ANDO YOSHIMI MEDIA BLOG

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あんどうよしみのOFFICIALブログ



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Greetings from ANDO YOSHIMI MEDIA



あんどうよしみのブティック・メディアへ、ようこそ!




私には絵に描いたような幸せな暮らしがあった。


しかし、ある日突然、黄班変性症にかかり失明宣言を受けた。


荒波にさらわれて、生き地獄に転落した私は、波に乗って、


持って帰ってきたのが、生きる智慧のパンドラの宝箱だった。


今、その箱を開ける、時がやってきた!



戦後教育の弊害児



「戦後教育の弊害児」
これはある年配の知識人が言った言葉。
「弊害へいがい」とは、害となる悪いこと、という意味だ。
彼は、戦後の教育がもたらした、害となる教育、これを指して言ったのだろう。
つまり、戦後に、弊害となる教育を受けた者たちを指して言う言葉。
初めて聞く言葉だったので大変印象的でした。


りっぱな学歴だが、想像力乏しい、応用できない、ゆえに、問題解決ができない。
真面目だが、独創性に欠ける、本質がわかってない、一方通行人間である。
内容的には、こういうものでした。
今から10数年前のことですが、
ある地域開発のミーテイングで、ある問題が討論されていた。質問に対し、意見が求められた。そこへ、私より3歳年上の先輩が手を上げる間もなく、シャキシャキと自分の意見を述べた。そうすると、この年配の知識人がすぐさまにこう言った、


「よく出来ました!あなたは戦後の優等生。まさしく戦争教育の弊害児だ!」と。

ちなみにその先輩は超名門大学の出。しかも行動力のある真面目なお方。私は尊敬していました。私は優等生ではなかったのですが、つくづく自分もそうではないかなと思った。

国を営む上で、国民の声はすごく大事。
そう、日本のバックグランドについて知る、このことの重要性に気づいたという点では私もMさん(下記読者のコメントより)と同じでした。
集団的自衛権の行使問題が騒ぎになって、私はこれをきっかけに、
日本憲法や歴史などについて改めて勉強した。
ひとりの国民として声をあげるには、それなりの日本のバックグランドを把握しなければならない、これは一大事です、大変重要であるということに気づきました。


そもそも、私は憲法は国民を守る為に作られる、こんなことも十分に知らなかった。
そもそも、なぜ、日清戦争、日露戦争が起きたのか?これも十分に知らなかった。 
私は、戦争教育の弊害児だ! なぜなら、
例えば、これまでも、憲法や日清戦争・日露戦争などについては学校教育で習ってきたはずだ。それなのに、私はそれらの内容や意味について印象がない。これって社会に無関心? それとも単なる平和ボケだからでしょうか?
振りかえてよく考えてみると、
日清戦争、日露戦争が起きた年代、また、憲法とは何か、これらはテストに出たような気がする。あるいは、テストに出るからよく暗記していたか。

あれもこれもそれも・・、そもそも、学校で習うもの、徹夜して猛勉強するのも、すべてはお受験の為、内申書の為、つまり、学歴の為の人生だった。

点数を取るだけの暗記勉強、だから、その内容や意味について十分に知らない、ということなんですね。


それでも、日本教育は美点多かった、これは私一個人としての感想。
特に、人としての品格の大切さを大変学びさせて頂きました。
ただ、一個人の考えを積極的に引き出すトレーニングがなされなかったことが大変に残念に思う。つまり、みんなでディスカッションする場面がない、ということですね。


集団的自衛権の行使問題について、正しい答えはないと思う。

大切なのは、一国民として「知る」義務と権利があるということ、声を出して社会参加して行くことだ。私はみんなの声を聞いてみたかった。それでブログに。

なぜ、日清戦争、日露戦争が起きたのか? 

戦争になるまでの経緯、そして、どんな戦争だったのか、また戦争後、国民は本当に豊かになったと言えるのか? で、他の国の国民はどうなったのか?

私は、日清戦争や日露戦争を通じて知ったこと、思い知らされたこと、それはいかに戦争が愚かで、その爪痕が悲惨である、ということだ。


私が参考になった記事です。                       
日露戦争で日本は、米国系ユダヤ人らから借金をして ... - NAVER まとめ

matome.naver.jp/odai/2136214578373977801 

【借金に追われて】日本が太平洋戦争に突入した理由が悲しすぎる【原発・靖国まで】



読者からのコメント                                   1. 和人になりたい
M 2014-06-03

正直なところ、集団的自衛権について、そうするしか仕方がないのかなと思っていました。
日本にアメリカ基地があることが、他国への抑止力になっている、それに協力するのは当然では?そう思っていたからです。
(
不快に思う方がいたらごめんなさい。無知ゆえにそう考えてしまっていたんです)

でも先生のブログを読んで、新聞記事を読んでみましたが、集団的自衛権の行使問題がいかに、おおごとであるかがわかりました。
自分もまたまだ平和ボケから抜けていないんだなと、反省しました。
そしてテレビ情報だけでは偏っているし、日本のバックグラウンドを知らなくては、これが重大問題であると気づかない、と言うこと。

戦争がなくならない、
「領土問題があるから…」
「宗教問題がからむから…」
「人権問題があるから…」
「日本を守るためだから...

言い訳はいっぱい出てくる。

和人、私も努めて"和人"になりたい。
一緒にいるだけで心和む、そんな人が増えたら、本当に世界平和も夢ではないのでしょうね。



Mさん、初めまして。
ありがとう!
こんなコメントがほしかった。
あなたの声が聞けて大変よかったです。


あんどうよしみ



「和人」これが最高の安全保障だ!



地上の人間がみんな「和人」になればいいんだ。

これは憂世の士である友人が言った言葉。

これを聞いて、私は目からウロコが落ちた。深く感銘した。

※「憂世 ゆうせい」とは、世の中のことを心配する、国家の安危を心配すること。 

「士」とは、学徳のある、りっぱな人。



願いは、戦争のない世の中。

後世に生きる子孫の健やかな成長。

先日、憂いをともにする友人と熱く語り合った。気がついたらなんと11時間が経った。

話は、戦争のない世の中を、後世に生きる青少年青少女に残したい。

いかにして「心の教育」を行う。についてだ。



世界の国が「和国」であればいいね。

私はこう言った、

「世界の、それぞれの国の国民が《和心》をもて国を成せば戦争は起きない、そうすれば世界平和につながる。」

つまり、「和国」の樹立を提案した。



いや、世界の人間が「和人」であればいい。国籍は関係ない。

友人はこれに対してこう言った、

「いや、国ごとで考える必要はない。

地上の人間がみんな《和人》になればいいんだ

国籍は単なるその人の国家所属の資格、いわばその人の表札みたいなものだ、 その人の本質ではない。  

人間はみな「人類」である。その性質が《和》であればいい。

ゆえに、《和人》の樹立、和人をつくっていけばいい。」



友人は、小柄な人だが、海のようにおおらかな心の持ち主だ。

口調の一つ一つが、ゆったりとしてこせこせしていない。

彼が言った「和人」とは、和の心を持た人間のことでしょう。



《地上の人間がみんな「和人」になればいい》

これは実に、人間の本質をとらえた思考の回路だ。

国籍は、その国に所属する資格。それぞれの国が定めた法律のもとで作られる。

人間に「人間籍」があるとすれば、人として生まれたからには、誰でも「人間籍」に所属することができる。

どうすれば、戦争のない世の中になるのか?  

この問いに、友人は、

〈国に問いかけるのではなく、一人ひとりの人間の、自分自身の本質に問いかけてみよう、と、そう言っているのでしょうか。〉



《地上の人間がみんな「和人」になればいい》

これが真の世界安全保障なのかもしれない。

国家の防衛問題は、一大事。国民全体で考えるべきだと私は思う。が、

正直言って、自分に何ができる? と、ついつい逃げ腰になってしまう。

そんな集団自衛権の行使容認が問題視される最中に飛び出した、この言葉。

私は目からウロコが落ちる思いだった。つまり、

国家防衛も、自己防衛も、外面の戦闘態勢を固めるのではなく、

真の防衛とは、内面から固めて行くことですよね。

自分にできること、みんなにできること、

それは努めて「和人」になることだ!



あんどうよしみ

心のバブル、これが「心の飢餓」をつくる。Ⅴ


負けないこころのレシピ




殴られたからといって、殴り返してはいけない。

殴り返せば、相手も殴り返してくるだろう。

憎い相手を憎しみで返してはいけない。

なぜなら、

邪気が共振して憎しみが倍増するからです。

憎しみは心の苦しみをつくる。

慢性的な、心の苦しみ、

これが《心の飢餓》だ。



殴られて体は傷くが、命は亡くならない。

命あることに感謝し、体を治療して養えば体は回復できる。

しかし、憎しみを憎しみで相手に返しても、

憎んでいる念は自分の中からは消えない。

これが、心の飢餓をつくる。



「飢饉」と「飢餓」は、似ているようでその現象は違う。

「飢饉」は、一時的な、地域的現象。

食べ物が欠乏して餓えるが、命は亡くならない。

人と人の心をつなぎ、食べ物を分け合えば、体は養われて回復できる。

「飢餓」は、慢性的な、食糧不足や酷く栄養の状態が悪い現象。

この状態が長く続けば、命を落としかねない。



「心の飢餓」は、特に、心の問題、心の病を指す。

心の状態が、慢性的な、愛情不足や心が必要とする栄養の状態が酷く悪い現象。

この状態が長く続けば、生き地獄に陥る。命さえ落としかねない。

地獄とは、果てることなく、苦しみの連続の空間。

生き地獄とは、生きながらにして、果てしない心の苦しみを味わう。



体は、美味しい食べ物や栄養のある物を摂取すれば、体は満足するだろう。

しかし、心の飢餓は、

いくら美味しい物を食べても食べても、心は喜べない。

いくら栄養のある物を摂取しても、心の苦しみは癒せない。



心の飢餓の特効薬となるもの、

心がほしい物、心が必要とする栄養、

それは「愛」だ。

他を可愛いと思う気持、他を可愛がる愛。他を大切に思う気持、他を慈しむ愛。

他の喜びを喜ぶ心、他への奉仕の愛。

日本語で表現するならば、他への「思いやり」「思いやる心」だと思う。

つまり、「人と人との心のつながり」を大切に、だということですね。



心のバブルは、心に気泡ができて、魚のガス病みたいに、心の障害を起こす。

ゆえに、心が機能性不全を起こし、人間の思考回路が狂う。

人間の思考回路が狂えば、、

善悪の、正しい判断ができなくなる。

真実が見えなくなるから、よく騙される。

ちょっとしたことでパニックを起こす。

問題の解決を自分で考えられない。

あるべき人間として行動ができなくなる。



心のバブルは、生き人間をゾンビ化していく。

人類はかつてない、「心の飢餓」という危機に面している。

私たちはこのことを自覚しなければならない。




あんどうよしみ

不妊の心を治す「和心」②

氏子よ、目を醒ませ!




続き→②不妊の心を治す


「穏やか」な波長は、ほど良い、「心和む」。

《度》が過ぎれば、《怒》になり、これが《毒》となる。

目に見えないものって、自然界にたくさんある。

風や空気、電波や赤外線等など、数えきれないほどのものがある。

自然は私たちに恩恵をもたらすが時として毒となる、いい時ばかりでもない。

風は竜巻となり家屋や人畜を呑み込むこともある。

電波は電気通信する程度は有難いが、強すぎれば感電死することもある。

ほどよい赤外線も疾患を軽くして治療に役立つ。



ほどよい《エゴ》はいい、これも度過ぎれば《毒》となり《災い》を呼び込む。
私たち人間の気持も、目に見えない。
エゴは《我》であるが、自己形成するには必要。
しかし、度が過ぎれば、「自我過剰現象」が起こり、そうなると、
ちょっとしたことで、自分の思うように行かないと、イライラして怒りとなる。
この怒りが腹にたまると「バブル現象」を起こし自ら病気をつくる。
爆発すれば、人災をつくり、これが大きな戦争につながる。

「和をもって貴しと成す」、これが日本年号「平成」に込められている。
私はこの島の氏神から受信した、気持を「平に成すんだ」!ってね。
きっと、わが氏子あてのメッセージだろう。
私は皆さんに伝えただけ。

気持は目に見えない、

だから自分で気をつけないと怒気が毒気となり、これが戦争を起こしやすい。

私たちは、あの、日清戦争・日露戦争を繰り返してはいけない。

今、大切なのは自衛権を主張して自国さえ良ければいいわけではない。

肝心なのは、人類一体となって、地球を守り、養生してあげることだ。

だから、日本も中国も、韓国朝鮮も、仲良くして戦争するべきではない。

地球を人間の戦場にしてはいけないよ。



自然妊娠への近道、ここがポイント。

山崎菜々子さんのコメントに赤線を引かさせて頂きました。

不妊治療で苦しんでいる方たちに役に立てれば幸いです。



努力が足りないあなたが悪いわけではない、
努力しているあなたが正しいわけでもない。
「待てない」そんな自分のイライラ、癇癪(カンシャク)に気づいてほしい。

すぐに結果が出ない、誰でもイライラする。これが緊張感をつくる。

緊張感が続くと、誰でも呼吸が浅くなる。

「何で私だけなの? こんなに頑張っているのに」

そんな怒りの気持、腹の内にない?

「自分だけがなぜだめなの?」

 そんな思考回路が不平不満をつくる。これが毒だ。目に見えない《怒り》だ。

毒のバブルみたいに、腹の中でクズクズ、トコトコと煮返る。

これでは妊娠できるものも出来なくなると私は本を通して警鐘を鳴らした。

医者にかかる前に、ここの所をよく自分に振りかえて反省してほしい。



また「赤ちゃん村の赤ちゃん・・・」という山崎菜々子さんの呼びかけは、
この島の氏子らしいや、と思いました。

赤ちゃんも人間になる前は、目に見えない、《霊の魂》だった。

私たちもそうしたように、目に見えないトンネルをくぐって、ママのお腹に来た。

この現象を「投胎」という。そう私は本に書きました。

当時は、「アホか、馬鹿じゃないの」と言う人がいた。

しかし、どうでしょうか、ポロポロと自然妊娠するこの現象は自然科学を実証したということではないのか。



《霊》は、土・空気・火・水と同じく、
私たちの心のもととなる万物の根源を成す究極的化学元素の一つ。

心を和ませる《和心》、これが人間の意識戦争を防ぎ、戦わずして最高の自衛力となり、世界平和への道のカギとなる。

もう戦争はいやだ!心を和ませたい、そう思いませんか?

だから、地球に国籍関係なく、民族関係なく、「和人」を作ろう、

「和心」を世界遺産に登録しましょうよ。



あんどうよしみ









不妊の心を治す「和心」①

頬笑みが共振した!




4. 安藤先生   菜々子 2014-05-10

安藤先生、はじめてコメントさせて頂きます(^^)
私は、8年前、婦人科の
不妊治療があまりに辛く、
婦人科からの帰りのバスで子供のようにボロボロと泣き、
本が好きだったので心の癒しを求めて、心の立ち寄った駅前の本屋さんで、安藤先生の本に出会い、その日からひたすら、安藤先生の本の通りに生活し、3ヶ月後に赤ちゃんを授かりました(^^)
医学に頼る前に、冷えきった自分の体に何が足りないのか、よくわかりました。
浅い呼吸をくりかえして、緊張している私に気付きました。
問題は「待てない自分」にあったこと、痛感しました。
安藤先生の本を読みはじめてから、とにかく毎日幸せをいっぱい感じる、生活に変わりました。
空に向かって手を伸ばして、
「赤ちゃん村の赤ちゃん、私はこんなに幸せです。よかったら、あなたも一緒に幸せになりませんか?あなたの入るお腹がポカポカなように、準備して待ってますから、一番来たいときに来てください」と、呼び掛けました(^^)
安藤先生の本に出会えて、とてもいい精神状態で、妊娠、出産出来たことに、本当に感謝しています!
(^^)
今も、大好きな夫と子供たちと、(二人授かりました)毎日幸せを感じながら過ごしています。

「心の飢餓」、まさにその通りですね。
穏やかな、心豊かな状態、人の気持ちを幸せにする言葉が、いつも自分の口から出る、
そんな私でいたいと、日々思います。
転んでばっかりの育児ですけど、()アハハ(*^^*)
安藤先生、いい記事をありがとうございます。

山崎菜々子



山崎菜々子さん、はじめまして。コメントをありがとう。
何だか感動的ですね。お会いしたことがないのに、こうしてお互いの気持が通じ合える。
私が本に書いたことを、あなたが実践した。
あなたは幸せを得て、その気持を私に伝えた。
あなたの、その幸福感が私に共振したのか、私までがなぜか幸福感に溢れた。


あなたの笑顔が共振した!!

私に伝わってきたこの《幸福感》って、なんて表現したらいいだろう。

ウシシ・・でもないし、アハハ・・でもないし、やった!・・でもない。

とんがった躍動感のようなものはない。

そうかと言って、「よかったね」と、淡々としたそんな感覚でもない。

目をつぶれば、会ったこともない、見たこともないあなたがいる。

なぜか、あなたは電車に乗り座席に座っている、そんな姿が脳裏に浮かぶ。

電車はコトコトと走っているが、でも、その電車の映像はない。

ただ、揺りかごみたいに、その震動は感じる。

あなたは電車の座席に座り、ただただ、笑顔を浮かべている。

それだけのことなのに、その表情がとても印象的で心に残り、いつまでも忘れない。

何て言うのかな、ニコニコ・・というのではなく、ウフフ・・でもないんだな。

とても穏やかで、《満ち足りる》表情だった。

そうすると、(自分の顔は自分で見えないのに)、なぜか、自分にもそれと同様の笑顔が浮かんでいるのがわかった。



心が「和する」と、人は頬(ほほ)が緩んで、ほほ笑みがこぼれる。
なぜ、その笑顔がそんなに印象的でいつまでも消えないのか、私は不思議でしょう
がなかった。実は、この2・3日で判明した。

(ほほえみ)だったのです。

漢字で書くと、「微笑み(ほほえみ)」、微小の笑み? いいえ、

どちらかと言うと、「頬笑み(ほほえみ)」、頬(ほほ)が緩んだその笑みなんですね。

これを、《心の豊かさ》というのでしょうか。きっとそうですね。



会ったこともないのに、不思議ね。
お互いの気持の還元して和む、これって、《和心の循環》なんですね。
おかげ様で、私はあなたのほほえみと共振して、ここの所、心急かずにやさしい心で過ごせることができました。

教えたつもりが、教えてもらいました。

本当にありがとう! 続く→



あんどうよしみ










日本の《和の精神》を世界遺産に残そう! 


なぜ、私は日本好きなのか、バイリンガルである私の提案
日本の「和の精神」が好きだからです。
日本人と一緒にいるだけで、理屈抜き、それだけで安心感がある。
そればかりではない、日本語を話している時の外国の友人、妙にやさしさを感じ、心が和む。
日本語には「やさしさ」「和む」、そのような音調がある。
このことを日本人の皆様に知ってほしい。
平和ボケしてる面では残念だけど、それでも日本の若者たちには「和」が宿っているから、その精神が尊い。
休みボケみから目を醒ますみたいに、ボケから目を醒まし起きあがれいいと思う。
世界平和の為に、これを機に、「和の精神」を訴え、世界遺産に残そうよ。


集団的自衛権について、もっと知ろうよ。
政府の説明。どう思いますか?
「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにも関わらず、実力をもって阻止する権利」というのが政府の説明。

自衛の本来の意味は、自力で自分を防衛する、自分で防ぎ守ること。
自衛権とは、本来、国家が自国民に対するさし迫る不正の侵害を取り除くため、やむを得ず行う防衛の権利。
ゆえに、自衛権・防衛権は、本来、日本が攻撃された時に行使されるものです。
「集団的自衛権」は、海外に派兵、他国とともに戦闘が可能になるのであれば、
自衛という意味がなくなるのではないでしょうか。


日本の「自衛隊」の意味は、和を尊い、これが根底にある。
しかし、攻撃を受ければ防衛という意味でやむを得ず抵抗する、ということでしょう。私はこう解釈するのですが、みなさんはどう解釈しますか?


戦闘に参加するのなら「軍隊」と称するべきだ、
集団的自衛権なんて単語、国民を撹乱する紛らわしい呼び名だ。
直接攻撃されないのに、戦闘に加わるのであれば、「自衛隊」というのではなく、「軍隊」と称するべきでしょう。
集団的自衛権なんて、難しい漢字を並べて、平和麻痺している国民には余計に分かりにくい。


大国の戦争に、日本が戦闘に加担する必要はないと思う。
戦闘に加担しないと言って、他国の戦乱に、日本は知らん顔してません。
このことを知ってください。
米英のイラク戦争に、「日本自衛隊」が派遣されている。
だから、日本は他人のケンカに知らん顔してません。
一発の銃弾も撃たず、施設復旧や給水、人命救済など、人道的な復興支援に徹した。

そう言えば、今考えてみれば、私はテレビでその映像で見た。

元外国人である私は、彼らの行いを見て、本当に呆れましたよ。

言葉は悪いが、日本人馬鹿じゃないの、撃たれて殺されるよ、と思った。

ごめんなさい、決して罵って見下しているのではない、この子がわが子だと思うと、ハラハラして気が気じゃなかったのです。

改めて、「和の精神」って、すごいなと思いました。

本当に感動しました。

和が成せる技を教えてもらいました。


日本の知識人が言いました。
《憲法9条》の制約があったから、このような人道復興支援に徹することが出来た。


あんどうよしみ

「集団自衛権」と「個別自衛権」の違い


日本の《和の精神》を世界精神遺産に残そう! 



事無かれではまずい、知らないでは済まされない、
危険がひたひたとあなたやあなたの身辺一帯に迫っている。
日本が戦闘可能になれば、日本の最大の魅力がなくなる。
日本の「和」の意識は尊い。
日本の「和」の精神を世界遺産に残そう。

今こそ、休みボケから目を醒まし、

日本の「和」を訴えるべくして活動を起こす、

その時がきた!!



515日、官邸前に人々が集まり「勝手に決めるな」などと声を上げた。
集団的自衛権について、国民レベルでみんなでよく考えましょうよ。
15日、集団的自衛権行使を容認する報告書が提出されたが、この解釈改憲に反対する人々が官邸前に集まり「海外で戦争する集団的自衛権行使容認NO」「憲法9条を壊す安保法制懇報告書につよく抗議!」などの旗があげられた。


一大事であるぞ!! 気づいてください。
311大洪水は、黒龍のように街を呑み込んだ。
今、それよりも恐ろしい危機が、
静かに、ひたひたと音をたてて、その水が私たちの身辺に迫りくる。

集団的自衛権
なんか難しそうな単語ですよね。
政治のことだからよく分からないし、自衛隊の話は私には関係ない、なんてそう思いがちですよね。
恥ずかしい話ですが、正直言って当初の私もそう思いました。
まさにこれは〈平和ボケ〉ですよね、ごめんなさい、本当に反省しました。
今では各界の知識人も声を上げていますが、本当に一大事であることを知って下さい。老いも若きも立ちあがって、政府が何をしようとしているのか、きちんと知っておきましょう。


集団的自衛権の行使が容認されれば、海外に派兵、他国とともに戦闘可能に。
容認とは、よいと認めて許すこと。
行使とは、権利・権力を実際に使う、ということだ。
集団は、多くの人の集まり。団体。
つまり、《集団的自衛権》がよいと認めて受け入れれば、団体に加入することになり、他国の戦闘があればこれに参加することが可能になる。


「個別自衛権」と「集団的自衛権」の違い
これは新聞の記事からの抜粋ですが、
日本では今までは「個別自衛権」だった。
自国が攻撃された時のみ、戦闘することになる。
しかし、阿部政権の言う「集団的自衛権」は、海外に派兵、他国とともに戦闘可能にする。
516日の東京新聞の記事ですが、わかりやすかった。
皆様もご参考にするといいですね。



あんどうよしみ

テロリズムは、意識戦争だ!Ⅳ



アフリカ有数の経済大国・ナイジェリア。
イスラム過激派の活動が活発になっているそうだ。
200人以上の少女が拉致され、奴隷にして売り飛ばすと犯行声明しているが、家族たちの心は生き地獄の思いだ。さらに、彼らは首都アブジャで爆弾テロを起こした。

テロリズムとは、

政治目的のために暴力を振るう、暴力主義である。

人質をとり暴力威力でもって人々をおびやかしおどすことによって政治目的を達そうとする。言ってみるならば、誘拐して身おろし金を要求することと同じ。

いや、それ以上の恐怖がある、なぜなら、政治が目的だから、お金では済まされない話だ。


テロリズムは、人間のエゴが起こした恐ろしい《意識戦争》です。
彼らの心の中でくすぶっていた《人間エゴイズム》のバブル、これが大爆発した。
その心のバブルの毒素が弾けて四方八方に飛び散り、民間人がとばっちりを受けた。


私は皆さんに警鐘を鳴らす。
ナイジェリアで起きたテロ事件、これはほんの序兆にすぎない。
今年から来年にかけて、
仰圧された《人間のエゴ願望》が、ことごとく事件として浮上する。さまざまな病気という形で表出されるだろう。
罪のない人間はとばっちりを食って、心の苦しみや体の痛みに喘ぎ、「心の飢餓」に陥るのだ。
私たちは、人間のエゴがいかに恐ろしいものかを、とことんまで知らされるだろう。

《人災》は、人間のエゴイズムがもたらした結果。
エゴイズムとは、利口主義である。主我主義である。自己中心主義である。
自分は利口である、常に自分の考えが正しいという考え方。
他人のこと考えず、何事も自分の利害を中心にして考える。
乳幼児期の思考様式で、自己の視点を超えて考えることが出来ない。物事を相対化したり客観的に見ることが出来ない。


もはや他人事ではない。
私たち人間は、誰でも多かれ少なかれ、そんなエゴイスティックな一面を持っている。これを自己管理し、とんがらないように平らにして行かないと、自分の身のまわりにも起きる。そうして人災は止まない。


あんどうよしみ

心のバブル、生き地獄になるぞ。Ⅲ



地球レベルで、世界各地で、民間レベルで、心のバブルが弾ける。
これは警鐘だ。


2014 運命の鑑定

時は、2014年、

運命にして大曲り、

《心のバブル》が弾けて天地を軸に四方八方に飛び散る。

この人間バブルの毒素の殺傷力、人々は泡を吹かすであろう。

人間は「愛心」をもってこれに立ち向かわなければならない、

その時が来た!!


大曲りとは、
返る。リバウンド。運命大転換期の展開を迎える。
《心のバブル》が弾けるとは、
これまで、ブクブクと湧き出る温泉みたいに、人間の心の中でくすぶっていたバブルが弾けて、天地を軸にして四方八方に飛び散る。
その毒素が世界各地で民間レベルに及び、予想外の人災が起こり、人を驚きあわてさせるであろう。
これによって、善良な民間人は目を醒ましこれに当たる動きも活発になる。


政治面・経済や医療、そして人心(意識・思想など)、すべての面において、
仰圧された《人間のエゴ願望》が爆発する。
病気という形で表出される、または、事件という形で浮上する。


人間のエゴイズム、これ言わば、《心の核兵器》だ。
その破壊力・殺傷力は核兵器の恐ろしさ以上のものがある。
民間人の私たちは、このことを知って目を醒まさなければならない。
そうでないと地球は生き地獄となる。

あんどうよしみ


心のバブル、人々は泡を吹かす。Ⅱ





2014 運命の鑑定


時は、2014年、

運命にして大曲り、

《心のバブル》が弾けて四方八方に飛び散る。

この気泡(バブル)の邪悪なこと、人々は泡を吹かすであろう。

人間は「愛心」をもってこれに立ち向かわなければならない、

その時が来た!!




あんどうよしみ