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国柄探訪:神道の世界観を外国人に語ろう

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■■ Japan On the Globe(1074)■■ 国際派日本人養成講座 ■■

          国柄探訪:神道の世界観を外国人に語ろう

 日本は古い神社や仏閣と最先端のハイテク技術が同居する「ワンダーランド」。
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■1.各国首脳の神宮「参拝」

 平成28(2016)年5月、「先進国首脳会議」、通称「サミット」が伊勢志摩で開催され、各国首脳が伊勢の神宮を「参拝」した。外務省は当初、日本以外の参加各国はキリスト教国のため、「参拝」ではなく「表敬」として、神道色をできるだけ消したいと考えていた。

 ところが、参加国の方から「日本に合わせたい」「日本の伝統文化を味わいたい」ということで、事実上の「参拝」の形式を取ることの了承を申し出て来たそうだ。

 内宮御正宮から出てきた各国首脳の顔は太陽の明るい光に照らされて、喜びと感激に溢れていた。各国首脳は次のような言葉を記帳した。一部だけを引用すると:

「日本の源であり、調和、尊重、そして平和という価値観をもたらす、精神の崇高なる場所」(フランス・オランド大統領)

「平和と静謐、美しい自然のこの地を訪れ、敬意を払うことを大変嬉しく思う」(イギリス・キャメロン首相)

「幾世にもわたり、癒しと安寧をもたらしてきた神聖なこの地を訪れることができ、非常に光栄に思います。人々が平和に理解し合って、共生できるよう祈る」(アメリカ・オバマ大統領)


■2.人間は自然の主人か、同胞か?

 これらの感想に共通するキーワードは「平和」である。確かに深い木立の中にひっそりと立つ白木造りの内宮の姿は平和そのものである。私見では、キリスト教文明には自然と共生していく、という思想はないように思う。人間は自然を支配するか、近代文明が自然を破壊し始めると、今度は自然を「保護」するか、という関係でしかない。

__________
 日本には、「山の神様」もいらっしやれば、「海の神様」もいらっしやいます。
 太陽の神を「お天道様」、先祖を「ご先祖様」、礼会のことを「世間様」と呼び、敬いを欠かしません。いかに日本人は、日本という共同体国家・社会のなかで、自然と人間のDNAが共生しているのかというあらわれでしよう。[1, 807]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

__________
 その一方で、キリスト教は主である神という絶対的な存在によって、人類は動かされます。『旧約聖書』にも『新約聖書』にも、絶対的な神は、姿だけでなくその名前すら現しません。
 自然や人間は、あくまで唯一の神の下で一神教である神が「造りたもうた」ものであり、人間は自然を管理する義務を負っています。
 天と地、海や川、人間や植物や家畜、そのすべてを神が創り、全知全能の神として創造します。(『旧約聖書』・「創世記」)[1, 807]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 山村明義氏の『日本人はなぜ外国人に「神道」を説明できないのか』[1]での比較である。山村氏は神職の家系に生まれ、20代から30代にかけて全国の神社約3万社に参拝し、約3千人の神職と語り合って来たという。タイトルから想像できるように、この本の動機は、神道の世界観、人生観を外国人にも広く訴えていきたい、という事である。

 神道的世界観では、人間も自然も「神の分け命」であり、同胞でとして共生している。現代科学は、人間も動物も植物も、同じ構造の遺伝子を持っていることを明らかにしており、同じ命から発生したものと見なす。これは神道的世界観に近い。

 それに対して、キリスト教では人間は自然と同じく神に作られた存在ながら、「自然を管理する」義務を負う。いわば、羊飼いと羊の関係なのである。

 深い神宮の森の中にひっそりと立つ白木の本殿を見た各国首脳が、キリスト教的な人間と自然との対立緊張関係ではなく、人間と自然とが睦み合うような共生関係を感じとったことは想像に難くない。それを各首脳は「平和」として表現したのではないか。

 地球環境危機が人類全体の前に立ちはだかる中で、人間が「自然を管理する」自然観よりも、「人間と自然が共生している」という自然観の方に共感を抱く人々が、欧米においても増えている。


■3.全体主義か、自由民主主義か

 自然と人間が共生しているように、人間同士も共生していると神道では考える。そこでの共生の本質を山村氏は次のように指摘する。

__________
神道は「多神教」でありながら、一柱一柱の神様の動きはあくまで「自由」で、「平等」の存在になります。[1, 1392]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 共生とは、生きとし生けるものが自由かつ平等の中で、主体的に協力していく世界である。一木一草も、鳥も魚も、そして人間も、自由平等に生きている。

 万葉集には少年の防人から天皇まで身分の区別無く、男女の差も無く、人の真心を素直に歌い上げた歌が平等に取り上げられているが、それはこの万物が自由、平等に生きている、という神道の世界観が基底にあるからだろう。

 これに比べると、唯一万能の神がすべてを取り仕切るというキリスト教的世界観は、独裁と服従という全体主義モデルに近い。神道の自由と平等の多神教世界は、はるかに現代の自由民主主義と親和性の高い世界観なのである。


■4.性悪説か、性善説か

 しかも、神道的世界観においては、人間は神の分け命であるから、当然、その性は善である。時に個人的な欲望に駆られて悪をなすこともあるが、それは禊(みそ)ぎや祓(はら)えで水に流すこともできる。

 これに対して、キリスト教の原罪説では、人間は性悪なものと捉え、だからこそ神にすがる必要があると説く。万能の神がなぜ人間を性悪に作ったのか、とは戦国時代にキリスト教に触れた我が先人たちが抱いた疑問であるが、その疑問は現代の日本人にも依然、答えられない。

 先般も弊誌[a]で紹介したように、最先端の大脳生理学では利他心は集団生活を必要とする人類が進化の過程で得た本能であると考えている。神道的世界観で育った日本人には当たり前のように思えるこの学説も、性悪説が支配するキリスト教国で唱えるのは、かなり勇気のいる事のようだ。


■5.統制経済か、自由市場経済か

 生きとし生けるものが自由、平等に生きていると言っても、各自が自分勝手にバラバラに生きているわけではない。例えば、農民は大地を耕し、川から水を引いて水田を作り、そこに苗を植え、その苗が太陽の光を浴びて、稲が育つ。

 川から流れ込む水は川床からの養分を運び入れ、田んぼの中では藍藻類が空気中の窒素を固定して、土を豊かにする。その水の中にはオタマジャクシが住んでいて、枯れ草や藻などの有機物を食べて分解し、稲が吸収しやすい栄養分に変える。[b]

 このように、生きとし生けるものが個々バラバラではなく、それぞれが「処を得て」互いに助け合って生きている。人間どうしも同じである。米を作る人、村から町に運ぶ人、店で売る人など、人それぞれが「処を得て」互いに助け合い、社会全体を支えている。

 生きとし生けるものは、決して万能の神が設計し創造した機械の歯車ではない。それぞれが人体の各器官のように、自由平等に、かつ、主体的に協調し合って働いているのである。神の設計のもとで動く歯車では共産主義の統制経済に近いが、万物が処を得て自由に働く姿は、自由市場経済に通じている。


■6.宇宙は時計仕掛けか、生成発展するものか

 古事記では、最初の神が現れた時、「大地はまだ若く、水に浮く脂(あぶら)のようで、海月(くらげ)のように漂っていて、しっかりと固まっていませんでした」[3]と説く。

 そこから、神々が国土を作り、その上で人々が田を作り、水を引く。神や人や万物が力を合わせて何事かを生みなすことを、神道では「むすぶ」と呼ぶ。男女が結ばれて、家庭を作り子をなす。農民が土や水などと力を合わせて作物をなす。

「むすび」の「むす」は、「うむす」が縮まった形で、「うむ(産む)」と同じく、「物の成り出づる」ことを言う。「むすこ」「むすめ」「苔むす」は、この意味である。「び」は「ひこ(彦)」「ひめ(姫)」など、「物の霊異(くしび)なるをいう美称」である。したがって、「むすび」とは万物を生成する不思議な働きを指す。[2]

 この「むすび」に示されるように、神道の世界観では世界は生成発展するものであり、人間もそのプロセスに参画する。

 これに対して、キリスト教では唯一絶対神が宇宙を創造し、あとは人間も自然もその「時計仕掛け」の一部として運動を続けるのみである。この世界観では生物が勝手に進化するという進化論は受け入れられない。今でもアメリカでは42%の人々が「神が今の人間をそのままの形で作った」と信じている。[4]

 人間の努力も与(あずか)って世界が生成発展するという神道の世界観は、人類が科学によって自然法則を発見し、それを応用して新たな技術を生み出すという技術革新を後押しする。

 経済学者ヨーゼフ・シュンペーターはイノベーションが経済発展をもたらすことを主張したが、そのイノベーションとは既存の要素の「新しい結合」であると考えた。異なるものの「むすび」が新たなる生成発展をもたらすという神道的世界観と同じである。

 技術革新は日本企業の強みであるが、それはこの「むすび」の考え方が後押ししているからと考える。特に現場の作業者一人ひとりまでが「改善」に参加するという日本の製造業における「改善サークル」「改善考案」は今や、世界の製造業のグローバル・スタンダードになりつつあるが、その根底にあるのも、人間が世界の生成発展に参画する、という神道の考え方だろう。


■7.神道的世界観の中で生まれた幸福と責務

 こうして見ると、現代のグローバル社会における環境運動、自由民主主義、大脳生理学、自由市場経済、技術革新などのトレンドは、みな神道的世界観と親和性が高いことが判る。

 逆にキリスト教的世界観と、現代文明はきわめて相性が悪いことが見てとれる。考えて見れば、キリスト教が支配した中世から訣別して始まったルネサンスや宗教改革が西洋近代の出発点となった。

 そこから産業革命、自由民主主義、自由市場経済、ついには現代の「リベラル」にまでつながってくるが、この点に関して、山村氏は田中英道・東北大学名誉教授の『日本人にリベラリズムは必要ない』から、こう指摘する。

__________
 もともと「リベラル」そのものが伝統的な「反キリスト教」から始まり、政治思想的には17世紀の「キリスト教からの自由」で始まったイギリスのジョン=ロックに始まり、経済的にはアダム=スミスから、心理学的にはフロイトから始まったといわれているからです。[1, 1146]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 西洋近代は、キリスト教との戦いの中で「キリスト教からの自由」を訴えざるを得なかった。しかし、それを追求する過程で、キリスト教が支えていた宗教的道徳も失うことになってしまう。その結果の「神なき近代文明」が現代人から安心立命を奪ってしまった、と言えるのではないか。


■8.古いものと新しいものが同居するワンダーランド

 山村氏は外国人観光客数十人に「日本の良いところはどこですか?」とアンケートで聞いたことがあるという。

__________
 その結果を見ると、50%以上の外国人が、「日本には、古いものと新しいものが共存し、同居しているところ」と、答えていました。
 古い神社や仏閣と最先端のハイテク技術がなぜ同居するのか。また、日本人は新しいものを好む傾向があるのに、なぜ古いものを残そうとするのか。
 日本人にとっては、神社以外にも仏閣や古い家屋の残る日本の当たり前の風景ではありますが、外国人から見れば、日本は「なぜか古いものが残っている」ということが、「ワンダーランド」に見えてしまうのです。[1, 827]
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 外国人、特にキリスト教徒から見れば、「古いもの=キリスト教」、「新しいもの=現代文明」で、両者は基本的に相容れないところがある。しかし、日本では「古いもの=神道」であって、それは以上述べたように、現代文明を包摂し、より良き方向に導く力を持ったものである。

 神道的世界観は現代文明の自由化、民主化、技術革新などを肯定しつつ、自然や共同体の中で共生し、より良く生きる道を教えている。そのような世界観の下で生まれた我々日本人の幸福をよく噛みしめつつも、外国人にもその世界観を共有する責務を我々が担っていることを知るべきだろう。

 昨年の訪日外国人客数が28百万人を超え、政府は2020年には4千万を目標としている。神道的世界観を世界に共有するには絶好の機会である。

 しかし、神道は言挙げよりも、まずは自然の美しさ、有り難さを感じとる処から始まる。そのためには、各国首脳が神宮参拝で感じとったように、まずは我々日本人がこの美しい国土を大切にし、それの姿を見て貰うことが出発点だろう。
                                        (文責 伊勢雅臣)






 霊界物語   大阪北部の地震

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      2018.6.18
 出口王仁三郎・著『霊界物語』を
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 ╋ 王仁三郎の基礎(12)立替え立直し ╋


大阪で震度6という大きな地震が起きましたが、
大阪にお住まいの皆さん、大丈夫でしたでしょうか?
電車が止まったり、ガスが止まったり、大変なようです。
私は奈良ですので、震度4くらいでしたから、全然大丈夫です。

大きな地震が起きるたびに、非常時の際に何をしたらいいのか、
ということを考えさせられます。
地震とか戦争なども非常事態ですが、しかし
それ以上の超非常事態が起きるということが、
百年以上も前から国祖の神様によって警告されています。
大本神諭の主要な主張が「立替え立直し」です。

太古の神代に、国祖が悪神によって追放され、艮に押し籠められ、
逆に悪神扱いされて、忌避されるようになった。そのため
地上は腐敗し暗黒世界となってしまった。
しかし天運循環して再び国祖が表に出る時節が到来した。
三千世界を立替え立直してみろくの世を建設する・・・
というのが大本神諭のあらすじです。

この立替え立直しの立替えとは「破壊」を意味します。
立直しとは「建設」(再生)です。
家を建て直す時もそうですが、まず古い家を壊さなくてはいけません。
リフォーム程度ではなく、建て直しです。

「破壊は悪魔がするのだ」なんてことを王仁三郎は言っています。
「大本神の仕事は建設にある。艮の金神は修理固成の神である」というのです。
白蟻に食われた家は歳月が経つと勝手に倒れて行きますが、
腐敗していれば勝手に潰れるので、わざわざ手を貸す必要はないのです。
神に従う人間がやるべきことは、建設です。

「身魂(みたま)の立替え立直し」とも言いますが、
身は身体・物質、魂は精神・霊魂の方面です。
霊体両面の改造が必要です。
腐敗した社会は黙っていても勝手に崩壊します。
それを同じ思想で再生しても、また再び崩壊してしまいます。
同じことをやっても、同じ結果しか生まれません。
やり方を変えないと、異なる結果は生まれません。
だから、立直しには、まず精神面・思想面を刷新することが重要です。
霊主体従の原則です。
思想が新しくなれば、そこから生まれる社会は、
過去のものとは異なるものになります。

王仁三郎がやって来たことというのは、
みろくの世を建設するための新精神を広めるということに他なりません。
大本は二度、弾圧により立て替えられましたが、
立て替えた(破壊)のは官憲です。
自分で壊さなくても、誰かが勝手に壊してくれたのです。
大本の活動と、当局の思惑との軋轢から生じる、必然的な破壊であったとも言えます。
王仁三郎はそれを利用して、大本を立て直したのです。

大日本帝国は行き詰まった末に崩壊しましたが、
現代社会も色々な局面で行き詰まりが見えています。
必ず破綻するだろうな、という事柄がいくつもあります。
たとえば1千兆円以上ある国の借金です。
国家予算の十倍以上もあり、とうてい返せる金額ではありません。
今はまだ自転車操業がどうにか成り立っていますが、
いつかはどうにかしなくてはなりません。
国の財政が崩壊するというのは目に見えています。

しかしそれに対して反論もあります。
政府内部の金融資産が数百兆円あるので、
それを換金すれば国の借金はチャラになる、という意見があります。
国民は騙されているというわけです。

仮にそうだとしても、「借金をして事業を行う」ということが
正当化されている以上は、一旦借金がなくなっても、
すぐまた借金が積み重なることは目に見えています。
会社の経営も、個人の家計もそうですが、
借金が当たり前なのが現在の資本主義経済です。
日本に限らず、アメリカや他の国々もみなこの借金経済によって苦しんでいます。
美味しい思いをするのはお金を借りた直後だけで(笑)
あとは返済のため台所は火の車となるわけです。
その根底の価値観を変えなければ、
一度借金を返しても同じことを繰り返すだけであり、
「立直し」とはとうてい言えません。
立直しはこの、思想面・精神面の刷新が要となります。

   ★   ★   ★

小さな立替え立直しはちょこちょこあります。
日本に関して言えば、明治維新や第二次大戦の敗北などがそうです。
しかし大本神諭が言いたい立替え立直しは、その程度のものではありません。
「三千世界の立替え立直し」です。
三千世界とは、神界・幽界・現界の三界に亘る大革命です。
つまり霊界も含めた大改造なのです。

そしてそれは「二度目の世の立替え」だとか「二度目の世の大峠」とも言います。
そんなに度々起きることではなく、
世が始まってからまだ一度しか起きたことがないというのです。
その一度目の大峠(立替え)とは、霊界物語第6巻に描かれています。
国祖隠退後の世界で天変地異が起き、567日間大洪水と大地震が続いた末に、
地球の地軸が傾いてしまったというものです。

それに匹敵する天変地異が間もなく起きると大本神諭は警告しているのです。
しかし今、それが起きたら人類は滅んでしまいます。
それで、地球的規模での天変地異が起きても
人類が生き残ることが出来るような体制を造れと、
百年以上も前から国祖は訴え続けて来たわけです。

その大峠(立替え)の後は「昔の神代」に立て直すのだと国祖は言います。
それが「みろくの世」です。「水晶の世」とも「松の世」とも呼びます。
しかし今と同じ思想で立て直してしまったら、再び今の世界に後戻りです。
国祖隠退以後、今日まで、悪魔が支配する世であり、
悪魔の思想に私達は犯されています。
そこでみろくの世を建設するための思想を人類に与えるために、
王仁三郎の登場となったわけです。








 

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 霊界物語スーパーメールマガジン
      2018.6.14
 出口王仁三郎・著『霊界物語』を
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 ╋ 王仁三郎の基礎(11)霊主体従 ╋


宇宙は「霊」と「体(たい)」の二大系統によって成り立っています。
霊主体従(れいしゅたいじゅう)とは、
この霊が主で、体を従とするという、宇宙の大原則です。

霊とは霊界、霊魂であり、体とは現界、肉体です。

しかし今の人類は真逆の体主霊従になっており、天地が逆様になっているので、
それを霊主体従に立替え立直すということが、
百数十年前から人類社会に起きている出来事です。

その霊主体従の天則に沿った世界がみろくの世です。

現界(物質界)に生きている私たちは、霊がよく見えず、体しか見えないため、
結果として体主霊従になりがちですですが、頭をよく働かせて、
価値観を体主霊従から霊主体従へと変えて行かねばなりません。

霊と体とは、単に霊界、現界という意味だけではありません。

たとえば「目的」と「手段」ということでもあります。
わかりやすい例で言うと、お金です。
私たちはよく「お金があれば何でも出来る」とか言ってお金に執着しますが、
そのお金で何が得たいのか?
目的は、幸せになることです。生きていることの充実感、幸福感を感じたいのです。
その目的を達するための手段がお金です。
ところが目的を忘れてお金儲けばかりに走っていたら幸福にはなれません。

昔のホームドラマによくこういうシーンがありました。息子が非行に走り、
仕事ばかりして息子に向き合わなかった父親が
「お前の欲しいものは何でも買ってあげただろ」と歎き、
それに対して息子が「欲しいのはお金じゃないんだ」と叫ぶシーンです。
父親の愛が欲しかったということなんでしょうけど、
その愛を与えるための手段に過ぎないお金が、目的になってしまうと、
こういう心のすれ違いが起きてしまいます。
目的を達するための手段は他にもあるわけで、
手段にこだわる必要はないのです。重要なのは目的です。

役所や会社や宗教団体などの組織が、目的を忘れて、
組織維持のための組織になってしまう…ということも体主霊従のありがちな例です。

また霊と体とは「理想」と「現実」ということでもあります。
理想を実現するのは大変ですが、しかし理想を忘れてしまうと方向を見失い、
風が吹くままフラフラと流される人生になってしまいます。

   ★   ★   ★

霊主体従が大原則だと言っても、霊に偏り過ぎてはいけません。バランスが重要です。
霊と体の比率は5対5で、霊を主、体を従とするのが霊主体従です。
霊に偏り、たとえば6対4とか7対3になってしまうと、これも天則違反です。
理想ばかり追い求めている人は、現実の生活を軽視しがちですが、
それはそれで問題ですよね。

霊と体は「原則」と「例外」ということでもあります。
原則を守ることは大切ですが、だからと言って例外を認めないと、
窮屈な世の中となり、不満が生じてかえっておかしくなります。
病院食は健康かも知れませんが、それしか食べてはいけないというのは、
かなり苦痛ですよね。
だから、霊が5で体が5が霊主体従なのです。例外を認めない、
つまり体が4とか3になってしまうのは、これもまた悪であり、
「力主体霊(りょくしゅたいれい)」という言葉が宛てられています。
(力主体霊も含めて体主霊従と呼ぶ場合もあります)

霊界物語や大本神諭で、霊主体従に「ひものと」という
振り仮名が振られる時があります。体主霊従は「あく」とか「がいこく」です。
「ひのもと」とは「霊(ひ)の本(もと)」であり、日の本つまり日本のことですが、
現実には日本も体主霊従の悪の害国になっています。
まず日本を「ひのもと」に立て直し、
そして世界中を「ひのもと」にして行くのが神様の経綸です。

霊界物語に、救世主スサノオが導く三五教(あなないきょう)
という宗教が出て来ますが、三五教は霊主体従です。
またウラル教とバラモン教という宗教も出て来ますが、
ウラル教は体主霊従で「われよし(利己主義)」、
バラモン教は力主体霊で「つよいものがち(弱肉強食)」の宗教です。

霊と体は「社会」と「個人」とも言えます。
人間は社会生活をする生き物ですから、他人のことを考え、
社会のルールを守って生きることは重要です。
しかし社会とか国家とか、それを強調し過ぎるのも悪です。いわゆる全体主義です。
これは「つよいものがち」です。「みんなのために」とか「公共」の名のもとに
個人の権利が侵害されることもよくあります。
だからと言って個人の権利を主張しすぎると「われよし」になります。

このように霊と体のバランスが重要なのです。
このバランスを適正にすることが「まつり」(真釣り)であり、
それが真の意味での「祭り」であり「政(まつりごと)」です。
マツリはカーニバルでもなければ利権争奪でもなく、
真釣り合わせをすることなのです。

   ★   ★   ★

ところで以前に、王仁三郎の宇宙論は地球中心だと言いました。
地球が一番の御先祖様であり、そこから太陽や月、その他の天体が誕生したのです。
しかし地に立って生きている人間は、上ばかり見て天を仰いでいます。
だから天が主で、地が従のような錯覚をしています。
これがまさしく天地逆様ということです。
この世界観・価値観を180度転換しなくてはなりません。

また、霊と体は、神と人、日と月、男と女、父と母、
陽と陰、火と水、左と右でもあります。
霊と体はどちらも大切で、その度合いは等しく、軽重の差はありません。
しかし物事には順序があり、その順序が主と従という言葉で表現されています。
左足と右足はどちらも等しく重要ですが、しかし左、右、左と順序よく動かさなくては
前に進むことが出来ません。
右足が「左足くん、僕たちは平等だ。だから同時に出よう」と言って
左右の足が同時に前に出たら倒れてしまいます(笑)
権利は対等でも、順序がなくては宇宙はうまく動きません。
王仁三郎は「神は順序だ」と言っているくらいです。

この順序を「進左退右(しんさたいう)」と呼びます。
霊主体従を、運動・活用の面から表現した言葉が進左退右です。

多くの人は右利きですから、あたかも右の方が主であり
進であるような感じがしますが、左右の手の働きを考えてみますと、
左手でお茶碗を持って右手で箸を掴むように、左手はあまり動かずに
何かを固定したり支えたりする役割をし、右手は細やかに動き活発に働きます。
中心にあるもの、主となるのは左手なのです。右手は頻繁に動くので、
右手が主のような錯覚が起きてしまうのです。
大本式の祭式では柏手を打つとき、掌を合わせ、
右手を左手より少し下げて打ちますが、これは進左退右の法則に基づくものです。
昔、左大臣・右大臣という官職がありましたが、左大臣の方が上役なのは、
この進左退右の法則が自ら現れたのでしょう。

霊主体従・進左退右の原則が乱れてしまう主な原因は、
(1) 目立つもの・よく見えるものが主と見なされがち(体主霊従、われよし)
(2) 従の方は無いもの、役に立たない無用なものと見なされがち(力主体霊、つよいものがち)
の2点にあるのではないかと思います。

ですから、引っくり返っている価値観を霊主体従に立て直すには、
(1) 目立つものの背後にあるものを見抜くことと
(2) 従とされるものの役割を考えること
が大切だということになるでしょう。

悪神とか祟り神として押し籠められ来た国祖・国常立尊が復権するということもまた、
逆様になっている世を立て直すということです。


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●霊界物語第1巻発端
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm010003
●霊界物語第6巻第26章 体五霊五
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0626
●大本略義 霊主体従
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195301c39
●大本略義 進左退右
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B195301c40


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20世紀で最も成功した万博を実現した日本人の気概

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54 20世紀で最も成功した万博を実現した日本人の気概
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国柄探訪: 20世紀で最も成功した万博を実現した日本人の気概

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■1.「20世紀で最も成功した万博」

 日本が大阪誘致を目指す2025年万国博覧会の開催地決定に向け、博覧会国際事務局(BIE)の調査団が、東京、大阪を訪れた。団長の崔在哲BIE執行委員長(韓国駐デンマーク大使)は記者会見で、日本の計画を「調査団の暫定的な考え方としては良好だ」と評した。

 また、ディミトリ・ケルケンツェスBIE次長は「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマを「国際社会でも大きな意味を持つ」と指摘し、政府や地方自治体、国民の支持があることを確認したと語った。[1]

 このケルケンツェス次長は、1970年の大阪万博を「20世紀で最も成功した万博」と評したそうな。参加者数6400万人という記録は、40年後、2010年の上海万博まで破られなかった。規模だけでなく、内容面でも、専門家からは1世紀半におよぶ「万博史上10本の指に入る」[2, p4]と称賛されている。

 すでに2025年万博に関しては、100万人以上の国民の賛同が寄せられているとの事だが、その中には、半世紀前の大阪万博を子供の頃に経験して、それをぜひ子や孫に体験させたい、という声援も少なからず寄せられてる。たとえば、

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・子供の時、大阪万博に行ったことを思い出します(入場大変でした。泣いて親に連れて行ってもらったことも良き思い出です)。子供心に科学、未来、世界といったものを感じました。ぜひ、後世の世代そして世界の方が同じ思いを日本で感じて頂けるよう我が国への誘致お願いします。

・万博は子供たちに希望ある未来を見せるためのもの。70年の大阪万博では、子供たちは未来の生活に夢を抱き、日本の技術力を誇りに思いました。経済効果は大人の事情。日本の将来を担う子供たちに夢と希望をもってもらうため、ぜひ誘致してほしい。
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 子供たちにこんな影響を与えた1970年の大阪万博は、どのように実現されたのか、その経緯を辿ってみよう。


■2.「自分の仕事に集中できないのなら、辞表を書くことだな」

 大阪で万博を開催しようというアイデアは、1960年代前半、通産省でまだ課長にもなっていない若手官僚の頭の中に生まれた。堺屋太一である。堺屋は企業局工業用水課の一職員として、大阪での地下水汲み上げによる地盤沈下の問題に取り組んでいた。

 堺屋の頭の中にはもう一つの「地盤沈下」が問題意識としてあった。東京オリンピックを開催して経済的に発展しつつあった東京に対して、関西経済の地盤沈下である。これを食い止めるために、大阪で万博を開催すべきだ、と堺屋は考えていた。

 実は、戦前の昭和15(1940)年、皇紀2600年という記念の年に日本でのオリンピックと万博の同時開催が決まっていた。入場券まで売り出され、開催直前まで行ったが、戦争のために中止された。堺屋はその幻の東京万博の責任者だった人に経緯を聞き、資料も見せてもらった。

 ただ一介の若手官僚が唱えているだけでは、政府を動かせない。「将を射んと欲すればまず馬を射よ」の作戦で、堺屋は自費で万博の説明資料を作り、高級官僚の公用車の運転手たちのたまり場へ行って、万博の説明をした。運転手たちの間で「万博というのは面白い」という認識が広まった。

 高級官僚は、公用車で移動中、時々、運転手と話をする。こうして万博のアイディアが省内に広がっていった。堺屋は頃合いを見計らって、局長のところに行って、万博の話を始めた。

「きみは、ずいぶん勝手なことをやっているようだな」と激しく叱責され、「自分の仕事に集中できないのなら、辞表を書くことだな」とまで言われた。それ以後、堺屋は何度も上司から、辞表を書けと迫られたが、自分の職務をはきちんと果たしている以上、辞表を書く必要はないと考えていた。


■3.援軍あらわる

 孤立無縁の堺屋に、大阪から援軍が現れた。大阪の中小企業を一社ずつ回って地下水組み上げを止めるよう頼み、物理的な地盤沈下を食い止めた実績を持つ堺屋は、大阪の府、市、経済界との太いパイプを築いていた。

 その中から、大阪の経済的地盤沈下を食い止めるための万博開催というアイディアに共鳴する人々が出てきた。堺屋は年収10年分の費用を銀行から借りて、自費で説明資料を作り、説得に当たった。やがて大阪商工会議所が、関西を地盤とする与党議員に万博開催の陳情を始めた。

 ここで絶大な援軍が現れた。東京オリンピックの直後に病気で退陣した池田勇人に替わって首相となった佐藤栄作である。佐藤は、自分の政権で東京オリンピックに匹敵するような大きなイベントを実現したいと考えていた。佐藤首相のもとで、ようやく万博構想が正式に日本政府の決定となった。

 幸い東京オリンピックの成功が追い風となって、日本での万博開催を支持する国が急速に増えた。これによってアジアで最初の万博開催が承認されたのである。


■4.「鐸々(そうそう)たるメンバーが口角泡を飛ばして」

 主催団体となった日本万国博覧会協会の会長には、東芝を再建して経団連会長となった石坂泰造が推された。政府に頼まれて会長を引き受けたものの、初年度の政府予算は論外の少なさであった。向こうから頼んでおいて、どういうことかと、石坂は腹を立てて、佐藤総理のもとにねじこんだ。

「失敗したら、恥をかくのはあなたの方だ。こちらはどうでもいいんだから」と、一方的に怒りをたたきつけると、「ヘイ、さいなら」と腰を上げて、歩き出した。総理はあわてて後を追って「わかりました、わかりましたよ。石坂さん」。そんな豪腕会長だった。[a]

 事務総長は鈴木俊一。東京オリンピック開催の総指揮にあたって成功させ、のちに東京都知事を4期16年も務めた敏腕家である。

 この2人の方針であろう、万博の構想立案には当時の日本屈指の頭脳が惜しげもなく投入された。日本人初のノーベル賞受賞者・湯川秀樹、ソニー創業者・井深大、国民的作家の武者小路実篤や大佛次郎、日本を代表する国際的エコノミスト・大来佐武郎、東洋学者・貝塚茂樹、「世界のタンゲ」と呼ばれた建築家・丹下健三等々。

 こんなオールジャパンの頭脳が、激しい議論を展開した。それを傍聴した人が「あれほどの鐸々(そうそう)たるメンバーが口角泡を飛ばして議論する姿に感動した」と語っている。

 こうした議論の結果、原子爆弾のような科学技術の負の側面はもとより、地域紛争や人種対立などを含む「人類の不調和」を解消しうるのは人間の「知恵」だけであり、万博はそのために世界から英知を持ち寄る広場なのだ、と言うコンセプトが生まれた。ここから「人類の進歩と調和」というテーマが設定された。


■5.「やりたいようにやってくれ」

 会場や建物、展示のプロデュースには、思い切って若手の登用が図られた。丹下と共にお祭り広場を設計した磯崎新38歳、『せんい館」のディレクター・横尾忠則33歳。生活産業館などのユニフォームをデザインしたコシノジュンコ30歳、等々。会場計画を統括した丹下健三と、太陽の塔をデザインした岡本太郎ですら50代だった。

 実績のある大家たちを抑えて、どうしてこのような若手を思い切って登用したのか。[3]の著者・平野暁臣氏はこう推察する。

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 万博という一世一代の大舞台で国際社会に「新しい日本」を打ち出す千載一遇のチャンスがめぐってきたとき、関係者の多くは「欧米にもまだないもの、欧米を超えるものをつくって、世界を驚かせてやろう」と意気込んだはずです。「世界を相手に一発カマしてやろう」と。

 だとすれば、「かつてないものをつくる以上、実績よりもアイデアだ」「新しいアイデアをもつ者を使ったほうがい」「一か八か若い連中にやらせてみよう」と考え、思い切って生きのいい連中に任せようと腹を括ったにちがいないと思うのです。[3, p135]
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 会場随一の独創的な『せんい館』をデザインした横尾忠則が、出展組織の日本繊維産業連盟会長かつ東洋紡の社長、会長を歴任した谷口豊三郎に直談判したとき、谷口は「あなたの芸術論はまったく理解できない。だが情熱はよくわかった。いいだろう。やりたいようにやってくれ」とその場で全権を委任したという。


■6.「なにが進歩だ」

 丹下チームが設計したお祭り広場は、5千人のスタンド席に取り囲まれ、「情報手段が発達してもなお万博に意義があるとすれば、世界の人々が一カ所に集い、生身でふれあうこと以外にない」との理念からつくられたイベント空間だった。

 お祭り広場を覆う大屋根は、野球場グラウンド部分の2.4倍もあり、その屋根の中がテーマ展示のためのスペースとなっていて、未来の「空中都市」を構想したものだった。それは「技術の進歩が未来をひらく」という万博の精神を体現していた。

 しかしこれに待ったをかけたのが岡本太郎だった。

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 この世界一の大屋根を生かしてやろう。そう思いながら、壮大な水平線構想の模型を見ていると、どうしてもこいつをボカン!と打ち破りたい衝動がむらむら湧きおこる。優雅におさまっている大屋根の平面に、ベラポーなものを対決させる。屋根が30mなら、それをつき破ってのびる-70mの塔のイメージが、瞬間に心にひらめいた。(岡本太郎『日本万国博 建築・造形』恒文社、H46)
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 万博会場を埋め尽くしていた「超近代」に対して、土偶を模した太陽の塔は「反近代」を表していた。「人類は進歩なんかしていない。なにが進歩だ。縄文土器のすごさを見ろ。馴れあいの調和なんて卑しい。フェアにぶつかりあって、闘って、そこに生まれるのがほんとうの調和なんだ」と岡本は公言していた。

 この横やりに「おまえにそんなものを作る権利はない」と怒ったのが丹下健三だった。関係者の眼の前で、二人は取っ組み合いの喧嘩を始め、お互いの弟子を巻き込んでの大喧嘩に発展していった。それだけ皆、真剣だった。

 長い議論の末、お祭り広場の屋根は、太陽の塔の周囲を丸くくりぬいた異様なデザインとなった。これが万博で最も記憶に残る風景となった。


■7.「この手で万博をつくれるなら、あとはどうなってもいい」

 無数の無名の人々も、同様の情熱を持って万博に取り組んだ。[3]の著者・平野暁臣氏は語る。

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 ぼくの父もそのひとりでした。37歳で保険会社のサラリーマンを辞め、テーマ館のサブプロデューサーとしてこの万博に賭けたのです。当時は終身雇用が大原則。いまとちがって簡単に転職できる時代ではなく、万博が終わったあとの生活保証などありません。家庭をもつ者として大きな冒険だったでしょう。

 おなじように自分の人生を賭けて万博に挑んだ者たちがたくさんいました。彼らに話を聞くと、みな例外なく「こんな仕事にかかわれるチャンスは二度とない。とにかくやってみたかった。この手で万博をつくれるなら、あとはどうなってもいいと思った」と言います。彼らのような存在こそが、大阪万博をあのレベルで実現させた原動力でした。[3, p117]
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 このように多くの人々が人生をかけて取り組んだ万博は、日本国民に大きなインパクトを与えた。

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・・・なかでも最大のインパクトは、国際舞台で世界と互角にわたりあえたことを肌で感じた日本人に、大きな自信と誇りを育んだことだったように思います。小学校6年生だったぼく自身、「日本ってすごいl日本に生まれてほんとうによかった。これからもっともっとすごい国になるぞ」と感激しました。[3, p156]
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 冒頭で紹介した「子供心に科学、未来、世界といったものを感じました」「子供たちは未来の生活に夢を抱き、日本の技術力を誇りに思いました」という感想は、大阪万博を経験した多くの子供たちに共有されていたのである。


■8.我々自身の気概と情熱と志が問われている

 しかし、皮肉なことに、70年大阪万博をピークとして、その後の万博は入場者数においてもインパクトにおいても低迷を続ける。国内では沖縄、筑波、大阪、愛知と開催が続いたが、多くても2千数百万人規模となった。海外でも2000年のハノーバー博に至っては入場者数は目標の半分以下の1,810万人で、1,200億円もの赤字となった。

 唯一の例外が2010年の上海万博で7,300万人と大阪万博を抜いたが、これは史上初の共産圏かつ発展途上国での開催ということで、特殊ケースと考えられている。

 従来型の万博は先進国におけてはすでに役割を終えたのかもしれない。 2025年万博の大阪招致が成功すれば、日本はこの難題にチャレンジしなければならない。それは経済の成熟や少子高齢化という先進国共通の課題に対して、日本がリーダーシップをとって挑戦するという役割を担うことになる。

「大阪万博にあれほどの熱量を送り込んだのは『高度成長』などではなく、当時の日本人の気概であり情熱であり志だ」と平野氏は言う。ならば今度は、我々が子孫のためにどれほどの気概と情熱と志を持てるかが問われている。
                                        (文責 伊勢雅臣)






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