こんにちは。お花で心を豊かに育むセラピスト花育士のあーこです。
先日、
「悩みがないという人はいないですよね?」
「ひどいことをされても、目の前の人をよい人と思う努力をすることは悪いことでしょうか?」
というようなお話がありました。
ここではよい人を、
※良い・・・ほかの人より優れていること
※善い・・・道徳的に正しいということ
とします。
私も日々人間関係での悩みは尽きません。
そしてそれは一生続くものだということを
たぶん無意識に誰もが理解していることだと思います。
ただ、それを自分がどう扱うか。
どのように受け入れるかで、世界への見方が変わり、世界(運命)が変わっていきます
「価値観の多様化」や「常識は人によって違う」
などという言葉によって、人のズルさや嫉妬、不条理や不合理なことに苦しんでいる方が年々多くなっているように思います。
謙虚さが美徳とされていた時代からは程遠いのだろう、と思うような人と人とのつながり。
なにをそんなに意固地になって、他人を支配したがるのだろう?
このまま思いやりのない人が増えていったらどうなるのだろう?
ニュースで、普天間に強行的に違法に土砂を流し込む政府の対応や、フランスの暴徒化したデモ隊が歴史建造物を破壊した光景を見て、思いました。
沖縄の青い唯一無二の美しい海。
汚してしまったら、二度と、取り戻すことはできない。
過ちを教え、人の願いを受け継いできた宝を壊してしまったら・・・・
歴史は、繰り返す。
何度でも。
物事のほとんどは、本来は他人からの共感も賞賛も必要としないものです。
それは時に、結果としてついてくるものでありますが、私たちが正しい、善いこととして徳を積むことは人の目に触れないことがほとんどです。
それは真実を追究することであり、真実に生きることであり、個の枠組みを超えて達成されるべきことだからです。
(集合的無意識)
だから、思いが通じなくても、ひどい目にあったとしても、目の前の人のことを「愛する」ということは、とても尊いことなのです。
いつかは忘れるすべてのことに対して意識を向けることは、なんて無意味なことでしょう。
でも、私たちの想い、善きこと、徳は必ず後世に紡がれていきます。
「ひどい事をしてくる人のよいところを探さなくていい」とアドバイスする方もいらっしゃいます。
でも、もしそのアドバイスに違和感を覚えるのであれば、それはあなたの魂が望まないことである、ということ。
それはもしかしたら、あなたのとっておきの武器であるかもしれないから。
大切にしてほしいと思っています
あなたは、あなたにとっての、
最善のことを成せばいいのです。
お花サロンLa Flore
心理カウンセリング・セラピーやってます
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