私の飼い犬あんずは、私が結婚した2011年9月、結婚当時借家だった為飼えず、姉に預かってもらう事になり、姉のお家の子となりました。
あれから時が経ち、あんちゃんはおばあさん犬になり、2020年10月初め頃、認知症も進みいよいよ歩けなくなって来て、介護が必要になりました。
姉、その家族は皆働いていた為、介護をできる状態ではなかったところ、我が家は一軒家に住みはじめていたので、再び2020年10月に我が家の子となりました。
あれから2年近く、あんちゃんの介護は試行錯誤の日々でした。
少しも目を離せない、張り付いて見張ってなくてはいけない状態で、本当に大変でした。
でもとても楽しい毎日でした。
けれど、私の身体はもう限界にきていました、
ある日夜中に気がつくと、私は寝ていたはずなのに、冷蔵庫を開けて、コーラの蓋を開け、キッチンのガス台のゴトクの中に注いでいました。
慌てて周りに溢れたコーラを拭きながら、
もう限界なんだと悟りました。精神的にも限界がきていました。
その数日後の朝、あんちゃんは突然痙攣を起こしました。病院へ連絡してすぐに連れていき、痙攣止めの注射を2本打ってもおさまらず、
すでにこの時点で、20分以上は激しい痙攣が続いていました。緊急入院となり帰って来たのは夕方。
痙攣はおさまっていましたが、体の硬直はひどく、呼吸も荒く苦しそうでした。
夕方姉と姪が駆けつけてくれて、一晩中交代で仮眠をとりながら看病しました。
もう力が残っていないので、化粧用コットンに砂糖水を含ませ、口の横から絞るようにして、ごくわずかな砂糖水をのませました。
しばらくして、ちゅーるを水飲み用スポイトに詰めて、ちょっとずつ口に入れると飲み込んでくれました。
翌日、姉達は仕事があるため帰宅。
あんちゃんはそれから、軽いゆっくりとした痙攣をずっと繰り返しながら、少しのお水と砂糖水とちゅーるを接種。それだけで2週間頑張りました。
痙攣を起こしてから2週間近く、もういよいよ無理かもしれないと思い、三日間お風呂も入らず、必要最低限の家事をこなし、夕飯は主人が作ってくれるなか、あんちゃんに付ききりでいました。
6月27日の朝5時、
私がうとうとから目が覚めるとまだ頑張っていたあんちゃん。でももう本当に苦しそうで、微かな呼吸でそれでも頑張っていました。
姉にすぐ連絡をしました。勘の良い姉は、その日が最後だろうと思ったようで、仕事を代わってもらって休みを取っていたようです。
あんちゃんの最後は私の腕の中がいい。
一代目の子は、最後を看取れなかったので、せめて私の腕の中でと、抱き上げました。
でも苦しそうに唸ったので、またベットにねかせました。
ずっと、あんちゃんに
「いい子だね。
大好きだよ。
愛してるよ。…」
と、繰り返し話しかけました。
すると、苦しそうに顔を持ち上げ頭をまわしはじめたので、
あ!吐くかも!
と、思い、片手で抱き上げ背中をさすると、吐いたので、口を急いで拭いていた時異変に気がつきました。
目は見開いたまま、
もしかして!
あんちゃんの胸に耳を当てて心臓の音を確認しようとしました。
呼吸をしていないのだから、もう状況はわかるはずなのにそれでも私は、あんちゃんの心臓の音を聞こうとしていました。
我に返って、もう生きていない。時計を見ると、7時28分を指していました。
17歳と3ヶ月でした。
姉は間に合いませんでした。
もっと早くに連絡をしていたら。と、今でも悔いが残ります。
結婚してから、姉の家の子になって約10年。
私はその間に、自分の子の感覚がなくなっていたので、最初我が家に来た時は、そこまで思い入れがありませんでした。
でも、2年近く介護をしていく中で愛情が溢れかえり、あんちゃんを手放したくなくなって、ずっと生きていてほしいと願うようになっていました。
覚悟なんてできませんでした。
だからあんちゃんは、最後まで頑張って、頑張って、頑張って、頑張り切ったのだと思います。
本当にいい子でした。
姉が駆けつけてくれて、2人で火葬場まで行きました。最後にあんちゃんに
「生まれ変わっても、また家族になろうね。大好きだよ。愛してるよ。」
と言いました。
2022年 6月27日 7時28分 永眠