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ホイジンガの遊びの理論

この記事の狙い:
ヨハン・ホイジンガが提唱した「遊ぶ人=ホモ・ルーデンス」から「遊び」について考察し、マーケティングプランに対してgamificationを取り入れることへの導線とする。

・ホイジンガの遊びの理論

1900年代初頭を生きたオランダの歴史家ヨハン・ホイジンガは、

人類を「ホモ・ルーデンス」と名付け、「人間」と「遊び」の関係性について論じました。

彼の「遊びの理論」そのものについての詳述は下記のpdfレポートにここでは譲るとして、

http://www.toyo.ac.jp/fba/keieironshu/pdf23/09_ogawa.pdf
(あとこんなものも)http://www.jstage.jst.go.jp/article/itej/60/4/491/_pdf/-char/ja/
彼の残した有名な格言のひとつとして

「遊びとは美しくなろうとする傾向がある」というこの言葉に着目してみましょう。

『遊びとは美しくなろうとする傾向がある』

まるで「遊び」そのものに意志があるかのような言い回しですし、「美しさ」の定義も分かりにくいです。

そこで彼の「遊び」に関する他の言説を覗いてみると、

・文化こそ遊びから生まれる

・文化、人間行動の質が落ちて遊びなる

・遊びは場と時間によって、日常生活から区別される

などがあります。ここで注目であるのは、1つめと2つめ。一見して意味内容が逆転しています。

これは、認知学や情報学における「オートポイエーシス」という概念と同じことが「遊び」でも起こっているのだと僕は考えました。

つまり、遊びによってできた新しい世界によっと構築される秩序がその内に自己循環をし始めることを示しています。

ここで、「遊びによって誕生した新しい世界」とは何でしょうか。世界とは私たちの暮らすこの「地球」ではないのでしょうか。

必ずしもそうとは言い切れません。

本来、今わたしたちが生活している「この日常生活」というものは客観的に存在しません。多様な歴史的背景、そしてその中で存在する個々人の記憶や特性が色濃く作用しあって個々人の主観の中でそれぞれに適合した形で世界が観測されていると考えられるでしょう。

つまり、われわれが生きている客観世界(があったとして)そこから場と時間(それにその遊び独自のルール)を区切ることによって

新たに「遊びの世界」が構築されることも考えられないことではありません。

少し大げさでファンタジーな言い回しかもしれませんが、「遊びの世界」ではその遊びのルールがこの世界の「物理法則」であったり「法律」だとイメージできます。

ゆえに、先のホイジンガの「美しさ」の定義とは、遊びという世界の中で存在する「秩序」のことだと想像することができます。

そして、その新しい世界(=環世界)はその秩序によって自己循環をしはじめることになるのです。

もっとも、遊びの世界にはこちらの世界での生物なり物質が要素として存在しません。ゆえに人間には認知することがこのままでは不可能であり、

一般的にはその遊びの「遊び手=生物」を媒体として我々の社会に浸透/接触して行きます。

(例えば今や全世界的には圧倒的な人気を誇るサッカーというスポーツ。その共同感覚によって世界中の人がワールドカップという興奮を共有できるようになりましたよね)

また時には、非生命である「物質」、いわゆる玩具を遊びの世界が媒介することも考えられます。

ものすごく原始的な例えをすればボール。

「スポーツ」なんて見たことも聞いたこともない辺境の地の子供の前にボールを置いたとき、その子供は自然とそのボールを蹴ったり持ち上げて投げたりするのではないでしょうか。

それが先々の「サッカー」だったり「野球」だったり形を変えつつ蓄積していくのです。

ここで注意して頂きたいのは、

この例えの場合、ボールという「球体」を人間が見た時に人間側がその用途を支配して使用方法も決定しているかのように思われますが、

当然その逆もありえると僕は思います。

例えば拳銃。(これを玩具と捉えることには抵抗を感じる人もいるかもしれませんが)

日本の子供が刑事ゴッコをして遊ぶとき、手と指を拳銃の形にして「バン!」と発声している場面は、みな一度は見たことがあるのではないでしょうか。

その時、その子供の意識の中で起こっていることは、まず先に「拳銃」という概念があって、それに合わせて自らの肉体を変化させているわけです。

ここでいう拳銃の概念とは、「筒状の形態の先端から拘束で小さな物体を射出して標的にぶつける」、くらいの意味です。

この概念は本来、ほんの数百年前の人間にはなかった概念/感覚です。

しかし近代になって拳銃があたりまえの概念として浸透されてしまっている可能性はあります。

拳銃は少しぶっそうな例えだとしても、そのように「すでにあるもの」によって無意識のうちに我々の生命的感覚が、

社会に生まれてからのわずか十数年の間に著しく矯正されている可能性は十二分にあるのです。

この感覚の矯正についてもっとも慎重に構えなければならない分野といえば、人間とロボットの融合。「サイボーグ」の分野だと僕は思います。

この領域についてはまだ技術が不十分であり、いささかSFの域を脱しない気もしますので詳しい言及はここではやめておきます。

しかし冗談まじりで話すとすると、例えば先の拳銃のたとえの場合、

子供たちが自分のおこづかいで自分の手を指先から豆鉄砲が出るように改造してしまうことも考えられるということです。

ゲーム性というものは、人間が自覚できない範囲も含めたあらゆる社会の場面において存在しており、人間に影響を及ぼしているのではないか、というのが僕の考えです。

「情報社会」とは何か? 2

「情報社会」とは何か? 大黒岳彦 著
http://ow.ly/5qA1q

デカルトの二元論的思想をとりまく種々の技術思想

・スペインの哲学者オルテガの場合
オルテガ技術論の画期的な点は大きくいって2つある。
ひとつは「手段としての技術」というデカルト的技術観の否定。
そしてもうひとつは技術には抽象的な層と具体的な層があり、二重的な存在であると洞察したこと。

オルテガにとっての技術は人間の絶えない自己実現欲求を満たすための存在であり、「手段」ではなく「目的」である。むしろ自然のほうが、技術を行使することで自己実現を求める人間にとっての手段であるとした。
技術における抽象的な層がこの「自己実現欲求」であり、つまり「よりよい生」への渇望である。
しかし具体的な層、よりよい生/よりよい社会を実現するために何を(自然よりも過剰に)に生産するかについては歴史的/地理的/文化的要素が関わってくることで多様化が発生する。


・ドイツの哲学者ゲーレンの場合
オルテガの技術論の発表とほぼ時代を同じくして。ゲーレンは人間をそもそも「不完全な動物」と定義した。
人間以外にも、自然界には様々な動植物が独自の「技術」をもって生息をしている。蜂の探訪技術やビーバーの巣作りなど、ともすれば人間の手作業よりもよっぽど精巧なる技術をもつ生物であっても、それはまるで自然というジグソーパズルの中の1ピースかのように適合している。
人間だけが自らと自然環境の間に大きな「空隙」があり、それを埋める操作や行為を繰り返しており、ゲーレンはそれこそが「技術」だと述べている。
そしてその「空隙」を埋めるために利用されるのは常に過剰な刺激であるとしている。製品やサービスによる過剰な(必要以上な)刺激の中から「選択」を行い人間は環境を作り上げて行く。

・神学者エリュールの場合
エリュールは「技術」に対して、technologyではなくtechniqueという語をあてた。
それは、技術というものを人間社会とは独立した存在として捉えるデカルト的発想を徹頭徹尾否定するためであり、常に技術とは社会と一体化した概念であると主張する。
エリュールはこの根本的発想を元に、技術を様々に分類していった。
時代的分類としてまずは「伝統的技術」と「現代的技術」。
次に現代技術の中を「技術現象」と「技術操作」に分類した。
「技術操作」とは個々の道具や機械に則した具体的な使用法諸々のことであり、これは伝統的技術の中にも存在する。しかし「技術現象」は現代的技術の中にしか存在しないとした。
その「技術現象」とは、
・・性能や効率がよいものがスタンダードになり、その他が淘汰されていく「技術選択の自動化」
・・一通りの技術が様々な社会構造的領域に関する技術にも採用されていくという「自己増殖」
・・個々の技術が相互依存し合うようになることから来る「単一性」と「技術の必然的連結」
・・本来非常に局地的で特殊な発明であるはずの技術が急速に地球を覆い尽くすに至ったことを示す「技術の普遍性」
・・技術が人間の管理の手を離れ自己循環的に運動することを示す「技術の自律」
がある。

「情報社会」とは何か?1

「情報社会」とは何か? 大黒岳彦 著
http://ow.ly/5qA1q

本書を読む狙い:インターネットメディアが従来的な社会にどのような影響を及ぼして来ているのか、背景を踏まえて考察する

・「技術」観について
メディア論を述べることに「メディア技術」という言葉を多用する前に、より一般化した「技術」観について著者の見解を理解しておこう。

本著では時代を仏の哲学者デカルトが生きた1600年代前半まで遡っている。
デカルトと言えば唯物二元論として「心と身体」「人間と自然」という風な二項対立を当時の哲学にもちこんだ。この二元論的価値観が現代までの技術観の源流であると筆者は述べている。

二元論的技術観とは以下のようなことである。
人間と自然とを対立的に捉え、その仲介のための「技術」。
人間の精神と物質的な自然とを対立的に捉え、その仲介のための「表象」。

2つの二項対立式はどちらが先立つかと判断することは難しいが、
デカルトの世界観にとっては、「表象」というメディアによって人間の精神は自然世界をより一般的な世界「像」として「写し取る」方向に動き出し、その方法が「科学(技術)」である、としている。


この、
自然と技術
を完全に分け隔てる技術観が誕生したことには、いくつかの背景がある。

ひとつは、「職人を代替する機械」の誕生。つまり機械がそのまま「製品」を「製造」するということである。
それ以前の技術はいずれも人間に道具的な活用をされており、例えば「人間の四肢」という有機的(自然的)なものに「従属して」いたのだが、それが無くなった。

もうひとつは、「エネルギー技術」の誕生。デカルト以前の時代における風力や水力、あるいは家畜が荷を引く力といった自然的な動力に対し、石炭によって生産される「反自然的」なエネルギーが誕生した。

以上2つの大きな背景によって機械技術がひとつの循環的なサイクルとして機械のみで機能し、生産までもを行うようになったことが、自然と人間とのニ項対立的技術観につながった。

不確実性の高い自然の支配から逃れ独立した技術はその後も加速度的に発展をし、社会の中で「全面化」されていった。
それは当初、製品生産過程などの経済的な領域で顕著であったが、
19世紀になり相次いで無線電信などの通信技術、ラジオや映画などのマスメディア技術によって、
人間と人間とのコミュニケーションの領域にまで侵略してきた。

本著ではここでいうような「コミュニケーション領域」に関する技術を特に「メディア技術」、
そしてそのメディア技術の全面化を指して「情報社会」の幕開けとしている。

まずはここまでを把握しておこう。

マーケティング経営戦略2

マーケティング経営戦略 宮脇敏哉【著】

1.広告プロモーションについて

プロモーションは企業が自社のイメージや経営方針、製品、サービスに関する情報を顧客に伝えることを意味する。その本質はコミュニケーションであるとされており、すなわちマーケティングにおけるコミュニケーションの役割を担う活動である、と定義できる。
プロモーションは、広告/パブリシティ/人的販売/狭義の販売促進からなっている。

そういった諸々の手段/方法で意味を伝達するためには、送り手はその意味を一連の記号に現さなければならない。このことを「記号化」という。意味をメッセージとして記号化するとき、意味の伝達を用意にするために送り手にとってまず大切なことは、受け手あるいはオーディエンスが良く知っている記号を用いることである。
言葉、絵、文字、態度など、相手はこれを解釈して意味を捉え、反応をしてくる。
送り手は自分たちの伝えたいこと、返して貰いたい反応はどんなものなのかを把握しておく必要がある。

※この点、先日の基礎情報学とも親和性が高い

先に挙げた手法のひとつである「パブリシティ」の定義について

「パブリシティとは、新聞媒体もしくは媒体所有機関に向けて、編集長の資格でニュース価値があると判断し、無条件で報道されることを希望して、情報を伝達するものである」

と言われる。

広告(Advertising)活動とは、媒体を通じて販売促進の役割を担う点で共通しているが、無償か有償かという点で区別される。

2.種々の科学的な消費者行動分析

マーケティングサイエンスの中の重要な要素として消費者行動分析がある。
すでに経済学、とくに「価格」と「所得」という経済変数を用いて消費者の経済行動を分析するミクロ経済学は長い間にわたって研究されてきた。

代表的な理論としては
マーシャルによる「限界効用の理論」「限界逓減の法則」
ヒックスの「無差別選択の理論」
サミュエルソンの「顕示選好の理論」...などがある。

このような理論の経済への貢献は確かにはかりしれないが、
市場や、あるいは消費者動向に目を向ければ、価格や財といった資本主義的な経済指標ばかりを変数に扱う分析には限界が感じられた。

よって、このような従来的な経済学的アプローチの他にも行動科学としての心理学、社会心理学、社会学、人類学などをはじめとする interdisciplinary approach の導入が必要とされてきた。

消費者行動と密接に関係しているとされる、動機/知覚/学習/パーソナリティ/態度、という面でとりわけ心理学が導入された。
なぜ、消費者はサービスを購入したりするのか。
広告の大きさや色や配置にどのような感覚を覚えるのか。
長期プロモーションを打つ企業に対しどのような情報を学習し、またしれが態度/行動に現れるのか...
という具合である。


続 基礎情報学1

続 基礎情報学 西垣通【著】

基礎情報学を把握する狙い:
「人から人」「モノから人」などすべてのコミュニケーションは「何かから何か」へ「情報を伝達する」過程をしめす。メディア環境もこのうえなく複雑になった現代でも誤り無く「情報」を捉えるための基礎を身につける。


基礎情報学での「情報」の捉え方

情報(information)とは、生物にとっての「意味作用を起こすもの」であり、また「意味構造を形成するもの」である。

では「意味」とは何であるかと考えると、もちろんそれは「言葉の意味」とは異なる。

言葉の意味、つまり辞書や百科事典に掲載される言葉の定義法は、ある「言葉」を社会的に通用させるべく、イデア的共通項を元に翻訳された、また新しい「言葉」でしかない。

そうではなく、「意味」とは生物にとっての「価値/意義」をあらわしている。

「社会」や「権力」といった個人よりも「上」の存在から天下り的に与えられるのではなく、
あくまで長い期間、生物が行動を起こして来た結果の累積値として「意味」は定められる。

極論すると、約40億年前に生物が発生してからDNAに蓄積されてきた、生物種としての記憶にも基づいている。

人間だけが特別であり、ほとんどの「記憶」は後天学習によって会得されるという、いわゆる「白紙=タブラ・ラサ」を肯定する主張は情報学ではきっぱり否定される。

「情報」の定義に戻ろう。

基礎情報学では、情報を大きく

・生命的情報
・社会的情報
・機械的情報

の3つに分類している。ただし、それぞれが無関係に存在しているわけではなく、
生命的情報>社会的情報>機械的情報
という風に序列が設けられており、例えば社会的情報はすべて生命的情報の集合の内にある。

最狭義である「機械的情報」から説明すれば、IT技術などによって一義的に交換可能な記号的存在であり、今日では「情報」と言えばおおよそこの「機械的な情報」の意味合いを指している場合が多い。
「個人情報の保護」や「ネット掲示板での情報交換」などという具合だ。

社会的情報とは、われわれ人間が「考えること」が可能なもの全ての情報だと考えれば分かりやすいかもしれない。こうして毎日のように書かれたり話されたりしている「日本語」だって社会的情報のひとつである。

つまりコミュニケーションを介してもっとも頻繁にやりとりされているのがこの社会的情報なのではないかと思う。
しかし、誰しもが想像できるように、社会的情報は決して「記号」のように一義的には交換することができない。
「今日は暑いなぁ」と誰かが言えば、それを聞いた気が利く誰かは「エアコンを入れて欲しいのかな?」と思いスイッチを入れるかもしれないが、他人に無頓着な別な人はただ「そうですね」と返答するだけかもしれない。

そして生命的情報とは最も広義な意味での情報であり、冒頭で記述した
・生物にとっての「意味作用を起こすもの」であり、また「意味構造を形成するもの」
の定義にもっとも当てはまる。
「生命的」という言葉から、生物が知覚器官(目や耳や鼻)を介して感じる刺激を指すものだと思うかもしれないが、それは必ずしも正確ではない。
が、ここでは社会的に記述されたり把握されたりしない情報(も含む)という程度に理解しておこう。



マーケティング経営戦略1

マーケティング経営戦略 宮脇敏哉【著】

「マーケティング」の誕生は、19世紀末まで遡ります。

1902年にミシガン大学の学報にて "Various methods of marketing goods"という言葉が用いられ、
1905年にはペンシルベニア大学で "The Marketing of Products"というコースが設けられました。

その後、アメリカ・マーケティング協会の用語定義委員会がマーケティングの概念を

「生産地点から消費地点に至る商品およびサービスの流れに携わる諸々の事業活動」

と定義し、さらに1948年には

「生産者から消費者または使用者に至る商品およびサービスの流れを導くとろこの、諸々の事業活動の遂行である」

へと変更されました。

ちなみに日本にマーケティングの考え方が導入されたのはおよそこの辺りで、日本マーケティング協会の設立は1957年です。

しかしアメリカではその後も定義内容は更新され続けます。

1960年
「マーケティングとは、商品またはサービスを生産者から消費者および利用者にまで、流通させることに関する事業活動の遂行である」

1985年
「マーケティングは個人と組織の目的を満足させる交換を創造するために、アイデア、商品、サービスを概念づけ、価格、プロモーション、流通を計画し実行する過程をいう」

このように多くの変遷を辿ってきたマーケティングの定義ですが、
その中心概念が「サービスおよび財貨の流通」にあり、さらにそれを実行/遂行する組織の経済活動に主眼を置かれていることが分かります。

マーケティングの前身である「販売」が、
もっとも単純な交易である物々交換の時代から徐々に分業/専業化が進み、中小規模市場が誕生。
原初的な貨幣制度が形成され、企業および経営の大規模が進む。
そして市場の中で少数の生産者が特定の需要を見込み商品を大量製造したことが、生産者と消費者の間で仲介をする「中間商人」を産み、マーケティングメソッドの大幅な発展を促したのです。

女子会はとても盛況でした

ひさしぶりにブログ更新しまーす スタッフの藤本です。

先日は学ぶapplimの第5回目、女性パネラー5名をお呼びして、募集も女性学生に限定しての「女子会applim」を開催しました。
スタッフの男性陣は僕も含め端っこでもじもじしっぱなしでした(笑)

女性には大変楽しめて頂けたらしく、

女性ならだれでも当てはまり、なおかつ強い連帯感を感じさせる「女子会」というコンセプトだったからこそ、

・そんなに「広告業界」に絞ってるわけでもないからなぁ
・イベントとか交流会とか慣れてないからなぁ

など、これまでapplimとは接点がなかった女子学生の方にも多数参加いただけたのかもしれません。

僕としては、よりたくさんの学生にapplimを知ってもらい、好きになってもらい、
そこから「広告/マーケティング」も好きになってもらえればそれだけで御の字です。

何を学ぶか、どうやって学ぶかは、本当に千差万別。色々な方法があると思います。

特に若い学生の間は、何を聞いても、どんな体験をしても新鮮に感じられ、今の自分に活かせることでしょう。

そしてapplimはできるだけそれぞれのコンセプトの中で「第一線」で活躍されている一流の方を講師としてお招きしているので、(基本的には)参加して学びがないことはあり得ない(笑)

ぜひ学ぶapplimにはガシガシ知識や見識を吸収する勢いで参加して下さい。
今後は、今回の「女子会」よろしく、もっと色々と特徴的なコンセプトでも実施して行きたいと思います。



さて、ここまでが前置き。↑
ここからが本題です↓



前置きのところでは「なんでも勉強になる!」と大見栄を切りましたが、そうは言っても時間は有限ですよね。面白そうなものに何でも手を出すわけには、、必ずしもいきません。

そこで、自分が「applim的なもの(広告/マーケティング/IT...etc)」のどういう部分がどういう理由で好きなのか今一度判断してみましょう。
漠然とした興味を、少しだけ具体的にしてみましょう。

「人の心を動かす仕事がしたい...」のならば

・「人はどういうものに心を動かされるのか?」
・「人は心がどう動かされるとお金を払うのか?」
・「製品のどういう要素が人の心に作用しているのか?」

「コミュニケーションをデザインしたい...」のならば

・「世界のどういう場面でコミュニケーションデザインは働いているのか?」
・「どういう職業の人がコミュニケーションデザインを働いているのか?」

・「従来のデザインの考え方とはどう違うのか?」
・「なぜデザインやクリエイティブの考え方がシフトしているのか?」

こういう思考のノートを蓄積していくと、ふと行き詰まった時や悩んだ時、
きっとためになるんじゃないかなぁと思います。

ペプシが開発した「ソーシャル自販機」




まずは上の動画(英語)を見て下さい。今回の「ソーシャル自販機」の概要が掴めると思います。

ネットでドリンクが購入できて、さらに友達にギフト(贈る)ことも出来るこの自販機について、
ペプシ側はこう述べている(らしいです)。



ソーシャル自動販売機は、「ランダム・アクト・オブ・リフレッシュメント」の実行にも用いられ、- 別のソーシャル自動販売機システムを通じて、他人に飲み物を買うことが出来るのです。例えば、天候に恵まれない地域に励ましの印として飲み物を送ることも、あるいは選手権で優勝した大学にお祝いの品として飲み物を送ることも出来ます。このプラットフォームは、購入に用いられるデバイスに関わらず、ドリトスの“クラッシュ・ザ・スーパーボウル”、“テイクオーバー™”、“ペプシ・リフレッシュ・プロジェクト®”、そして、“DEWモラクシー”を含むすべてのペプシ社のデジタルプログラムおよびソーシャルプログラムに拡大される可能性を秘めています。


インターネットを通じてバーチャルなギフトを贈るだけならば、今ではfacebookギフトがあるし、
普通にプレゼントを贈るのならばamazonがある。

この「ジュース1本」という手軽さをどう演出させるのか、
どれだけ日常に自販機が入り込んでいるのかが鍵を握るという点で、
意外と(自販機があふれている)日本市場でこそ真価を発揮するかもしれませんね。

最終的には、iPhoneでプレゼントコードを入手してそのiPhoneを自販機にかざすと
商品の購入が完了する、なんて日も近いかもしれませんね。

(でもそれだと、PASMOでいいじゃん、、という気もしますよねぇ。)

フェイスブックインパクト発売中

『 #fbimp 【マーケティング実務者必見】『フェイスブックインパクト』発刊記念トークイベントの一部始終 』

http://togetter.com/li/128964

4月28日現在(発売から約10日)現在4刷!『フェイスブックインパクト』の著者5名(高広伯彦氏、池田紀行氏、熊村剛輔氏、原裕氏、松本泰輔氏*アメリカからの映像出演)の方々が読者向けに行ったトークイベントの発言まとめです。笑点っぽく一人の執筆者からお題が提示され、そのお題に対して他の執筆陣が答える(応える)、というワクワク企画でした。お楽しみください。


,,,と、いきなりトゥギャり記事のご紹介です。

書籍「フェイスブックインパクト」の発売を記念した著者達によるトークイベントのまとめです。

フェイスブックインパクト ~つながりが変える企業戦略~



この書籍、著者には高広伯彦さん、池田紀行さん、原裕さん、松本泰輔さん、熊村剛輔さんという蒼々たる顔ぶれ。そして宣伝会議からの出版。
評判も非常によく今「売れている」facebook関連本の決定版ともいえるものなのではないでしょうか。

そして、残念ながら僕はいけなかったのですが、
著者が勢揃い(?)しての今回のトークイベントも濃い内容であったようです。

企業がfacebookマーケティングに取り組む意味や持つべき姿勢や注意点など、

とてもワクワクする内容で、勉強しなければいけないことが山ほどあるなぁと感じました。

書籍と合わせて、是非ご一読のほどを。

本棚

こんにちは、最近ブログの更新がだらだらの@genfujimotoです。

今日は、僕の家にある本をただただ列挙して行きたいと思います!
特に理由はありません!

数学ガール:http://ow.ly/4FUvR
数学を勉強している中学生~高校生を題材にしたドラマを主軸にした数学本。
「数の悪魔」×「もしドラ」÷2って感じです。字が大きいせいでけっこー厚みがあります。

Marketing 3.0: From Products to Customers to the Human Spirit:http://ow.ly/4FUyL
洋書ですがシンプルな言葉で書かれているので意外と読むのは苦じゃありません。と思ったんですが流石に日本語版に比べると読むのに気力はいるかもです。

芸術起業論:http://ow.ly/4FUAU
定番ですよね(まだ僕読んでませんが)。

つづいて一気に5冊ほど

広告で一番大切なこと:http://ow.ly/4FUFd

ある広告人の告白:http://ow.ly/4FUGo

アカウントプランニングが広告を変える:http://ow.ly/4FUGX

セルジオ・ジーマンの実践広告戦略論:http://ow.ly/4FUHI

広告マーケティング21の原則:http://ow.ly/4FUII

最近の広告業界志望の人はこういうの読まないのかなぁ、、と思って紹介してみました。
僕はこの中のどの1冊もおすすめしますので、よろしかったら読んでみてください。