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ゆっくり

久しぶりにブログというより、個人的な日記を書きたい気分なのでとんでもなく久しぶりに

更新(´0ノ`*)



もうすぐ、娘さん1歳8カ月になります。

毎日×2、愛おしいって思う気持ちと、どーにもこーにもやりきれない気持ちとが混ざり合いながら

子育て奮闘中です。

今回は、娘のことではなく自分のこと。


何カ月か前の、朝日新聞に月一で掲載されている齊藤薫さんのエッセイ。

齊藤薫さんなので、もちろん美容の話なのですが、その内容にとても考えさせられるものがありました。



一部抜粋


 たとえば50年前といちばん変ったのは、女が生きるスピード感だろう。

ともかく、昔と比べようもないほど女が忙しくなった。やりたいことがいっぱい

な上に、女は何も諦めない。その結果、女たちは今いつも慌てている。

何だかみんな焦っている。生活が煩雑になり、行いがわさわさするから物が

散らかり、探しものばかり。女性が言葉をはしょるようになったのも忙しさの

ひずみだろう。いつの頃からか、女性が”癒し”を切実に求めるようになったのも

結局はいつも慌てふためく自分自身を落ち着かせるためなのだ。

 だから今あえて言いたい。大人がキレイになるカギは”ゆっくり”にありと。

ゆっくり動く、ゆっくり話す。家事も見繕いも肌のお手入れもゆっくりていねいに。

そういう時間的ゆとりがないから困っているのだと言うのだろうが、手際がいいのと

急ぐのは違う。ゆっくりやると、だいたいのことはうまく行くし、結果として早く済む。

ゆっくり動くと心が落ち着き、見えなかったものが見えてくる。



以下は、アンチエンジングについて書かれていました。



今回、これを読んで感じたこと。

わたしの、子育て。


もともと、お出かけするのが大好き!とにかく、楽しそうなことがあれば娘と一緒に

どこでも参加します。昔から、フットワークが軽いのだけが取り柄。


だから、娘が生まれてその後入院し退院してからなので娘が2カ月になった頃から

よくお出かけしてました。3ヶ月の娘を抱っこして鳥取砂丘、駆け回ってたなーw


娘も、体が丈夫なのか私に散々連れまわされても風邪ひとつひかないし、熱をだすことも

ありませんでした。

だからなのか、自分の生活を振り返ることがなっかたような。


今は、娘が喜ぶところ半分、私の行きたいところ半分かな。

それでも、毎日、毎日出かけて行きその結果が子育ての乱雑さなのかと。


あれも、これもと出かけて行きその結果、生活にゆとりがなくなるから無駄に娘を

しかってしまう。それって、ホントに娘をしからなきゃいけないことなんだろうかと

自己嫌悪に陥ることもしばしば。


自分の生活にゆとりがないから、しかってしまう。

遊びに行くから、家に帰って急いで夕飯の用意をする。娘が、イタズラをする。

何度言っても、お水のコップを持ったまま歩く。案の定、こぼす。しかる。

でも、気持ちに余裕があるときはしからないんですよね。だって、1歳の子がお水を

こぼすなんて当たり前だし。そんな当たり前のことすら、見失う生活って。。。

なんて、思いながらまた繰り返す。


成長がないのは、娘じゃなくてわたしなんじゃないのかと。



このエッセイは、ゆっくりがキレイへの道だと言ってますが

ゆっくりが子育てにも必要なんだと思いました。


わたしたち夫婦は、娘には穏やかな子に育ってほしいと生まれる前から思っていました。

でも、このままのゆとりがないわたしに育てられるとせっかちな子になってしまうのでは?

と思うようになり、少しゆっくり生活してみようと。

もちろん、子育てしてると食べ物が飲み物になるくらい早食いになったり、人さまに迷惑を

かけないためには、ゆっくりね~なんて言ってられないこともしばしばですが(笑)

ただ、どこにいても親の焦りなんかは子どもに伝わってしまうので、焦らずに。




いっとき、早イヤイヤ期?なんて思うくらい毎日イヤイヤ~って言ってた娘ですが

最近は、本格的なイヤイヤ期に入る前の静けさを取り戻しています。

だからこそ、今ゆとりをもった生活をしようと。



もうちょっと、違うことが書きたかったはずなのによくわかんなくなってきたー。


最後に、エッセイの締めが


みんな忙しすぎた。せっかちになりすぎた。今こそ、無理がない、慌てない、自分を追い込まない、

自分に優しい暮らし方を見直したい。



と。


ゆっくり生活してみましょ。






今思うこと


my life my treasure



久しぶりの更

新がこんな日記になるなんて。


ただ、今思うことを何かに吐き出さないと前に進めない気がして

自己満足な気持ちですが、ここに残すことにしました。


地震発生時、わたしは娘を連れて渋谷でお友達とランチをしていました。

そこへ突然の揺れ。娘を抱き机の下へ身を隠しました。

その後、渋谷の駅へ行きましたがすでにパニック状態。

電車は全滅で、バスを乗り継いで近くまで行きそこから歩いて帰ろうと考えました。


やっとの思いでバスに乗り込みましたが、あまりの人の多さに娘が大泣き。

こんなときだから仕方ないとお菓子をくれたり、自分の携帯をおもちゃ変わりに貸してくれたり

と、親切にしてくれたのですが、結局、娘が泣き止むことはなく三宿あたりで下車。

信じられるのは自分の足だけだと、横浜の自宅を目指しました。


途中、何度も心が折れそうになり何度も涙がこぼれそうになりましたが、Twitterで励ましてくれる

お友達や神戸から心配してメールをくれたりツナガラナイ電話にメッセージを残してくれたお友達や家族。

娘を抱っこして歩いていると、「頑張って帰って!」と声をかけてくれた人たち。

そして何より、何もわからない無邪気な娘の笑い声に励まされ、約6時間かけて無事に自宅に

到着することができました。


そして、テレビをつけてはじめて日本でおこった無残な光景を目にしました。


それからは、心が重く、胸をしめつけられる思いで、毎日言葉にできない不安に包まれていました。


そして地震発生から10日たった今、不謹慎という言葉と自分自身が戦っています。


わたしは、阪神大震災の被災者です。

当時、高校1年生のわたしは、大事な友達を亡くし大切な祖母の家をなくしました。

そして、1ヶ月間水道が使えない生活を余儀なくされました。


それでも生きているわたしたちの生活は、いつも前を向いていました。

そのときに被災しなかった人たちを恨めしいと思ったことはなく、例え笑っていても

美味しいものを食べていても、キレイなお洋服をきていようと、おめでたい出来事がおこっても

それは、その方たちの日常であって、それを不謹慎だと感じたことはありませんでした。

突然襲った、不幸な出来事で確かにわたしたちはいろんなものを失くしてしまいました。

でも、失くしてしまった生活でも日常を取り戻そうと必死に生活していました。


だから、今、わたしたちがするべきことはテレビで流される悲惨な光景に涙することではなく

今まで当たり前だと思っていた日常に感謝しながら、日常を生活することなのではと思うようになりました。

電気・水道・ガスが使えること、暖かい布団で眠れること、お腹をいっぱいにみたすことができること。

これは、決して当たり前のことではなかったのだと、阪神大震災で教えられたはずなのに

忘れていました、わたし。

だから今、与えられている資源に感謝し、大切に使うこと、これが大事なのではと。

不謹慎という言葉でがんじがらめにならず、一歩前に進んでみようと思っています。


最後に、この震災を決して忘れてはいけないと。

被災者にとって、何もかもが今からです。

神戸の街も復興するのに、10年かかりました。今でも、元通りではありません。

それでも、半年も過ぎると被災地以外は何もなかったような生活になります。

こんなに毎日繰り返し放送されるテレビも、たまに特集で流されるだけになり記憶の中から

薄れていきます。それこそが不謹慎なのでは。。。

仮設住宅で孤独死する人、生活が本当に苦しくなる人。

PTSDに苦しむ子供たち。

そういったことに目を背けず、忘れず、東北の復興を見守り続けなければいけないと思っています。


わたしには、少しばかりの募金と節電、そして強く強く復興を願うこと、今はこれしかできませんが

自分にできることを精一杯していこうと思います。



最後になりましたが、被災者の皆様に謹んでお見舞い申し上げます。


朝から

$my life my treasure


娘の歯科検診。

終わって休暇中~♪

どうやら、一度、小児歯科専門の病院に行かなきゃダメみたい(ノ_・,)