前の続きです。
「大社町史 上巻」の天正時代から、 「源五郎」 さんを探し始めました。
「上巻」 には見つからず、 「下巻」 へ。
そして、おおよそ2時間程経った時に、やっと見つけました。
閉館15分程前でした。
「 良かった。 これで明日からは観光出来る 」と、私。
とは言っても、そこに載っていた「源五郎」さんが、「さくら」の父上の「源五郎」さんなのかどうか・・・
以前にも書いていますが、ここら辺の時代のことには全く関心がなく、
試験が終わったら、即、頭から抜けてた私でしたから、
出雲やこの時代のことを調べていると、
今はとっても新鮮な気持ちで面白いのですよ
帰ってから調べて知ったのですが、
「北島家」とは、正式には「出雲国造北島家」なのですね。
遡りその始祖は、天照大御神の第二子の神様の天穂日命(あめのほひのみこと)で、
今の「国造北島家」は、第80世であるということです。
これに関して、綴ると長くなるので省きますね。
関心のある方は、調べて下さいませm(__)m
なので、 「出雲国造千家家文書」と 「出雲国造北島家文書」の
二つの古文書があって、そのうちの1つに載っていたというわけですが・・・
この「源五郎」さんの名前の載っていたページの写真は、
出雲市立出雲中央図書館の担当者様より、
「資料の二次利用」ということで、許可は頂けませんでした。
でも、当然ですね。
ほんとは、写真を撮ってはだめなのだそうです。
それなのに、
前回の写真は、問い合わせに対し、
「『大社町史』の著作権は出雲市にあるから、いいです」と許可して下さったのです。
わざわざ館長さんにも確認して下さったりして、
大変お手数を掛けたのです。
もし、この記事をいつか読まれることがあったなら、
この様な内容のことで載せたのを解って頂けたと思います。
ありがとうございましたm(__)m
節句なので桜餅作りました
「さくら」という名前だったからではありませんが、
以前より「さくら」の言葉に反応します
御内裏様の顔が、どうやっても
この顔から変えれませんでした (゚ー゚;
どう見てもマツコ雛に見えてしまう御内裏様です。
「何あれ、おにぎりみたいに大きな桜餅 があるわね でも美味しそう 」
御雛様
「誰が食べるのでしょう・・・」
マツコ御内裏様
「決まってるじゃない あの人、あの人よ。 私達を作ったあの人よ 」