数年前のブログで「さよならも言えなかった」という記事を投稿したことを思い出した。


また繰り返すようだ。

人は出会ったら必ず別れる。
でも、本当ならできるはずの挨拶を、あなたもまたやらずに去っていくの?

私に傷跡だけを残して、ふわりと消えていく。

春に阿蘇山に行ったとき
風が強くて私のお気に入りのストールは
踊りながら飛んで行きそうだった。

そのストールのように、私の手からすり抜けていく。


どうしてこんなにも簡単に人と連絡ができるのだろうか!
こんなものさえなければ、私は何も冷静さを欠くことはないのに!



でも、私の期待する答えはない。どこにも落ちていない。

そうか。。。。寂しいと思っていたのは私だけなのか。
私だけなら、何かをする必要はないんだな。
それはちょっと寂しいことだけど、
君が寂しくないのなら、私は寂しがっていちゃいけないんだな。


だから私は何も言わず、見送ることもせず、日々の業務に没頭する。

このタバコは私が吸ってしまおう。

じゃあ、この紙切れは。。。。?





「縁があればまた会うかもしれませんね」


そう言って会えた人、指で数えられたっけ?


自分の中で止めていたものが
錆びた音を立てて動き始めそうな気がする。

まだ油を足す時期ではないとわかっているのに。

私は見ないふりをして
棚の中にしまい込むことができるのだろうか。



この夏、ダラムサラというインドの北部に向かう。

デリーからバスで12時間かかる場所。

1人で旅立つけど
そこで過ごす時間で、
私は自分の行く先を見つめようと思う。
早いもので、今日は5月20日だ。
帰り道、ふと「もう会えないのか」と思ったら涙が溢れてきた。
有名な歌詞じゃないけれど、少し上を向いて、音楽を聴きながら帰宅した。
父が亡くなって、今日で半年が過ぎた。


私の父は魚釣りが大好きで
魚釣りの帰り道、10メートルもある崖からの転落死だった。

最後に会ったのは3年前で、さようならも言えなかった。
ありがとうも言えなかった。
3年も顔を見せず、本当に親不孝な娘だと思ってる。
この後悔は死ぬまで消えないと思う。

叔父が
「今は寂しいが、日常に戻るとその寂しさは薄れていき、時々ふと寂しくなるものだ」
と、葬儀の時に教えてくれた。本当にそうだと思う。



本当はいろいろ書きたかったし、今日は書けると思ったけど
やはり、ここで終わることにする。

自分の記録として、書き留めておこうとは思っているのだけど
まだ、その時期ではなさそうだ。


今日はまっすぐ家に帰って正解だった。
誰かに会わないのは寂しいけれど、
今日は一緒にいても、とてもつまらない人間だったと思う。


駅から家までの帰り道、
父が亡くなって3年ぶりに家に帰って
父を前に、静かに泣く弟たちと泣き崩れてやつれた母の顔が頭から離れず
私は泣きながら帰宅した。たぶん1ヶ月ぶりではないだろうか。

本当はミニストップでプリンを買いたかったけど
こんな顔じゃもう一生ここのミニストップにはいけない!!!と思い
後ろ髪引かれる思いで帰宅した。

明日はプリンを買って帰ろうと思う。
また明日から、頑張ろうじゃないか。前を向いて。