長い間何も書いていませんでした。

抗がん剤
CEF→PAC療法
エンドキサン、フェルモルビシン、5-FU を3週間に1度3ヶ月打ち続け
ました。

回を増すごとに疲労感がたまりました。
爪も真っ黒になりました。
口内炎や喉の腫れもひどくうがい薬はかかせません。
3回目の点滴の後
体が思うように動かなくなりました。

点滴は2回右腕にうっていたのですが

これ以上右が痛くなるのもいやだなぁ・・と思い
看護婦さんに相談すると
左でやりますか?という事になり、今度は左で点滴をうってみました。

結果右腕の動きがやや鈍かったのに加えて
結局左も力が入らなくなり
両腕がふわふわ状態になってしまいました。

体もあちこち痛く、
紛らわすように
好きなものを食べていたら
またどんどん太ってきてしまいました。

4回目の点滴の予定でしたが
白血球が足りず、点滴できなくて帰ってきました。

会社もその為に休みを取っていましたが
病気の治療というのは思うようにはいかないですね。

ここ2~3日体調が良くビールもたくさん飲んでいました。
なのに白血球はまだまだでした。

先日検査に行った時は自力で回復しているので
筋肉に打つ白血球増量の為の注射は打たなくていいとの事で検査のみで 帰ってきたのですが
思うようにはいかないですね。


今後パクリセキタル+ハーセプチンの点滴が3月の20日過ぎから始ま ります。
最初は3日間入院で
その後一週間に一回通院になります。
またその前に心臓の検査で葛西にいったり、MRI、超音波を2回。
こんにちはすっかり御無沙汰いたしております。メー ルをチェックしてなくて、連絡おそくなりました。14 日はさすがに動けませんでしたよね!会社も休んでい るヒトいっぱい いました。次は何時行かれるのです か?私はこの地震で入院のスケジュールもずれ込む⁇ かな、と思っていたのですが予定通り明日から3日間 入院です。仕事の方がずれ 込入院とかぶって調整不能 になってきました。なんとかやってます。元気は元氣 です( ´ ▽ ` )ノ今日子供の高校入学の説明会でした! じゅんたさんはお元気でしたでしょうか?このとこ ろ、色んな事が思う様に行かなくて、さらに、震災も で、はかどらな い仕事と病院に掛かる時間とはがゆい 思いで、心が狭くイラっとする事も多く反省していま す。そのぶん犬をグチャグチャにいじり倒しでます♪


その後
パクリセキタル ハーセプチンを週に一度を3ヶ月
昨日二回めの点滴無事に終了で その後、会社行き、さらに飲みに行き、元気です。前 の薬より、すご くらくです
いまのところ薬やっている感覚もないくらいです!

治療はやっと、
ハーセプチンとパクリセキタル3回終了しました。
あと9回。
日々癌は縮小している感じです。しかし、先生に何度聞いても
リンパまで全部とる。とのことです。再発も怖いししかたないかな?と 思っています。
全身が日々痛かったり、力が入らなかったりしています。
ちょっとぼーっとしていたりもします。
髪は生えてきました。でもまた抜けるんでしょうか?
先日いつ切るのか?スケジュール知りたくて先生に聞いたら
12回終了しても、すぐに手術という訳でもなさそうでした。
このところ先生がどんどん変わり、先日の先生はなんだかいままでの
先生のなかではさいてーな感じでした。



3回目位から指のしびれ感が出てきました。

最後の頃は
足の裏の感覚、指先の感覚はなくなりました。
むくみもひどくなり歩くのがやっと
駅の階段などは息切れがして一気に上までのぼることができなくなっていました。

先日結局土曜日病院へ行き、再建の講義聞いたんです。
時間をおいて再建した方のなかで二人も
一回手術した後、次に反対側の胸にも乳がんができて・・・という方が いらっしゃいました。
その話を聞いてから、毎日の生活、食を大事にしないとと心配に・・・。

独特な雰囲気というのはあまり気にはなりませんでしたが
(一部そんなに張り切らなくても!と思うような方はいらっしゃいまし たけど(笑)) 私の場合大きくて、下がっているので、やはり、どうせ再建するなら
お腹の肉をとって胸にするのが一石二鳥でいいかなぁ・・と思っていま す。
ただしそれには2週間の入院+1~2週間の静養が必要らしいです。
癌切除の手術より大変ですね(笑)悩みは大きいです。
また日曜日に足の爪をハーゲンダッツのデカアイスが直撃
スーパーで袋詰めの間に落としてしまい
足の親指のうえにがーん!と!直撃したのです。(ハーゲンダッツは堅 いのです!) 即座に爪は真っ黒になり
ただですらはがれそうな爪が、本当にはがれつつあり、すごく痛みます。

頭にもくる場合がある、と言われたんですが
頭が重かったり、頭痛がしたりもやや危ない兆候なんでしょうか?
ちょっと怖いです。
また、愚痴ばかり。情けない状態ですみません。
実は点滴が若干恐怖です。まただ~・・・という気分です。
でも、もうちょっと!もうちょっとですね。

点滴後約2週間で髪が抜けると言われていましたが
本当にびっくりしました。
発熱後
血液検査に27日行きましたがその日から
急に髪が抜ける、抜ける、抜ける・・・・。すごい勢いで抜け始めました。
あっという間。およそ、26日から29日の間でバーコード頭に!(直視できません!!!!)
会社が29日まで勤務。
スヴェンソンさんでウイッグは買って用意してあるものの、まだ下にかぶるネットなど買ってないのです。調節もしてもらってないので、なんとか、29日が終わったら・・・・。そこまで持つだろう。
しかし、本当に急に抜けるのです。
シャンプーをしている間に髪に指を通せない。通すと、根こそぎ塊となって落ちてくるのです。
いゃぁ~。ぬくみずさんみたい・・・。急に頭がバーコードに。
29日の朝は危ないと思ってシャンプーしなかったのです。よかった。
30日とにかくそんなでシャンプー後、子供2人を新幹線で新潟へ向かわせ、私はスヴェンソンさんへ。
残っている髪を1cmほどに切ってもらい、ウイッグの調節。
前より頭は小さくなってました。ウイッグが大きい。髪のカットや調節は個室でやってもらへて、全部無料です。ウイッグのスタンドや、シャンプー、コンディショナー等購入。
帽子は市販のものをたくさん買いました。
遊びのウイッグや帽子につけるエクスてを
買い足そうと思います。
次の治療は5日です。
先日7日希望なんですが・・・。いっぱいです、年末年始はもう。との事だったので、あきらめていたのですが、先生が1つ空きが出た事を直接家にお電話いただいたようでした。優しい。家で留守番していた子供が出たようで、私にうまく伝わりませんでした。残念。そんな事で5日です。先生お忙しいのに有り難うございます。
抗がん剤の投与から灼く一週間。
何かつきものが落ちたように楽になった。
普通に歩ける。
早歩きで心臓がばくばくしない。
なんだか食べ物もおいしい。忘年会シーズンじゃ!!飲んじゃえ!!!いぇい!たべるぞぉ!
はははは!と・・仕事もスーパー忙しく忘年会に顔だすだけ!みたいなのもあったけど。
なんのなんの~。・・・と昔の私復活かの懐かしい気持ちになった。
ジングルベール♪ジングルベール♪はっはっは・・・サンタがビールを運んでくる!
しかし・・・
そんなものではなかった・・・
10日目くらいから頭痛が始まっていた。そのとき病院へ電話をして、先生から指示のある痛み止めの薬を飲んでいた。そうしているうちに投与後12日目突然の具合悪さにまた倒れる・・・。
今日はネイルでその後そのネイルの先生やら、セレブなママ様たちとセレブクリスマスパーティ・・・・と楽しい時間を過ごすはずだった。16時までには・・・必死の抵抗もむなしく、苦しみは増すばかり、
熱は上がるばかり。38.3度まで熱が上がりお腹が灼熱地獄のように熱かった。苦しい。
14日目病院へ。血液検査、診察。
先生もあれだけ、ビールは飲めるんですか??大丈夫?ビールは?飲めるんですね?と何かあれば聞いていた私がゲッソリしているのをみて心配そうな面持ち。私の話を丁寧に聞いてくれた。そして白血球がすごく減っている事、回復する注射を打つこと、肺炎を起こしてないかレントゲンを撮る事など話してくれた。次の予約をして帰る。
髪が抜け始めた。バサッバサッと・・・。
抗がん剤の点滴を受け会社に行き
這うようにタクシーで帰ってきてから
ベッドの中で丸くうずくまり身動きできなくなって
一晩。次の朝には起き上がることが出来た。
会社へ行く。いつもと同じように歩いているつもりだが足に重りがついているように動かない。
急いであるくことも、動く事もできない。常に弱ってゆっくりとしか動けない老人のようだ。
脳みそもまた鉛のように、重く、動かない。
すべてを動かそうとすると
一つ動くたびにギシッギシッ、アルイハキシッキシッ・・・的な、もう油の切れてさびかかった
自転車をもう一回復活させて乗ろうとしているかのようだ。
脳みそも動かない、記憶もできない。いつもの思考回路もない。
体も一緒だ。
何か食べても味もしない。美味しさも感じない。・・・・。
点滴後14:00会社in!
忙しいのだ!仕事なのだ!元気だし!
途中で買ったサンドイッチ、おにぎり、チョコ、食べまくりだ。片手で食べながら片手で仕事。
隣の人から、何ずっと食べてるの!??と避難。いいじゃないか!気持ち悪くないのだ。

仕事が一段落。ちょっと待ちだ。休憩室で寝てこよう。

30分ほどうとうと・・・・。すごく気分が悪くなり焦ってトイレへ駆け込んだ。
お腹が痛い。下痢だ。気持ち悪い感じも強い。
目の前が急に真っ暗になった。

ひどい下痢だ。
気持ち悪い。しかし、吐く事はない。
30分ほど格闘してようやく席へ。
いや、1分も持たない。
合間に仕事をしては急いでトイレへ。

お腹が痛い。
気持ち悪い。
目の前が真っ暗だ。今まで感じた事のない不調が体を襲っている。
足は鉛の足になったように重い、動かない。
もうだめだ。1時間トイレにこもり。出るものもなくなった後
這うようにタクシー乗り場へ、うずくまって後ろへ乗り。とにかく家に帰った。ベットへ倒れた。
12月13日
抗がん剤開始。
7;50病院へ。順番の札をとり血液検査へ。
血液検査の結果を待ち2時間後診察。
肝臓の数値が若干ひくい。問題はない。

点滴の方へ。
吐き気止めをもらい飲む。
点滴後の飲む薬の説明を受ける。

点滴開始。
カーリングのオリンピック選手に似た美人の看護婦さんがついてくれる。
CEF療法の点滴。
吐き気止めなどの点滴は何も感じなかったが
抗がん剤が入っていくとき体を巡る感じの後痛みが走った。
腕も痛い。
1時間で終了。

食欲もある。
何の変わりもない。元気だ、大丈夫。意外と何ともないじゃん!
なんの変化もないので
そのまま会社へ、さあ仕事だ。
13:30終了。
11月27日 スヴェンソンでウイッグ購入
いろいろな状況に応じ対処してくれる。奥に美容サロンもあり
髪が抜けた後誰にもその姿を見られずカット、ウイッグフィッテイング、調節できる。

12月11日
上野毛のカリスマアートメイクのサロンへ。
眉 アートメイク

その間12月4日は久々にパリから客人。
築地でくえ、鮨、家ですき焼き、その他食べまくった
ナオキのスゥイーツも差し入れてもらいパリからの客人と先輩夫婦と家の家族で久しぶりに食べた。飲んだ。

ずっと癌の宣告をされてから民間食事療法!?
もずく、酢、蜂蜜、レモン、玄米、を食べ・・・四つ足は食べない、塩分はほとんどとらない
甘いものもほとんどとらない等頑張ってきたが、これが最後とばかり、食べた。
思い残す事はない。

さあ、始まる。抗がん剤治療だ。
12月ですね。
ブログ休んでいました。

そうそう、
あの後検査はとにかく続き
10月11月と全部で
血液、マンモグラフィ、超音波のほか、

肺のレントゲン、心電図、リンパの超音波、腹部の超音波、
胸のMRI、骨シンチ
乳がんの細胞検査、リンパの細胞検査、
骨シンチの結果腰に黒い陰で、念のため腰のMRI
それゾレの結果がでた後バコラ生検(麻酔、5mmほど切り細胞を切り出し、癌の性質をみる。
など、
あと、心臓などもう一度
葛西の循環器の病院で検査。心臓の大きさなどを測ってました。

そして、後は癌治療へ。
抗がん剤いよいよ開始です。
癌妍有明は
当日受け付けてもらえた。
もちろん健康診断の結果についていた紹介状をもって!

診察
若い女医の先生。

触診。

かなり可能性が高い。

ここは患者さんがたくさんいます、
検査も順番があり時間がかかります、手術も3ヶ月くらい待ちます。
ここで治療をしていく覚悟はありますか?
というような
内容を確認された。

他にどうしようもないではないか!?

マンモグラフィ、超音波・・・
検査をしましょう。

ここではすべて検査をし直します。
血液をとります。
てきぱきとした手順で
次から次へと検査が始まった。
翌日の月曜日
朝起きると・・
やはり悪夢ではない文字をもう一度みる。
これは夢ではない。
しかし、悪性乳がんの疑い。
そうだ、あくまでも、疑い。
でも、病院だ!どこへ行けばいい!?
近くに国立がんセンターがあるではないか?
聖路加があるではないか?
・・・・。どこに行こう!会社どころではない。
朝、家にまだいるパパにぼそり。
「病院行こうと思う。」
「なんで?」
「これ・・・」
「え・・・」
信じられない、といった様子。
私だって未だ信じられない。ひとごとだ・・・。
すると急にPCで調べ始め、
有明にある癌妍がいいよ!!と。
家の今から見えるビル。
有明癌妍へと
電話をして吹っ飛んでいった。
よく、疑い。といっても
そうでない事もあるから
大丈夫大丈夫といい聞かせながら。