発達障害、特にASD(自閉症スペクトラム)の人は、普通になりたいと願う人が多い。
不妊で子宝に恵まれない人が子供を望むように、
貧困家庭に生まれた人が、お金が欲しいように、
望んでも得られないゆえそうなりたいと願う部分もあるのだろうが、
本当にそれだけだろうか?
小さいころから他の子と同じ行動ができず、
小学校では集団生活からはみ出す。
中学校では、他の子のようにふるまえずはじかれ、
社会人になっても、定型発達者のように仕事を無難にこなしたり、つつがないコミュニケーションをとれない。
『みんなと同じようにしようね』
『何で集団生活からはみ出すんだ』
『あの子、変わっているからハブろうよ』
『普通になれ』
『みんなと同じように空気を読みなさい』
『君は協調性がなさすぎる』
普通ではない烙印を何百回、いやそれ以上押され続けている。
普通こそ大事。
そういう価値観がASD者は他者により染み込まれているのではないか。
本当に心から普通になりたいのか。
それが自分の本当の幸せか。
たぶん、この考えが当事者の幸せにつながる。
しかし、実際は人と違うことを生かして食べていける発達障害当事者(特にASD者)は少ないのではないか。
それが、余計に普通であることの強迫観念になると思う。
普通の呪いから解放され、自分自身が発達障害持ちであることを許せる。
それが二次障害に苛まれる多くの成人発達当事者に必要なことだと思う。
そして、発達障害を持つ子供のお母さん。
とても苦しいし、辛いし、子供の行く末がもどかしいかもしれないけれど、
他の子ができることができず、奇異な行動があって、集団になじめなくても、
そんな子供をまずは、今よりほんのちょっぴりでもいいから受け入れてあげてください。
お母さんのその優しさが、将来子どもが苛まれるであろう『普通の呪い』を和らげます。
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