創価学会の家に生まれてー私は母の跡目を継ぐ奴隷として教育されていました

創価学会の家に生まれてー私は母の跡目を継ぐ奴隷として教育されていました

創価学会の家に生まれたけど、ずっと本当のことが言えなかった。だって、うちの家は誰にも理解ができないくらい狂った家族の集まりだったから。学会に恨みはないけど、母を殺し私の全てを奪った伯母と従姉が許せない

テーマ カテゴリも含め、少しサイト内のリニューアルを致しました


私の場合、外の世界との繋がりを遮断されて育ったので、同級生にも学会二世はいたけど、あきらかに私だけ違う世界で生きていました。


だからずっと誰にも本当の事が言えなかったので、この場をお借りして、自分と同じような立場で苦しんでいる人と繋がれたらいいなと思います。


創価学会の二世としての嫌な目にあったことや、

ずっと虐待や虐めにあってきたこと、11歳で母を殺されもう逃げられなくなった

15歳から借金を背負わされて30歳くらいまで奴隷扱いされていた。


必死に自分の事を隠して生きている私を見た世間は人達は 「あんた苦労していないお嬢さんでしょ」と…… 凄く傷ついた。


同じ学会二世の子たちの家は、私からすれば【まともな家

両親も兄妹もいて、ふつうに家族やってる子たちばかり、そういう子が、私の事を妬んでずっと、成人を過ぎても虐められた。

「私なんかのどこに羨む理由があるというんだろう……」


書ききれないことばかりたくさんあるけど、自分目線で私なりに書いていければ思います。

【人食いバクテリアの住む館】~私の母は奴隷だった~そしてわたしは、そこに生まれた・・・

 

小説家になろう のサイトをお借りして少しづつ書いています

解離性健忘になっていて、記憶がなくなっていましたが、

数年前、従姉の33回忌を目前に酷いフラッシュバックの嵐に悩まされて

少しづつ自分の記憶と向き合うために

過去のことを整理しながら書けるようになりました

 

 たくさんの人に私の人生を知ってほしい

とても複雑で、ひとことでは語れないけど

ずっと「ドラマみたいで信じられない」と言われたけど

 

少しでも誰かの苦しみに光がさせば

今まで生きていたことに意味が持てる気がします

 

私の人生を見て 

「ああ、こんな奴でも生きていたんだなー」と思っていただければ幸いです

 

【 人食いバクテリアの住む館】私の母は奴隷だった〜そしてわたしは、そこに生まれた……

 

上手に書けていないとは思いますが

みなさんのお越しをお待ちしております

まだ私が小学生の頃のことです

3、4年生のころだったか……


ある日、私が家にいるのに、伯母が珍しく家を空けてなかなか帰って来なかった。
私は伯母の居ない間に、母の様子を見に行く決意をしたのです。

母は確かに二階の部屋にずっと居る。
二階にはいつも伯母が見張りをしていて
「二階の部屋には勝手に入るな!」と言われていた。
思えば、従姉は自由に出入りしていたが……

私はずっと二階の部屋を見上げて「お母さん大丈夫かなぁ、ご飯も薬も貰ってるとこ見てないんだけど… 」と心配していた。
二階の部屋はいつも静まり返っていて、母の声が聞こえたことはなかった。

小さい頃― まだ母が病院から家に戻って来たばかりの頃は、かすかに元気だった記憶がある。
伯母と二人揃って新幹線に乗り、毎月のように静岡に出かけていた。
私は伯母に、「子供は連れて行けない所だから、一人で留守番していなさい。
お母さんの病気を治すために行くのだからわかったね!」
そう言われ独りぼっちでずっと家にいたことを覚えている。

だけど、いつからか「母はずっと二階で寝たきりになっている」と聞かされていた。

この日、私は嫌な予感がしたんだろうなと思う。
居ても立っても居られなかった。
「お母さん―― お腹すいてないか、ご飯もらってるのかな?大丈夫かな」

急いでいつものチャーハンを作り、二階の母の元へと階段を駆け上って行った。

「お母さん、こ、これ… 」とチャーハンを差し出した。

母は、布団から顔を出して、怖い表情でひとことだけ、こう言った。

「そんなもん、食べれんわー!」

そして、即座にそっぽを向くように、私にくるりと背を向けて布団を被った。

私は、母に拒絶されたと思い、皿を持って階段を駆け下りた。
(どうしてお母さんは喜んでくれないの……)心の中で私は泣いた。

一階の部屋でひとり考えていた。

(そうだよね、こんな臭くて汚いご飯で作ったチャーハンなんか!食べれるわけないよね。
私が悪いんだ。お母さんにこんなものを食べろと言った、私が悪いんだ)

 それから私が母の部屋に、自分から入ることは二度となかった。

 子供の私が作れるものには限界があった。
大人なら粥でも作って持っていくのだろうけど。
いつも自分が飢えを凌ぐために、黄色くて臭いご飯にウスターソースをかけて作っただけのチャーハンを食べていたから、
それしか持っていけるものはなかった。

良かれと思ってしたことが、裏目に出てしまったようですごく悲しかった。

けど、当時の私は、色々な食事を見た事も無かったし知らなかった。
学校の給食だけが、私のまとも食事ではあったのだが、
あまり食べられなかったので、給食を美味しいと思う事もなかった。

家にも、自分が食べられるモノがなくて、お腹がすいて仕方ない時…
なんとか見つけた 黄色く変色したご飯
かろうじて食べられるであろうウスターソース
自分なりに頑張って、作っていたのがチャーハンだった

それまでの私は、冷蔵庫に残っていた黄色く変色したマヨネーズを
黄色いご飯に乗せて食べるのが精いっぱいだった。

幼かった自分がようやく覚えたチャーハンだったから、
きっと「お母さん喜んでくれる」と思っていたんだろうと思う。


「私は、お母さんに何もしてあげられない、私なんか居ても役に立たない」
そんな風に自分を責めた子供時代だった。

今でも時々想うことがある…

「今なら色々と してあげられるのに …生きてさえ居てくれれば
お母さんの喘息だって、肝臓病だって、私が働いて治してあげたかった」


その後、母が亡くなった時に、亡くなったという悲しみが わからなかった。
というよりも、「泣かせては貰えなかった」という方が正しい。

こうして書きながら、私は今 涙している――
 

私の人生は「無」を覚えることから始まりました。

 

私に課せられた【無の付くもの】はたくさんあって、本来は人間的に生きるために必要不可欠なものばかりです。

無感情、無関心、無欲、無愛、無意識、無気力、無世間、無力、無知識、無情報、無言、無興味、無記憶、無思考、無視、無人格、無存在、無表情、無痛、無選択、無友、無抵抗、・・・・etc 書ききれない「無」の世界です。

こうして私の人間としての「脳内プログラム」は完全にリセットされていくのです。

ただ私にも、少なからず自分の感情が存在していましたので、言われれば言われるほど反発心を持つようにもなりました。けれど幼い子供なので大人の力には到底勝てません、いつしか「孤独感と諦め」だけが染みついてしまいました。

 

伯母はいつも私に、両親の悪口を吹き込みながら、宗教的な洗脳の言葉を擦り込みました

毎日、朝早くから真っ暗な部屋の中に放置し、不安がる私の姿を見てはいかにも溺愛するかのように、私を膝に入れて言い聞かせる。

 もの心つくまでは優しいふりで手なずけて、自我が芽生えると暴力で抑えつけて怒鳴る。そして私が大きくなり力関係が逆転すれば泣き脅し、それでも納得できないと【お涙頂戴話】をでっち上げて、周囲の人の同情を集め他人に私を攻撃させる。最終的には裏で糸を引いていた従姉(あね)が登場し、自分の母親の味方をする。

 お決まりの従姉の常套句は……

お前は私のお母さんのお陰でここまで置いて貰っているんだから感謝しなさいよ! 母親の分までお前が、私のお母さんに恩返しをしなさい

これが二人のやり方です、本当に恐ろしい手口です。

 

 

私は中学の頃までずっと、このような事を言われて辛抱していました。

 

●病気になったら、仏壇に願えば治る、医者なんて行く必要はない。お前の母親の病気も、拝めば治るから静岡のお山に行くんだ。お前は子供だから連れて行けないから大人しくひとりで留守番してろ。(実は一昨年、父の連れ子だった兄と連絡が取れるようになり、兄は「俺、子供の頃に静岡のお山っていう所に連れていってもらったぞ」と言っていました。父や兄の前では態度を変えていたようです…)

 

●お前は人の役に立つ人間にならなければいけない、お前は必要とされる人間にならなければいけない、居ても居なくても良い人間になっては成らない、居ては困る人間にはなるな、居て貰わなくては困るという人間になれ。

 

●お前は、私のお陰で大きくなれたのだから、ここに置いて貰えているのだから、私のために一生をかけて恩返をし、私の面倒を診る責任がある。

●私が居なかったらお前になんて行く所などないんだから、施設に放り込まれなかっただけでも感謝しろ!

※1)お前の母親は、お前が3歳の頃に弟を身ごもり、妊娠中毒症になり輸血の針の使いまわしで肝臓病になって入院した。お前の弟は生まれて一週間で死んだ、お金がないから助産院に頼んで私が死産にしてもらった、役にたたん母親の代わりにお前を育てたのは私だ。

(大人になり父に聞いたら「弟なぞ居ないぞ、お前のお母さんは大人しくて真面目な人間だから、他の男の子供をどうのは絶対にない」と言っていました。母が入院した理由を隠すための嘘だったと思います…)

 

※2)お前の親父は、女にだらしなく働きもせずに、私に金の無心ばかりをする最低の男だ。お前は、あんな人間になってはいけない。

お前の父親は、他所の女の所に行ってまで私に金の無心にきた酷い男だ。だからお前に父親はいない。

※お前の母親も自分だけ良ければいい女だ、だから働きもせず私に食費の一円も渡さないずるい女だ、あんな人間にお前はなってはならない。

幼いながらに私は、心の奥で「どの口がそれをいうの?」と思っていました。自分の事は棚に上げて両親の悪口をいう伯母が大嫌いでした

 

●お前は、何があっても絶対に怒ってはならない、どんな時も知らん顔をしろ。お前はどんな事をされても相手にしてはならない、悪い事をする奴は無視をしろ。お前に嫌な事をする奴は、お前の業(ごう)を持って行ってくれるから喜べばいい。

 

●お前は何があっても喧嘩をしてはならない、お前は、誰に何を言われても逆らってはならない、お前は、世のため人のためになる人間にならなければならないのだ。

 

●お前は学会の友達としか遊んではならない、他の人間を信じてはならない。

 

●お前がもし結婚するなら、私を同居させて面倒を診る男しかだめだ、その男も学会に入れなければ許さなれないんだぞ。

 

 

●うちはうち、他所は他所、お前は人の物を欲しがったりねだったり比べたりしては成らない、他所の家に行ってもならない。

 

●私が「カラスは白い」と言ったら、白なんだ!だからお前は私の言うお通りにしていたら、それでいい。

 

●絶対に家に学校の友達を連れて来てくるな、遊ぶなら学会の子供の家に行け。

 

●お前は生まれた時から、肉も魚も受けつけないくらい嫌いだから食べられない。私がお前のおむつを替えご飯を食べさせた、小さい頃は私が噛んで与えたんだぞ!

 

●お前の父親の爺さん婆さんは、お前なんか可愛くもないから、お前は誰にも好かれてはいない。私だけがお前の味方だ。

 

●お前は学会の信者だから、毎日ちゃんと朝晩のお経を唱えろ、しないと不幸になるぞ。

●S会では一円をけちる人間は一円に困るという教えがある。だから決められた寄付は守らないといけない。

●S会では、寄付をたくさんすればするだけ幸せになれる、だからお前も幹部のように高額な寄付が出来る人間になれ。

●お金に困ったら仏壇に願えば助けてもらえる、私はいつもそうするとお金が向こうからやってくる、ほれ今だって座っていたらお前が金を持ってきただろう。

(意味がわからない、こっちが頭おかしくなりそう……と思いながら)

 

●学会は、本物の宗教だから、絶対に神社や寺には行ってはいけない、そんな場所は不幸になる。日蓮宗は偽物だ、だから学会は「正しいと書いて日蓮正宗というのだ」

●うちの先祖は禅宗だった、禅宗は死者を土に埋める酷い宗教だ、だからうちの家は潰れたし、お前も母親も病気が治らない、男の子も育たない家なんだ。だからその先祖の因縁を経つのがお前の役目だぞ。(理解不能)

 

●お前の爺ちゃん婆ちゃんが死んだのは禅宗のせいだ、だから私が全てを焼き払った、仏壇も神社の札も学会以外の物は焼かないと不幸になるからだ。

 

●お前は学会の信者だから学会以外の人間との結婚は許さない、もし違うならお前の夫もその親族も学会に入れろ。そうしないと学会には許されないぞ。

●お前の母親が死んだら学会の総本山に骨を納骨する事、それ以外の墓は作ってはならない。

●学会は一度入信したら絶対に辞められない、お前がどんな場所に逃げても必ず幹部が見つけ出す、逃げられないから覚えておけ。

●あの部落の人とは関わってはならない、お前も同じだと思われるぞ。

最後の方は、完全に脅迫ですね(汗) まだあるかも知れないけど、思い出せません――