〔更新履歴:2019-6-4、6-2、(5-30)、5-26、5-21、5-16。項目は逆順1先-5後〕
5.
ภาษาอะไร どこのやり方なの?(《口語》人を非難するとき)
人が常識外れの言動をした際に、それを強く非難する場合によく出てくる表現だけど、この
ภาษา のそれらしい意味は、手元の辞書にはあるけど、ウェッブ・サイト上ではあまり見かけたことがないので書いておこう。
用例 - 次の動画の途中から:
มณีสวาท MaNeeSaWat EP.2 | TV3 Official
https://www.youtube.com/watch?v=eJUn-TFGT1I&t=45m45s
関係の台詞を書き出しておくと、次のような感じだろうか:
นี่ ภาษาอะไร เห็นไม่ว่า รถชนอยู่แล้วเนี่ย
ภาษา は、サンスクリット語から来ているらしいけど、日本人に普通理解されているよりは広い概念のようで、まとめておくと、
「言語、・・・語」(用例:
ภาษาไทย、
ตระกูลภาษากะได 「カダイ語族」など)
「言葉。音、文字、行動及び作法などで相互理解可能なもの」(用例
:ภาษาเขียน、
ภาษามือ 、
ภาษากาย など)
「ある国の風習、習わし、しきたり、慣習。習慣、通常りやり方」
「言語、言葉の類別詞」
みたいな感じだろうか。
ภาษาอะไร については、その文脈に応じて一番目や二番目の意味にもなるけど、これら場合は、尋ねているので丁寧に言うだろうから、 "
เป็น" か何か動詞が付くことが多いような気がする。
前述の台詞の
ภาษาอะไร については、
อยู่แล้ว は修飾詞句と整理しておくと「以前に、前に、さっき」といった意味があることになり、
全体を直訳すると<これ、何の通常のやり方か。さっき車がぶつかったのを見たか>のような趣旨で
「それ、どこのやり方なの。さっき車にぶつかったの見た?」
といった意味になる感じだろうか(前半は「それ、どこの国の習わしなの」でもいいかもしれない)。
もう一つ例を挙げておくと、何のドラマだったか思い出せないので動画はないけど、確か、母親として孫に変な行動をとった際に祖母が娘(母親)を非難する場面で出てきた台詞になるけど、
นี่ ภาษาแม่อะไร
みたいに記憶しているところ。
「それ、どこの母親のやりかたなの?」あるいは「それ、どこの国の母親の習わしなの?」みたいな感じになるのではなかろうか(なお、
ภาษาแม่ には「母語」の意味もある)。
4.
อโหสิให้ 赦してあげる(改まった言い方)
タイのドラマを1本見ると、この台詞のある場面が1回あるかないかという感じだけど、出てくる際には、最終回かその1つ前の回で、主人公が悪役(
นายร้าย、
นางร้าย)の数々の悪業を赦すというパターンが多い感じだろうか。
用例 - 次の動画の途中から:
มณีสวาท MaNeeSaWat EP.26 (ตอนจบ)
https://www.youtube.com/watch?v=OSFY40XbYbc&t=6m02s
結論を先に言っておくと、次のような意味になる感じだろうか:
อโหสิ 「(悪業の報いをもう受けないよう)赦す」
อโหสิกรรม 「業(行為)の報いを既に受けたこと」「(悪業の報いをもう受けないよう)赦す」
赦しの表現では、
(
ขอโทษ に対する)
ยกโทษให้ (<罰を免じてあげる>の趣旨)とか
(
ขออภัย に対する)
ให้อภัย (<赦しを与える>の趣旨)とか
が一般的だけど、
อโหสิ は改まった言い方のように見受けられる(謝りの表現としてもう一つ
ขอขมา というのが有るけど、"
ให้ขมา" とは余り言わないみたい。
ขอขมา する相手が棺に入った遺体のことが多いからなのかもしれない)。
อโหสิ は
อโหสิกรรม の省略形で、元々はパーリ語から来ている。同語では、
อโหสิ が動詞で(意味は
ได้มีแล้ว あるいは
ได้เป็นแล้ว)、
กรรม がその目的語ということらしい(ここでの意味は
ผลของการกระทำ だろうか)。
業(行為)に対しては報い(業報)が行為者に必ず戻ってくるという考え方があって、その戻り方については、業の因果律(
"ทำดีได้ดี ทำชั่วได้ชั่ว" 「善因善果、悪因悪果」)に応じて報いが戻るという因果応報の概念があり、この言葉はそれを前提としている(輪廻の考えも入っているので、戻る時期は来世以降かもしれないけど・・・)。
といった理解を前提として、
อโหสิกรรม は
<
ได้มีแล้วผลของการกระทำ、業報を既に受けたこと>
のような意味になり、多分、再応報はしないはずなので、<業報を既に受けたこと>は<業報をもう受けないこと>と同じという感じなのだろう。
動詞としては、名詞的な意味から派生して、悪業に悩まされた者が悪業の行為者に対して<悪業の報いを既に受けたとみなす(=報いをもう受けないでよい)>のような趣旨で「赦す」という意味になる感じだろうか。
ขออโหสิกรรม では、<業報を既に受けたこと(=業報をもう受けないこと)を乞う>の趣旨で「赦しを乞う、謝る」という意味になるのだろう。
ついでに、
อโหสิให้ の台詞が出てくる場面は印象に残りわりと覚えているので、別の用例を二つ挙げておこう:
คงกระพันนารี KongKrapanNaree EP.31 (ตอนจบ)
https://www.youtube.com/watch?v=OkBd2_v0XxU&t=1m48s
เพลิงนรี PlerngNaree EP.16
https://www.youtube.com/watch?v=uin17M8fGcU&t=41m28s
3.
มนต์อาลัมพายน์ アーランパーイの呪文
手元の辞書に載ってない単語であり、綴りを忘れてしまっていたのでメモしておこう。タイの蛇のドラマに関心のない人には全く意味がないけど・・・
意味は、次のような感じだろうか:
มนต์อาลัมพายน์ アーランパーイの呪文。伝説上の呪文の一つで、ガルーダ(
ครุฑ)がナーガ(
นาค)を鎮め制するために使うもので、仙人がガルーダから教わったとされる。
用例 - 次の動画の途中から:
มณีสวาท MaNeeSaWat EP.24 | TV3 Official
https://www.youtube.com/watch?v=kJzS7bOjir4&t=42m00s
タイには、大蛇が自生しており、一番人気の宗教の教祖に関しても、瞑想の際に大蛇のエピソードが残っているので、馴染み深いもののようで、いろいろと伝説が残っているようだ(日本には自生していないだろうし、八岐大蛇(やまたのおろち)は有名だけど、それ以外はどうだろう・・・)。
ナーガ(
นาค。
นาคา とも書かれる。特に巨大なものは
พญานาค あるいは
พญานาคราช とも言われる)は、角を持つ大きな蛇で、霊的能力を持つとされている感じだろう。バーダーン国 (
เมืองบาดาล)に住み(どうも地底にあるらしい)、水を司り、雨を降らすなど天気も操作できるとされている模様。天敵はガルーダ(
ครุฑ)。
ナーガの話は、日本では、主要部には大蛇がいそうもない、中国経由で入ってきただろうから、日本的には「龍」か「蛟(みずち)」か他の何かに溶け込んでしまった感じだろうか。
上記の動画の場面については、女性が呪文を唱えてフッーと息を吹きかけているけど、以前の記事で出てきた動詞
เสก は(同記事では端折ってしまった気がするところ)、息を吹きかけるという動作を含んでいることもあるらしいので、
สาวใหญ่เสกมนต์อาลัมพายน์
の場面という感じにあたるのだろう(より明確にするなら
เสกเป่า を使うべきか)。
(注1:追記)
ナーガとガルーダの話が出てきたので、ついでに書いておこう。
タイ国内では、文化的になんとなくナーガ派とガールダ派に別れているような気がするところ。
図:1400年頃のインドシナ半島
上の図は、ウィキペディア英語版から引っ張ってきた、14世紀終わり頃のインドシナ半島の地図である。図をみると、現在のタイやラオスの領域辺りに、タイ族(tai peoples、
ชนชาติไต)の国が4つあるのがわかるだろう(橙がスコータイ王国、赤紫がラーンナー王国、紫がアユタヤ王国、深緑がラーンサーン王国)。
現在のミャンマーの領域にも、アヴァ王国、シャン族の諸国とかタイ族の国があるけど、これらは別の機会にでも。
ラーンサーン王国(Kingdom of Lan Xang。音訳だと
อาณาจักรล้านซ้าง で、標準タイ語だと
อาณาจักรล้านช้าง)は、14世紀中頃に建国された小タイ族(
ชาวไตน้อย)の国であり(その国の主要な民族という趣旨。その国の小さな民族の話をすると切りがないので・・・)、その背骨にコーン川(メコン川)があるのがわかるだろう(コーン川の上流は中国になるけど、今の中国では繁字体で書くと「瀾滄江」の字をあてていて、北京語だと瀾滄を Láncāng と読むらしく、同王国の名前から来ているらしい)。同川自体がナーガの足跡からできたとか、川底にナーガの住む国があるといった伝承があるので、いろいろとナーガとの関係は深いような気がするところ。
ラーンナー王国(Kingdom of Lanna、
อาณาจักรล้านนา)は、13世紀の終わり頃にできたタイ・ユワン族(あるいはタイ・ヨーノック族。
ชาวไตยวน あるいは
ชาวไตโยนก)の国だけど、地図をみるとチャオプラヤ川水系の国のように見えるけど、コーン川水系の文化も引き継いでいるとみられる(ラーンナー王朝も、最終的にはアユタヤ王朝の後継のバンコク王朝に吸収されてしまうけど・・・)。
ラーンナー王国の前身は、(紆余曲折があるけど)今のチェンラーイ県チェンセーン郡辺り(コーン川水系のコック川流域)に建国されたシンハナワット王国(Singhanavati Kingdom。標準タイ語ではいろいろ書き方があるけど
เมืองโยนกนาคพันธุ์สิงหนวัตินคร あたりか。これを分解しておくと เมือง+โยนก+นาค+พันธุ์+สิงหนวัติ+นคร の感じ。今のタイ王国の領域では、しっかりした記録が残っているものでは最古のタイ族の国と思われるところ)である。同王国には、建国の王(
สิงหนวัติ)がナーガから新たな国を作る場所を告げられたという伝承があり、それにあやかって
นาคพันธุ์ というのが入っている模様(「ナーガの系統」という意味か)。
4つの中で一番古いのは、13世紀中頃にできたスコータイ王国(Sukhothai Kingdom、
อาณาจักรสุโขทัย)で、チャオプラヤ川水系にある小タイ族の国である。後に、同じ小タイ族のアユタヤ王国に吸収されてしまう。
アユタヤ王国(Ayutthaya Kingdom、
อาณาจักรอยุธยา)は、ラーンサーン王国と同時期にできたチャオプラヤ川水系にある小タイ族の国である。先住民であるモン族・クメール族多数が住む地に分け入って同化した後に建国したという経緯があるので、小タイ族としてはかなりモン化・クメール化したようで、ヒンズー教の影響をかなり受けている。同王朝(及びその後継のバンコク王朝)は後にクメール人などからの他称であったシャム(
สยาม)を国名にし、自らをタイ・シャム族(
ชาวไตสยาม)と称していくことになる。
ラーンサーン王朝やラーンナー王朝ではナーガが守護神的なものになる一方で、スコータイ王朝・アユタヤ王朝がこれらの王朝と仲が良ければ借りてくることもできただろうけど、仲の悪い時代の方が長い感じだった模様で、互いに戦ったりする時に片方だけ守護神的なものがいないという訳にもいかないだろうから、ガルーダに白羽の矢を立てたということなのではなかろうか。
今のタイ王国では、政治的にはタイ・シャム族が主導権を握っている感じだから、ガールダが同王国の国章にもなっているのも、そういう背景があるからではなかろうか。
最後に、小タイ族については、モン化・クメール化した集団がタイ・シャム族として出て行ったので、ラーンサーン王国の末裔が小タイ族として残っていたけど、時代を経て新たな国ができてそこから名をとったようで、ラーンサーン王国の末裔をタイ・ラーオ族(
ชาวไตลาว)と称することになった感じだろうか。
2.
ถอนคำสาบาน 誓いを取り消す
タイのテレビ・ドラマを視聴していると、感覚や意味合いが日本人と違うなという点が幾つも見つかることが多い。
その一つが、
สาบาน の扱いだろうか(意味は「誓う」)。(現実社会はよく知らないけど)タイのドラマの脚本上では、かなりの重みのある出来事のように扱われていることが多いような気がするところ(日本だと、結婚式の場面を除くと誓いの言葉を述べる場面はかなり稀なような気がする)。
タイのドラマでよく聞く台詞は、
(誓いをするために)
ข้าขอสาบาน... とか、
(話を信じてもらえない時に)
สาบานก็ได้ とか
だけど、これまでに50本以上のドラマを視聴しみて、多分始めて
สาบาน を取り消すという場面を見かけたような気がするのでメモしておこう。
用例 - 次の動画の途中から:
มณีสวาท MaNeeSaWat EP.23 | TV3 Official
https://www.youtube.com/watch?v=kmGczATL-l0&t=46m01s
一応台詞を書き出しておくと、こんな感じか:
และข้าพเจ้าขอถอนคำสาบานที่เคยมีในอดีตชาติทุกประการ
ข้าพเจ้า は、ドラマだと遺言状(
พินัยกรรม )を読み上げる時に最初に出てくる単語だけど、一人称単数「私」のフォーマルな言回しにあたり(元は
ข้าพระพุทธเจ้า の略形)、
ถอน は「(釘などを)引き抜く」「(預金を)引き出す」のほか「取り消す、撤回する」「キャンセルする」の意味があり、
ประการ は、「項目、事項、件」の意味があるけど、ここでは誓い・約束などの類別詞であり、全体の訳は、
「そして、私は、前世で行った誓い全項目を取り消します。」という感じだろうか(場面的には、神仏に伺いを立てているような気もするので「・・・取り消させてください」なのかもしれない)。
1.
ขน...ลุกไปหมด (・・・は)鳥肌だらけだ。
用例 - 次の動画の途中から:
มณีสวาท MaNeeSaWat EP.15 | TV3 Official
https://www.youtube.com/watch?v=ni49oqot1BI&t=47m51s
ขน は動詞として「運ぶ、運送する」という意味のほか、名詞として「(動物・人の体表の)毛、羽毛」「《繊維》羊毛、獣毛」の意味がある。
ขนลุก では、<立つ体毛、体毛が立つ>の趣旨から来るのか、「鳥肌」「鳥肌を立てる、毛を逆立てる」の意味がある。なお、上記の動画の台詞では、ขน の後に話し手の名前が入っている。
ไปหมด は修飾詞句と解しておいて、<尽きて行く>の趣旨から転じたのか、「全面的に、至る所に、一面に、全体にわたって」の意味があり、
ขนลุกไปหมด では「鳥肌だらけだ」の意味となるのだろう。
ขนพอง も「鳥肌」「鳥肌を立てる、毛を逆立てる」の意味で、
พอง は「腫れる、膨れる、膨れ上がる」「まめ、水ぶくれ、発疹」の意味で、
ขนพอง では<体毛(毛穴)が膨れ上がる>という感じか。日本語の「サムイボ(サブイボ)」に近い表現だろうか。