KICK OUT!
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いじってもいい人かも

ある金曜日、映像作家のKさんから電話。
以前、映画祭に出す作品に
僕のギターとハーモニカの
音を挿入したいと
頼まれたので
大慌てでスタジオ録音して
CD‐Rを渡したのが二週間前。
それ以来である。

映画祭も終わって、次にKさんは
三里塚へ農業支援と撮影に行っていた。

「明日、ドキュメント短編の上映会やりますから
その後、皆で三里塚の野菜で鍋でもつつきましょう」

三里塚の野菜は良く肥えてて美味い。
特に人参が甘くて芳ばしい。

僕は食べたい一心で「行きます!」
K さんは「何人か誘ってもらえますか」
おそらく急に思い立った企画だろう。
K さんはそういう人なのかも。

大慌てであちこちメールでお知らせして
二人だけ動員出来た。
当日の客は僕とこの二人だけ。

梅田近辺のフリースペースでの上映会も終わり
100円ショップの袋から出てくる野菜は
どれも痩せ気味。
「Kさん、三里塚の野菜ってこれですか?」
「三里塚の野菜は荷物なるから家に置いて来ました」

うーんKさんって
そーいう人なんだ。

もう一つ気になる事が。
「映画祭に出した僕の演奏が挿入されてる作品、
あれ見たいです」
「あれねえ…時間なかったから
挿れてないんですよ」

うーんKさんって
やはりそういう人なんだ。

それから数日後、僕が企画していた
玉造の居酒屋での飛び入りライブの前日
Kさんから電話が。
「明日の飛び入りライブ
僕も映像パフォーマンスで
参加したいんですけど
プロジェクターを誰かから借りれないですか?」

うーんKさんって………

2009 6/19

新しい世界 ④

KICK OUT!-はに.jpg

 新世界ミュージックに
呆れてたのは客席だけではなかった。

演奏中にステージから
去った共演者も2人だけいた。

昔の漫才のオチ直後の決まり文句
「君とはやっとられんわ」を
オチの前に言われた感じ。

「こんな奴らと一緒にされたくない」
気持ちはよく理解できる。


テーマさえあれば言葉がどんどん出てくる丹羽さん。

「神様が人間を救ってくれないから
人間が神様を救おう」

「ちゃんとせいと言われても
ちゃんと出来んかった。
それは素敵な生き方だったと思う」

こんな言葉が咄嗟に出てくるのは
この人の才能に違いない。

しかし、古びたタンスの引き出しを
無理やり引っ張った時に出る
「ギギギギィ」って音にも似た歌声で
それもほぼ台無しになる。
毎回豪雨のような罵声の中に2人はいた。

 それでも僕は丹羽さんの引き出しから
何が出てくるのか楽しみでしょうがなかった。
舞台に居ながら僕は観客だった。

 怒りと諦めと自画自賛の中に出来た空間で
僕と丹羽さんは遊びまくる。

次はどんな世界?その次は?
遊んでも遊んでも楽しみは尽きない。


 05年の夏祭りを前に丹羽さんは何度目かの鬱病になり
その年の秋口には
積年のアルコール依存による肝硬変で
去っていった。

幾つもの名曲を生き埋めにしたまま
新世界ミュージックはおしまい。

客席と舞台がお互いをさらけ出した状態での
エネルギーのぶつけ合いは
生きてる実感を僕に与えてくれた。

もうあの世界には行けない。

(完)

新しい世界 ③

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 丹羽さんと僕の行き当たりばったりユニット
新世界ミュージックは
釜ヶ崎「寄ってき」まつりはもちろん
釜ヶ崎夏祭り、越冬祭りのライブと
年に4回必ず出演していた。

 その当時、釜ヶ崎の越冬、夏祭りのブッキングは
僕と丹羽さんがその殆どを担当していた。

釜ヶ崎「寄ってき」まつりにしてもそれは同じ。

つまり自分で自分の出番を融通してただけで
他のイベントやライブでは
相手にされないのは明らか。
それ位の演奏レベルだった。

その新世界ミュージックに不快感を抱く
人達は様々な行動に出た。

 無人になってたP.Aブースに入り込み
音響機材に触ろうとした人もいた。

「あんな不快な雑音止めてやる」
と思っての行為だろうが
しばらく機材を眺め何もせず出ていった。

どのスイッチを触ればいいか解らず
誤って壊した場合を恐れたのだろう。

 「やめろ」「引っ込め」「頼むからやめろ」
演奏中罵声を浴びせ続けてた労働者の最後の一言は「参った」だった。

怒りから嘆き、そこから諦めと悟り。
30分足らずの間に
僕らは人間の感情を4度動かした事になる。

観客の敗北宣言だから一応僕らが勝った事になる。
とはいえそれは根比べに勝っただけで
演奏や楽曲で共感を得た訳ではなかった。

 夏祭りの実行委員長を呼びつけ
凄まじい剣幕で「訳わからん歌やめさせろ」と
猛抗議する労働者がいた。

それに対する委員長の返答は
「私も頭痛いんです」だった。

うるさい抗議から逃れる為の
同意したふりではなく
委員長の本心から出た言葉に違いないが
幸いにも中止命令が下る事はなかった。

‐続く‐

新しい世界 ②

関西ニューアートの名を手放した
僕と丹羽さんの新たなユニット名は
新世界ミュージック。

丹羽さんの発案である。
その道に詳しい方ならお分かりだが
これまた大阪にあるストリップ劇場の名称。

“新しい世界の音楽”と解釈出来る。
確かに、丹羽さんが唄い出すと
不快と痛快の皮膜をさまようような
微笑ましくも腹立たしい
新しい世界が浮き上がる。
ストリップ劇場の名称も深いものである。

 丹羽さんが主にボーカル。
僕はギター。そしてボーカルを少し。
他のパートは現地で募集する。

歌詞は予め僕が1曲だけ書く。


他の曲は客席からお題をもらって
僕がギターで適当なコードを弾く。
それに併せて丹羽さんが唄う。
歌詞とメロディーはその場で考える。
唄の大喜利である。


 詩のボクシングに丹羽さんが
ノミネートされた事があるとは聞いていたが
テーマさえあれば次から次へ言葉が出てくるあたりはさすがだった。

しかし楽曲として成立する事は少ない。
丹羽さんは言いたい事が多すぎるあまりか、
しょっちゅう着地点を見失ったまま
言葉を吐き続けるからだ。

見かねた僕が強制的に曲を終わらせるパターンが殆ど。

曲らしい曲で終わらないと収まりかつかないから
事前に用意した作品が必要となる。
言わば保険。

 毎回、綱渡りのような気分でステージをこなす。
拍手より罵声が圧倒的に多い。

ただでさえ雑音以下の歌唱力の丹羽さんなのに
曲の完成度が保証されないとなると
無理もない話。

「たまには打ち合わせすれば」
「これじゃあ新世界じゃなくて珍世界だろ」


浴びるほどのいやみや苦言など
丹羽さんと僕の眼中にはなく
本番後はいつも
得体の知れない達成感を肴に飲んでいた。

‐続く‐


新しい世界 ①

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 ある年の夏、三角公園バンドの村上さんから電話があった。

「従来の三角公園バンドでは
出来ない音楽をやりたいから
参加しませんか」と言うお誘い。

従来の三角公園バンドの音楽が固まっていたとは思わなかったが
何やら新しい可能性を探りたいのだろう。

 ユニット名は“関西ニューアート”
その道に詳しい方ならお分かりだが
これは大阪のストリップ劇場と同じ名称。
「関西から新しい芸術を」の意だろうか。

 メンバーは三角公園バンドの村上さんと狩野。
そして正しいチューニングをした事がない丹羽さん。

顔ぶれだけ見れば怪しさに溢れている。
そして僕は怪しいユニットが大好きなのである。

 その年の夏祭りには用事で行けなかったが
次の正月の再結成には参加した。

ところが本番直前に
狩野が体調不良でダウン。
ボーカルを欠いた
メンバー3人がステージに上がる。

僕が路上ライブで使用してる唄本をめくり
曲目と誰がボーカル担当かをステージ上で決める。
要するにその場しのぎ。

キーと声域があってるかどうかは
歌い出すまでわからない。

客席にいたしんたろうが
「俺も仲間に入れろ」とステージに割り込むと
これ幸いと即興でブルースを唄わせ時間を繋ぐ。

この行き当たりばったりの緊張感と
時々訪れる達成感が
僕と丹羽さんには心地よかった。

 その日のうちに解散を宣言した関西ニューアートだが
その後、“続・関西ニューアート”
“帰ってきた関西ニューアート”など
結成即解散を繰り返す僕と丹羽さんの
いびつな遊びは釜ヶ崎のイベントのたびに続いてた。

 「関西ニューアートは私の発案
当初の主旨とかけ離れた事をしてる二人に名乗って欲しくない」

ある日、狩野の苦情を人づてに聞いた僕らは
“関西ニューアート”のユニット名を返上する事にした。

‐続く‐

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