Yukina

スタディーツアーとしてカンボジアへ7日間行きました。企業訪問や孤児院、キリングフィールドやトゥールスレン、小学校への支援活動、農村部の家庭訪問などのボランティア活動を中心に、活動の合間にはクルージングをしたりアンコールワット、ベンメリア遺跡を観光したり、市場に行って買い物や、全身マッサージを受けたりなど、様々なことをして、ものすごくカンボジアを満喫できたと思います。楽しみながら、しっかり勉強もできて、本当に有意義な旅でした。一日一日がとても内容の濃い日々でした。
その中でも一番印象深かったのは、孤児院、小学校と農村部に住む人々への訪問、そしてポルポト時代にたくさんの大虐殺が行われた、トゥールスレン、キリングフィールドへ行ったことです。ボランティアの一環で訪れた孤児院。ここにはあおプロが建てたトイレがありました。壁には手の洗い方を描いたポスターが貼ってあり、ちゃんと気を配られているんだなと感心しました。院長からたくさんのお話を聞きました。話による最近やっと様々な支援によって今まで食費が一人5ドルしか使えなかったのが今では10ドル使えるようになったり、ご飯を作るための台所が作られ始めていたり、少しずつではあるけれどだんだん改善されてはいるようです。それでもまだまだ資金は足りないようで、孤児全員分の学費までは手が回らず、子どもたちはちゃんと教育を受けられないと言っていました。
お話のあと、子どもたちと遊びました。バレーボールや鬼ごっこ、手遊び、iphoneで写メとり合戦したり、それからカンナムスタイルも踊ったりしました。孤児といえば、ちょっと内気な子のイメージでしたが、むしろその逆で、こっちが息が上がってしまうほどはしゃぎ回って一緒に笑いました。無邪気に遊ぶその姿からは孤児であること、貧しい暮らしを強いられていることなど、みじんも感じさせません。私たちには、明るく子供らしい素敵な笑顔を向けてくれました。それだけでもすごいな、たくましいなと感心したのに帰り際に、男の子と女の子が、私に小さなプレゼントをくれたのです。私はとても驚きました。なぜなら、自分が生きるのも大変な状況にいて、人に何かをプレゼントをしようなんて考えられるでしょうか。私はその時、本当の愛情、まごころを感じました。愛情に飢えているはずの子どもから逆に愛情をもらって、嬉しいのと、自分には何も返すことのできない不甲斐なさ、自分のちっぽけさ実感し、なんだか言葉には表せない気持ちになりました。彼らに出会って、本来の人間のあるべき姿を考えさせられました。
次に小学校訪問です。ここには支援物資をもって訪問しました。この小学校は、あおプロが建てた小学校で、私は初めてこの学校を見て、思ったよりも大きく立派で驚きました。到着してからまず初めに、校長先生から最近の小学校の動向について、お話を伺うことができました。最近は様々な団体からの支援が行き届いてきたらしく、日に日に学校の施設が改善されていっているそうです。しかし、現状はまだ改善すべきところがたくさんあって、まだまだ課題ばかりだそうです。話を聞いていて、やはり日本をはじめとする先進国との差や、教育制度の差、生活水準の差などをひしひしと感じ、この国は貧しいんだという現実を突き付けられました。私たちの行っているこの支援は彼らが自立できるまで絶えさせてはいけない。そして、今までよりももっと彼らの置かれる現状について向き合い、真剣に考えていこうと思いました。
校長先生のお話のあと、折り紙やシャボン玉、縄跳びなどをもって、子どもたちのもとへ向かい、一緒に遊びました。最初は照れ臭そうにしながら、私がカタコトの英語でCome on!と誘えば、そこにいる全員が一緒になって遊びだしました。とにかく純粋で可愛くて、愛しいという気持ちでいっぱいになりました。短い交流時間も終わり、最後に学校に通う子供たちに、鉛筆やノートなどの文房具をくばりました。みんな本当にうれしそうで、こっちまでうれしく、満たされた気持ちになりました。けれど、それとは裏腹に、こんな小さな子どもたちが、なぜ、こんな過酷な状況に立たされているのだろう、学びたいと心から願っている子供に、なぜノート一冊でさえも満足に与えることができないのだろう。と考えてしまい、なんだか遣る瀬無かったです。今まで何も不自由せず生きてきた私になにができるんだろう、そんな私が偉そうにボランティアなんて言ってていいのだろうか。とも思いました。けれど、そんなことを考えている間にも、こどもたちは終始笑顔を絶やさず、無邪気に笑っていました。私たち先進国に住む人間なんかよりはるかにたくましく、強いなと感じました。そんな姿その笑顔を絶やさないためにも、私たちはどんなに小さなことでも、どんな形でもいいからこの支援を続け、彼らの一日も早い自立を手助けしなければならないと、実感しました。
それから農村部に住む人々の家庭訪問。私は彼らほど強くたくましく生きている人を今まで見たことがありません。それくらい一人一人が一生懸命、毎日を生き抜いていました。車や家電などもちろんないし、ガスや水道、毎日の食事でさえ満足に食べられない時がある。そんな過酷な生活の中、人々は腐ることもなく、また、笑顔を絶やすことなく、毎日を必死に、生きていました。彼らの姿を見ていると、本当の幸せってなんだろう、と改めて考えさせられました。お金があるわけでもない、便利な家電や楽しいゲームもない、おしゃれもできない、学校にも通うのが難しい。そんな生活なのに、彼らは、そんな苦労も感じさせないくらい素敵な笑顔を向けてくれました。ある家の女の子は、医者になりたいと言って、毎日勉強を頑張っていました。勉強といっても現地の教育のレベルを考えると、医者になるための勉強と言ったら、途方もない努力と、学費が必要なはずです。それにもかかわらず、必死で、健気に頑張っている姿を見て、私は、思わず自分をせめました。こんな子どもたちが夢に向かって頑張っているのに私は何をやってるんだろう。必要なものがあれば大概のものが手に入り、ノートだって鉛筆だってすぐに買える環境にいるのに、ろくに勉強もせず、せっかく大学にまで通っているのに、未来のことよりも、単位のことで頭がいっぱいいで、なんだかもう自分の不甲斐なさと、今まで自分がどれだけの時間を浪費してきたかを実感させられました。しかし、それと同時に、せっかくこの気づかせてもらったことを忘れずに、私もこの女の子のように、過酷な現実を生き抜いているカンボジアの人々のように、頑張っていこうと思うことができました。
そして最後にトゥールスレン、キリングフィールド。トゥールスレンは、もともとは学校だったこの場所を特別収容所として使い、医者や学校の先生などの知識層やその家族を中心とした、多くのカンボジアの人々がひどい尋問を受けた場所です。生々しい尋問の跡、畳一畳ほどしかない狭い牢獄、尋問に使われた道具、犠牲者の写真、リアルな尋問の様子を描いた絵などたくさんの品々が展示されていました。尋問の現場を見たとき、本当に言葉を失いました。人間とはここまで残虐になれるのか。ここまで酷く、惨いことを、しかも、同じ人間、同じ種族にすることができるのか。人間とは思えない残虐すぎる行為に、恐怖を感じました。その後、キリングフィールドへ行きました。ここには、犠牲者の骸骨が並ぶ慰霊塔、大量虐殺された遺体を入れる無数の穴、人を殺すために使われた木や道具、毒の実、赤ちゃんを殺すために使われた木、キリングツリーなどたくさんの大量虐殺の痕跡がまだ生々しく残っていました。見学中に通った道のいたるところに無数の骨や衣類がまだ土に埋まっていて、私ははじめて、人の骨の上を土足で歩きました。その時の気持ちは言葉に表すことはできません。この大虐殺があったから、狂った権力者がいたから、今のようなカンボジアになってしまった。そう思うと、本当に辛く、言葉では形容し難い気持ちです。そしてカンボジアの悲劇を知った今、私にできることは何かを考え、必ず何か行動していこうと思いました。
最後に、カンボジアという国は、衛生面は劣悪でそこらじゅうゴミだらけお世辞にもきれいな国とは言えません。
車よりもバイクの数がはるかに多く、バイクの3人乗りは当たり前。多い時は5人乗り。さらに、ワゴン車の屋根の上に人を普通に乗せて走っていたり、交通事故があっても、事故現場も普通に車やバイクが通っていったり。買い物をするために市場に行けばみんなが競うように商品を買ってとせがんできます。ゴミはいたるところに落ちていて、馬や牛が普通に道路を徘徊していたり、子どもは普通に仕事をしていたり、1日1ドルで生活していたり、人々の生活を見れば、ひどいところでは水道ガス電機はない。ご飯も満足に食べられないなどあげたらきりがないくらい私の常識が通じないことばかりなハチャメチャなところです。このように、表面的に見ればカンボジアという国は貧しく、たしかに発達している国ではありません。しかし、そんな環境のなかでも人々は強くたくましく生活していました。すべての人が必死に毎日を生き抜いていました。私は彼らのそんな姿に心から感動と尊敬の気持ちでいっぱいになりました。そして何よりも、現地の子供たちの健気さ、素直さ、純粋さには本当に驚きました。私は支援する側にいるのに、逆に様々なことを、おおくの子どもたちからまなびました。
私は今までカンボジアは、治安が悪く、紛争や地雷があって危険。貧しい。何もなさそう。汚そう。など悪いことばかりイメージしていました。実際、初めてカンボジアに行き、私の考えていたカンボジアのイメージは様々な面で大きく変化しました。
手を振れば笑顔で振りかえしてくれ、hello!といえばまた笑顔でhello!と返してくれる。
小さな子どもも、同い年くらいの子も、強面のオジサンも、商売中のおばさんも、イケメンなお兄さんや、キレイなお姉さんもどんな人でもあいさつに応えてくれる、そんな温かい人々であふれていました。どんなに生活が貧しくても、彼らの心は先進国に住む私たちのような人間よりも、はるかに純粋で、豊かなのかなと、そう思いました。
とても短い間でしたが、この7日間は私にとって、様々なことを学び、吸収することのできた、素晴らしいかけがえのない7日間となりました。このツアーのおかげで、私は人間が忘れてはいけない様々な大切なことが学べたと思います。
まだまだカンボジアは貧しく、支援なしではきっとやっていけないと思います。だからこそ小さなことでもいいから今のこの活動を続けていきたいと思いました。まだまだ未熟で子どもな私だけれど、少しでも人々のやくに立ちたい。そして自立にむけて一緒に頑張っていきたいと強く思いました。
いろいろなことを学ばせてくれたすべてのカンボジアの人々、それから今回一緒にスタツアに行ったあおプロの仲間たち、そして何より、わたしたちのような学生を最後まで優しくお世話をしてくれたガイドのブッティさん、それから長時間の運転にもかかわらず、いつも笑顔を絶やさず、カンボジアのデザートを何種類もよそってくれた、運転手のロンさん。すべてのであった人々に心から感謝をこめて、オークンチュラーン!!!
第4弾!!
スタツアの感想はここまでです!
4月13日の新歓に向けてみんなで頑張りましょう!
yuri

スタディーツアーとしてカンボジアへ7日間行きました。企業訪問や孤児院、キリングフィールドやトゥールスレン、小学校への支援活動、農村部の家庭訪問などのボランティア活動を中心に、活動の合間にはクルージングをしたりアンコールワット、ベンメリア遺跡を観光したり、市場に行って買い物や、全身マッサージを受けたりなど、様々なことをして、ものすごくカンボジアを満喫できたと思います。楽しみながら、しっかり勉強もできて、本当に有意義な旅でした。一日一日がとても内容の濃い日々でした。
その中でも一番印象深かったのは、孤児院、小学校と農村部に住む人々への訪問、そしてポルポト時代にたくさんの大虐殺が行われた、トゥールスレン、キリングフィールドへ行ったことです。ボランティアの一環で訪れた孤児院。ここにはあおプロが建てたトイレがありました。壁には手の洗い方を描いたポスターが貼ってあり、ちゃんと気を配られているんだなと感心しました。院長からたくさんのお話を聞きました。話による最近やっと様々な支援によって今まで食費が一人5ドルしか使えなかったのが今では10ドル使えるようになったり、ご飯を作るための台所が作られ始めていたり、少しずつではあるけれどだんだん改善されてはいるようです。それでもまだまだ資金は足りないようで、孤児全員分の学費までは手が回らず、子どもたちはちゃんと教育を受けられないと言っていました。
お話のあと、子どもたちと遊びました。バレーボールや鬼ごっこ、手遊び、iphoneで写メとり合戦したり、それからカンナムスタイルも踊ったりしました。孤児といえば、ちょっと内気な子のイメージでしたが、むしろその逆で、こっちが息が上がってしまうほどはしゃぎ回って一緒に笑いました。無邪気に遊ぶその姿からは孤児であること、貧しい暮らしを強いられていることなど、みじんも感じさせません。私たちには、明るく子供らしい素敵な笑顔を向けてくれました。それだけでもすごいな、たくましいなと感心したのに帰り際に、男の子と女の子が、私に小さなプレゼントをくれたのです。私はとても驚きました。なぜなら、自分が生きるのも大変な状況にいて、人に何かをプレゼントをしようなんて考えられるでしょうか。私はその時、本当の愛情、まごころを感じました。愛情に飢えているはずの子どもから逆に愛情をもらって、嬉しいのと、自分には何も返すことのできない不甲斐なさ、自分のちっぽけさ実感し、なんだか言葉には表せない気持ちになりました。彼らに出会って、本来の人間のあるべき姿を考えさせられました。
次に小学校訪問です。ここには支援物資をもって訪問しました。この小学校は、あおプロが建てた小学校で、私は初めてこの学校を見て、思ったよりも大きく立派で驚きました。到着してからまず初めに、校長先生から最近の小学校の動向について、お話を伺うことができました。最近は様々な団体からの支援が行き届いてきたらしく、日に日に学校の施設が改善されていっているそうです。しかし、現状はまだ改善すべきところがたくさんあって、まだまだ課題ばかりだそうです。話を聞いていて、やはり日本をはじめとする先進国との差や、教育制度の差、生活水準の差などをひしひしと感じ、この国は貧しいんだという現実を突き付けられました。私たちの行っているこの支援は彼らが自立できるまで絶えさせてはいけない。そして、今までよりももっと彼らの置かれる現状について向き合い、真剣に考えていこうと思いました。
校長先生のお話のあと、折り紙やシャボン玉、縄跳びなどをもって、子どもたちのもとへ向かい、一緒に遊びました。最初は照れ臭そうにしながら、私がカタコトの英語でCome on!と誘えば、そこにいる全員が一緒になって遊びだしました。とにかく純粋で可愛くて、愛しいという気持ちでいっぱいになりました。短い交流時間も終わり、最後に学校に通う子供たちに、鉛筆やノートなどの文房具をくばりました。みんな本当にうれしそうで、こっちまでうれしく、満たされた気持ちになりました。けれど、それとは裏腹に、こんな小さな子どもたちが、なぜ、こんな過酷な状況に立たされているのだろう、学びたいと心から願っている子供に、なぜノート一冊でさえも満足に与えることができないのだろう。と考えてしまい、なんだか遣る瀬無かったです。今まで何も不自由せず生きてきた私になにができるんだろう、そんな私が偉そうにボランティアなんて言ってていいのだろうか。とも思いました。けれど、そんなことを考えている間にも、こどもたちは終始笑顔を絶やさず、無邪気に笑っていました。私たち先進国に住む人間なんかよりはるかにたくましく、強いなと感じました。そんな姿その笑顔を絶やさないためにも、私たちはどんなに小さなことでも、どんな形でもいいからこの支援を続け、彼らの一日も早い自立を手助けしなければならないと、実感しました。
それから農村部に住む人々の家庭訪問。私は彼らほど強くたくましく生きている人を今まで見たことがありません。それくらい一人一人が一生懸命、毎日を生き抜いていました。車や家電などもちろんないし、ガスや水道、毎日の食事でさえ満足に食べられない時がある。そんな過酷な生活の中、人々は腐ることもなく、また、笑顔を絶やすことなく、毎日を必死に、生きていました。彼らの姿を見ていると、本当の幸せってなんだろう、と改めて考えさせられました。お金があるわけでもない、便利な家電や楽しいゲームもない、おしゃれもできない、学校にも通うのが難しい。そんな生活なのに、彼らは、そんな苦労も感じさせないくらい素敵な笑顔を向けてくれました。ある家の女の子は、医者になりたいと言って、毎日勉強を頑張っていました。勉強といっても現地の教育のレベルを考えると、医者になるための勉強と言ったら、途方もない努力と、学費が必要なはずです。それにもかかわらず、必死で、健気に頑張っている姿を見て、私は、思わず自分をせめました。こんな子どもたちが夢に向かって頑張っているのに私は何をやってるんだろう。必要なものがあれば大概のものが手に入り、ノートだって鉛筆だってすぐに買える環境にいるのに、ろくに勉強もせず、せっかく大学にまで通っているのに、未来のことよりも、単位のことで頭がいっぱいいで、なんだかもう自分の不甲斐なさと、今まで自分がどれだけの時間を浪費してきたかを実感させられました。しかし、それと同時に、せっかくこの気づかせてもらったことを忘れずに、私もこの女の子のように、過酷な現実を生き抜いているカンボジアの人々のように、頑張っていこうと思うことができました。
そして最後にトゥールスレン、キリングフィールド。トゥールスレンは、もともとは学校だったこの場所を特別収容所として使い、医者や学校の先生などの知識層やその家族を中心とした、多くのカンボジアの人々がひどい尋問を受けた場所です。生々しい尋問の跡、畳一畳ほどしかない狭い牢獄、尋問に使われた道具、犠牲者の写真、リアルな尋問の様子を描いた絵などたくさんの品々が展示されていました。尋問の現場を見たとき、本当に言葉を失いました。人間とはここまで残虐になれるのか。ここまで酷く、惨いことを、しかも、同じ人間、同じ種族にすることができるのか。人間とは思えない残虐すぎる行為に、恐怖を感じました。その後、キリングフィールドへ行きました。ここには、犠牲者の骸骨が並ぶ慰霊塔、大量虐殺された遺体を入れる無数の穴、人を殺すために使われた木や道具、毒の実、赤ちゃんを殺すために使われた木、キリングツリーなどたくさんの大量虐殺の痕跡がまだ生々しく残っていました。見学中に通った道のいたるところに無数の骨や衣類がまだ土に埋まっていて、私ははじめて、人の骨の上を土足で歩きました。その時の気持ちは言葉に表すことはできません。この大虐殺があったから、狂った権力者がいたから、今のようなカンボジアになってしまった。そう思うと、本当に辛く、言葉では形容し難い気持ちです。そしてカンボジアの悲劇を知った今、私にできることは何かを考え、必ず何か行動していこうと思いました。
最後に、カンボジアという国は、衛生面は劣悪でそこらじゅうゴミだらけお世辞にもきれいな国とは言えません。
車よりもバイクの数がはるかに多く、バイクの3人乗りは当たり前。多い時は5人乗り。さらに、ワゴン車の屋根の上に人を普通に乗せて走っていたり、交通事故があっても、事故現場も普通に車やバイクが通っていったり。買い物をするために市場に行けばみんなが競うように商品を買ってとせがんできます。ゴミはいたるところに落ちていて、馬や牛が普通に道路を徘徊していたり、子どもは普通に仕事をしていたり、1日1ドルで生活していたり、人々の生活を見れば、ひどいところでは水道ガス電機はない。ご飯も満足に食べられないなどあげたらきりがないくらい私の常識が通じないことばかりなハチャメチャなところです。このように、表面的に見ればカンボジアという国は貧しく、たしかに発達している国ではありません。しかし、そんな環境のなかでも人々は強くたくましく生活していました。すべての人が必死に毎日を生き抜いていました。私は彼らのそんな姿に心から感動と尊敬の気持ちでいっぱいになりました。そして何よりも、現地の子供たちの健気さ、素直さ、純粋さには本当に驚きました。私は支援する側にいるのに、逆に様々なことを、おおくの子どもたちからまなびました。
私は今までカンボジアは、治安が悪く、紛争や地雷があって危険。貧しい。何もなさそう。汚そう。など悪いことばかりイメージしていました。実際、初めてカンボジアに行き、私の考えていたカンボジアのイメージは様々な面で大きく変化しました。
手を振れば笑顔で振りかえしてくれ、hello!といえばまた笑顔でhello!と返してくれる。
小さな子どもも、同い年くらいの子も、強面のオジサンも、商売中のおばさんも、イケメンなお兄さんや、キレイなお姉さんもどんな人でもあいさつに応えてくれる、そんな温かい人々であふれていました。どんなに生活が貧しくても、彼らの心は先進国に住む私たちのような人間よりも、はるかに純粋で、豊かなのかなと、そう思いました。
とても短い間でしたが、この7日間は私にとって、様々なことを学び、吸収することのできた、素晴らしいかけがえのない7日間となりました。このツアーのおかげで、私は人間が忘れてはいけない様々な大切なことが学べたと思います。
まだまだカンボジアは貧しく、支援なしではきっとやっていけないと思います。だからこそ小さなことでもいいから今のこの活動を続けていきたいと思いました。まだまだ未熟で子どもな私だけれど、少しでも人々のやくに立ちたい。そして自立にむけて一緒に頑張っていきたいと強く思いました。
いろいろなことを学ばせてくれたすべてのカンボジアの人々、それから今回一緒にスタツアに行ったあおプロの仲間たち、そして何より、わたしたちのような学生を最後まで優しくお世話をしてくれたガイドのブッティさん、それから長時間の運転にもかかわらず、いつも笑顔を絶やさず、カンボジアのデザートを何種類もよそってくれた、運転手のロンさん。すべてのであった人々に心から感謝をこめて、オークンチュラーン!!!
第4弾!!
スタツアの感想はここまでです!
4月13日の新歓に向けてみんなで頑張りましょう!
yuri