不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

不埒な天国 ~Il paradiso irragionevole

道理だけでは進めない世界で、じたばたした生き様を晒すのも一興
OCNブログ人→gooブログとサービス停止を受けて引っ越しを重ね「Due Birichini **お気楽フィレンツェ暮らし**」に融合。

私の80%は吉川晃司でできている
残りの20%はイタリアでできている

それを体現するブログ


Amebaでブログを始めよう!
12月4日から東京、大阪、名古屋、福岡などの交通広告として
一部の作品が大々的に公開されているので、
もうそろそろ、いろいろ書いてもいいかなと思ったので、まとめ。

11/24‐11/29の期間限定で表参道スパイラルガーデンで開催された
吉川晃司とUL・OS展にはHIRO KIMURA氏による作品が9点展示されていました。

単純なCMタレントとしてではなく、
大塚製薬さんのUL・OS Questionsというプロジェクトの
根幹から関わることになったらしい吉川さんですが、
そのおかげで、
その生き様を表現する貴重な機会が生まれたことはありがたい。

58歳とは思えない、見事に鍛え上げられた体躯と
まさに58歳ともいえる刻み込まれた皺が、とにかくかっこいい。

吉川晃司とUL・OS展「からだから生きるを問う」

9つの問いと9枚の写真。
そこに答えはなく、
一人ひとりが自分と向き合って考えるきっかけを作る展示でした。
「人の生き様というのは、からだ全体で示すものなんだよ」
吉川さんのそのことばを見事に映した9点でした。

・いまのじぶん、好きですか?
展示会場で唯一撮影が許可されていた作品は
どこかせつなそうにも見える表情のアップで、
なによりも美しく広い鎖骨にくぎ付けに。
息ができないくらい、美しいなって思い
落ち着いてからは何度も作品の前を行ったり来たり。


・あなたはちゃんと自然ですか?
こちらに背中を向け両腕を広げている作品。
追いかけても追いかけても追いつけない広く大きな背中は
これからも私の道しるべだなぁと思う。

・ほんとのあなたはどこにいった?
正面を向いて両腕を下げているだけなのに、
その両腕に走る筋肉の一つ一つが意志を持っているように力強い。
ハドリアヌス帝の別荘で見つかった円盤投げの像が一瞬脳裏をよぎる。

・誰かを演じて生きてません?
右手右足が前に出る右半身の構え。
私にとってはこの右手右足前が自然な構えなのだけど、
吉川さんもそうなのかなぁとこの作品の前で、
過去の映像をプレイバックしながら考えていた。

・じぶんらしさを育てるものはなんだろう?
背中を向けて木々の間に立ち少し左側を向いている、
今回の作品の中で実は一番好きだった作品。
元気な毛穴も、そうセクシーな口元のほくろもよく見える一枚。

・ありのままでいいんじゃない?
新宿の高層ビルを見下ろす場所で
少し右側を向きながら胸を開いて後ろ向きの立ち姿。、
浮き上がる肩甲骨も鎖骨と同じように美しい。

・美しさの正体はなんだろう?
ロダンの考える人っぽい左向きの座位。
でも考える人よりは戦い終えたボクサーの感じかな。
太ももに這う絹糸のような体毛にぞくっとする。

・印象ってつくるもの?そなわっていくもの?
岩か木肌のような堅い物質によりかかったアップの作品。
どこか遠くを見つめているような表情に、鵜堂刃衛を思い出す。

・これからどんな道を歩いていく?
右を向いて湖畔を歩くショット。
歩いてきた人生の重みを感じさせるような重量感のある作品で
見ていて、思わず肩に力が入る。

企画構想の段階から吉川さんも参加して、
ブランドをともに作り上げるというプロジェクト
この先も長く続くプロジェクトのようで、
吉川さん以外にも様々な分野の己の信じる道を歩む方々との対話の中で
よりよく生きることとはなにかを問い続けていくということで、
吉川さんの出番もまだまだあるのかなと期待しています。

スパイラルガーデンの展示の際には
パンフレットと試供品までいただきました。









コンサート終演が遅くなると予想して
会場のPazza della Loggiaに一番近いホテルに。
Albergo L’Orologio
こじんまりして、かわいらしいホテル。
ホテルの部屋からもコンサート会場がちょっと見えるし、
お昼過ぎから始まっていたリハーサルも全部聴こえてくる。


リハーサル進行中、会場の座席作りも着々。


街を歩くと不思議なアートにも出会う。


ポテチ好き。
日本では某カルビー一択に近いけれど、
イタリアではこれ一択。

チェックインしてひと休みしてもまだ16:00。
時間もあるので、お城まで登ってみる。

Ultima rampa al Castello
青い空によく映える。

日本のお城の作りと比較しながら観ると
またちょっと面白い。

西洋のお城には居住地としてのシャトーもあるけど
ここは本当に攻防するためのお城だったのだなぁって思う。
跳ね橋
狭間
桝形
天守

空堀。
ゴリラもいるし。
(Davide Rivaltaのアート作品)
昔も空堀に猛獣を放しておいたら
より効果的だったかもね。

街を一望できる小高い丘の上にあるので、
眺めも最高。
Bresciaのいろんな側面を確認できる。

なんかロマンティックな2人もいる塔。
後ろは丘陵地帯。

インダストリー都市でもあるブレーシア。

Centro di Brescia

Cattedrale のクーポラ


Piazza della Loggiaにある時計塔。
このとき18:22で、
18時台であることは理解できるけれど
結局よくわからなかった。
細かくいろいろ書き込まれていて
とっても興味深い。
Cattedrale di Brescia

旧聖堂と新聖堂が隣接している。
Cattedrale の内部は白く明るい空間。

ホテルのフロントのお兄さんが紹介してくれたOsteriaはグループ経営のお店らしく
目と鼻の先にあって、使っているカトラリーがホテルのものと同じ。
L’Oste Sobrio
前菜にBurrata con pomodori secchiを頼むつもりでいたけれど
Fuori menù があるということで
本日のおすすめのFiori di zucche in pastella
ズッキーニの花のフライ
まさかこんなにたくさん出てくるとは思わなかったけれど
さっくさくで軽いので、あっという間に完食。
Primoにはブレーシャの郷土料理をきいて
Casoncello al burro e salvia
大きめのラビオリにシンプルなバターとセージ。
これもかなりの量ではあったけれど、完食。
注文したとき、量を確認していなかったので
勢いで付け合わせのポテトまで頼んでしまったけれど、
これはこれで美味しくいただきました。

実はお店に着いた19:30の時点で
ほぼ予約でいっぱいで、
30-40分で食べ終えてねと言われていたので
かなりのスピードで食べ進めたけれど
もうちょっと味わいたかった。
20:00過ぎには外のテーブルはすべて埋まる人気店でした。
RengaとNekのユニットのコンサートのためにBresciaへ一泊旅行。

ちょうどいい時間帯の列車はItaloだったので、爬虫類っぽい車両で出発。


Chiesa di Santi Nazaro e Celso

Chiesa di San Francesco

リサイクルアート

Teatro Grande


Bresciaのマンホール

Bresciaの駅からまずはユネスコの世界遺産エリアへ。
町の様子を感じながら寄り道したり
のんびり歩いて40分くらいで到着。
Museo di Santa Giulia
Parco Archeologico di Brescia romana
共通チケットで15ユーロ。

美術館は複数の教会と付属の建物が複合した
複雑な構造で時々迷子になる。
ポイントには係員が待機していて、
どこからどの順番で鑑賞するかアドバイスしてくれるので、
その通りにきちんと進んでいっても
美術館だけで2時間弱。

Chiostro di Santa Maria in Solario
ここにある貴石やカメオが212個もついたCroce di Desiderioや
総象牙作りの遺物入れのLipsanotecaは
今の価格にしたら一体いくらなんだろうって
想像しても仕方ないことに時間を費やす。

Chiesa di San Salvatoreの柱頭飾り
Chiesa di San Salvatoreの上層部にある
Coro delle Monacheのフレスコ画が鮮やか。
この教会に隣接してChiesa di Santa Giuliaが建てられ、
2つの空間は上層部を広く開口した壁で仕切られていて
身を潜めて神に仕えた女性修道士に、
平穏な祈りの場を提供する造りになっている。

Chiostro di San Salvatore
Corridoio Unescoと呼ばれる通路で
美術館と古代ローマ時代の遺跡群が繋がっているので、
美術館を観終えて遺跡に移動。
Teatro Romano
Capitolium
CapitoliumのColonne

ローマ共和国時代の遺跡部分は半地下。
保存のために温度湿度管理されているため
一度に入場できる人数と時間が制限されている。
チケット購入するときにだいたいどれくらいで、そこに行き着くのか逆算して予約をしておくのだけれど、多少ずれてもちゃんと再調整してくれる。
Capitoliumの地上階に展示されているブロンズ象。
Vittoria alata
なんか不自然な手には、かつて盾が握られていて、そこに勝者の名前が刻まれていたとか。
ちょっと浮いている左足の下には
元はMarteのヘルメットがあったと考えられているそう。
Pugile
勝利の女神と向かい合って展示されているボクサーというかグラディエーター。
闘いを終えたばかりでグローブつけたまま
顔にはちゃんと傷跡や血痕も表現されていて
当時の鋳造技術の高さを感じる。
鏡に映るVittoria alataを見ているように配置されているのも面白い。

すべて観終えると、15:00。
一旦ホテルへチェックインしてからBrescia観光後半に。




2019年9月にフィレンツェを後にしたとき
その次の春には再び戻るエアチケットを持っていた。
COVID-19の感染拡大の影響で、
ぎりぎりまでチケットの期限を延長したのも束の間、
Alitaliaの消滅で、チケットそのものが消えてなくなる可能性が出てしまったので、
最終的に泣く泣くキャンセル&返金処理をした。

改めて仕切り直して
ようやく4年ぶりに第2の故郷へ。



COVID-19猶予期間をフルに使っても期限切れになってしまうエールフランスのマイルを消化して往路はKLMでアムステルダム経由。

ウクライナ問題の影響でロシア上空の飛行が制限されているので、
成田を経って日本の東海岸に沿って太平洋を北上してベーリング海峡を越えてヨーロッパへ。
飛び立って間もなく、雨雲を抜けたら虹がかかって、先行き良し。



約14時間のフライト中、映画を見ればいいと思っていたけれど、
期待していたラインナップはなく、ちょっとがっかり。
それでも4本の映画を見て
合間にうたた寝して時間をやり過ごす。

アムステルダムに近づくと、洋上風力発電の施設がよく見えて、
水辺ぎりぎりまで緑に溢れる様子が
あぁオランダっぽいなぁって思う。
海が穏やかだから叶うことなのかもしれないけれど、
日本でも洋上風力発電もっと増えたらいいのに。




おそらく25年ぶりとか、記憶にないくらい昔に利用したスキポール空港は
まるで初めて訪れるような新鮮さ。
本当は空港内の美術館で絵画鑑賞とか
マクドナルドでオランダのコロッケバーガーを食べてみるとか
いろいろやろうと思っていたのに
すっかりすべて忘れて乗り継ぎ手続きをしてしまった。
結果的にはセキュリティでほどよい時間がかかったので、そんなに空港内を堪能する余裕はなかったのだけど。

20:30にようやく夕焼けになった空が
ヨーロッパの夏の終わりをよく表している気がする。



アムステルダムからさらに2時間のフライトでようやくフィレンツェに。
フィレンツェ空港の短い滑走路に降りてゆくヒヤヒヤ感も懐かしい。



空港からタクシーでCentroまでの料金は
夜間(25,30euro)&スーツケース1つ(1,00euro)。
タクシーの運転手がTシャツ&ショートパンツで、鼻歌混じりで声をかけてくるのが
イタリアだなぁと思い、
日本ではあまり見かけないTESLAの車両のタクシーを2台見かけて、へぇぇと思ったり。

遅くなることがわかっていたので
マイルの消化分で予約してあった駅近くのホテルに到着したのは23時過ぎ。
ホテルのフロントにはおしゃべりなイタリア人がいて、
どうでもいい言葉を交わすのも
古い部屋に最新のカードキーシステムという不釣り合いさも
ちょっと髪がキシキシする硬質のお湯で浴びるシャワーも
何もかも、そう肌に合う、そういう感じ。

懐かしい街並みに、
あっという間に溶け込んでいく感じが
ただただ嬉しくて、
真夜中のVia dell’alberoのざわめきを聞きながら
あっという間に夢の中へ。


ものもちがよい人。

1995年9月、
フィレンツェに着いたときに
まだどこに何があるのかわからない状態で
とりあえず、まだ長かった髪をとかすためのブラシを探していて、
Duomo脇のBiffoli Shopで買ったヘアブラシ。



なんと、それから26年もの長きにわたり
私の髪とお付き合いいただきましたが、
先日とうとう寿命がきて
土台部分のゴムが経年劣化して、櫛の歯が抜けてしまいました。



ゴムの部分に亀裂が入って歯が二本抜けてしまい
髪をとかしているうちに他の歯もどんどん抜けそうな感じに。

お別れしなくちゃいけないのかと思ったら、
なんだかとても刹那くなって、
今まで気にもしていなかったブラシの背に貼ったままになっている
バーコード確認してみました。



購入したBIFFOLI SHOPの名前も入っています。
経年劣化を感じる印刷の薄れで見にくいのですが、
右下に価格が記載されています。
₤5800
5800リラ。
流れていった時代を感じます。

リラからユーロに切り替わったとき、
だいたい2000リラ=1ユーロで換算していたから単純に約3ユーロくらい。
今の相場で換算したら3ユーロ=400円くらいか。
いや、安いな。
更に、1995年当時はリラに対して円はかなり強かったので、
街中半額セールみたいな感覚がありました。
ということは当時、私の感覚では300円くらいで買ったヘアブラシ。
26年も使うとは思わなかったけれど、
長持ちする品質のよいものだったってことかな。

確かにあの頃のイタリアって質の良いものが街に普通に並んでいた気がします。

しばし、感慨深く思い出に浸って、ブラシの背の価格を眺めておりました。

ということで
新しいヘアブラシを買うことにしました。
サイズもよく確認せず、
オンラインで注文して、先ほど届いたAVEDAのパドルブラシ




26年使ってきたブラシが小さかったのか?
思ったより大きかった。
でも持ちやすくて使いやすそう。
確かに頭皮へのほど良い刺激も心地よいし。

これから25-30年くらいこの新しいブラシとお付き合いすることになるのかしら。
となると、
私の人生でもう二度とブラシは買わなくてもいいくらいの計算になります。

ものもちがよいってやっぱり素敵なことかも。

目の霊山として知られる遠州の油山寺。
昨年は友人とお詣りしたけれど、
今年は両親とレイラを連れてお詣り。

実は新年早々、
母が急に視界が悪くなったと訴え
先日眼科での検査の結果
加齢による白内障と診断され
近いうちに両目の手術をすることに。
今の時代、白内障の手術は日帰りでもできるようになり
手術には不安もないのだけれど、
母の手術の成功と
彼女の生涯が終わるまで
美しい景色を自分の目で見続けることができるように祈願するために
今回の参拝を決めました。
油山寺はわんこも参拝できるので
今回はレイラもお供に。

朝からよく晴れて
そしてすごく冷え込んだ朝。

自宅を出発してひたすら西へ。
急がず焦らず約3時間で袋井の油山寺到着。

油山寺は行基大徳が開山したと言い伝えられるお寺で
山頂の薬師堂に御本尊の薬師如来が祀られています。
孝謙天皇がご自身の眼の病に苦しまれた時に
この薬師如来に眼病治癒を祈願し、
油山寺の森にある瑠璃の滝の聖水で目を洗ったところ全快したことから
それ以降、目の霊山に。
源頼朝や掛川城主太田備中守なども
眼病治癒を祈願し、
それぞれ薬師本堂と三重塔や山門を寄進しているそうです。

その山門。
掛川城の大手門だった建物。

山門から礼拝門を望む。

山門を入るとすぐ右手に手水舎、左手に天狗杉。

天狗杉は樹齢千百年の杉の根っこ。
油山寺の守護神で足腰の神である軍善坊大権現の化身とも言われ、
眼よりも足腰が気になる私とレイラは
パワーをいただいてきました。

礼拝門。


宝生殿。

方丈。


宝生殿にお詣りしたら
一度山門を出て、
山門脇から天狗谷へ。
森に入った瞬間、清々しい空気に包まれます。
レイラも神妙。

薬師本堂へ向かう途中に
孝謙天皇が目を清めたという瑠璃の滝。






木の根に守られるようにある波切不動を祀る祠。


ぐっと冷え込んだ冬の朝
細く小さな滝の下の方には氷柱ができていてびっくり。

冷たい水面に映る森と空。

ここから薬師本堂まではもう少し。



薬師本堂の手前の手水舎も凍結。


源頼朝が寄進したという
三重塔と薬師本堂。




どちらも寵臣工藤祐経に普請を任せたというエピソードを聞き
また曽我兄弟を思い出す。

薬師如来をお詣りして下山。
元気が有り余るレイラと少し寄り道。

この傾斜の階段をのぼって
森の中の道を散策。


帰る前に、
母のために目守りをいただき
下の売店でご利益まんじゅうを購入。


良いお詣り日和でした。
近いうちにお礼参りができますように。









世界が大きく変化して
新しい生活習慣なるものを強要される時代。
人の集まるところに出かけるのも憚られ
朝から強風も吹き荒れていたので
今年は恒例の初日の出ドライブは中止。
ありがたいことに自宅の屋上から
初日の出と朝陽に染まる富士山を拝むことができました。





Instagram liveで
元旦ヨガのレッスンを受けて
縮こまった身体をほぐし
穏やかに朝がやってきたので
レイラと一緒に
地元の廣瀬神社に初詣に行き
御門塞神社にもお参りしてから
ウォーキングに出発。

市が開催する恒例の新春ウォーキングは
中止になってしまったので
勝手にウォーキング(笑)。

どこを歩いても良かったのだけれど、
昨夜ふと坦庵公のことを思い出したので
江川邸から韮山反射炉までの
坦庵思索の道を歩くことに。
片道3キロ往復6キロの長閑なコース。



ところどころに看板あり。
中には手書き看板も。

江川邸も静かなお正月。

陽が挿し込む切り通し。
風が吹くと竹がしなって
その度に山の声が響く。
他に音のない静かな時間、
坦庵の時代はもっと静寂の時間が濃かったのだろうな。
韮山反射炉は
昨年秋から修復中のため足場が組まれていますが
元日から数人の来場者ありで
ちょっとほっとしました。

折り返し。
白菜畑と富士山。

昌渓院の麓にある祠。
ここが岩戸の砦の跡なのか
確認もできなかったけど、
とても大きな一枚岩に根を張る木々の生命力に
あぁ負けちゃいけないんだなぁって思ったり。

禁葷酒。
葷酒山門に入るを許さず。
韮山だけに葷はニラのことかしら。

昌渓院の裏山に山城があったことを初めて知りました。
1590年の小田原征伐のために
韮山城包囲を目的に
豊臣軍が築いたそうで、
一帯にはいくつも砦の跡が残っているみたい。

知らないことを学ぶことの幸せを
朝からしみじみ。
今年はきちんと学びの年にしよう。
梅の花が綻びはじめています。
困難も多いかもしれないけれど
希望は捨てず、
自分にできることを
自分のペースでひたむきにやっていこうと思います。












イタリアから戻ってきてから
毎年なんらかの形で参加させてもらっている
西伊豆土肥の白びわのボランツーリズム。





今回はこれまでのびわ園とは違う場所で行うと事前に伺っていたので
なんとなくワクワクして出発。

集合場所から車に乗り合わせて作業現場へ移動。
現場に着いてまず目に入ったのは
大きな蔵と鬱蒼と茂る大きな木々。





土肥だけで育つ白びわは
その種の希少性と
非常にデリケートで輸送が難しいこともあって
市場に出回る数が少ないので
幻の白びわといわれる高級果実。

びわの生育サイクルは
9月-10月の剪定作業から始まり
3月の摘果&袋がけを経て
6月の収穫でひとまわり。

大きな蔵の奥に広がる庭に
柿や柚子、夏みかんの木と共に
10本のびわの木があり、
そのうちの何本かが白びわで
もしかすると白びわの原木が含まれているかもしれないらしい。

20年以上空き家のまま
最低限のメンテナンスだけで
あまり手入れされていなかったというこの場所は
土肥の有力者であった鈴木邸。
母屋の他に3棟の土蔵がある立派な邸宅。
ここで今、新しいプロジェクトが始動しているそうで
母屋は改修してイタリアンレストランと
ベーカリー&ジェラテリアに
3棟のうち小さめの土蔵はバーに
残り2棟は一棟貸しの宿泊棟として生まれ変わり
さらに敷地内にエステ棟を新築して
2021年に観光拠点としてオープンするそう。

そのエステ棟には
この白びわボランツーリズムを企画運営している
自然療法サロン・ミモザさんが入ることが決まっていて
そのご縁でここのびわ園を
ゼロから整備し直すという
素晴らしく夢のある楽しいプロジェクトに
思いがけず関わらせてもらうことに。

あまり手が入っていないというびわの木は
確かに大きく育って枯れ枝も目立ち
枝も自由にあちこち伸び放題。
全体に日が当たりやすいように
且つ収穫作業がやりやすいように
枝振りを整えていく作業は
びわ研究の先生の指導を受けながら慎重に。
一気に切り落としてしまうと木を弱めてしまうので
気になる枝があっても切り落とさず
ぐっと我慢して2-3年かけて整えていく必要があって
勝手に切るわけにもいかず。
午前中3時間でお手伝いできたのは
ほんの少しだったけれど
ほどよく汗をかいて終了。



イタリアンレストランになる予定の母屋

母屋の玄関入って右手がベーカリー&ジェラテリアに


こちらの大きな蔵は2フロアの広い宿泊棟に

より古い蔵は1フロア露天風呂付きの宿泊棟に

改修前の母屋や土蔵も見学させてもらって
新しく生まれ変わる春が待ち遠しくなった。

作業の後は現場の斜向かいにあり
新プロジェクトの運営会社が昨年オープンさせたホテルに移動してランチ。

ランチは天城の森島米店さんの
修善寺黒米弁当でしたが、
写真撮り忘れ。
デザートはホテルが用意してくれた
土肥の「君だけプリン」。
久しぶりに食べた
濃厚なクリームプリンが最高に美味しかった。



お土産に白びわを使った石鹸もいただき
希望者は近くの温泉で汗を流して解散。

毎回楽しみなボランツーリズム。
たくさんの実がつくといいな。
びわも新プロジェクトも。







完全自粛期間が明けて時々テレワークの勤務体制になって
通勤のローカル電車の中吊り広告で見つけた三谷幸喜さんの講演会告知。
Covid-19の感染対策のため入場人数制限があり、
抽選で200名限定と書かれていたので、
倍率高そうだなとは思ったけれど、とりあえず応募しておいた。

抽選結果を知らせるメールでは「落選」っていうことだったので一度は諦め
そのあとでやっぱり当選という電話があったときには正直驚いた。
でも嬉しかったので、早々に午後半休の申請をした。

会場は地元の韮山時代劇場。
ホール入り口から密な状況が作られやすい施設で
どうやって3密回避するのかなと思いながら
ギリギリで会場に到着したら
いつも入る狭い正面入り口ではなく脇のスペースに誘導されて
まず屋外で検温、
そのあと五十音順に区分けされたブースで名前と体温を告げて
たっぷりの消毒ジェルを手にかけられる。
脇の出入口からエントランスに入ったところで
座席を書いた小さな紙を渡されて座席が指定される。

L-33。

韮山時代劇場大ホールは桟敷席や花道があるちょっと独特な造りで
1階・2階・桟敷席合わせて約500席。
感染対策のため座ってはいけない席にはA4の紙が貼られていて
座席はひとつづつ空けて前後も重ならないように指定。
抽選200ということだったけれど、最終的に250人入ったそう。

この座席に貼ってあった紙の裏面がアンケート用紙だったことを講演会の最後に知って、いいアイディアだなと思った。これもニューノーマルなんだろうか。


三島青年会議所主催ということで、
なんかすごく体育会系なお兄さまたちが取り仕切って
個人的にはムズムズするような、ちょっと懐かしい感じがした。

伊豆の国から出た北条義時が主役となる2022年の大河ドラマの
脚本を書かれる縁で、三谷幸喜氏独自の歴史観についての講演。
「僕が歴史を好きな理由」
ローカル線の中吊り広告ではわからなかったけれど、
この企画はその北条氏や源頼朝つながりで
小田原と鎌倉と韮山の3会場を結んだリモート講演会でもあった。

Covid-19禍での新しいイベントの形ってこういうことなんだなぁって
なんとなく肌で感じることができたかも。
以前よりは入場手続きにちょっと時間もかかるけれど
でも、これはこれで悪くないと思ったし、
工夫次第でなんとかできることの方が多いんだなって改めて思う。

体育会系開会の儀や来賓あいさつなんかを経ていよいよ三谷さん登壇。
出てきた瞬間からユーモア炸裂。
私は新撰組も真田丸も観ていないし
そのほかの三谷作品もほんの少し知っているくらいだけれど、
そんな私が想像していた遥か上をいくユーモアの幅だった。

大河ドラマにも、日本の歴史にもさして興味を持たなかったし
物書きになりたいという夢を途中で捨て去った私と違って
三谷氏は10歳の頃に観た大河ドラマがきっかけで歴史が好きになり、
いつか自分でこういう作品を書いてみたいと思って
それをきちんと生業にしている。

講演会の内容は
ご自身が影響を受けた大河ドラマのエピソードを交えた自己紹介から始まり
これまでに手掛けた2つの大河ドラマの話し、
そして現在執筆中の3つ目の大河ドラマの裏話まで。
新選組も真田丸も負け組へのシンパシーを表現した作品で
負けてゆく多くの人々への共感を描いたけれど、
北条義時(鎌倉殿の13人)はどちらかといえば勝ち組。
しかし、本当の意味で彼が「勝った」のかというところを描きたいって。
平安末期のイメージが湧かないので書く作業はとても難しいとも。
石橋山は海から離れているのに、落ちている石が丸みを帯びているのは
当時の山中での戦い方が石飛礫の投げ合いだったからだとか、
貨幣は流通していなくて物々交換が主流だったので
戦勝報酬でいくら授けるという表現ができないとか、
どの時代よりももっともっと神が近い存在で
戦いの日取りも神託によるところが大きかったとか。

三谷さんのお話の中であぁと思ったのは
ピンチを切り抜けるヒントは歴史の中に必ずあると仰った時。
それは吉川さんがかつてどうしようもなく追い詰められたときに
三国志の中に答えを探し求めたエピソードに
とてもよく似ていたから。
我々はまだまだ歴史から学べることがたくさんあるんだろうね。

講演の後の質疑応答も新しい形での取り組みで
申し込み時に記載した質問の中から運営側が事前に選択してあって
小田原と鎌倉の会場からも質問がされたり。
それでも時間が余ったので、韮山会場から追加で数人質問ができて
期末テストを終えたばかりの学生の
覚えることばっかりで歴史が苦手になりそうだけど、
どうすれば覚えられるかという学生らしい質問に対して
三谷氏が
どうせ簡単に調べられるんだから年号も固有名詞も覚える必要なんかないし
成績が落ちたって気にしなくていい。
年号なんかより歴史を学ぶうえでもっと大切なのは、因果だ。
何が原因でそうなったのかという大きな流れを掴むことが重要なんだって
答えていて、素敵だなぁって思った。
それに対して学生が
成績が落ちるのは困るけれど、先生にはそう伝えていこうと思います
と切り返したのもイカしているなと思った。

三谷さんのユーモアとか歴史との向き合い方も含めてひととなりを
知ることができたのはもちろん大きな収穫だったし
イベント全体を通して
Covid-19禍だからこそできることを探し、
そこに楽しみを見つけていこうという雰囲気があって
それだけでもなんか行って良かったな。

開会の儀で三島青年会議所理事長(たぶん)が
Covid-19禍で何をやっても、やらなくても
どっちにしても賛否両論、議論が起こるような状況で
それならやらないよりはやった方がいい。
行動しなければ議論さえも起こらないのだからと
力強く発言されていて、
なんかこの半年近くでそんな言葉を聞いていなかったので、
ハッとさせられた。

なんか知らず知らずに小さくまとまりかけていたのかも、私。

なんてことはない、放置しすぎたので、書いてみようかなと思っただけ。

今朝、通勤の途中で、
三島駅新幹線のチケット売り場を横切ったのだけれど、
その時視線の端に、
何か呪文のように唱えているおじさんの姿。

よく見ると、かなりご高齢なユニフォーム姿の駅員さん。
もしかしたら正社員さんではないかもしれない、おじさん。
胸の高さくらいのところで律儀に両手で小さな冊子をもち
それを一生懸命音読しているようで。

後ろを通り過ぎるときに聞こえてきたのは、
ぶつぶつと繰り返す英語のフレーズ。

外国のお客様の利用も増えてきていた三島駅。
勤務する以上はちょっとした英語でのコミュニケーションが必要だったので
会社から支給されたのか、もしくはご自分で作ったのか、
駅で必要な簡単英会話のリストを用意しているのでしょう。

Covid-19の影響で利用客がぐっと減り、
ましてや外国のお客様など、ほとんど姿を見かけないここ数ヶ月の三島駅。
それでも漫然と朝の勤務時間を過ごすのではなく、
時間ができたらさっと冊子をとり出して
自分でスキルアップの努力をしているのかなと。

その姿に、
己も死ぬまで貪欲に学び続けなくてはいけないなと心を新たに。
とりわけ語学というのは、
一朝一夕でどうにかなるものではなく、
たとえ使う機会がなかったとしても
日々ブラッシュアップしていかなくちゃいけないものなんだから。

とは言いつつも、
私のイタリア語力は日に日に劣化していっている。
もともと、イタリア語で自分が理解したものを
誰かに日本語で伝えることがとても苦手で
あぁ、同時通訳は絶対できないと思って諦めているけれど、
歳を重ねて、イタリアを離れて
ますます日本語への置き換え作業が苦手になっている。
努力が足りないってことに尽きるわけですが。

相手のあるコミュニケーションの中では
想定外の展開にもなるし、
決まり文句じゃ凌げない場面のほうが圧倒的に多いので、
語学って使えるフレーズを丸暗記しただけじゃ意味がないという方も
たくさんいらっしゃいますが、
なにもしないよりはずっといいわけで。
そういう、誰かのために何とかしたいという気持ちこそが、
実は語学の域を超えて、
相手に伝える原動力になったりするわけで。
伝えたいことがあること、
伝えようという気持ちがあること。
文法よりも語彙数よりも、それがとても大切だと私は思っている。

だから、
駅員さんの今朝の努力が報われる日が来ようが来るまいが
その時間は決して無駄になることはないよね。