忘れな草を忘れないために。
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大学病院へ。

救急で入院した病院に電話した翌日、
朝一番でタクシーを呼んだ。


その晩、母は救急車じゃないと無理、と言っていたが


救急車では何処の病院に連れて行かれるかわからない


というのが母も私も気になっていた。


で、翌朝、母は気力を振り絞って身支度を整え、タクシーに乗り込んだ。


比較的新しく、設備の調った大学病院。
腕は知らないが、綺麗な院内は気持ちにゆとりを与えてくれると思えた。


とはいえ、さすが大病院。。。


朝一番に行ったものの、
血液検査を済ませ、消化器内科の診察にこぎつけたのは午後になっていた。



自宅療養。。。

退院しても、母は食欲があまりなかった。

日が経てば良くなる、と思っていた。

実際はその逆だった。

胸の右下の痛みが日に日にひどくなり
寝返りさえ打てなくなっていった。

退院したばかりでまた病院に行きたくない。
かかりつけ医もない。


入院していた病院に、電話をした。
聞きたかったことは、ふたつ。


近所の病院に連れて行きたいが、紹介状もない。
今の症状で何が考えられるのか。


「個人情報の関係で電話ではお話できない。」
「紹介状は1週間で送ることができる。」


と言われた。
1週間も待てないから電話している、
それでは、行った先で何と伝えればいいのか?


きつめに伝えたら
入院中に主治医だった女医さんに代わっていただけた。

「病院さえ教えていただければ、紹介状をその病院にすぐ送ります」

という言葉とともに、入院時の所見を教えていただいた。


「炎症値は高くなく、たんのう炎ではないだろう。」
「不確かな状態で申し上げるのもなんですが、悪性のものが原因であると考えられます。」


悪性、という言葉。
父のことがかぶった。


次は母なのか?


そのことを母には言わなかったが、
精神的に相当動揺をした。







入院。

病院に着いた。
広い部屋のベッドのひとつに、母は点滴をして横たわっていた。


胃が痛み、何度も吐いたという。


ほどなくして、お医者さんがいらした。
若い女医さんだった。


テキパキとした口調で


吐き気と下痢が一緒にきてないので食あたりではない。
食後30分頃に調子が悪くなったので急性胃炎だろう。


と説明された。


検査とかしなくていいんでしょうか?


と聞くと


検査とは?


と即効、聞き返された。


胃カメラとか。。。


その言い方に驚きながら聞くと、

必要ない、
年齢的に受けてもいいかもしれないけど。

とサバサバ返された。


サバサバしている先生も
ざっくばらん、な話し方をする先生も
いらして当然だと思う。


しかし、この若い女医さんは
そのサバサバさと上から目線を取り違えているように思えた。


とにかくその感じ悪い女医さんがおっしゃるには
点滴済んで落ち着いたら帰宅してもいい、とのこと。


しかし真夜中で遠方。
とりあえず入院させていただいた。


嘔吐をしたので
個室入院を依頼された。



そして。お水や歯ブラシ、コップなどを持って駆けつけてくれた叔母は帰り、


彼はタクシーでカプセルホテルに泊まった。

私は部屋に泊まらせていただいた。


結局、母は5日間入院した。
その間、私がお医者さんにお会いすることはなかった。


胃の右側が痛い、
と、入院中に担当していただいた先生に伝えたようだ。


胆石はありますか?


と聞かれ

検査をしたことがない、
という話をしたまま。
特に何もなく退院をした。

突然の電話。




まだ関東に桜が残っていた週末。
何時もの様に、彼の家に帰っていた。


変わり映えのしない手抜きのお夕飯を食べ、
彼が珍しく3本目の缶ビールに手を伸ばした頃、
見知らぬ携帯からの電話が鳴った。


母、だった。

母は携帯を持っていない。


途切れ途切れの内容を要約すると



出先の帰りに具合が悪くなった。
食べ過ぎたかもしれない。
今、薬局でお世話になり、携帯をお借りした。
これから救急車を呼んでもらう。


電話が途切れたので、
彼が慌てて、休ませていただいている、と思われる薬局を調べ連絡をした。


そして、
遠方なのでこれから家を出ること。
救急隊員の方にこちらの携帯を伝えて彼と家を出た。



途中、救急隊員の方から病院名の連絡があった。
母とも代わっていただいた。
昔むかし、今は亡き祖父が入院したことがある病院だった。


途中、叔母から『家に電話しても出ない』と連絡があり事情を話した。


病院が近いので、叔母も向かうことになった。


法事。

再建の翌週は
父の一周忌と、祖母の三十三回忌だった。


予想通りの快晴。


彼の車で母と3人、お寺へ。


父方の兄弟と従姉2人。
母方の兄弟。

10人くらい集まって
お経をあげていただいた。


当初、お坊様は

一周忌は特別。
時間をあけて、祖母とは別々にお経をあげましょう。

と、おっしゃったそうだ。


でも結局は、一緒に、丁寧にあげていただいた。

父は祖母か大好きだった様子だから、
それが良かったと思えた。



その後、お寺の一室をお借りして皆で食事。


こんなことでもなければ、集まる機会もなく。
成長してから、従姉弟や伯父達ともお話することもなかった。



三回忌も私達(母、彼、私)だけではなく、また皆でやろうかしら。。。
皆で集まる機会もないし。


法事後、母が言った。



複雑な心境。



もともと父の法事をしながらも

父が死んだ、

て言葉にしっくりこない。
その時点で十分複雑な心境ではある。



心の中で生き続けています。



なんてよく耳にする、安っぽく感じていた言葉が、
一番近いのかもしれない。


再建手術 3

222手術当日。


朝一番で、母と彼が到着。


その後、先生が部屋にいらっしゃった。
昨日、助手の先生?がペンで書いた線を微調整。

あまりの微調整さに、先生のプロ意識が垣間見た気がした。


その後、時間になって手術室へ。
本当なら看護士さんと身内で向かう。。
が、今回はたまたま先生もいらっしゃった。


緊張していますか?
今回は侵襲も少ないし大丈夫ですよ。


そう、声をかけていただいた。


手術室でも。
麻酔がかかる直前に声をかけて軽く握手。


その言葉や行動は
患者に安心を与えられる。


そういうことも含めて医師の仕事なのかもしれない。
つくづく大変なお仕事だと感じる。




手術後、軽い吐き気に一度襲われた。

乳腺外科の先生が傷を見に来て下さった。

明日退院ですけど、痛みって明日には引くんですよね?

とうかがったら

明日には引きません。
異物ですから。


とのお返事。
何となく予想していたもののがっかり。


夜、看護士さんに手伝っていただいてベッドから起き上がる。

そして、部屋の中のみ歩き回る許可をいただいた。


翌朝、形成の先生に傷を確認していただき退院。

彼と母が迎えにきてくれた。


術後の吐き気以外は
さほどきつくなかったかもしれない。
これが、手術慣れだとしたら少し悲しい。

再建手術 2

入院当日。


母と病院へ。


入院の手続きを終え。
外来へ。
担当の先生が休診日なので別の先生のもとへ。


「3キロ体重が増減すると、せっかくシリコン入れても体型が変わってしまうからね」
「乳腺の先生はあまり太らないように、て言うかもしれないけど、もう少し太ってもいい」


とおっしゃった。



まあ、そうなんです。
太りたいんです。


担当の先生よりご年配だからか、性格か、色々とはっきりしたおっしゃりようが面白かった。




夕方近くに麻酔科の先生が病室へ。

当日に担当される先生ではないとのこと。

手術後に気持ち悪くなるのが嫌で憂鬱です。

と伝えたら


「そういうことが知りたかった」
「麻酔は年々よくなっているから大丈夫」
「今回の手術は侵襲が少ないから痛み止めの使用料が違う。
その分、負担は少ないという言い方もできる」


という話をしていただいた。


再建手術 1

2月。
正直、もう4度目の手術室なんて行きたくなかった。


前日の下剤も。
麻酔の染みる注射も。
尿のカテーテルも。
術後の寝たきり状態も。
吐き気に怯えることも。



何もかも。もう、うんざりだった。

でもエキスパンダーを入れっぱなしにするわけにも行かない。

結局、選択肢はないのだから
直前まで考えないようにしていた。




読書時間。

再建手術で3日間入院した。

しか初個室。

少し寂しさもあるけれど
読書がはかどるから良しとしないと。

そしてこういう時は
気持ちを上げてくれるか、
穏やかにしてくれそうなものを選ぶ。





松浦弥太郎『今日もていねいに。』
有川浩『三匹のおっさん』


松浦弥太郎さんの随筆は初めて。
全然出来ていないな、私、と思わせられる。


例えば、人に与える気持ちとか。
例えば、ひとり時間の過ごし方とか。


編集長をされている雑誌
「暮らしの手帖」も今度、手にとってみよう。


有川浩さんは図書館戦争の時くらい、夢中になれたらいいな。

餃子会。




友人のお宅に集まって餃子づくり。

嬉し恥ずか初餃子づくり。

しかも挽きたての豚肉、
皮から作成となればテンションあがっちゃう!




色んな表情の餃子が完成!




焼けてもそれぞれ。

味はどれも皮がモチモチで美味しい♪
手作りの良さが出ていた。


ほかにも、カレー、ちまき、チョレギサラダ、
などなど色々出していただいてお腹いっぱい!





皆と手土産で持参したラメゾンのタルト。
こちらはどうにか別腹で収まった。



再建手術を控えた私の都合に合わせていただいて感謝。


にも関わらず
お借りしたエプロンを洗わずに置いてきてしまったり。
手土産をなくしたり。
皆が協力しない瞬間に苛々したり。


反省もひとしきり。
これが俗に言う?タモブレイン等だとは。。。考えないようにしないとね!



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