最近高橋ジョージさんと三船美佳さんの離婚報道をよく目にしますが、
その度に三船美佳さんは凄いなと関心します。
斎藤一人さんが、
「あなたにとって、今が修行の時です。
笑顔でのりこえましょう。
誰でも何らかの修行をしています。
それは、もともと人間は何らかの修行をするために生まれてきたからです。
修行とは「イヤなこと」か「苦手なこと」と決まっています。
「得意なこと」では、修行になりませんからね。
どんな修行も、時間がたてば終わります。
ただし、修行を「笑顔で乗り越えた」か「苦痛の顔で乗り越えた」かを、
いつも神様は見ています。
そして、「苦痛の顔で乗り越えた人」には罰を(!)
「笑顔で乗り越えた人」にはごほうびをくれるものです。
だから、笑顔で乗り越えなくてはダメなんです。 」と言っています。
これをまさに三船美佳さんに感じました。
離婚が辛くない人なんていません、
それでも人前(カメラの前)では満面の笑顔で、
レポーターの突っ込んだ質問をしなやかに流しています。
プロだな~と感心すると共に、凄いなと尊敬します。
カメラがなくなったら笑えない状況なのかもしれませんが、
カメラの前では笑顔を作れる事自体が凄いのです。
私に当てはめれば、
日頃痛かったり不安だったりして笑顔でいれなくても、
子供の前では満面の笑顔でいるということです。
これがなかなか難しくてできていません。
苦痛の顔をしていてもその苦痛が和らぐわけではないし、
逆に周りに不安や苦痛を伝染させます。
私も三船美佳さんの満面の笑顔を脳裏に焼き付け、
笑顔で乗り越えようと思います(^o^)/
こんにちは
今日もご訪問ありがとうございます![音譜](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
さて、ここ数日ネガティブなブログが続きました。
原因はわかっています。
今週CT検査があることと、
非常に大きくなった腫瘍と新しい腫瘍を自分で発見したからです。
要は不安で怖くなっていました。
ブログを立ち上げてすぐの頃に、
恐怖が病を大きくさせることを体験した記事を書いたのに、
また恐怖に飲み込まれていました。
ただ、その頃の私よりは成長しているようで、
以前は飲み込まれたら飲み込まれっぱなしだったのが、
今は「検査前でナーバスになっているな」とか
「恐怖に飲み込まれいるな」と俯瞰できるようになったようです。
では、次のステップ「恐怖に飲み込まれたらどうするか」ですが、
これは私もまだ実験途中です。
楽しい事を考えたり(気持ちが落ちているのでなかなか思い浮かびません)
ひたすら寝て意識を飛ばす、
「大丈夫」「心配ない」と自分を励ます(瞬時に弱音を吐いてきます)
っと、なかなかうまくいきませんでした。
っと言うことで、今日は逆に自分に喝を入れてみました。
「病気してたり痛かったりすれば家でゴロゴロしてられる。
痛いと言えばやるべき事もやらないですむ」
という考えがやっぱり私の根本にはあり、
でもそれでは人としての本当の生き方なんてできない。
だから、自分の脳なのか、なんなのかわからないけど、
「怠けてるんじゃない!
この病気が治らないのはおかしいんだ!
やることはたくさんあるんだから、
病気なんかしてる暇はない!
自分の役割をこなし、お金も稼いでいくんだから、
病気なんかしてる場合じゃない!
もうこの経験は終わり!」
ってなかんじで、鏡に向かって強く喝を入れました。
すると、全身に力が入るような、
血が沸くような感覚がありました。
身体中の細胞が「わかりました!活動開始!」となったような感覚です。
今までは自分に、優しくしたり、理解してあげたり、励ましてみたりしましたが、
そうすると私の何かが甘えてきます。
そうではなく、
「これだけやって、自分以外のすべての人が治ると信じているのに治らないのはおかしい!」
「この病を治す為にすべての細胞が働きなさい」
っと、今は厳しく働かせた方が私にはいいみたいです。
その方が私は強気になれ、治ると信念が持てるようです。
数冊本を読んだ中で、
「病気を治す」と考えると病気への執着がうまれるから、
「病気を忘れなさい」と書いてある本がありましたが、
私は「病気を忘れる」と思うと弱気になり忘れられませんでした、
逆に今日のように、強く「治れ!治れ!」と命令する方が強気になれて安心しました。
きっとどんな方法でもいいんでしょうね。
要はマイナス感情が消えて、安心できれば。
私は「叱咤激励」という言葉が好きです。
叱咤激励とは、大声で励まして奮い立たせることです。
決して叱りつけるということではありません。
自分に対しても、たまには叱咤激励するのもいいかもしれませんね。
今日もご訪問ありがとうございます
![音譜](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
さて、ここ数日ネガティブなブログが続きました。
原因はわかっています。
今週CT検査があることと、
非常に大きくなった腫瘍と新しい腫瘍を自分で発見したからです。
要は不安で怖くなっていました。
ブログを立ち上げてすぐの頃に、
恐怖が病を大きくさせることを体験した記事を書いたのに、
また恐怖に飲み込まれていました。
ただ、その頃の私よりは成長しているようで、
以前は飲み込まれたら飲み込まれっぱなしだったのが、
今は「検査前でナーバスになっているな」とか
「恐怖に飲み込まれいるな」と俯瞰できるようになったようです。
では、次のステップ「恐怖に飲み込まれたらどうするか」ですが、
これは私もまだ実験途中です。
楽しい事を考えたり(気持ちが落ちているのでなかなか思い浮かびません)
ひたすら寝て意識を飛ばす、
「大丈夫」「心配ない」と自分を励ます(瞬時に弱音を吐いてきます)
っと、なかなかうまくいきませんでした。
っと言うことで、今日は逆に自分に喝を入れてみました。
「病気してたり痛かったりすれば家でゴロゴロしてられる。
痛いと言えばやるべき事もやらないですむ」
という考えがやっぱり私の根本にはあり、
でもそれでは人としての本当の生き方なんてできない。
だから、自分の脳なのか、なんなのかわからないけど、
「怠けてるんじゃない!
この病気が治らないのはおかしいんだ!
やることはたくさんあるんだから、
病気なんかしてる暇はない!
自分の役割をこなし、お金も稼いでいくんだから、
病気なんかしてる場合じゃない!
もうこの経験は終わり!」
ってなかんじで、鏡に向かって強く喝を入れました。
すると、全身に力が入るような、
血が沸くような感覚がありました。
身体中の細胞が「わかりました!活動開始!」となったような感覚です。
今までは自分に、優しくしたり、理解してあげたり、励ましてみたりしましたが、
そうすると私の何かが甘えてきます。
そうではなく、
「これだけやって、自分以外のすべての人が治ると信じているのに治らないのはおかしい!」
「この病を治す為にすべての細胞が働きなさい」
っと、今は厳しく働かせた方が私にはいいみたいです。
その方が私は強気になれ、治ると信念が持てるようです。
数冊本を読んだ中で、
「病気を治す」と考えると病気への執着がうまれるから、
「病気を忘れなさい」と書いてある本がありましたが、
私は「病気を忘れる」と思うと弱気になり忘れられませんでした、
逆に今日のように、強く「治れ!治れ!」と命令する方が強気になれて安心しました。
きっとどんな方法でもいいんでしょうね。
要はマイナス感情が消えて、安心できれば。
私は「叱咤激励」という言葉が好きです。
叱咤激励とは、大声で励まして奮い立たせることです。
決して叱りつけるということではありません。
自分に対しても、たまには叱咤激励するのもいいかもしれませんね。
こんにちは
今日もご訪問ありがとうございます![音譜](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/038.gif)
私には主人と二人の子供がいます。
子供たちは8才と5才です。
主人はおしゃべりが好きなので、
仕事から帰ってくると今日あったことをあれやこれや話してくれます。
「会社の○○さんが、どーしたこーした」
「○○部長が仕事できなくてムカついたよ」などなど、
正直私には誰なのかまったくわからないし、
興味もなく、聞きたくもありません。
子供たちはだいぶ大きくなって、
いろいろと自分でできるようになりましたが、
それでもまだもちろん出来ないことも多く、
「ママー」っと5分おきに呼ばれ、正直ウザったいですし、
子供たちの話し方もまだ下手なので意味がわからず聞く気になれない事も多いです。
なぜこんな風に感じてしまうのか、
理想としては、
姑のように主人の話に興味を持てるようになりたいし、
子供たちとも、ちょっとした事を笑い合ったり、
子供の為に動く事を嬉しいと感じたいのに…
私は元々一人子で、一人の時間が多かったのも習慣としてありますが、
それにしてもなりたい自分と実際の自分のギャップに苦しくなる時があります。
なんで笑えないんだろ?
なんで楽しくないんだろ?
「そんな自分も認める」というけど、
認めたら本当にそのままになってしまいそうで…
まだ家族は私を愛してくれています。
子供たちも素直ですし、私を必要としてくれます。
主人もこんな私を理解してくれています。
だからこそこの優しい人達と笑い合いたいのに、
心の中では興味なく見下した感覚でいっぱい。
1日1%づつでも優しさが増えたら優しくなれるんだろうか。
こんな重い記事になってすみません。
またのご訪問お待ちしております
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子供たちは8才と5才です。
主人はおしゃべりが好きなので、
仕事から帰ってくると今日あったことをあれやこれや話してくれます。
「会社の○○さんが、どーしたこーした」
「○○部長が仕事できなくてムカついたよ」などなど、
正直私には誰なのかまったくわからないし、
興味もなく、聞きたくもありません。
子供たちはだいぶ大きくなって、
いろいろと自分でできるようになりましたが、
それでもまだもちろん出来ないことも多く、
「ママー」っと5分おきに呼ばれ、正直ウザったいですし、
子供たちの話し方もまだ下手なので意味がわからず聞く気になれない事も多いです。
なぜこんな風に感じてしまうのか、
理想としては、
姑のように主人の話に興味を持てるようになりたいし、
子供たちとも、ちょっとした事を笑い合ったり、
子供の為に動く事を嬉しいと感じたいのに…
私は元々一人子で、一人の時間が多かったのも習慣としてありますが、
それにしてもなりたい自分と実際の自分のギャップに苦しくなる時があります。
なんで笑えないんだろ?
なんで楽しくないんだろ?
「そんな自分も認める」というけど、
認めたら本当にそのままになってしまいそうで…
まだ家族は私を愛してくれています。
子供たちも素直ですし、私を必要としてくれます。
主人もこんな私を理解してくれています。
だからこそこの優しい人達と笑い合いたいのに、
心の中では興味なく見下した感覚でいっぱい。
1日1%づつでも優しさが増えたら優しくなれるんだろうか。
こんな重い記事になってすみません。
またのご訪問お待ちしております