佐久平ハーフマラソン。

 

1時間23分36秒(グロス)

 

ハーフマラソンの自己ベストは、2020年1月のはるやまハーフ(はるやまさん、山谷さん、WAKAさん、まなパパさん、自分 の5名。このお歴々の中に自分がいたというのが信じられない)で出した「1時間21分30秒ぐらい」、というもの。

 

なので気分的には自己ベスト更新では無いのだが、ハーフマラソンの大会としてはベストタイムである。拍手。

 

佐久は、中1〜高3という、いわゆる多感な時期を過ごした地。もともと「佐久市ハーフマラソン」というのがあって出たかったのだが、水戸黄門マラソンの1-2週間前に開催されることが多く、「レースは1ヶ月1本」という我が家の掟と、大好きな水戸マラソンを優先させるため、出場が叶わずにいた。

 

コロナ後、「佐久平ハーフマラソン」としてリニューアル、高校時代の通学路だったり、「ここ走ると気持ちいいんだろうな」という道がドンピシャでコースになってたりして、自分的にはめちゃめちゃ魅力的なレースに変わっていた。

 

そして、「今の自分はフルマラソンにまともに挑戦できない→レースには出ない」と数ヶ月前に決め、水戸マラソン出走という道が無くなった結果、今年は心置きなく佐久に出られる、ということに相成った、という顛末。

 

 

さてレース。

4時半に起き、ラグビー(南アvsイングランド)を見ながら便意の到来を待つ。これはフルやトレイルに出ていた頃と同じ。で、こういう日に限ってなかなか到来しないのも同じ。。ラグビーは南アがリードされ、うんこは「出るには出たがこれは今日でる分じゃねえな」という、どちらもスッキリしないままの出発を余儀なくされる。

 

佐久平までは大宮から新幹線。旅費はアレですが近いですよ皆さん。

会場に着いても規模がこじんまりしていて、のんびり準備。運営も手際よく行なってくださり感謝。トイレは並んでいるもののほんのちょっと走れば公園のトイレが空いていて無問題。

 

そして、何より、天気が!!!

昨年の菅平トレイルに並ぶ絶好のコンディション。快晴。ピーカン。澄み渡り。菅平は暑かったけど、今日は気温6度、「ランニング人生最高」の称号を冠するに躊躇は無い。浅間山も蓼科山も、山の陰影や色付きまでくっきりわかる。コースからの眺めが楽しみで仕方ない。

スタート前の、地元の小学生?によるチアダンスパフォーマンスの曲が、「信濃の国(トランスver.)」であることに信州の矜持を感じつつ、号砲。

 

レースプランなるものは考えておらず。3週間前の高島平ハーフで88分近くかかってしまったが、1週間前に10km走やってみたらほぼ3'50で押し切れたという状態。そもそも、「目標に向けて計画的に積み上げる」ということが全然出来ていないので、「行けるペースで行けるところまで」という粗っぽいものしかない。

先述の非公認自己ベスト切れたら超good、レースベスト切るのをマスト(84分台でOK)、くらいのイメージ。とにかく、フォームに気をつけて(「姿勢、拇指球、リラックス」)気持ちよく。

 

出だし1kmが3'55、5kmが19'35=㌔355と、ペースというかリズムは悪くない。一方最初は下り基調だというのは頭に入っていて、それでこのタイムだと、この先の2度の急坂など考えるとどうなるかな…という状態。

 

5km過ぎ、ちょいちょい謎の痛みが起こる右腿付け根にいつもの痛みが来る。ひどくならないと良いが…という不安。7kmあたり、旧浅科村、中山道宿場のあたりから最初の急坂。リズムを崩さないようにとだけ考えて進む。上りになったことで腿の引き伸ばされる感じの痛みが和らいでそこはプラス。

上りでだいぶ息が上がるが、心拍計は162とかそんな感じ。ただ、この心拍帯で粘る練習を殆どしていないので、とてもきつく感じてしまう。

 

平地になり、ここで楽をしてしまった感じに。心拍は150くらいに下がるがスピードもこの辺はログを見ると400-410となっている。5-10kmは20'31=㌔406。登り坂を差し引いても、ちょっと物足りない。

 

ただ、10km手前で女子1位選手に抜かれたのだが、この方のリズムがとても良く、加えて、この方を目印に数名の集団が出来たので、少し置いて追わせてもらうことにする。おかげでペース回復、ただそれでも、10-15kmは19'28 で期待ほど上がらない。

 

なお、10km手前〜13km辺りは、自分の高校時代の通学路(原チャリ)とも重なり、より懐かしさが増した。当時の彼女とずーっとしゃべってた場所だったり、部活帰りに寄った中華屋さん「千里」(チャーハンが絶品!)がまだやっていたりと、おお、と思う場所が幾つかあったが、思い出に浸るほどの余裕は無い。

 

ただ、快晴の青空を背景にくっきりと聳える浅間山・蓼科山、これは目に焼き付けとこうと思って、ちょいちょい山に目をやりながら走っていた。この景色がなければもうちょいへばっていたかも。

 

我が母校の校歌は

 「北方に浅間火の山/南方に八ツの群峰/千曲川うねり流るる/むらさきの佐久の高原」という歌詞なのだが、まさにその中をゆくという状態。6年間(コースに限れば高校時代の3年間)毎日のように眺めていた景色だが、こうして少し違った角度から違ったシチュエーションで眺めることで、なんかこう、改めて絶賛したくなる景色だなと。絶景絶賛。全国数多あるレースの殆どを知らないが、それでも、このコースの風光明媚度は間違いなく上位入賞レベルな筈である。密かに捨てていない「実家ペンション計画」が成ったら、佐久平ハーフマラソンプランを目玉にしよう、とか考えながら走る(余裕無いとかいって結構余計なことを考えていたのだな…)。

 

終盤5kmは、急坂+序盤の下り基調の反対=上り基調、ってことは分かっていて覚悟はしていたが、思っていたより傾斜は感じず。なんかむしろ、下り基調より上り基調の方がリズムが作りやすい気すらする。相変わらず視界には女子1位選手+数名がいてリズムをキープさせて頂く。

 

20km地点、この5km20'03、まあ仕方ないべ、というよりむしろ思ったより落ち込みは少ない。詳しい数字忘れてしまったが、あとゴールまで㌔4で行けば83分台で入れるという計算が立つ。最後まで登り基調なので、ひとムチ入れて前を抜く。最後の約1.1kmは4'01、㌔340くらいに。これは2019年、フルで自己ベスト連発してたときのつくばやはが路のラスト2.195kmとほぼ同じ。

 

そのままゴール。無事83分台で、ハーフのレースとしては自己ベストだが、前述の通り、3年前の自分にはまだ2分ほど及ばず少々物足りない感が残る。でも、今日のところは景色をはじめ、自分の大好きな地の景色や空気を目一杯享受することが一番の目的だったので、その意味では目標達成率は120%か。

 

 

で、走り終えて、改めて思ったのは「今の自分にはハーフマラソンが丁度良い」ということである。

丁度良い、というのにはいろんな含意があって、勿論距離的なものもそうなのだが、目標として、生活に張りを与えるものとして、と考えたときの「丁度」というものも大きい。

 

たとえば「フルマラソンで自己ベスト」を目指すには、現在の生活においてはどうしても無理が生じる。トレイルも然り。…というか「無理してでも目指そう」という気持ちになれないのが現状で、その中で「1度目指してたのを投げ出し、しかも周りの仲間がどんどん記録を伸ばしている中で…」という悶々感を抜け出せない時期も結構長く、その中でツギハギだらけの練習でフルに挑戦してサブ3も達成出来ずさらに凹む…みたいな感じになっていた。

 

かたや、ハーフマラソンであれば、現在の生活の中でのやりくり、工夫で、目標を目指すことはできるし、これは「やろう、やってみたい」という気持ちにもなる。せちがらい話であるが、ハーフなら「大会に出てそのまま出勤」ということもできるし(昨年光が丘で実証済)、今の生活との両立幅がかなり増える。

「背伸びして手が届く辺りを"丁度"という」とは、新卒から数年勤めた会社で得た学びであるが、ハーフマラソンは、今の自分にはそれこそ「ギフト」と呼んでも良いハードルだと言える。

 

(…そもそも、無理してハードル設けなきゃいいじゃん、という向きもあるかもしれないが、ランニングに出会って、「ハードルを設けてPDCAを回し、自分が変化していく」という楽しみを知ってしまった以上、それを辞めるのはあまりにもつまらないし、生活に張りを生み、生活を律してくれるものとして、ランニングが良きパートナーであることに変わりはない)

 

 

といいつつ、こっから繁忙期に入るので一旦地下に潜りつついろんな工夫を重ね、年明け、守谷と光が丘に出走予定。ここで願わくば80分を切ることを自分にとっての良きハードルとして、ほそぼそと取り組みを楽しんで行きたい。

 

 

それにしても、本当に、本当に気持ちの良いレースだった。

このまま死んでしまうんじゃないか、というくらい完全無欠の時空間だった。

 

というわけで今日のまとめ。

 

「佐久平を走って死ね」

 

(参考:「はが路に出てから死ね」 「ナポリを見て死ね」)

 

4月以降の月間走行距離を並べてみる。

 

4月:175km

5月:111km

6月:165km

 

なかなか波に乗れない。

ツイッターでちょいちょい呪詛の呟きをしていたが、3月以降左足首を4回グネるという、間抜けでしかないけど笑えない事態が続いている。元々ちょっと捻りやすい傾向はあったが、こんなことは初めて。

 

整骨院のエコーで見たところ「とにかく靭帯がユルユルな状態」と言われた。後述する6月後半からの約3週間のノーランデイズを経ても、いまだに痛みが取れない。まあうまく付き合っていくしかない。

 

今回、これと並行して厄介なのが腰痛。足首との因果関係はよく分からず、いくつかそれっぽい説には当たってるのだが、とにかく4月に捻った時から同時発症。

 

腰はこの40余年全く平穏無事だっただけに、どうしていいか分からない。有効な手を打てぬまま、ついに6月後半にギックリ腰(多分)を併発。近所の整形外科に飛び込んでことなきを得たが、まあ、なかなか憂鬱な状態であった。

 

プラスの要素としては、レントゲンを撮った際に「背骨、骨盤、仙骨周りはきれい。歪みもヘルニアもない」と言われたこと。じゃあちゃんと治せば治るんだな、と、ちょっと安心はしている。

 

ちなみに腰については、足首との因果関係よりも、育児による蓄積疲労の方がでかいと見ている。上の子は女の子でおとなしかったが、下のボウズは散歩しててもチョロチョロチョロチョロするしすぐ叫ぶし……「貴様何をする!」と咄嗟に上体の力だけで12kgを持ち上げる、という局面が増えたことと無関係ではあるまい。こういう弱音は吐きたくないが、40過ぎての育児は想像以上に辛かった、と。

 

身体を取り巻く現状はこんな感じなのだが、とはいえ正直、致命的な怪我故障ではない。理由は色々あれど、このくらい周囲の方々も何かしら抱えているものと考える。

 

 

 

しかし。

6月〜7月前半、ランニングどころじゃないもう一つのメランコリーに直面していたのである。

 

 

 

 

転職活動である。

 

 

 

 

…あれ、去年転職したとか言ってなかったっけ?と思った方もいらっしゃるだろう。そう、昨年3月、黒企業から足を洗い転職、ツイッターでも報告し、その後それなりに新たな白い日々を送っていた。

 

しかし!

コロナで!

業績が!

…というわけで、希望退職募集や退職勧奨と、会社が次々繰り出す一撃から免れ得ず。。まあ、コロナのせいだけじゃないと思うんだけど…とか色々言っても仕方ない。自分に先見の明が無かったと諦めるしかない。好きな会社だったのに。

 

しかし我が身にこんなことが降り掛かるとはなあ。

8年前「癌ですよ、しかも転移しててそこそこヤバいですよ」と言われた時も同じように思ったが、今回も「まさか」という感じ。

「人生には3つの坂があります。上り坂、下り坂、まさか」とかいうじじいのスピーチみたいな展開じゃないか、くそ。3つの坂でも3つの袋でも何でもいいから頼むよほんと。

 

 

 

とにかく嘆いていてもしようがない。転職活動は3回目、但し6月半ばから休業扱いになったため今回は転職活動に専念できるという、今までに無い強み(?)がある。

 

背水の陣、という気持ちはあったし、色々状況が厳しい事は百も承知。そして我が最良のアドバイザーにして最凶の優秀な鬼教官である妻からは、「死ぬ気でやってね」と一言。

 

失敗は許されない。やるしかない。一丁やったろ、と開き直って活動開始。

(とはいえツイッターで報告するほどの余裕は無かった)

 

活動1週目は、そうは言っても時間に余裕ができたので走ってはいた。しかし、2週目に入り実際に面接が始まるのと、前述のギックリ腰が重なり、そこからは心身ともに全く余裕を失い、ランニングは頭から完全に追い出されることに。書類の通過率が予想を遥かに上回ったこともあり、夢の中でも面接をこなすぐらいには転職活動に没頭したのであった。

 

 

 

幸いなことに、活動局面は7月に入って自分でもびっくりな展開を迎え、最終的には過程の納得度も条件面も、自分としては満貫もとい満点に近い内容で終了。最凶の最愛の妻も、相好を崩して喜んでくれたので、良かったなと。

 

時間が遅いとか土曜が休みじゃなくなるとかそういうのはあるけど(昼出勤なので朝練は出来る)、まあ、これまで重ねてきたキャリアを評価頂き活かせそうという意味ではそうしたデメリットも含めて良しとしている。

 

 

 

というわけで8月2日から再スタート、今は少し早い夏休み、みたいな平和な状態にある。

 

無事に終わったから言えることだが、前回転職後は、月残業20h以下、土日完休、2/3くらいリモートという、それまでに比べると夢のような環境だったので、まあ育児休暇のようなものだったねと、妻と笑い合っている。息子の、もしかすると一番かわいい時期にべったり一緒にいられたのは、確かに天からのギフトのようにも思える。

 

また、今回の転職活動で、以前お世話になったCAさんにまたお世話になったのだが、「この1年があって良かったと思いますよ、前線に戻ってたからですかね、なんか表情も話しぶりもイキイキしてる」と仰って頂けた。まあリップサービスも入ってるとは思うけど、無駄じゃなかったと第三者から言われるのは、ちょっと嬉しかったりする。何れにしても人間万事塞翁馬である(だから今回も浮かれずに臨まないと)。

 

 

 

ランニングも細々と再開している。

新生活になると、また生活リズムが掴みづらくなって練習量は減るだろうが、そうは言っても10月終わりの水戸黄門マラソンをターゲットに何とかある程度までは戻し、12月のはが路ふれあいマラソンで…という算段だったのだが、つい先日家族旅行から帰り久々にツイッターを見たところ、はるやまさんから残念な事実を教えて頂き凹んでいるところである。

 

まあこちらも塞翁馬で、焦るな、ということなのかもしれない。情勢はもちろんだが、新生活も育児も足腰もまだまだ予断を許さぬ展開は待っていそうなので、とにかく今は日々最善を尽くし、「いざ鎌倉」となった時にしっかり身体が動くよう、自分なりに研いでおく所存である。

 

 

 

ということで、あと2週間の夏休み、家のことや準備も色々やらなきゃだが、有意義に過ごしたい。そういえば4月の誕生日プレゼントに頂いた「1日山に行く権利」もまだ使ってないな……

左ハムをやらかしてから2週間。

ようやく、ほぼ脚を引き摺らずに歩けるようになってきた。

ただ、違和感はめちゃめちゃあって、そもそも普通に座ると患部が押されて痛いし、ちょっとでもテンションがかかるとピリッとくるから怖い。夜中に変に寝返り打って痛くて目が覚めることはしばしばあるし、走るのはまだ考えられない。

 

さらには、受傷後1週間はあまりみられなかった内出血が、ここに来て広く濃く浮き上がってきた。内出血箇所は患部より下なのだが、ここ数日は患部以外にその内出血箇所も痛いし違和感がある。

さっき色々読み漁っていたら恐ろしくなってきて、細々と再開しようと思っていた筋トレももう少し先延ばしすることにした。

 

まあ、やらかした時の感触からして、これは長引くであろうという覚悟はあり、年内は走れないぐらいのつもりでいたので、そもそもまだ12月にもなっていない今の段階でどうのこうの言う話ではない。大人しくしてろと、それだけである。

 

 

 

実際、のんびり構えるつもりだった。春夏そんなに追い込んでいたわけではないがオフシーズンのつもりで…みたいな感じで、1週間くらいは食べたいお菓子片っ端から食べたりしてゆるゆる過ごしていた。

 

走らない生活というのは楽なもので、何が楽って、睡眠時間が多く取れるのが良い。

そこそこダラダラ過ごしてしまっても、7時間くらいの睡眠はしっかり確保できる。

まあこれは、転職して職場環境が良くなったのと、リモートワークのおかげも大きい。

 

 

 

転職したおかげで労働時間はグッと減ったし上司がクソだとか残業がクソだとかそういう愚痴はほぼ皆無になったが、なかなか持ち場が落ち着かず、今も楽しいながらも結構テンパってはいる。なので、もし怪我が無くてもランニングに集中できていたかどうか…という状態なので、むしろそういう意味ではこの怪我は吉とも言うこともできる。人間万事塞翁馬である。

 

さらに、なんか下の子(間も無く1歳半)が、何というかここ数ヶ月面倒くさい。手が全くかからなかった長女の時とは大違いだ。いや、めちゃめちゃかわいい息子で、毎日頬擦りしてて男同士でラブラブしているのだけど、なんかこう、絶妙なダダコネで妻と私を削ってくるし、夜泣きもわりと多かったりする。

 

それもあって、なかなか走れないんだよね……と言い訳をぶっこきたいのだが、これを許さない存在がいる。みずさんである。

 

 

 

みずさんとは、初めてサブスリーしたタイミングが一緒で(18年古河)、その後もレースや練習でお会いすることも多い。そして、お子さんの年齢が上の子も下の子もほぼ一緒で、下の子は誕生日が確か1ヶ月くらいしか違わないはずだ。それでもみずさんはコンスタントに走り続け、記録も伸ばしておられる。

 

そんなわけで、つい子どもを言い訳にしそうになる時には、いやいやみずさんは今日も走ってるぞ…と自分に鞭を入れているし、他にも育児・ご家庭とランニングのバランスを上手く取っている方はたくさんいらっしゃるので、これは言い訳にならないことはわかっている。グチです。さっきも大泣きしていたのをタカイタカイ連発してねじ伏せた(寝かせた)。ハムは使わないが広背筋あたりが他界しそうだ。ギャグにも切れ味が全く出ない。

 

 

 

えーと、何の話をしていたのだっけ、、、

 

そう、走らない生活の話だ。

走る生活になってからもう6年目になり、こんなにブランクが空くのは久しぶりでちょっと不安もある。

 

不安。治るんかい、という不安は勿論だが、それ以上に、「自分はこの、走らない生活から抜け出すんだろうか」という不安である。「抜け出せるんだろうか」とはちょっと違う。「抜け出すんだろうか」である。

 

 

 

人生35年超、部活とか仕事とかそういうのを除いて、「継続的能動的に打ち込むもの」というものが無い生活を送ってきた。色々あって走り始めた後、何が嬉しかったって「続いている」ということだった。もっと言えば、「続けて楽しいものに出会うことができた」という嬉しさ。だから同時に「これを手放したくはない」という思いが常に頭の片隅にあった。

 

走るのは気持ち良いし、自分の取り組みが分かり易い形でフィードバックされるのは手応えがあるし、自分の身体が変化していくのは面白いし、新たな繋がりにも恵まれたし……と、良いことずくめなら自然に続くだろう、と思う向きもあるかもだが、まあ、正直申し上げると、走らない生活もそれはそれで思ったより楽だな、と思ってしまっている自分がいる。

 

 

 

前項で書いたようなこと…短距離にも挑戦したいし具体的な目標数値もある、ハーフやフルもこのくらいの力は維持したい、トレイルは別腹として取り組みたい、みたいなことは変わっていない。ただ、それらはこの楽な生活から「1日も早く」抜け出す動機としては少々弱い。

 

これが、例えば「今シーズン絶対245!」とかそういう強い目標を持ってシーズンに臨んでいれば、今の心持ちは違っただろう。意地でも早く治して…と思っていたはずだ。ただ、それが良かったのかどうか。変な焦りを感じずに済んでいる、ということにおいては、今シーズンのなんだかふわっとした感じもまた、自分にとっては吉と出ているわけで、やはり塞翁馬だと言える。(まあそもそも、強い目標を持ってシーズンに臨んでいれば、途中で短距離には行かず従って怪我もしなかっただろうという至極真っ当な突っ込みは置いておく)

 

 

 

別に、無理して走ろうとは思わない。無理してやんなきゃいけないことは他にたくさんあって、せめて自分の好きな時間くらい無理とは無縁でいたい。だから、走る気持ちが戻らなかったらそれはそれで仕方ないと思うし、だからこそ「抜け出せるんだろうか」とは思わない。抜け出そうと思わなければ、別に無理して抜け出す必要は無い。

 

じゃあいいじゃん、何が不安なんだとそういうことになるが、そうは言ってもやはり、走らない生活は味気ないなあと思うのである。今の生活がわりと長く続いて、それに慣れてしまうことで自分の中が変節してしまって、走らない日々を再び選ぶ自分が出てこないとも限らず、そんな新たな自分の出現を若干気にしている…とそんなところだろうか。

 

 

 

……ちょっと何を書いているのか分からなくなってきた。まあ、人間暇だとロクなことを考えないので、こうして時間と思考の余計な空白を潰している次第である。前項で「走ることは自分を律する手段だ」などと書いているが、走らなくなることで我が自律の力はかように弱くなってしまっているわけである。

 

 

 

村上春樹の著書に

「(…)日々走り続けることと、意志の強弱との間には、相関関係はそれほどないんじゃないかという気さえする。僕がこうして20年以上も走り続けていられるのは、結局は走ることが性に合っていたからだろう」※1)

という有名な(?)一節がある。この言葉に則れば「性に合っていた」からこそ自分もそれまでの無趣味時代から抜け出したわけだし、まあ、走ることとの相性は悪く無いと自分では思っているので、気楽に構えている自分もいる。

 

もともと、記録がどうの、みたいなモチベーションではなくて、うーんこれはまた話すと長くなるが、病気をした後に、「トレイルランニングこそ、自分の中で著しく損なわれたバランスを取り戻す一番の道だ」と思ったのが、ランニングを始めたきっかけであり目的である。

 

…いや、きっかけとか目的とかでもなくて、やってみた結果、脳も心も身体も喜んだということ。それが自分にとっては大切なことであり、もう一度その辺から見つめ直すのも良いかな、と思っている。

 

 

 

また、これは八田益之さんのツイートからだが、

「長距離はしつこく続けた奴が勝つ。間違ったことを続けた方が正しいことをたまにするより強くなれる。一貫性さえあれば計画は厳守しなくていい。柔軟に」

このへんは、続けて行くにあたって勇気の出るところであるし面白いところでもあると思う。

 

また、「一貫性」の部分を「スタイル」と置き換えると、なんというかこう、「自分の生き方!」みたいなのと紐づいたりもする気がして、走ることに自分なりのストーリー性を入れて楽しむ一助になるように思う。

 

 

 

ちなみにこの一節を読んだ時に、私には自分の師匠のことがピンと思い浮かんだのであったが、どうやら師匠も気づいて下さったようで良かった。

 

そういえば、師匠の語録を纏めるとか言いながら果たせていないので、この期間に編集を試みるのもアリかもしれない。

 

 

 

再び村上の言葉を借りる。

「(…)言い換えれば、走り終えて自分に誇り(或いはそれに似たもの)が持てるかどうか、それが長距離ランナーにとっての大事な基準になる」(※2)

 

以前、この言葉を胸に置いてあるレースを完踏したことがある。完走率23%というなかなかタフなレースだったが、その時の心持ちは今でも思いだすことができるし、未だに僅かながら自分を支えてくれることがある。

 

この言葉は何も、レースだけを指すだけではなく、長いプロセスを含めての言葉だと思っているし、勝手に拡大解釈するならば「長距離」という言葉を外しても当てはまるものだと思っている。

 

 

もう少し続くであろう暇な時間を使って、「誇り、或いはそれに似たもの」についても、考えてみようと思っている。

 

So I start a revolution from my bed ...    (※3) 

 

 

 

《了》

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※1  村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』文藝春秋, 2007, p.66

※2  同, p.22

※3  Oasis  "Don't look back in anger"  ,  1995