自由のないぶろぐ
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久しぶりの更新です。
無性に書きたくなったので更新します。

今年の春。4月6日に大好きだった祖母が亡くなりました。前日の5日の日曜日、危篤だと連絡が親から来た。でも、帰らなかった。

痴呆に気付いたのは自分が高校生の時。
母親と3人で買い物に行ってごはんを食べた帰りだったかな。ばぁちゃんとは喧嘩なんてもちろん今までしなかったのに、些細なことで私が怒ったら、泣かせてしまった。これだけは忘れられない。
ばぁちゃんも、怒らない人だったのに、怒鳴るくらいに人がかわり始めてて。
この頃から少しずつ痴呆が始まってたんですね。

高校卒業後、私は東京の専門学校に通っていて、地元は福島。長期休みには必ず帰って、真っ先にばぁちゃんちに行ってたぐらい、本当に大好きでした。ばぁちゃんも孫3人で女孫1人だから、とてもかわいがってくれて。

その頃には週に何回かデイサービスに行くようになり、徘徊も増え、GPSを持って出ることももちろんしてくれないわけで、結局介護の施設にお世話になることに。

今まで病気1つしてこなかったから、脚だけは丈夫。施設内でも歩き回り、ある時骨折してしまい、それから寝たきりに。

顔見せに行っても、もちろん私が誰かはわからない。初めましてこんにちは。から始まる一方的な会話。アキだよ。って言ってもわからない。

医療職だから、慣れてるはずなのに、全然耐えられませんでした。辛かった。
それから私生活のいざこざもあり、段々と地元に帰らなくなった。

亡くなる2年くらい前にも危ないかも言われた時があって、結局最後にばぁちゃんに会いに行ったのは1年前の大雪で交通が麻痺した年明けでした。

ばぁちゃんは苦しまないで息を引き取ったよ。とおばさんと母が教えてくれた。

お通夜が終わってから斎場へ向かった。
棺に入ったばぁちゃんとお話...って思ったけど、今までありがとうじゃなくて、会いに来れなくてごめんね。ごめんねってごめんねしか言えなかった。本当はたくさん会いに来たかったのに。
おばさんにばぁちゃんが一番会いたかったのはアキだよ。って言われて、またごめんねってしか言えなかった。

じぃちゃんとばぁちゃんいつもいがみ合ってたけど、火葬前、ばぁちゃんキレイだっただろ。昔モテモテで、それでも俺のとこに来てくれたんだよって泣いてて。
ばぁちゃんが最後まで認識出来たのはじぃちゃんだけだった。

自分のしたことで、母親と仲が悪く、新盆のお知らせも来ず、行けなかった。

ばぁちゃんに相談したいよ。どうやって仲直りしたらいいの?会いに行かなかったこと怒ってる?

本当に小さい時から可愛がってくれてありがとう。自分のお給料で旅行とか連れてあげたかった。

これからも私はばぁちゃんのことは一生後悔していくんだろうけど、今更来ても遅いよーって言われるだろうけど、出来るだけ会いに行くね。

本当に本当に馬鹿な孫でごめんなさい。

ブログでも書いてみようと思います。

もう早いものであれから3年の月日が経ちました。

自分が大きな闇をかかえてることを言ってはいないけど、時折暇な時間があれば外に連れ出してくれる友達。

彼と出会って半年くらいだけど、いろんな所に連れてくれたり。

賃貸の更新があったけど、更新することにしました。

まだ心の傷も癒えてない。
まだ彼を恨む気持ちも消えてない。
結局は忘れられない。

失ったものも多かったけど、
それでも好きなんです。残念ながら。

困ったものです。

おめでとう。伝えられないけど。