先日弟と話してて最近の若い人と話してるとどうも会話にならないことが多々あるという話になったのでそのことについて触れる。

どういうことか?説明すると、

弟は演劇をやっていて、それで大道具を任されたらしいんです。
舞台で使う道具で棚と椅子とかを買うのは高いから作ることにしたんだそうです。
それと、イメージに合うものがないからだって。

それでいざ作るとなると材料が必要です。
だから、弟はこのくらいの大きさのものだといくらかかるって試算してその金額をみんなに伝えたそうです。
そうしたら、そんなにかけなくてもできるでしょって感じで言われるし、作成会はいつやるの?ってぶっ飛んだ話を始めたそうですw

こういう経験したことある人いるんじゃないでしょうか?

どういうことかというとこっちは調べてその金額出してるのに相手はなんとなくの雰囲気でそんなにかからないと判断してるに過ぎず、事実からするとかかるんですよ。
けど、なぜかそのことがそいつらには理解できないそうです。
理屈で話してるのに理解されず、しかもまだ材料もそろえられないのに作るのはいつ?って話になるという…


話し聞いてて、あーいかにも現代の子だなって自分は思いました。


自分もいろいろ若い子と関わってて感じるんですが、
一時期ゆとり教育とかなんとか言ってる時期があったせいなのか、
人と競争しなくていいって流れで、そのせいで自分と言うものを出すというより協調性があればいいという傾向が強く出たように感じます。

人と合わせるのは得意だけど、自らの主張は控える、そういう人かなり多くなってきつつあるのは感じます。
合わせるってのはどうやら頭をあまり使わなくなるようです。
考える力の低下を引き起こし、その結果こんな会話にならない会話が起きてしまうことになるらしいです。

簡単にいうと、今の子ってノリだけの子がすっごく多いんです。

はっきり言うとノリだけの子って個人的にクソつまらないのでそういう人とは会ったとしても次に繋がりません。
自分も会話の掛け合いとしてのノリはあるけど単なるウエーイだけにはあまり面白さを感じません。


とか言ってますが、弟と話してて世の中の大半がこういうウエーイというのを楽しく面白く感じててそれを面白く感じない自分達が欠陥があるんじゃないのか?と話になりました。
なれるものならみんなと同じ感覚でいれたらどんなに楽なんだろうと…。
考えられない事はある意味幸せでもあります。

別にノリが悪いと言うわけじゃなくてノリばっかりだと疲れるしつまらないし、残らないって言いたいだけです。
けど、世の中の大半がこのいわゆるノリだけで構成されつつある訳でああー終わるなって思いますww


日本人の文化である協調性を重視する傾向は最近のぬるま湯のような社会の上で最悪の結果をもたらしつつあります。

考える力の無い人間の大量生産です^ω^


ホントノリだけで生きてきたんだろうなーって言う人と会話することの生産性の無さには愕然とします。
何がおもしろいんだろう?

学校教育しかり、親の資質、いろいろ問題があると思います。
教育者がすでに考える力がないのでその下が考える力があるのはホント稀でしかないんですよね。
教育の本質っていろんな知識を持った上で自分になりに答えを出せるようなことを教えることだと思うんですけどね。
正解はひとつじゃないけど自分なりの正解を出せることが一つのアイデンティティの確立、自分と言うものの形成になると思います。
それをしないで協調性ばかり重視するのっておかしい気がするんですけど…


協調性があることとノリを一緒にするなと弟が言ってたのが印象的でした。

会話って頭使ってするもんだと思うけどそれが分かってない人が多いようです。
会話にならない会話が会話のスタンダードになってしまったら会話にならなくても雰囲気だけなんとなくオッケーならオッケーみたいなローラな世界…きついwww
心のボーダーを越えるパスポートを貰って


そのパスポートが埃をかぶるくらいまで放置して


そこに罪を問うとしたら


『保護責任者義務違反』かな? 


そんな罪を繰り返して、自分はきっとロクな死に方しやしない。




押し寄せる波が怖く感じる


だけど、一回踏み出すと足をさらわれている心地よさに包まれる


そこに身をゆだねていようとしたら


急に溺れそうになって必死に逃げた


だけど、本当はそのまま飲まれたらもっと心地好いのに。




溺れちゃえばいいのに


そのまま、楽になっちゃえばいいのに。


それが本当は望んでいることなの知ってる。





手を見てるだけ、


だけど、本当は別のものを見てる


それが何かというと


もっと広く、深く、大きなもの


目に見えないから、別に目がある必要なくて


だから、手を見てるだけ


それで十分


それが見るために必要なことなんだよ


でも、本当はみたいんじゃなくて


本当の理由は宙にだけ、無言で伝えてる。
ひとは誰しも現実の厳しさの中で生きている。


その現実が辛い為に現実から逃げようと多くの人はしようとする。


が、気づいてほしいのだが、逃げた先も所詮は現実なのだ。


現実が辛いのなら、現実をいかに楽しもうと出来るか、


そっちに尽力したほうが根本的解決にもなるし、逃げないことにもなるし、


僕はそういうやり方のほうがお勧めだ。


夢の中は確かに幸せだけど、でも所詮夢は夢、覚めれば現実。


ならば、覚めない夢を見続ける、そっちのほうが良いんじゃないでしょうか?