今期の冬もまた、わたしは、子どもたちは<織ること>が好きだ、と確信している。

もちろん、そうでない子もいるだろうと思いつつ。しかし、アトリエに来る子たちは基本的に、そう確信させてくれるほど、夢中になる。


$子どもアトリエ×アレクサンダー・テクニーク 風光景

繰り返し繰り返しの連続性と、毛糸のふわふわの触感。

わたしは時折、子どもたちは、なんて真面目で、勤勉なんだろうと驚くことがある。

不真面目な子なんて、いない。

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織物でもうひとつとてもおもしろいのが、色合わせ/取り合わせ/毛糸のくみあわせの選択のしかたが、ほんとうにひとりひとりちがうこと。

同じ毛糸を選んでも、どれくらいの強さで織るか、どのくらいの幅にするか、どの色の次にその色を使うか、…えんえんと小さな細かな選択のかさなりの果てに、<織る>ということがあらわれる。

こんなに身近なところに、無限のくみあわせの選択がある。

触れられる無限があるということ。

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アレクサンダー・テクニークでも、くりかえし感じることだけれど、ひとりひとりの身体のありようや感覚、その認識のしかたや度合いというものはほんとうに異なるものなのだ。

どの方向へ、どのくらいの張りで、どのことのつぎに。

筋感覚と骨構造、内臓、液、神経系 エトセトラ。

身近な無限を織り続ける身体。

不真面目な子どもがいないように、不真面目な身体もない。
きっと。



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