2006-05-07 13:33:46

シリコンバレー物語(11)

テーマ:特集・シリコンバレー物語

従業員の多国籍化は世界一!?  


アメリカは“人種の坩堝”とよくいわれるが、シリコンバレーはまさにその典型である。最新の情報、最新の技術を求めて、そしてアメリカン・ドリームを夢見て、世界中から数多くの優秀な人材が集まってきているからである。 

 同じ会社、同じオフィスで働く従業員の国籍の多様さは間違いなく全米一であり、それはとりもなおさず世界一を意味する。そういっても過言ではないだろう。 

 たとえば、新日鐵OBのS社長率いる会社の社員数は約40人だが、その国籍はアメリカ、インド、中国、ドイツ、イギリス、アイルランド、韓国、イラン、日本という具合に、日本人の感覚ではとても信じられないほどバラエティーに富んでいる。

「従業員が多国籍なのでマネジメントはかなり大変です」 と、S社長も苦笑する。 この多国籍ぶり、無国籍ぶりは、同社に限ったことではない。シリコンバレーの会社はどこも似たり寄ったりである。 

 シリコンバレーで働く技術者、科学者の約3分の1はアメリカ以外の国で生まれた人たちであるという調査報告書などもある。 

 外国人技術者や科学者が多いということは、「いつかは自分で会社を作りたい」という独立起業予備軍が多いということであり、実際に独立起業に走る人が後を絶たない。 

 独立起業組に加え、アメリカン・ドリームを夢見て海外からやってくるアントレプレナーも多く、シリコンバレーのハイテク企業の5分の1は非アメリカ人の手によって設立されているという調査報告もある。 シリコンバレーに多種多様な人種が数多く集まっていることは、車を運転しているだけでも実感することができる。国際食豊かなレストランがあちこちにあるからだ。 中華料理、日本料理、メキシコ料理、イタリア料理、ベトナム料理、タイ料理、韓国料理--などなど。

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2006-02-26 09:00:38

シリコンバレー物語(10)

テーマ:特集・シリコンバレー物語
■起業家の8割はベンチャーキャピタリストが嫌い
 
 ベンチャーキャピタリストの存在はいかにもありがたいものに思えるが、しかし、シリコンバレーで話を聞くと、意外や意外、「ベンチャーキャピタリストは嫌い」という起業家が非常に多い。「起業家の8割はベンチャーキャピタリストを嫌っている」という話を聞かされたこともある。 なぜか?
 理由は簡単である。ベンチャーキャピタリストの狙いは、あらゆる支援をすることで投資先企業を成長軌道に乗せ、1日も早く、1ドルでも多くキャピタルゲインを得ることにしか考えていないからである。極端な話、キャピタルゲインさえ手にしたら、投資していた企業が倒産しようが何しようが関係ない。長期的展望など持ち合わせていないのである。
 一方、起業家はといえば、自らの会社が永続的な発展、成長を願うのが人情というもの。そういう意味では、両者の間には埋めがたい溝が、経営に対する考え方の違いが実は存在するのである。
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2006-02-19 09:10:30

シリコンバレー物語(9)

テーマ:特集・シリコンバレー物語

■ベンチャーを支える相乗り型支援体制


 投資確率1%前後という難関を突破したベンチャー企業は、運転資金としてまとまった資金を投資してもらえることはもちろん、その他にも様々な支援を受けることができる。 その最たるものは経営支援であり人的支援である。
 ベンチャーキャピタリストは、投資先企業の成功確率を可能な限り高めるため、多くの場合、社外取締役としてボードメンバーに名を連ね、経営全般に渡るアドバイスを行う。 そのアドバイス通りの経営を実践していくため(実践させるため?)の適材が社内にいないと判断すれば、自分の持っている人的ネットワークをフルに活用してCEO(最高経営責任社)やCFO(最高財務責任者)などをスカウトしたりもする。
 ベンチャー企業が享受できる支援の中には、会計事務所や法律事務所によるサービスなども含まれる。ベンチャーキャピタリストが投資を決めたことが発足間もないベンチャー企業の強力な後ろ盾になり、有力な会計事務所や法律事務所が有利な条件でサービスを提供してくれるのである。
 オフィス機器や什器などのリース会社なども、有利な条件で契約を結んでくれたりする。
 ベンチャーキャピタリストが厳しく値踏みして投資を決めると、それに相乗りする形で会計事務所や法律事務所などが必要なサービスを提供する。成功確率の高いものに相乗りする支援体制こそが、すなわちシリコンバレーにおけるベンチャー企業育成のインフラといわれるものである。

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2006-01-22 09:26:16

シリコンバレー物語(8)

テーマ:特集・シリコンバレー物語

■投資を受けられる会社は100社に1社


 ベンチャーキャピタリストが出資者から資金を預かってプールする仕組みを投資事業有限責任組合(リミテッド・パートナーシップ)という。同組合の業務執行組合員(ジェネラル・パートナー)に就任し、プールされた資金(ファンド)の運営責任者として投資活動を行うのが、すなわちベンチャーキャピタリストである。
 ちなみに出資者のことはリミテッド・パートナーといい、個人、年金基金、寄付基金、保険会社などが名を連ねることになる。
 ベンチャーキャピタリストは、プールされたファンドの2~3%を年間報酬として、また投資成果(キャピタルゲイン)の15%~30%を成功報酬として受け取ることになっている。創業者に次ぐ巨額のキャピタルゲインを手にすることができる、のだ。
 そのため、ベンチャーキャピタリストはより短期間により多くのベンチャーキャピタルを得ることだけに腐心し、そのために持てる知識、経験、人脈等を総動員するのである。 投資の成功確率を高めるため、ベンチャーキャピタストたちは投資先(ポートフォリオ・カンパニー)を厳選する。
「年間に審査する事業計画は千数百件にのぼります。そのうちの8割が先方からの売り込み。書類審査で半分以下に絞り込み、起業家本人にインタビューをしてさらに絞り込む。実際に投資を行うのは年間に10件から20件です」(原氏)
 シリコンバレーには数多くのベンチャーキャピタリストが集中しているが、だからといって彼らから簡単にお金を引き出すことが出きると思ったら大間違い。彼らの厳しい選択眼に叶うベンチャー企業は100社に1社あるかないかなにすぎないのである。有名なベンチャーキャピタリストの場合には、強力なコネでもない限りは審査の対象にさえなり得ないのが現実なのである。

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2006-01-22 09:21:18

シリコンバレー物語(7)

テーマ:特集・シリコンバレー物語

■ベンチャーキャピタリストの半数が集中


 シリコンバレーで活躍する日本人ベンチャーキャピタリストが2人いる。イグナイト・グループの三井信雄と、デフタパートナーズの原丈人の2人だ。
 1931年生まれの三井は、NHKから日本アイ・ビー・エムに転職し、米IBMの副社長まで務めたというキャリアの持ち主。シリコンバレーのに日本人起業家の中では、おそらくは最年長である。
 原丈人は1952年生まれ。英語とビジネスを学ぶため、79年にスタンフォード大学のビジネススクールに入学。在学中にベンチャーキャピタリストの存在を知り、「ベンチャーキャピタリストになりたい」と思うようになり、持ち前のバイタリティーを発揮して夢を叶えた人物だ。
 一方の雄である原によると、全米ベンチャーキャピタリスト協会に名を連ねる正会員は約1600人ほどだという。
「1600人のうちテクノロジーに投資をするのが3割くらい。その中でアーリーステージ・・つまり創業間もないベンチャー企業に投資をするのがまた3割、約140名くらいです」 全米ベンチャーキャピタリスト協会の正会員約1600人のうち、実に半数がシリコンバレーを活動の拠点としているという。その集中ぶり、偏在ぶりには改めて驚かされる。スタンフォード大学の北側に隣接するメンロパーク市サンドヒルロード3000(地名=SAND HILL ROAD 3000)のように、さながら“ベンチャーキャピタル団地”と化した地域が存在するのも、なるほどとうなずけるというものだ。
 多くのベンチャー企業が次々に生まれ、多くの資金需要がそこにあり、だからこそ多くのベンチャーキャピタリストたちがシリコンバレーを活動の拠点にし、多くのベンチャーキャピタリストが集中していることが世界各国から新たなベンチャー企業を呼び寄せる吸引力になっているのである。

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2005-11-13 08:19:51

シリコンバレー物語(6)

テーマ:特集・シリコンバレー物語

■失敗がキャリアの汚点にならない理由

 ジェリー・カプランは、さしずめシリコンバレーに棲む亡霊の典型といえる。
 カプランが最初の会社、ゴー(GO)を立ち上げたのは1987年のこと。ペン入力コンピュータを開発するという同社のアイデアはベンチャーキャピタリストらの投資意欲をおおいに刺激し、合計3000万ドル以上もの資金がゴー社に投じられる。
 が、期待のペン入力コンピュータは技術的な問題から製品化に至らず、1994年、同社はAT&Tに吸収合併されることになる。カプランの目論見は失敗に終わった。シリコンバレーに新たな墓標が立った。3000万ドルを超える投資が水泡に帰した。
 ところが、他の起業家がそうであるように、カプランも1度や2度の失敗でへこたれたりはしなかった。ゴー社が吸収合併されて間もなく、カプランはネットオークションの先駆けとなるオンセール社を立ち上げる。
 オンセール社はごく短期間に急成長を遂げ、早くも97年には株式を公開するまでになる。その瞬間、カプランの個人資産は一気に1億ドル以上に膨れ上がり、シリコンバレーのニューヒーローになった。ゴー社の失敗からわずかに3年後のことである。
 ジェリー・カプランの例からも分かるように、シリコンバレーでは1度や2度事業に失敗したからといって、ただちに『社長失格』というような烙印を押され、再起の道が制限されたり、閉ざされるようなことはない。
 なぜ失敗がキャリア上の汚点、前科にならないのか? その理由を思いつくまま上げてみると・・・。
【失敗するのが当たり前と了解】
 ベンチャービジネスのベンチャー[venture]とは冒険とか投機という意味である。動詞では「危険を冒してやる」「一か八かやってみる」という意味になる。こうした言葉が使われることからも分かるように、アメリカでは、とりわけシリコンバレーでは独立起業は多くのリスクを伴うものであり、失敗するのが当たり前という社会的了解がある。だからこそ、わずかな成功の可能性を少しでも高めようということで、ベンチャーキャピタルをはじめとした各種の支援サービス=起業のためのインフラが整備されているのである。「成功と失敗は紙一重であり、紙一重の差を知るには2回失敗することが必要だ」という金言さえシリコンバレーにはある。
【失敗を「実績」としてプラス評価】
 ゴー社の失敗によって、ジェリー・カプランは3000万ドルもの投資を無駄にしてしまった。日本でならば“3000万ドルを紙くずにしてしまった男”というようなレッテルが貼れ、経営者としての再起の道は閉ざされてしまうところだ。
 しかし、シリコンバレーでは違う。3000万ドルもの資金を集めることができたという事実、それ自体がひとつの実績として高く評価されるのである。結果的にAT&Tに吸収合併されてしまったとはいえ、AT&Tやマイクロソフトなどと互角に渡り合った経営手腕も、やはり高い評価の対象になる。
【失敗を帳消しにする成功報酬の大きさ】
 カプランの例からも分かるように、2度、3度失敗を重ねても、1度成功すれば過去の失敗をすべて帳消しにして余りあるほどの成功報酬をごく短期間に手にすることができる。
 事業が成功し、株式公開を果たした途端に墓場から蘇った亡霊(起業家)は資産数百億円の金持ちになり、投資家は膨大なキャピタルゲインを手にし、従業員もまたストックオプションのおかげで億万長者(ストックオプション・ミリオネアと呼ぶ。さしずめ“自社株長者”といったところ)の仲間入りを果たす。
 どの会社にも、どの起業家にもその可能性すなわち失敗を帳消しにする大きな成功の可能性があるから、だから何度か失敗しても大目に見てもらうことができるわけである。
【誰も損をしない構造?】
 ベンチャー企業の運転資金はベンチャーキャピタルやエンジェル(個人投資家)、コーポレート・パートナーと呼ばれる企業の投資によって賄われる。
 あくまでも投資であるから、仮に会社が倒産するようなことがあったとしても、経営者は提供された資金を返済する必要はない。日本のように社長個人が多額の負債を抱え、そのために身ぐるみはがされたり、自己破産に追い込まれたりすることがない。
 失敗しても傷が浅い。被害が少ない。したがって立ち直りが早い。いくらでもやり直しがきく。
 ベンチャーキャピタルやエンジェル、コーポレート・カンパニーは多くのベンチャー企業に分散投資をしているため、投資先(ポートフォリオ・カンパニーという)のいくつかが事業に失敗し、仮に倒産したとしても、それによって大打撃を被ることはほとんどない。10社投資した中で1、2社が株式公開でもすれば十分すぎるキャピタルゲインを得ることができるのだから。
 会社が倒産してしまえば従業員は職を失うことになるが、路頭に迷うようなことはない。年に3000社ものベンチャー企業が誕生し、一方には人手が足りなくて困っている大企業や中堅企業もたくさんあるからだ。能力さえあれば職にあぶれるようなことはない。
 このように、失敗が失敗として表面化しにくい構造になっているわけである。

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2005-11-13 08:17:32

シリコンバレー物語(5)

テーマ:特集・シリコンバレー物語

■「失敗」もまたひとつの実績であり財産


 一説によれば、シリコンバレーでは1年間に3000社ほどのベンチャー企業が誕生し、そのうち2500社ほどが1年以内に潰れるか、休眠状態に陥ってしまうといわれる。3年後の生存率はせいぜい5%ほどだとか。
 シリコンバレーは毎年数多くのベンチャー企業が誕生する産院であり揺りかごであり、そして数多くのベンチャー企業が衰滅し、消滅していく墓場でもあるわけだ。屍累々、である。
「潰れていった会社の跡に墓標を立てていったら、シリコンバレーはそれこそ墓標で埋まってしまう。まさにシリコンバレーはベンチャー企業の墓場ですよ」
 DVD用オーサリング(編集ソフト)システムの開発を軸に事業を展開しているベンチャー企業、スプルース・テクノロジーズの曽我弘社長はそういって苦笑する。1935年生まれの65歳。新日鐵を定年退職したのちにシリコンバレーで起業した他にあまり例を見ない熟年起業家である。
「シリコンバレーで成功しているヤツは、みんな、その墓場から出てきた連中なわけですよ。亡霊なんです(笑)。1回失敗し、2回失敗し、3回失敗して、失敗するたびにだんだん賢くなって、あるときパッと大きな成功を納める。それがシリコンバレーでは普通なんです」(曽我社長)

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2005-11-10 21:47:21

シリコンバレー物語(4)

テーマ:特集・シリコンバレー物語

 ■ネットワークの中にはいることが成功への第1歩


地縁、血縁関係が濃くなればなるほど、そこにおける人間関係は濃密なものになる。人と人とのつながりが重要視され、その分だけ排他的になる傾向がある。シリコンバレーもまさにそうである。有力な人の紹介がなかったら何も進まない人的ネットワーク社会なのである。
 当然のことながら、ネットワークの中に入り込むことができなければ、シリコンバレーでいい職にありつくことはできない。自らの才覚で起業しても、成功はおぼつかない。

 現地で活躍する起業家の1人は次のように話してくれた。
「たとえば、レジュメの中にインテルで5年間勤務した経験があると書いてあったとします。シリコンバレーではこれほど分かりやすい記号はない。彼らはすぐにインテルの関係者に電話をしてその人物の評判を聞き、信頼に足る有能な人物だという返事が戻ってくれば、その人をネットワークの一員として認めるわけです。社員として雇ったり、経営陣として迎え入れたり、資金援助をしたり、ビジネスのパートナーとして手を組んだり・・。 シリコンバレーでの実務経験がない場合には、学歴が有力な記号になります。シリコンバレーはものすごい学歴社会ですから。MBAやエンジニアリングのマスターを持っていれば、ネットワークの一員として認められやすいということがいえます」

                            (たきた)

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2005-08-03 20:17:11

シリコンバレー物語(3)

テーマ:特集・シリコンバレー物語

■フェアチュルドレンが作り上げたハイテクの都


“フェアチュルドレン”--フェアチャイルドの子どもたちを意味するこの造語は、フェアチャイルド社からスピンアウトした研究者や技術者たち自身を、彼らが設立した会社を、その会社からスピンアウトした研究者や技術者、彼らが設立した会社等々を指す。
 60年代後半のシリコンバレーでは、ハイテク企業で働くエンジニアのほとんどがフェアチルドレンだといわれたほどだ。
 数あるフェアチルドレンの中には、親をもしのぐ成功を納めた会社もある。ナショナルセミコンダクタしかり、インテルしかり。
 そしてまた歴史は繰り返す。
 ナショナル・セミコンダクタやインテルが大きくなる過程で、多くの研究者や技術者がスピンアウトし、多くのベンチャー企業がスタートアップした。
 このように、スピンアウトとスタートアップ繰り返しながら、同じようなルーツを持つ同族的会社が次々と誕生し、ハイテク産業の都=シリコンバレーが形成されていくわけである。
 シリコンバレーがあたかも1つの株式会社のように感じられるのは、地縁、血縁関係の濃い会社が数多く集積しているからである。(たきた)

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2005-07-26 08:57:34

シリコンバレー物語(2)

テーマ:特集・シリコンバレー物語

■シリコンバレー株式会社の系譜■

 

シリコンバレーの成り立ちを遡ると、“シリコンバレー株式会社”と呼ぶに相応しい系譜をそこに見出すことができる。
 シリコンバレーの系譜を遡っていくと1925年にスタンフォード大学の教授になったフレデリック・ターマン(1982年没・享年82歳)に行き着く。ターマン教授は学生に対し、東部の大手企業に就職する代わりに、大学で学んだ知識を活かして独立起業することを奨励した。
 彼の忠告に従った最初の学生、それがウィリアム・R・ヒューレットとデーヴィッド・パッカードである。1938年、大学に近い住宅街の一角にある小さなガレージで、2人はオーディオ発振器の製造メーカーとしてヒューレット・パッカード社を立ち上げる。当時のまま今も残るガレージの前には、『BIRTH OF SILICONVALLEY』(シリコンバレー誕生の地)と刻まれた碑が立っている。
 スタンフォード大学が所有する広大な土地を工業団地(スタンフォード・インダストリアル・パーク)として開発、整備し、ハイテク企業にリースすることを思いついたのもターマン教授であり、彼はまた自ら率先して企業や研究所の誘致も行った。その1つに、ショックレー半導体研究所がある。
 トランジスタの発明でノーベル物理学賞を受賞したウィリアム・ショックレーが、長年研究してきた半導体技術を産業分野に応用する目的で1956年に設立したのがショックレー半導体研究所である。設立当初の研究員は20人ほどで、のちにインテルを創業することになるロバート・ノイスやゴードン・ムーアもその中にいた。
 ショックレーは科学者としては優秀だったが、異常ともいえる偏屈な面を持ち合わせており、研究所設立のわずか1年後、57年夏、彼の下で働くことに耐えられなくなったノイスやムーアら研究所の主要メンバー八人が研究所を去っていく。
 この8人が中心になり、IBMの個人筆頭株主だったシャーマン・M・フェアチャイルドが150万ドルを出資し、57年暮れにフェアチャイルド・セミコンダクターが設立される。社長にはロバート・ノイスが就任した。
 フェアチャイルド・セミコンダクターは大成功を納め、60年代後半には3万人以上もの社員を抱える大会社へと成長を遂げる。 その過程で、シリコンバレーのあちこちで多くの“フェアチュルドレン”が誕生する。

(文・滝田誠一郎)

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