存在価値 | ワシピ

存在価値

今は試練の時なのか?

今日もニュースでやっていた、完全失業率が最低を記録したって。
いやぁ~ん、完全失業率のパーセンテージに私も含まれてるやん!

のんびり屋の私でさえも、最近焦りを隠せなくなってきた。マジ、どうしよう!

だから最近よく考える。

「自分の存在価値はどこにあるんだろう」って。

仕事を離れ、家で家族のために家事をこなしている時でも感じていた事。
姉、母が仕事に出かけるのを見送る、「行ってらっしゃ~い!気を付けてね」
今までバリバリ(?)と仕事をこなしていた私にとって、
家族を見送った後の静けさは“社会に取り残された”感を抱いていた。
何だか必要とされていない気がしていた。

だから必死で家庭内の事をこなしたつもりだ。
弁当作ったり、掃除洗濯、いろいろと。
家に居る自分を認めてもらうには、それをしなければいけないような気がしていたからだ。
結局、そうする事で自分自身の存在を認めてもらおうと努力をしていた。

確かに、仕事を離れた直後はのんびりすることも少なからず望んでいた。結構今までがんばってきたからだ。
その時は「頑張ってきた」って自負していたけど、他の人に比べたらそんな事あまっちょろかったんじゃないかって最近思うようになってきた。
そんな気持ちが湧いてきたのも、社会と自分との接点時間がひらきすぎたからだと思っている。
今までの自分の実績がだんだんと色褪せ記憶の彼方しまいこまれていってるからだ。
自分の存在価値が薄れているのではないかという不安な気持ちは、今、俄然強さを増してきている

私は頑張ってきた(つもりだ)。でもそれを認めてくれるのは、その会社や会社関係者だけしかないのである。
赤の他人にとってみれば「そんなの知ったこっちゃねぇ」っていうのが正直な答えであろう。

そりゃそうだよね。ハハ。

応募に落ちるたびに自分の価値が下がる気がして、只今家事も疎か中だ。すまぬ、家族諸君。。

時は刻一刻と流れて常に変化をしている。私はその流れの中に自分の存在を渇望しているのだ。
それが上手くいかないのは、私の甘い考えを「改めよ!」と、何かしらの神が私に試練を与えているのだと思うことにした。

そうよね、また、明日からがんばるしかないさっ。