5月4日(日)
ゴールデンウイーク真っ只中、新緑のそよ風に誘われて
久しぶりに京都・嵯峨野へ。
竹林の中へ入る。
すり抜ける風が運ぶ竹の香り、竹林の隙間から注ぐ
日差し、
マイナスイオンをたっぷり浴びながらゆっくり歩く。
身も心も洗われるようだ。
ゴールデンウイークとあって行きかう観光客がしきりに
シャッターを押す。
幾度となく歩いた道だが自然に溶け込む感覚が
いつも心地よい。
人は自然に抱かれて生きているんだな…
しばらく歩いて京都の名所天龍寺へ。
北門をくぐると、ぽつんと咲いているボタンの花に
ふと足を止める。
草木が茂る中で一つだけ咲いている為かとても美しい。
誇らしげに咲く姿に誰もが足を止め、シャッターを
押している。
着物姿の観光客を何度も目にする。
やはり京都は着物が似合う街だ。
石段を降ると絵に描いたような曹源池庭園の
風景が広がる。
この風景は何百年も前からずっと変わらないの
だろうか…
縁側に腰を下ろしてしばらくぼ~と庭園の風景を眺めて
いると時の経つ感覚を忘れる。
都会の喧騒の中では決して感じることのできない
心と体を包んでくれるような安堵感。
ここ数年がむしゃらに走り続けてきた僕にとっては
忘れかけていた感覚かも知れない。
京都に来て10年、大都会(東京)の生活に慣れて
しまった僕は当初、京都の生活になかなか馴染めず、
東京に帰りたいといつも思っていたものだ。
近年、大都市を中心に人々の生活は飛躍的に豊かに
なり便利になった。
インターネットの普及、24時間営業のコンビニ、
自宅まで商品を届けてくれる宅配。
だがその反面、生活の豊かさ、便利さと引き換えに
置き去りにされたもの、
見えなくなってしまったもの…
ネットの普及によって無秩序に一方的な書き込みが
行われ、いつの間にか若い世代を中心に人と直接話を
することを面倒に思う社会になっている。
また豊かさ、便利さを追求するあまり、環境破壊の
問題が深刻だ。
昔はテレビも洗濯機も冷蔵庫もなく今では考えられない
ような不便な生活だった。
不便だからこそ、それを補う為に人と人との
コミュニケーションが生まれ、お互い助け合い
支え合い、分かち合って生きてきたはずだ。
人は自然の中で生かされ自然と共に生きている。
人は支え合い、助け合いながら生きている。
人々の生活が豊かになった今、また競争社会の中で
人間の思惑、エゴが錯乱する現代、
忘れかけていたものは何か。大切なものは何か。
天龍寺の庭園風景が問いかけているようだ。