akarmaweb引越し

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akarmaweb引越しです。

http://des.blog.shinobi.jp/

こちら。


約2年お世話になったアメブロも今日でお別れです。

2005年1月4日に三鷹在住の頃下記の記事を書いたのが始まりです。

http://ameblo.jp/akarma/entry-10000440537.html


正月に実家にも帰らず三鷹で一人なぜブログを始めたのでしょうか。


そして飽き性の自分が2年も続いているのだからわからないものです。(引越してさらに悪化することだろうし)


ここ(アメブロ)には読者機能やコメントといった不特定多数の人との絡みがあります。友人にもアドレスを教え見てもらった所さまざまな反応が返ってきたのと、今まで自分が考えて発言していたつもりの事も何も理解されていない(聞かれていない)ことがわかったりしたのが継続の理由でしょうか。


ブログをやめるわけではなくアメブロを引っ越す理由としては、管理しているサイバーエージェントがダサい。とかそんなことだったりしますが、もっと単純なところにあります。


アメブロにアップロードできる制限が小さいのが一つと他サイトからのタグのコピーが禁止されているものが多いことなんかがあげられます。あとこれは以前からですが編集中に接続が切られ記事が消えてしまうことなんかもありますし。


規制されることを嫌いhp作成ソフトなどを使い自己hp(dada-experiment-society)を作成したりもしましたが、file管理が面倒なのと結局、内容に対して時間がかかりすぎることで止めてしますことにしました。(これはDWWW がブログ化したことに後押しされての決定です)


そこでテンプレートの編集の自由度が高いninja へ引越して、ついでにdada-experiment-societyもそこに集約してしまおうとゆうわけです。(楽がしたい。pcの前に居すぎ)


ただ今後の考えとしては一つ一つもっと丁寧に物事を書いていこうと(調べていこうと)思っています。

気軽に成りたいときようにninja用のカテゴリーにdialyの項目は付け加えておきましたが、当面のやり方として「メモからノートへ」という目的のもとにじっくり書いていこうと思います。



アメブロでの後半はninjaのアクセス解析を利用して(アメブロ上にできましたが)何人くらい来ているかが把握できました。


すると毎日500~600アクセスあるんです。その仲の5人くらいしか目を通していないと思いますが(5人いればうれしい)単純にアクセス数がふえるのはうれしいものです。


ここの読者のみなさんにもお世話になっています。(今後もよろしくー)

偏った視点にコメントをくれたり、なにか教えてくれたり、ほんと感謝です。


おおげさではなく人生的に影響があったのもいうまでもないです。


個々の方との関係性(お礼のお言葉)を書いてもいいのですが、別に終了するわけではなく引越しなのだから(しかもweb上での)そんなノスタルジーに浸る必要もないわけです。これからも適当なコメントをしますね。


今だから言えるのですが中学の時サッカー部の最後の試合に負けた日、ノートにメンバー個々に宛てた手紙を書きました。(まだ実家にあるはず)

それは誰一人に渡ることもなく、なにを書いたか覚えていませんが、なにかそのときの気分を思い出している自分がうれしかったりします。


最後にもう一度。

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では

上記サイトで会いましょう~。


akarma




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おしまい

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そろそろここ(アメブロ)も止めにしようと思っています。(今の気分)


もう少し物事を大切に書きたい(調べていきたい)ので、dada-experiment-society のhpを利用してコラム形式で適当なことを書いていこうと企んでいます。

dadaのほうも大幅に形を変えないと疑問点が多くなる一方なので、近いうちに形を変えていこうと思います。


予告でした。





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es

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hr

どっか日本の大学を筆頭にした研究グループが、マウスのES細胞を使用してマウスの人工肝臓を造ることに成功したというニュースを見たのはおとといのこと。


確か自分が中学生でクリントン大統領の時代だから1990年代後半だったとおもうのですが、イギリスはスコットランドで羊のドリーが誕生。

ご存知ドリーはクローン羊です。

ドリーが誕生したときの話題といえば、「もうクローン人間はいるのではないか?」とか「なぜ羊だ?毛でも刈るのか?」とか。


もちろんクローン人間もつくれるようです。


ドリーが誕生したときに真っ先に動いたのはクリントン大統領。

実験を一時的に停止させ、アメリカの法律に人間のクローン開発禁止の法律?を制定。

日本の橋本さんもすぐに似たような法律を制定していたようです。


ドリーが誕生した際の鍵となったのは万能細胞(ES細胞)の存在です。

授精した胚(受精卵)に含まれる細胞のことで、これが万能細胞といわれる所以は、「なににでもなる可能性をもった細胞」だからです。

受精卵はもともと一つの細胞ですが、分裂していくと、それぞれがそれぞれの形(細胞)になるわけです。


クローンのなにが問題かというと、一概に言えないのは確かで、社会的、宗教的、人道的さまざまなことに混乱が生じるからでしょうが、なによりわかりやすい理由が、ES細胞は授精した胚(赤ちゃん)を殺して取り出す作業がどうしても避けられないので、倫理問題が生じてくるのは言うまでもないです。


新たな組織でできた細胞集合体を誕生させるか、まったく同じ組織の細胞集合体を誕生させるか。


ES細胞の研究はもちろん医療の場にとても必要な出来事なのでしょう。


万が一人間クローンの研究が進めることができて(法的にできる国もあります)クローン人間が誕生していくことになったらどうでしょう。

現在のクローン技術では、卵子が必要ですから女性は必要ですが、クローンを生む際一切男(精子)はいりません。

クローン技術の先は女社会・・・・なわけです?


例えば漫画家が創造していることは、こうしてどんどん実現されていくところを見ると創造物は実物に成り得るのではないかという気になる。


藤子さんはどうおもっているんだろう。




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kp

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朝起きると無性に山歩きがしたくなったので連休は山を歩こうと自分の中で決める。(別に継続的な趣味とかではない。)


「朝起きると山を歩きたくなる」なんて衝動は何から来るものか知らないが、小さい頃の山遊びの記憶が断片的に出てきたのだと思う。


視覚的に先端恐怖症の傾向にある自分は生い茂った山を歩くと緊張感に苛まれる。


子供の頃、山を歩く遊びが好きだったのは、緊張感から来るものに違いない。

何人かで山へ向かうと、それぞれの設定が決められていてロールプレイングするわけです。


武器をつくったり、罠を仕掛けたり、なにか「敵」みたいなものへ向かっていくわけですね。

もちろん何もいないわけだから(たまに山菜取りか何かのジーさんは見かけたりするが)、武器や罠が活躍することはなにのだけれど、それをつくっているときは結構本気だったりする。


山遊びは自分の場合結局サバイバルゲームによって高校生まで続いていくわけですが、結局それも「山=緊張感」からくることなのだと今おもう。


今山へ入ってなにをするか考えると、フィールドレコーディングくらいしか思いつかない。

そこに緊張感は見出せるのか・・・。

山中は結構、断続的にうるさいものだ。


今日は立冬です。


冬のおとずれを何かしら感じているはずなのですが、まさか山を歩きたいという衝動が立冬からくるものなのか。


二十四節季にはこうして関心させられることが多々ある。


これもサイクルなのかもしれない。

tgs

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先日久しぶりに家族5人が勢ぞろい。

5人とも土地も違う別の屋根に生活しているので、なかなか揃うことはない。(不仲とかではなく)


集まった理由は特になく、父母の東京見物。


昼前上京していることは聞いていたのですが、前日に友人と悩み明け暮れていたので、合流したのは昼過ぎ。

どうせ上野にいるだろうと電話したら本当に上野の美術館あたりにいる始末。


我が家は皆、表現者ではないのですが観る事は懸命なのだ。


上野に向かおうか?と尋ねると、もう用事は済んでいて、どうやら次は六本木ヒルズへ。


六本木ヒルズに先に到着して本を読んでいると、「やーやー」と現れる。

こんなに人が多いところでよく電話もなく会えるものだ。(何かあるに違いない)


父は都市(地方都市含む)で会う約束をすると、息子に会うという事実よりも、息子にせがまれることがはじめに脳裏に浮かぶらしく、それはここ六本木ヒルズでも同じ事で、「高いスーツでも買わされるんじゃないかとおもっていると」まんざらでもない顔で言っている。


ヒルズに欲しいものなどないのだけれど・・・・と思いながら。

よからば蜜を吸ってやろうとたくらむ。


姉がビル・ヴィオラの展示会を観たいと言うので、東京展望ついでに森美術館へ。


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自分は知らなかったのだけれど、駅におりたときから上記のようなビジュアルがそこらに広告されているので、かなり気にかかっていた。


すべてビデオアート。

パイクのアシスタントなんていう説明とともに紹介されていた。


作品のなかにはスローモーションを使用したものがおおく、絵画を眺めるそれとは違うし、映像作品のそれとも違う。


鑑賞する人をみていると一定の時間の鑑賞時間で動いているように思えた。


映像作品の場合、鑑賞する時間は作品の時間ということになる。(例外もあるが)

絵画の場合は流れることはない、時間はそれぞれにある。


微細な動きは飽きに繋がっていた。それは繰り返しているわけではなく流れている。


大きな動きと小さな動き。


昆虫の孵化や植物の成長をながめているようなものだ。


スピードの体感はすでにある程度、基準値がもうけられている。


時間のながれは、哲学的にも宗教的にも科学的にも物理的にも定まったものがある。(定まるという言い方は違っているが)





ただ自分は遅く感じてしまうタイプらしいのだ。