青い蝶々 | えっちゃんのGタイム

えっちゃんのGタイム

精神と時の部屋で永遠かとも思えるGタイムへ突入した時に具現化するブログ
(Gはゴールデンの略です)

僕が「2chをやっている」と公に話したのは大学入学した直後、オリエンテーリング合宿の喫煙所だった。
その事を誰かに言うのは、僕の中で多少の憚りがあった。
世間的には、アングラでオタクで危ないものだと思っていたからだ。

切っ掛けは2chで見た面白い話を伝えたかったから。
良くも悪くも工学部だったため「もちろん」見てるし、活用している人が多かった。
殺伐こそしていたが、技術的な質問は当時2chでしたほうがレスポンスも良かったし適切に回答してくれた。
さらに、エロコンテンツの質も群を抜いていた。
今となっては直接触れる事はなくなり、まとめブログを閲覧しニヤニヤする程度となってしまったが。

このまとめブログは賛否両論あるみたいだが、間接的に2chの文化や出来事を届ける事に大いに貢献していると思う。
憚りがあった特有の言葉遣いや言い回しを普通に利用出来る様になったのも、このブログのお陰なのかもしれない。
リテラシーがそれ程高くない層も、まとめブログは閲覧した事がある人が多いだろう。

さて、このリテラシーという日本語の一部になってしまった言葉。
僕個人としては基本的に誰か一定の層をバカにして見下す時に良く使う言葉だと思っているが、そうでは無く特にサービスのユーザについて語る場合には注意が必要だと思っている。

「リテラシーが低いユーザ層は…」
「リテラシーが低いユーザ向けに…」

そもそも、リテラシーとはなんだろう。
リテラシーの高い僕が検索してみると、
「情報の検索能力」
「情報の評価能力」
「情報を上手に扱える能力」
とある。

しかし、普段使う場合だと例えば
「ガラケーを利用している高齢の…」
「スマホに乗り換えた学生の…」
など、リテラシーの基準に対して主観が入るし、何より時代や時期によってその基準は変化する。

スマホに乗り換えたばかりの学生はメールの方が慣れているためメールアドレスの交換を行うが、メッセージアプリを利用した方が即応性やフィルタリング、連絡先の交換がしやすいと数ヶ月で気付くだろう。
同じ様に、主婦もレシピの検索に付随してそのレシピの主のツイッターをフォローし始めて、その内に他のフォロワーがシェアするまとめブログを読み始めるかもしれない。

人間は学習するもので、いつまでもリテラシーが意味するポジションを保ち続ける事は無いはずだ。
もちろん、流行りのSNSを大いに活用していたサラリーマンもそれが競合によって廃れた事を気付かずに使い続け、リテラシーが低くなってしまう可能性だってある。

この言葉でユーザを絞り込む事は不可能だ。

リテラシーは水ものであり、リテラシーでユーザを語るべきではない。
サービスについてのユーザを語る場合は、しっかりとターゲットを据えてどの様な体験を求めているか、そのために何が足らなくて、何を提供すれば喜び、どの様な仕掛けを行えば目的のユーザへ届くのか考えるべきだ。
そして何より、リテラシーの壁を壊すという事こそが僕等の使命ではないのだろうか。



テキサスで竜巻を起こす青い蝶々は、その根拠の無い壁の外で優雅にはばたいているかもしれない。