■恐怖の逆DV 妻から夫へのドメスティックバイオレンス -13ページ目

■恐怖の逆DV vol.34 彼女が受けたDV その2

なんと6ヶ月ぶりの更新です。


未曾有の不況の中、ブログの更新どころじゃありませんでした。


たまたま、チャックした所、更新して欲しいとのメッセージが


何件かあったので、こんな過疎ったブログでも読者がいるんだな~と


思い、また感謝の意味も込めての更新です。


今日は前回に引き続き、今の彼女(家内)が前夫から受けていた


DVの日記を公開しますね。


今回で彼女の日記は終わりです。



******************************



お店がオープンしてから夫は殆ど家と店の往復で、4月からは


ピアノの仕事を殆ど止めてしまった為、夫と一緒にいる時間が多く、


私の行動や言動について細かく干渉するようになりました。


お店では自分(夫)には絶対に迷うな! と言われ、まるで奴隷の


ような時間が過ぎていきました。


返事をしなかったりすると決まって暴力を受けました。


また、私の事で気に入らない事があると、夫の母親に逐一報告をし


私の婚姻生活は監視と暴力の連続でした。


こんな時に、普通であれば姑に相談をし夫の暴力や誹謗について


注意をしてもらうのが、本来の姿だと思いますが、姑は夫と考えを


共にし、私の距離は縮まるところか離れる一方で、私は心のより所を


失っていたのです。


また、日々の食事も一生懸命に作った料理を、一口食べただけで


「まずい!」


と怒鳴られ、その場でゴミ箱に捨てられる事もしばしばありました。


度重なる暴力・侮辱に、私は気の休まることなく緊張と恐怖の日々を


過ごしていたのです。


今思えば、まさしく当時はDVの典型的な夫婦だったと、


当時を思い起こしています。


ある日、いつものように夫が切れた時のことです。


私を無理やり母のいる実家に連れて行き、ドアを開けるなりいきなり


母親に


「あんたの娘がアホなのでいくら聞かせても話が分らないから、

あんた(母)が聞け!」


そう言うと、母を私たちの住む家に連れて行き、まるで精神疾患の


ように罵声を発しました。


「親のあんたの育て方が悪いから、こうゆう娘に育ったんだ!」


「どうして、結婚して今まで子供が生まれないか知ってるか?」


「こいつの子供なんか欲しくないからだ!」


私に言うのなら我慢し耐えればいい事ですが、彼は私の母親を目の前に


誹謗・中傷の限りをつくし、まるで鬼のごとく、


私たち親子を攻め立てたのです。


その日の事は今でも鮮明に記憶しています。


彼は切れると理性の欠片もなく本能だけで行動や発言をし、


私が反論をしようものなら、待っているのは決まって暴力でした。


このような事が、婚姻生活の殆どを占め、本来の夫婦としての会話や


楽しい時間を共に過ごす事は、全くなかったのです。


それどころか、私の事を常に監視・干渉をして自分の時間も殆どと


言ってないくらいの生活でした。


唯一、私が解放される日はピアノの日を利用してレッスンが終わった


後のわずかな時間を利用しての友人とのお茶の時間でした。


とわ言え、その楽しい時間の最中も帰宅してからの暴力や誹謗・


中傷の事を考えると時間を気にし憂鬱になる事もしばしばでした。


思い起こせば、ここに書いた事はほんのごく一部にしか過ぎず、


全てを語るのには、あの忌まわしい過去を思い起こさなければなりません。


今となっては全てを忘れたい、、、、そんな気持ちで一杯です。


本来であれば、夫婦とはお互いを支え助け合い、前向きな


コミニュケーションを図り信頼関係を築くのが私の理想の婚姻生活でした。


全ては望みませんが、夫との10年間は私の理想と180度異なった


生活でした。


最終的に私が選んだ夫ではありますが、ここまで辛い思いをして夫に


尽くす必要があるのでしょうか?


私にだって幸せになる権利はあると思います。


母親だって私が幸せに生活をしている姿をきっと見たかったと思います。


そして、私はこんな生活に耐えられなくなり、実家へと逃げたのです。


別居という言葉ではあまりにも現状の生活は伝える事が出来ないと


思いますので、今の私には夫の元からまさしく「逃げた!」のです。


********************************

これを読んだ時、DVと言うものは本当に憎むべき行為であり、

それを受けた本人の苦痛と怒りは、計り知れないものなんだなと

私も改めて痛感しました。

そして悲鳴は、相手には殆どと言って良いほど伝わっていないのでしょう。

こうして私と彼女の出会いがあり、お互いが同じ苦悩を抱えて

生きている事に運命的なものを感じました。