東家一太郎さんインタビュー

(船遊びみづはウエブサイトより転載)

 

    若い人はもちろん、団塊の世代以下にはすっかり馴染みのなくなってしまった浪曲。いまどき、浪曲師になる人ってどんな人?親が浪曲師じゃないのに?

    若者が、なぜその世界に飛び込んだのか?真面目に語ってくださいました。


☆学生時代から、落語や浪曲に親しんでいたのですか?それとも他のことが好きでしたか?

 

一太郎: 大学に入ってから落語にハマりました。ある落語家さんが好きで、ずっと追っかけて聞いていました。落研などには入らずに専ら聞くのみ・・・。浪曲は広沢虎造の「呑みねぇ、食いねぇ」ぐらいの知識で、全く浪曲を知らない普通(でもないか?)の学生でした。

 

☆大学を出てから浪曲界に入るまでは、何をしていらっしゃいましたか?


一太郎: 映画と落語が好きだったので、

映像の仕事に就いて、演芸関連の番組に携わりたい、とりあえず技術を身に付けたいと思いまして、大学卒業後、テレビ番組の制作会社に入ってしばらくADをやっておりました。大変な仕事でしたが色々な経験ができて、人との出会いも面白かったです。が、自分探し・・・なんて死語もありますが、これは自分が本当にやりたいことではないなぁと感じ、弟子入りして落語家になろうかなぁ・・・なんて軽く考えていた矢先に、ある浪曲のCD、昔の名人の音源をぼんやりと聞いていたんです。

    はじめは浪曲の独特な声で、果たして何を言っているのか?日本語か?話の内容さえも分かりません。子守唄がわり、耳心地の好い睡眠導入剤のような感覚で何回か聞いている内に、さすが日本人ですね、話が分かってくる。そしてよくよく聞いてみると、この人の話芸は落語や講談よりも上を行っているんじゃないか、語り手と三味線のあうんの呼吸、このグルーヴ感は流行りの音楽なんかより全然カッコイイではないか!三味線の人の掛け声、なんじゃこりゃ、面白い!自分が生まれるだいぶ前に亡くなっている人、その声がいま目の前に生きていて、自分の魂を揺さぶっている、なんだかすげ~、これは生で見なければと、浪曲の寄席、浅草木馬亭へと通うようになりました。

 

☆それが浪曲の世界に入るきっかけに?

 

一太郎: それからはもう浪曲のトリコ。急速に浪曲という芸の深みにハマっていきまして、

浪曲の公演をできるだけ聞きに行く・・・

都内の図書館を巡っては浪曲の音源集める・・・

浪曲ゆかりの場所を旅する・・・

浪曲教室に通う・・・

三味線教室に通う・・・

すっかり浪曲中心の生活になりまして、最終的には月に五日以上は木馬亭へ通うような中毒状態、このまま時が止まってずっとこの客席にいたい!とさえ思うようになってしまいました。

    木馬亭の客席を見渡すと少なくとも六十歳は越えている常連のおじさま方ばかり、若い人はほぼなし。舞台上の浪曲師の師匠方の平均年齢も六十歳を越えていますし、九十歳を過ぎて現役の先生もいらっしゃる。浪曲というこんな最高にカッコイイ芸能、継いで行く若い人(特に男)はいないんだろうか?と思うと自分でも不思議なくらいとても悲しくなりまして、だったら物になるか分からないけど自分が浪曲の世界に入って頑張ってみて、もし物にならなくても、後の世代の人に続いて行けばいい、と謙虚な気持ち?で師匠東家浦太郎の門を叩きました。

    弟子入りする決心が着いたのは浪曲熱が高じての衝動としか言いようがありませんが、それまでの人生で心底から自分でこうしたいと決めたのは初めてでした。

 

☆有名大学(早稲田出身)を出て浪曲師というのは珍しいと思いますが、親御さんから反対されませんでしたか?

 

一太郎: 東大出の浪曲師の方もいらっしゃいますし、大学では大して勉強もしなかったので恥ずかしい限りですが、一応、文学部だったので、浪曲の文句の流麗さに惹かれましたのだと思います。落語の講義はありましたけど、浪曲の講義はなかったです・・・。

    母親は浪曲をほとんど知らない世代なのでもちろん反対しましたが、自分の決意も固かったので押し切ったというか、一人っ子なので、甘えて許してもらいました。元々父母ともに芸事も歌も好きですし、祖母は小唄のお師匠さん。後から知ったのですが、祖父も曾祖父も浪曲が大好きだったようで、浪曲好きは完全に血です。

 

☆入門はすんなり許されましたか?

 

一太郎: 実は、師匠浦太郎に「弟子にさせていただきたいんですが」「じゃぁ何日に何処そこで会おう」と話をしたその数日後に師匠が脳梗塞で倒れまして・・・。驚異的な回復力で1、2ヶ月で舞台も復帰して、現在は全く何ともなく絶好調の師匠ですが、倒れたと聞いたときはどうしようかと、気が気ではありませんでした。2ヶ月ぐらい浪曲浪人しましてから、元気になった師匠から「声調べするから来い」と電話がかかってきました。最初の男の弟子ということで、一太郎という名前を頂きました。

 

☆年季があけるまでは、どんなことをするのですか?

 

一太郎: 浪曲の舞台は、テーブルがあってそれに布を掛け、立って演じるスタイルが基本でして、セッティングが多少ややこしく、また拍子木も入るので、浪曲師はお三味線の人(曲師)以外に、荷物持ちと着替え、舞台などを後見する人(主に弟子)を連れて行きます。弟子の仕事は簡単に言えば師匠に付いて後見し、素晴らしい芸をして頂けるように最善を尽くす。そして師匠の舞台を勉強させて頂く、ということです。

    師匠の仕事以外に、木馬亭の浪曲定席の十日間(現在は七日間)ほぼ毎日行って舞台や楽屋が滞りなく進行するように仕切って行くといういわゆる前座修行をしました。たまに辛い事もありますが、まぁ好きで入った世界です。浪曲がただで聞ける毎日が楽しいですし、楽屋の師匠方からは孫のようにかわいがって頂きまして色々とご指導頂きました。

 

☆浪曲の魅力を同世代や若い人に伝えるのに、どんな活動をしていますか?

 

一太郎: 30分の古典浪曲をそのまま演じてもはじめて聞く方には受け入れてもらえないと思うので、プロフィールを浪曲でやってみたり、短めの新作浪曲を自分で作って演じたりもしています。ホームグラウンド浅草のガイド浪曲や、シートン動物記のオオカミの話などがあります。会場も寄席だけでなくライブハウスでもカフェでも、今回の様に舟でも、どこでもやります。

    文化庁主催の「次世代の表現者たち」というオーディションの選抜公演では、色々な邦楽のジャンルの方々と一つの曲でセッションもさせて頂きました。あと、NHK「あまちゃん」の放送にも出ました。最後の5秒「まだまだあまちゃんですが・・・」という静止画、写真だけですけど。浪曲を知らない人がほとんど、であることは重々承知してますので、とにかく暇さえあればアピールをしていきたいと思っております。

 

☆将来浪曲師としてやってみたいことはなんですか?

 

一太郎: 浪曲に興味がなさそーな人も引き込めるような、自分にしかできない浪曲のスタイルを作ってみたいです。年季明けが済んで、これから本当の意味で浪曲の勉強をする時だと思っていますので、師匠の芸をしっかり学んで一人前の浪曲師になること、舞台の経験やお客様の反応を通して浪曲という芸の持つ本当の魅力を伝えられるように、新しい試みに挑戦していくこと、課題は山ほどありますが、もがいて格闘して参ります。


出典:「舟遊びみづはウェブサイト」
船遊びみづはURL:http://www.funaasobi-mizuha.jp/