としての自覚を持つように

なるのですが・・・じっさいはまだまだ。自分のことでまだまだ精一杯。

達者な意見を言うだけで、あとは当人に投げっぱなしのただの評論家。

これじゃあまだまだ長男、家長は失格です。


でも、ここ数年、僕からの声かけで毎年、オフクロの誕生日に食事を一緒にする。

しかも、ふだんよりもちょっと豪華な食事を。――という会を催すようになりました。


幼かったころから、銀座、六本木、赤坂・・・と、オフクロは本当においしい外食によく連れて行ってくれました。

いまその店を考えてみるとちょっとビックリするくらいの、すべて大人のお店です。

そのときの楽しい記憶があるので、そのお返しを僕なりにしたかったんですね。


そして、そのときはたしかオフクロと妹と一緒に自由が丘で寿司を食べて誕生日を祝っていたときのこと。

いまから3~4年ほど前になるでしょうか。そのときに、いつまでも今の店を続け、働き続けようとする

母に対して、僕は胸に秘めていたあることを思い切って切り出したのです。


「このさき、お袋が年をとったらさあ、俺がキチンと面倒みるから。

長男なんだから、それは責任を持ってキチンとしようと思ってるし。

だから、いまの店ももし厳しいようだったら・・・もう考えなよ」


いつかは言わなくてはならない、長男としての僕のせいいっぱいの言葉でした。


いつも勝気で男勝りのオフクロ。

オフクロは涙を浮かべたのを見たのは、本当にひさしぶりのことでした。


ところが、そんなエラそうなことを言っていた本人が、まさかの癌発病――。

でも僕は、ぜったいに病気で死ぬわけにはいかないのです。そんなことはあってはならない。

オフクロのためにも。


そして、おなじように必死でいま僕のことを支えてくれている家族のために。


病気になったことがきっかけで、家族のお互いの距離はずっと濃くなりました。

1年に1回連絡をする程度だった妹とも、いまではほぼ毎日のように連絡をとりあっています。

弟は、親への負担を考え、ついに7年間のひきこもりから脱出して、

ようやく働き始めて一人暮らしをはじめました。


そして僕自身は、なによりも家族というものの存在を、いまさらながらにその温かさを感じ、

接することができるようになりました。


これもひとつの病気からのメッセージだったのだと思います。


見失いかけていた、大切なものを取り戻すキッカケを作ってくれた病気に感謝です。


ちなみに・・・病葉(わくらば)とは、病気におかされて赤や黄色に変色した葉のこと。

オフクロが16才で歌手デビューを果たしたときのデビュー曲の歌いだしが「病葉を今日も浮かべて」でした。

その後、オフクロは僕の出産をキッカケに芸能界から引退することにまるのですが、

そこから今回のタイトルに拝借させたていただきました。

週末土曜日。


入院先の病院に外泊届けをもらって、大好きな鎌倉に一時帰宅♪

幸いに天気もよく、最高の鎌倉秋日和の一日になりました晴れ

しかも、この絶好の鎌倉日和に合わせてお見舞いに来てくれたのがこのチーム。





編集部時代のBACCiの愛弟子、山根ちゃん(写真左)&ハセナオ(写真右)。

&今日は、「GLAMOURE」日本版の創刊準備で多忙中のぐんぢ姉さん(右から2番目)。

まあ、4人の共通点と言えば「みんな心の底から雑誌愛を持った編集者」というところでしょうか?

きょうはそんなメンバー・・・・・・あ、本当はもう1名いました!

このときはシャッター係だった僕の後輩のハマ君(小学館の熱きスクープ編集者)を合わせた5人で、

非常に刺激的でパワーのあふれるトークをしました。


話はちょっと飛びますが、鎌倉の空気ってバツグンにいいんです。

それが今日みたいな雲ひとつないピーカンの日には、はるか離れた場所から運ばれてくる潮の香り、

風向きが変わると届けられる森の香り。

そして遠い水平線は、朝はマリンスポーツを、

夕暮れ時は最高のサンセットマジックアワーを盛り上げてくれる光のキャンパス。


そんな5感を刺激してくれるのが、僕の住む街、鎌倉のDAY TIME。


そして、そんな条件が揃った日には必ず、お気に入りのお店の特等席で仲間たちとおしゃべりしながら

時間を過ごします。というわけで、今日はこのメンバーで七里ガ浜に、あのパンケーキを食べに行ってきました!


連れて行ったみんなも揃って大喜びだったBillsのパンケーキをほおばりながら、話は共通の雑誌トーク、

そしてスピリチュアル系トークに。これだけ5感を刺激されるシチュエーションでのトークですから、お互いの

パワー交換量もかなりUP! いやぁ~。アガる、アガる!!

ぐんぢ姉さんは、もともとパワースポットならぬパワーウーマンなお方(僕のことを元気にしてくれるアゲ力のある人なんです)。酸素ボンベ持参でのお茶タイムでしたが(笑)、盛り上がりすぎて帰るころはすっかり夜でした三日月


――というのが、先週末土曜日のお話。

タイトルは、「DIALOG IN THE LIGHT」。


先日経験したばかりの「DIALOG IN THE DARK」の後だっただけに、

5感がフルチューンナップされていた中での最高のおしゃべりTIMEでした。


ここで、人と人とのお喋りについて、BACCiの思うことを・・・・・・。


愚痴や悪口を吐き出すことで、吐き出した人はスッキリとするでしょう。

でも、聞かされたほうはうんざり。パワーダウンです。

みなさんも、「なんかこの人と会うと、エネルギーを吸い取られる気がする」なんて人、いません?

あと逆に、「この人とお喋りすると元気になるんだよね」という人も。

望むべきはもちろん後者なんだけど、問題は、そのときに相手に対して同じように自分もポジティブな

パワーをアゲられているかどうか、なんですよね。

お互いがお互いの言葉で反応しあって、ポジティブな方向にパワーUPする。

なんといってもこれが理想の人間関係(おしゃべり関係)です。

そして、そんな素敵なパワートークに欠かせないのが、

じつは今日みたいなパワーシチュエーションなんです。

これから素敵な秋という季節の到来です。


みなさんも天気予報、ちゃんとチェックしてトーク日和の日にはちょこっと遠出して、

素敵な仲間と、5感をフルに開放した「DIALOG IN THE LIGHT」、してみてくださいね~ニコニコ

もう45分が経過しているとアテンドから聞かされ、僕は驚いた。

まだ20分程度しかたっていないと思っていたのに、その特殊な環境下での濃密な時間の経過は、

僕の体内時計をおおきく狂わすほどのものだった。


その場所は完全なる暗闇の中だった。そこに参加者である僕たちは身を沈ませ、

盲目の人が持つ白杖を持つ右手、そして周囲の障害物を察知する左手、

あとは己の嗅覚、匂い、感じる気配、声と音の距離――。

それらをたよりにして、僕たち7人のクルーは、45分間の「完全なる暗闇の中の旅」へと出た。

思えば1年越しの念願かなって参加となった。

もともとドイツのジャーナリストが考案したというこの「DIALOG IN THE DARK」。前回に国内で開催されたときには行きそびれてしまい、ようやく回ってきた今回の日本公演のチャンス。ヨーロッパを中心にすでに世界25カ国以上で開催されている体験型のワークショップ。


先にも軽く触れたけど、7~9人のクルーでグループを共にする。


そこには、道先案内人というべき存在の“アテンド”がいて、「どうぞこちらです」というように最低限の案内を僕たち参加者にしてくれるのだけど、じつはそのアテンドの方々は全員、盲目の方々なのだ・・・。


ふだんは気づかなかったであろう足元を踏みしめる草木の感触、匂い、川のせせらぎ。


遠くのほうでは、鳥のさえずりも聞こえる。

やがて、そっとやさしく頬をなでつける風の存在。


僕たちは、その視覚以外のすべての感覚を開放した状態で、

その暗闇の中の空間を進んでいく。ふだんほとんどを視覚に頼って生きている僕たちにとっては、

まったく新しい未知の世界――。


そして、やがてアテンドのエスコートで、森の中のあるバーに僕たちは辿り着く。

ビール、ワイン、リンゴジュース・・・など、お好みの飲み物をそれぞれがオーダー。

今度は味覚と、温度を体験することになる。


そして、そこで僕たちは暗闇の中、おたがいがいままでに感じたこと、発見したこと、

などをお互いに語りだす。顔も見えない、お互いの気配だけでここまでやってきた僕たちのチーム。

DIALOG IN THE DARK ――暗闇の中での対話。


非常に有意義で濃密な対話がそこにはありました。



いま、僕は病気のため健康だったころにはあたりまえにできていたことが、

どんどんできなくなってきています。


歩くことも、途中で何度か休憩をとり、呼吸をととのえなくてはなりません。

そして、話すことも以前にくらべてどんどん難しくなっていきています。

呼吸苦をともなうので、以前のような人との対話は難しくなってきています。


じつは、BLOGをはじめた理由として、そのことも大きいのです。


呼吸が苦しくなって、しゃべることができなくなっても、

僕には書くことができる・・・。



そして今回参加した「DIALOG IN THE DARK」。

ふだんの生活の中でほとんどの感覚を頼っているといってもよいくらいの「視覚」を完全に奪った

状態での貴重な経験は、今の自分には非常に有意義なものでした。


目が見えないことは確かに、不便です。


しかし、人間には「見る」ことだけではない、貴重な感性がたくさんあり、そこを研ぎ澄ませることで

さらに大きな自由を得られるような、そんな気がしました。


末期の肺がんを患っているという状況を説明し、それにたいして非常に真摯に対応してくださった

代表の金井さん、そして特別に僕のためにアテンドについてくださった松村さん。

このおふたりのご好意には本当に感謝しております。ありがとうございました。





当たり前のことですが、この「DIALOG IN THE DARK」は体験することでしか感じることはできません。


そして、このすばらしい体験型のイベントを、もっとより多くの人に実際に体験していただき、

新たなる自分の発見、人間の持つ五感のさらなる可能性を高めるキッカケになることを心より願います。


チケットはもちろん完売しているのですが、運がよければ、キャンセル待ちで体験ができるかも!


http://www.dialoginthedark.com/


スピリチュアル・ヒーリング・・・。

簡単に言うと、手をかざして行うあの日本にも古くからある手かざし療法のこと。

レイキ・ヒーリングなどといったりもしますが、気孔とはまたちょっと違うようです

(注:某宗教はこのパフォーマンスによって多くの信者を獲得していると伺いますが、手かざし=その宗派とは限りませんのでご注意ください。)


そのためもあってか、多くの人はスピリチュアル・ヒーリングに対して懐疑的であると思います。

しかし、これがまたきちんと調べてみる実に歴史のある古くからの療法なんですね。

まず、悪い部分に対して手を当てる、ということをすなわち「お掌あて」といい、それがその後の手当てするという言葉になった・・・という説があります。つまり、現在のように聴診器もレントゲンもなにもない時代は、手をあてること・・・このことですべてを感じ取っていたのではないでしょうか?


ところが、ヒーリングの歴史が古いイギリスなどではすでに国に認められていて、医師と同じようにヒーラーの方も普通に開業しているのだそうです。そしてもちろん、健康保険も適用になるのだそうです

ただし西洋医学のほうでは現在の症状についてやそれにともなう治療がほどこされるのに対し、あくまでヒーリングはその人の“生命エネルギー”に働きかけるものですから、根本からして違うようです。


そして、僕も今定期的に通っているヒーラーの先生がいらっしゃいます。

先日書き込みをしてくださったnicoさんのご紹介のH先生といいます。

60代半ばの、非常に癒しオーラの溢れるお方で、僕の場合ははじめて伺ったときに背中を一通りさすっただけで、腫瘍の場所と状態をすべて言い当てられました。


日本全国をを回って“お掌あて”をされちらっしゃるかたなのですが、それからというもの、

毎回東京の方にいらっしゃらる機会があるときにはお願いしています。

(これもまたなんという偶然なのか、僕の通っている東京の病院の、隣のホテルでその先生のヒーリングも

行われているのです。これも大きなお導きでしょう。感謝です!!)


数回のヒーリングで、

劇的に腫瘍が消える、なんていう奇跡は起こりません。


ただ、本質的な生命エネルギーに対して働きかける、

特別はお力がこのH先生にはあるように信じてなりません。


そして、これは僕の治療ポリシーなのですが、

あくまで“他力本願”ではなく“自力本願”。


僕は大いなる宇宙存在のエネルギーを信じてはいます。

が、そこにただただお願いしっぱなしなのではなく、僕自身に大きな力を与えてもらい、

それをどれだけ高めるか――。もしくは、その大いなる宇宙存在とコネクトすることで、

どれだけ自分自身のエネルギーを高めていくことができるのかするか――?

その点においてはやはり自力“自力”のなせるもの・・・・・

もしかしたらそれは“強くて激しい思い”のようなものなのかもしれませんが。


――そんな風に思っています。

(そういった意味で、「コレを買えば救われる」的なキャッチコピーを簡単に打ち出すしている

宗教などにたいしては僕はまっこうから否定的です)


――とまあ、これは自分なりに様々な本を読んだり話を聞いたりしていまのところゆきついた考えです。

自分でも、まだまだ最終的には考えがまとまっていません。


もしもなにか感じるようなことがありましたら、

みなさまのご意見も頂戴したく思います。





本日は、すがすがしい秋晴れですにひひ

AM 8:30 西新宿東京医科大学病院前にて。

入院以来、4日ぶりに今日は外の空気を吸うことができました!