残された人々

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今更ながら福知山線の事故についてだが、

この話は当日の事故の衝撃的な映像から始まって、

追及されるJR西日本と愚かなマスコミ、

そして紛糾する補償問題。


今後この事故から始まった一連の出来事が、

どのように展開されていくのか、

俺にとっても興味の尽きないところである。



さて、今日のyahooのトップにてこのような記事があった。

「JR福知山線脱線:事故犠牲者・中西聡さんの義母が手記/兵庫」



記事の内容は事故でなくなった一人の男性の義母が、

その心境と、娘婿であるその男性と娘、子どもたちに対する想いを書き綴っているものだ。


これを読んで心に突き刺さる哀しみが伝わってきた。

その哀しみは全能の神をもってしても拭えないものだろう。

この義母の痛切なる慟哭が、

ネットという隔絶された距離を感じる媒体によってでさえ、

俺に届いてくる。


娘婿との思い出、残された娘と子どもたち。

その義母が慟哭するのは手にした絆のためだ。





ところで、俺は死んだら無だと思っている。

少なくとも、人が命を落としたら、

その後はいわゆる現世の記憶とは無縁のところに行ってしまうのではないか、

そんな風に考えている。

逆に意識が永遠に続くと考えたら気が狂いそうだ。

まぁ、これは俺の願望かもしれないが。


つまり、死が与える哀しみというのは

あくまで残された人々のものでしかないということだ。


葬式をするのも、墓を立てるのも、死んだ人間のためではなく、

死んだ人間と隔絶された人々の安らぎのためなのである。


「愛する者がいなくなってしまっても、どうにかして共にありたい」


そんな一期一会という人間の抗えぬ宿命を

拒否したい願望なのだと俺は考える。

いつか12年ほど飼っていた猫の臨終を看取ったとき、

俺もその猫と別れたくない一心で墓を作ってやりたいと思ったものだ。

たとえ俺に懐いてきた猫の魂が、もうその抜け殻に宿ってはいないとしても。


哀しみと怒りと愛。

それらはすべて、生きているから感じるのだ。






突如としていなくなってしまった100人を超える人々に関わったその何倍にも及ぶ人々。

この人々が完全に救われることはおそらく死ぬまでない。


>4月25日のあの日、あの時の、あなたの手がかりを今日も探して、残された者の心の穴はぽっかりあいたまま。合掌。

残された人々は死ぬまで愛する人の手がかりを探し続けるのだろう。

生きているから。


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気まぐれな女の子

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今日も仕事。

昨日書いたように天変地異にはならなかったので仕事。



今日の仕事内容は、

工場の方でとあるコスト削減案があみ出されたというわけで、

それへの対応を、チームの方で相談を受けることになった。


しばし、生産管理を担当している部門の方々かた説明を受け、

それが終わると、上司から突発的に仕事をまわされた。


「例のコスト削減案についてだが、

キャッシュフローベースと発生ベースで比較した資料を作ってくれ」

「わかりました。ところで減価償却の方法は?」

「定額法で3年」

「了解です。また後ほど報告をします」

今回の仕事内容は、今まで職場で勉強してきた管理会計と、

自信がある財務会計的な知識を両方とも用いる作業だ。

つまり、これは俺なりの強みを生かせる仕事だ。


それこそ、水を得た魚である。


結局、報告はいつものことながら明日になってしまったが、

いい資料が作れた。


明日の報告が楽しみである。








定時のベルがなったら、やはり一服。

いい仕事ができれば煙草も酒も格別だ。



至福のひと時を過ごし、自分のデスクに戻ると、

PCのタスクバーに新しく開いたブラウザが点滅していた。

俺宛のインスタントメッセージだ。


我が社のPCにインストールされているメッセンジャーなら、

社内でPCにログインしている人になら誰とでもつなげる。

おかげで仕事中、休憩中関係なく、友人などとどうでもいい会話ができるのだ。



で、俺宛のメッセージが誰からのものだったかというと、

どういうわけか仲の良いJからだった。

Jは人懐っこい感じの、いわゆる『不思議ちゃん』だ。


「おつかれ、最近冷たいよね~、ホント泣きそうになった」

「え?あぁ、すみません。これからはもうちょっと頻繁に送りますんで何卒穏便に」

「ううん、いいの。仕事だったらしょうがないもんね、心がつながってればそれでいい」


新種の思わせぶりっ子か?

昔の俺ならころっといったかもしれんが、ひっかからんぞ!

いまいち遅かったようだな!Jッ!!


「そうだね。心でつながりますかー」

と適当に合わせてキーボードを叩くと、


「やっぱいい、こわくなった。またね」


なんだこの子は。



以前から不思議な雰囲気だったが、

ホントに良くわからない。


とはいえ別に俺も『何か』を期待しているわけじゃあないので、

別に余裕しゃくしゃくだが。

誰か俺の心をときめかせてみろ!クソが!!



そういうわけで、明日の昼にその子の友達に事の次第を報告して、

笑いをとりにいこうと思う。

昼飯を食うにはなかなかいいネタになるだろう。

それから対策会議。


この会議の結果によっては思いもよらぬ方向性がありえる、かもしれない。





さて、今夜も筋トレ&ランニングに行ってきます。

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地震と巨乳

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今日も會社へ行つてきた。

明日も行くことに成るだらう。

天変地異でも起きない限り。




天変地異と云へば、

最近関東では地震が來るなどと騒いでゐたらしいが、

ここ廣島はそんな阿呆な噂とは無縁である。


昨日、以前世話に成つてゐた女と話してゐたときである。

何の世話に成つてゐたかは讀者の想像に任せる。



「最近地震が起きるかどうかが一寸(ちょっと)した騒ぎに成つてゐます」

「ああさうですか、馬鹿な噂で騒ぐのもこれまた馬鹿ですよ」

「前に話したKちやんも恐がつてゐましたよ」

「Kちやんと云へばFカップの娘でしたね」

「さう、そのKちやん」

「地震は『搖れ』ますからね」

「馬鹿」

「何が馬鹿なんですか」

「また助兵衛なことを言つて」

「何を言つてるんですか?地震で搖れるのはあたりまへでせう。ははは。

助兵衛な想像をしてゐたのはあなたの方ぢやありませんか」


そのやうに彼女に言ふと、電話を切られてしまつた。

不埒なことを考へたのは向かうだと云ふのに。



それはさうと、Fカップの娘が地震によつて、

如何ばかり搖れるのか、興味のつきないところである。


若し地震が起こつて搖れる豊滿な女性を見たならば、

関東にお住まひの方、どうか報告して欲しい。



搖れる大地と搖れる熟れた體のコラボレイションである。

男子たる者としては、なんとも夢のある話ではないか。

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