タイ語、単語帳の素材?

タイ語、単語帳の素材?

備忘録。

2015年5月下旬にタイトル変更。
ここは、site δ です。

 ここの欄は「メッセージボード」というものらしい。修正したいけど探すのが面倒で、やっと見つけたところ。現在は、品詞分類、発音記号とかはなくてもいいかなという感じのフリーフォーマットになってますので、御了承下さい。(2023年10月記)


 何故かタイ語の勉強をしておりまして、随分前から市販の単語帳では役に立たなくなってきた、というか、新たに気に入った、中級レベルのものが見つからないということになりました。

 そこで、自分で素材を集めてみようか、という企画で少し書いて見ようと思いまして・・・

 基本フォーマットは、一記事一語で、

水野 潔氏 「今すぐ話せるタイ語 単語集」 (株式会社ナガセ)

の項目(すなわち、タイ単語、発音記号、和訳、タイ語例文、例文の和訳)を最低限としていこうかと思います。同書の語彙数が約1,600語な ので(以下「基本1,600語」という)、それを土台とした、+アルファのあたりの備忘録になればよいかなと思っています。

 前回のテーマ変更(「謎解き」シリーズ)は、全く続かなかったけど、さて今回は・・・

 なお、従来の健康ブログ時代のここでの最後の記事は、この記事 になります。(2015年5月記)
〔更新履歴:2023-10-7一部修正〕


 タイ・ドラマをみていて「えーっ、そこでそんな動詞を使うのか! ไม่ได้ を使わないのかー」と少し驚いて調べたので、メモしておこう。
 単語 ลง の使い方の一つを動画サイトYouTube から:

    (ENG SUB) บุหงาส่าหรี | Ep.06 (Full Ep) | 30 ส.ค. 66 | one31
     https://www.youtube.com/watch?v=CTYazmtKeFU&t=2905s


   48min26sec辺りの字幕から(最初見たときは字幕がなかったけど、少し遅れて後から付けてくれている模様。主演男優(第3子第4子)の異母姉(第2子。第4子第3子と馬が合う)と異母兄(第1子)との会話の場面):

   妹- ถามจิรง เกยรักกันบ้างไหม 
     Seriously, did you ever love us?
     仮訳:改めて聞くけど、少しは妹を愛したことあるの
 
   兄- รัก แต่เอ็นดูไม่ลง เพราะเธอไม่มีเมตตากับพี่กับน้อง 
     Love. But don't feel adored. Because you didn't show affection to your siblings.
     仮訳:ある・・・けど、可愛がるほどではない。おまえは兄弟に対し温情がないからな



 単語 ลง の意味は普通は「下がる、下げる、降りる、降ろす」だろうが、ここでは多分
   1- (納得して)~し始める〔し出す〕 เริมทำ(、ยอม)
   2- 半完了の状況を示す標識(semi-perfective aspect marker。あえて訳すときは「~に至る」かな)

 
という意味のようだ。否定形の ไม่ลง  だと「下がらない、下げられない、降りない、降りれない」というより
   *1- (納得して)~し始めない〔し出さない、し出せない〕
   *2- ~に至らない
の趣旨なのだろう。そうすると、เอ็นดู は「可愛がる、慈しむ、お気に入りにする」の意味なので、
  เอ็นดูไม่ลง  可愛がり出せない、可愛がるには至らない〔ほどではない〕
という感じだろうか。

 このような意味での他の使用の例としては、1・2についてそれぞれ、

  กินไม่ลง(「喉を通らない」の意味。直訳では"食べるし始めるでない"と整理する感じかな)
  ลงสู้แล้วไม่ถอย (「闘い出したので引き下がらない」の意味。ลงสู้สู้ して未完了の状況で、แล้ว はその強調と整理する感じかな)

 
あたりがそのように分類できそうだろう。
 กินไม่ลง を"食べて降りない"的な整理だけで解釈していたから、冒頭の個人的な驚きに繋がったのであろう(外国人だと理屈で整理整頓した知識(一般に「文法」と呼ばれる)を使っての少なさを補う必要があって、理屈が合わないと上手くいかなくなる。ネイティブの人だと日常生活で習得した膨大な言語データベースを持っているから、理屈は必要がなくて、「その場合はそうは言わなくて、こう言いそう」と複数例が出てくるはずだろう)。

 日本語だと、このような ลง の意味の場合は、動詞「落ちる」を使っているのだろう:
  「~し始める〔し出す〕」 → 腑に落ちる、眠りに落ちる、恋に落ちる
  「~に至る」       → 語るに落ちる、眠りに落ちる、恋に落ちる
しかし、(タイ語も同じかと思うけど)日本語だとこの手の用法の場合は慣用的なものが多いので、「語るに落ちられない」とか「可愛がるに落ちられない」とは言わないだろう。


 せっかくなので使えるように熟語化してみると、動詞aと動詞bは似たもので、動詞bの方が程度が強い・高い場合のパターンとして、
   動詞a +แต่ +動詞b+ไม่ลง 
   aするが、bするほどではない
と覚えるのがよいかもしれない。

 例えば、ชอบมาก แต่รักไม่ลง とか応用できそう(ไม่ได้ ではなくไม่ลง を使うと、引っかかている部分が取り除かれれば将来的にはできるかも、という柔らかいニュアンスになるのかもしれない)。
 タイの地上波・無料TV放送だと、個人的には長らく3チャンネル派だったのだが、最近、同局では有料視聴者を増やそうと独自のサイトを作ったりしているあおりで、従来無料動画の公式サイトで視聴できたものが、段々と難しくなっているところ。

 ということで、無料放送系のチャンネル one31 のドラマを初めて視聴してみたのだが
(タイトル "บุหงาส่าหรี" 。タイの樹木の名前で和名はバイオリンノキ、あるいはシタレキシラム・スピノスム Citharexylum spinosum あたり。白い花をつける)、低予算故に脚本に工夫をして乗り切っていて(3チャンネルの早い時間帯のドラマによく見られるパターンかな)、なんとなく合格という感じだろうか。
 冒頭の5話くらいと、最終回に向けての数話については、英語・タイ語字幕が付いているのも語学学習者にはよいかもしれない。


 忘れてしまいそうなので、備忘録的に記録を残しておこう:

   (ENG SUB) บุหงาส่าหรี | Ep.12 (Full Ep) | 20 ก.ย. 66 | one31
     https://www.youtube.com/watch?v=qQJjp0eXZjc

   19min40sec あたりの字幕(主演女優が死んだとされた恋人の主演男優を思い出す場面):

       [เสียงสะอื้นร้องไห้] 〔すすり泣く声〕



 単語・熟語的には、次のように整理するとよさそう:

   สะอื้น       すすり上げる to sniffle
   สะอึก       しゃくり上げる to hiccup
   ร้องไห้      泣く to cry, weep
   สะอื้น[ร้องไห้] すすり泣く、しゃくり泣く to sob, choke with sobs
   สะอึก[ร้องไห้] しゃくり泣く to give a convulsive cry
   [ร้องไห้]สะอึกสะอื้น 泣きじゃくる to boo-hoo, sob


 同じ動画のその後の場面(23min42sec から 24min22sec あたり)で
   字幕が [เสียงร้องไห้] から[เสียงสะอื้นร้องไห้]
変化する所があるので、タイ人的なその違いが垣間見れるのかもしれない。 
 
〔更新履歴:追記2023-9-4〕


 いろいろ書きたいことがあったような気がするけど、如何せん何のドラマでどのあたりのエピソードでどの場面だったのかを全部そろって覚えているものがないような感じを思い知らされて、困っているところ。前回記事の分はかなりの印象に残っていたので別格という感じなので・・・

 ということで最近視聴したドラマから。

 単語 ท้อง は、とりあえず「お腹」と訳しておけば意味がとれる感じなのでほとんど辞書など引いたことがなかったような気がする。その状況で、少し疑問が出てきたのが、次の動画クリップ:

   FIN | คิดสั้น หวังกินยาตาย | กรงดอกสร้อย EP.6 | Ch3Thailand - YouTube
    https://www.youtube.com/watch?v=xCxbS74eXDc


  関連部分を書き出してみると、01m56s辺りから(父(医師)が息子(主演男優、医師)に助演女優(悪女役、役名สร้อยฟ้า)の症状を説明する場面)

  หนูสร้อยฟ้ากินยานอนหลับไปหลายเม็ด เลยหมดสติไป
  พ่อล้างท้องเรียบร้อยแล้ว นี้ถึงว่าอากางดีขึ้นมากแล้ว
  ตอนนี้สิ่งที่ทำได้ก็คือรอ รอให้ฟื้น
  

 ここで引っかかたのは、ล้างท้อง は何故にล้างกระเพาะอาหาร でないのかという点。

 仕方なく久しぶりに手元の辞書を引いてみると、

   - belly, abdomen, stomach 腹部、お腹、胃
   - foetus, embryo       胎児、胚
   - space            空間

という意味が ท้องあったでござる。

 「胃」も ท้อง だったのね、ท้อง には「胎児」の意味もあるとできるのね、ท้องถนน を「道の真ん中」と思っていたけど、原義は道の空間ということだったのねと・・・

 そうすると、ตั้งท้อง とか มีท้อง とかはより明解になるような気がする(以前は、お腹を構える、お腹を持つという趣旨で「妊娠する」と理解していたところ。子宮も ท้อง の一部なのだろうと・・・)。

 他に胃の意味で使われている ท้อง の熟語は、

   เสียดท้อง      胃がキリキリ痛む
   ท้องพอง,ท้องอืด  胃拡張

あたりだろうか。


 ついでに、กระเพาะ の意味は、「袋状の生体器官」ということらしく

   กระเพาะอาหาร stomach 胃
   กระเพาะเบา  urinary bladder 膀胱
 
がそれにあたるらしい。

 また、現代医学的には、解毒の場合、胃洗浄した後活性炭を留置する(การให้ผงถ่านกัมมันต์ 、Activated charcoall 投与療法。活性炭が毒成分を吸収することを期待してのもの)パターンが一般的なのであろう。


(参考サイト)
การรักษาภาวะเป็นพิษโดยทั่วไป
GENERAL APPROACH TO DIAGNOSIS AND TREATMENT OF POISONING
 https://www.rama.mahidol.ac.th/poisoncenter/th/dx-cov/Treat/Treat
〔更新履歴:追記2023-8-27〕


 お久しぶりです。こちらにも生存届的に新規の記事を・・・


 タイドラマを見ていて印象に残っている場面に関するもの。

FIN | เธอยังมีความเป็นคนอยู่หรือเปล่า | พิศวาสฆาตเกมส์ EP.18 | Ch3Thailand
   https://www.youtube.com/watch?v=ak8P8hmfyRM

 5分ほどのドラマの一部の動画クリップだが、似たような表現が3-4回出てくるところ。
つたない聴解力を活用すると該当部分は多分こんな感じかもしれない(主演女優 ญีนา ซาลาส (役名 เจ )と助演女優 ภูริตา สุปินชุมภู (悪女役、役名 มีนา)との争いの場面):

  1. 0m25辺りから
    [เธอ]ยังอยู่[ใน]ความเป็นคนหรือเปล่าว

  2. 1m56sec辺りから
    เธออยู่เป็นคนหรือเปล่า

  3. 3m00sec辺りから
    เธอยังมีความเป็นคนเหลืออยู่หรือเปล่


 ความเป็นคน は、英語的には being human という感じだろう。

    追記:日本語的には「人」と組になるのは「人でなし、お化け・幽霊」となるだろう。
        この方向だと、タイ語的には多分、ผีสาง の一択でなないだろうか。
     ความเป็นผีสาง で「人でなし、ピーであること」かもしれない。
        ついでに ผีสาง の組となるものには別方向だと เทวดา, เทพเจ้า とかもありそう。

 和訳的にはそれぞれこんな感じか:

  1.-「あなたは人でなしなの?」「あなたの人間性を疑うわ」
  2.-「あなたは人間なの(人間性を疑うわ)」
  3.-「あなたには人間らしさが残ってないの?」「あなたは人でなしなの?」


 ついでに、これ以前に人魚ドラマで初めてみかけた女優の芸名 ภูริตา を解読してみると、

 ภูริ は名詞的に ความฉลาด, ปัญญา、形容詞的に มาก

の意味のようだから、和風的には前者であれば「智惠子」、後者であれば「瞳」という感じかもしれない。


 ということで今後については当面は、タイドラマの動画を視聴していて気になる表現があれば、月に何回か記録できたら上出来かもしれない。
〔更新履歴:2019-6-4、6-2、(5-30)、5-26、5-21、5-16。項目は逆順1先-5後〕


5. ภาษาอะไร どこのやり方なの?(《口語》人を非難するとき)

 人が常識外れの言動をした際に、それを強く非難する場合によく出てくる表現だけど、この ภาษา のそれらしい意味は、手元の辞書にはあるけど、ウェッブ・サイト上ではあまり見かけたことがないので書いておこう。

用例 - 次の動画の途中から:

   มณีสวาท MaNeeSaWat EP.2 | TV3 Official
   https://www.youtube.com/watch?v=eJUn-TFGT1I&t=45m45s

 関係の台詞を書き出しておくと、次のような感じだろうか:

    นี่ ภาษาอะไร เห็นไม่ว่า รถชนอยู่แล้วเนี่ย


 ภาษา は、サンスクリット語から来ているらしいけど、日本人に普通理解されているよりは広い概念のようで、まとめておくと、
「言語、・・・語」(用例:ภาษาไทยตระกูลภาษากะได 「カダイ語族」など)
「言葉。音、文字、行動及び作法などで相互理解可能なもの」(用例:ภาษาเขียนภาษามือภาษากาย など)
「ある国の風習、習わし、しきたり、慣習。習慣、通常りやり方」
「言語、言葉の類別詞」
みたいな感じだろうか。

 ภาษาอะไร については、その文脈に応じて一番目や二番目の意味にもなるけど、これら場合は、尋ねているので丁寧に言うだろうから、 "เป็น" か何か動詞が付くことが多いような気がする。

前述の台詞の ภาษาอะไร については、
อยู่แล้ว は修飾詞句と整理しておくと「以前に、前に、さっき」といった意味があることになり、
全体を直訳すると<これ、何の通常のやり方か。さっき車がぶつかったのを見たか>のような趣旨で
「それ、どこのやり方なの。さっき車にぶつかったの見た?」
といった意味になる感じだろうか(前半は「それ、どこの国の習わしなの」でもいいかもしれない)。


 もう一つ例を挙げておくと、何のドラマだったか思い出せないので動画はないけど、確か、母親として孫に変な行動をとった際に祖母が娘(母親)を非難する場面で出てきた台詞になるけど、

   นี่ ภาษาแม่อะไร

みたいに記憶しているところ。
「それ、どこの母親のやりかたなの?」あるいは「それ、どこの国の母親の習わしなの?」みたいな感じになるのではなかろうか(なお、ภาษาแม่ には「母語」の意味もある)。



4. อโหสิให้ 赦してあげる(改まった言い方)

 タイのドラマを1本見ると、この台詞のある場面が1回あるかないかという感じだけど、出てくる際には、最終回かその1つ前の回で、主人公が悪役(นายร้ายนางร้าย)の数々の悪業を赦すというパターンが多い感じだろうか。

用例 - 次の動画の途中から:

   มณีสวาท MaNeeSaWat EP.26 (ตอนจบ)
   https://www.youtube.com/watch?v=OSFY40XbYbc&t=6m02s


 結論を先に言っておくと、次のような意味になる感じだろうか:
อโหสิ 「(悪業の報いをもう受けないよう)赦す」
อโหสิกรรม 「業(行為)の報いを既に受けたこと」「(悪業の報いをもう受けないよう)赦す」


 赦しの表現では、
ขอโทษ に対する) ยกโทษให้ (<罰を免じてあげる>の趣旨)とか
ขออภัย に対する) ให้อภัย (<赦しを与える>の趣旨)とか
が一般的だけど、อโหสิ は改まった言い方のように見受けられる(謝りの表現としてもう一つ ขอขมา というのが有るけど、"ให้ขมา" とは余り言わないみたい。ขอขมา する相手が棺に入った遺体のことが多いからなのかもしれない)。


 อโหสิอโหสิกรรม の省略形で、元々はパーリ語から来ている。同語では、
อโหสิ が動詞で(意味は ได้มีแล้ว あるいは ได้เป็นแล้ว)、
กรรม がその目的語ということらしい(ここでの意味は ผลของการกระทำ だろうか)。

業(行為)に対しては報い(業報)が行為者に必ず戻ってくるという考え方があって、その戻り方については、業の因果律("ทำดีได้ดี ทำชั่วได้ชั่ว" 「善因善果、悪因悪果」)に応じて報いが戻るという因果応報の概念があり、この言葉はそれを前提としている(輪廻の考えも入っているので、戻る時期は来世以降かもしれないけど・・・)。
といった理解を前提として、อโหสิกรรม
ได้มีแล้วผลของการกระทำ、業報を既に受けたこと>
のような意味になり、多分、再応報はしないはずなので、<業報を既に受けたこと>は<業報をもう受けないこと>と同じという感じなのだろう。

動詞としては、名詞的な意味から派生して、悪業に悩まされた者が悪業の行為者に対して<悪業の報いを既に受けたとみなす(=報いをもう受けないでよい)>のような趣旨で「赦す」という意味になる感じだろうか。

ขออโหสิกรรม では、<業報を既に受けたこと(=業報をもう受けないこと)を乞う>の趣旨で「赦しを乞う、謝る」という意味になるのだろう。


 ついでに、อโหสิให้  の台詞が出てくる場面は印象に残りわりと覚えているので、別の用例を二つ挙げておこう:

   คงกระพันนารี KongKrapanNaree EP.31 (ตอนจบ)
   https://www.youtube.com/watch?v=OkBd2_v0XxU&t=1m48s

   เพลิงนรี PlerngNaree EP.16
   https://www.youtube.com/watch?v=uin17M8fGcU&t=41m28s



3.มนต์อาลัมพายน์ アーランパーイの呪文

 手元の辞書に載ってない単語であり、綴りを忘れてしまっていたのでメモしておこう。タイの蛇のドラマに関心のない人には全く意味がないけど・・・


意味は、次のような感じだろうか:
มนต์อาลัมพายน์ アーランパーイの呪文。伝説上の呪文の一つで、ガルーダ(ครุฑ)がナーガ(นาค)を鎮め制するために使うもので、仙人がガルーダから教わったとされる。


用例 - 次の動画の途中から:

   มณีสวาท MaNeeSaWat EP.24 | TV3 Official
   https://www.youtube.com/watch?v=kJzS7bOjir4&t=42m00s


 タイには、大蛇が自生しており、一番人気の宗教の教祖に関しても、瞑想の際に大蛇のエピソードが残っているので、馴染み深いもののようで、いろいろと伝説が残っているようだ(日本には自生していないだろうし、八岐大蛇(やまたのおろち)は有名だけど、それ以外はどうだろう・・・)。

 ナーガ(นาคนาคา とも書かれる。特に巨大なものは พญานาค あるいは พญานาคราช とも言われる)は、角を持つ大きな蛇で、霊的能力を持つとされている感じだろう。バーダーン国 (เมืองบาดาล)に住み(どうも地底にあるらしい)、水を司り、雨を降らすなど天気も操作できるとされている模様。天敵はガルーダ(ครุฑ)。
ナーガの話は、日本では、主要部には大蛇がいそうもない、中国経由で入ってきただろうから、日本的には「龍」か「蛟(みずち)」か他の何かに溶け込んでしまった感じだろうか。


 上記の動画の場面については、女性が呪文を唱えてフッーと息を吹きかけているけど、以前の記事で出てきた動詞 เสก は(同記事では端折ってしまった気がするところ)、息を吹きかけるという動作を含んでいることもあるらしいので、
   สาวใหญ่เสกมนต์อาลัมพายน์
の場面という感じにあたるのだろう(より明確にするなら เสกเป่า を使うべきか)。


(注1:追記)
 ナーガとガルーダの話が出てきたので、ついでに書いておこう。

タイ国内では、文化的になんとなくナーガ派とガールダ派に別れているような気がするところ。

Map 2 indochina
              図:1400年頃のインドシナ半島

 上の図は、ウィキペディア英語版から引っ張ってきた、14世紀終わり頃のインドシナ半島の地図である。図をみると、現在のタイやラオスの領域辺りに、タイ族(tai peoples、ชนชาติไต)の国が4つあるのがわかるだろう(橙がスコータイ王国、赤紫がラーンナー王国、紫がアユタヤ王国、深緑がラーンサーン王国)。
現在のミャンマーの領域にも、アヴァ王国、シャン族の諸国とかタイ族の国があるけど、これらは別の機会にでも。


 ラーンサーン王国(Kingdom of Lan Xang。音訳だと อาณาจักรล้านซ้าง で、標準タイ語だと อาณาจักรล้านช้าง)は、14世紀中頃に建国された小タイ族(ชาวไตน้อย)の国であり(その国の主要な民族という趣旨。その国の小さな民族の話をすると切りがないので・・・)、その背骨にコーン川(メコン川)があるのがわかるだろう(コーン川の上流は中国になるけど、今の中国では繁字体で書くと「瀾滄江」の字をあてていて、北京語だと瀾滄を Láncāng と読むらしく、同王国の名前から来ているらしい)。同川自体がナーガの足跡からできたとか、川底にナーガの住む国があるといった伝承があるので、いろいろとナーガとの関係は深いような気がするところ。

 ラーンナー王国(Kingdom of Lanna、อาณาจักรล้านนา)は、13世紀の終わり頃にできたタイ・ユワン族(あるいはタイ・ヨーノック族。ชาวไตยวน あるいは ชาวไตโยนก)の国だけど、地図をみるとチャオプラヤ川水系の国のように見えるけど、コーン川水系の文化も引き継いでいるとみられる(ラーンナー王朝も、最終的にはアユタヤ王朝の後継のバンコク王朝に吸収されてしまうけど・・・)。
ラーンナー王国の前身は、(紆余曲折があるけど)今のチェンラーイ県チェンセーン郡辺り(コーン川水系のコック川流域)に建国されたシンハナワット王国(Singhanavati Kingdom。標準タイ語ではいろいろ書き方があるけどเมืองโยนกนาคพันธุ์สิงหนวัตินคร あたりか。これを分解しておくと เมือง+โยนก+นาค+พันธุ์+สิงหนวัติ+นคร の感じ。今のタイ王国の領域では、しっかりした記録が残っているものでは最古のタイ族の国と思われるところ)である。同王国には、建国の王(สิงหนวัติ)がナーガから新たな国を作る場所を告げられたという伝承があり、それにあやかって นาคพันธุ์ というのが入っている模様(「ナーガの系統」という意味か)。


 4つの中で一番古いのは、13世紀中頃にできたスコータイ王国(Sukhothai Kingdom、อาณาจักรสุโขทัย)で、チャオプラヤ川水系にある小タイ族の国である。後に、同じ小タイ族のアユタヤ王国に吸収されてしまう。

 アユタヤ王国(Ayutthaya Kingdom、อาณาจักรอยุธยา)は、ラーンサーン王国と同時期にできたチャオプラヤ川水系にある小タイ族の国である。先住民であるモン族・クメール族多数が住む地に分け入って同化した後に建国したという経緯があるので、小タイ族としてはかなりモン化・クメール化したようで、ヒンズー教の影響をかなり受けている。同王朝(及びその後継のバンコク王朝)は後にクメール人などからの他称であったシャム(สยาม)を国名にし、自らをタイ・シャム族(ชาวไตสยาม)と称していくことになる。


 ラーンサーン王朝やラーンナー王朝ではナーガが守護神的なものになる一方で、スコータイ王朝・アユタヤ王朝がこれらの王朝と仲が良ければ借りてくることもできただろうけど、仲の悪い時代の方が長い感じだった模様で、互いに戦ったりする時に片方だけ守護神的なものがいないという訳にもいかないだろうから、ガルーダに白羽の矢を立てたということなのではなかろうか。
今のタイ王国では、政治的にはタイ・シャム族が主導権を握っている感じだから、ガールダが同王国の国章にもなっているのも、そういう背景があるからではなかろうか。


最後に、小タイ族については、モン化・クメール化した集団がタイ・シャム族として出て行ったので、ラーンサーン王国の末裔が小タイ族として残っていたけど、時代を経て新たな国ができてそこから名をとったようで、ラーンサーン王国の末裔をタイ・ラーオ族(ชาวไตลาว)と称することになった感じだろうか。



2.ถอนคำสาบาน 誓いを取り消す

 タイのテレビ・ドラマを視聴していると、感覚や意味合いが日本人と違うなという点が幾つも見つかることが多い。
その一つが、สาบาน の扱いだろうか(意味は「誓う」)。(現実社会はよく知らないけど)タイのドラマの脚本上では、かなりの重みのある出来事のように扱われていることが多いような気がするところ(日本だと、結婚式の場面を除くと誓いの言葉を述べる場面はかなり稀なような気がする)。


タイのドラマでよく聞く台詞は、
(誓いをするために) ข้าขอสาบาน... とか、
(話を信じてもらえない時に) สาบานก็ได้ とか
だけど、これまでに50本以上のドラマを視聴しみて、多分始めてสาบาน を取り消すという場面を見かけたような気がするのでメモしておこう。


用例 - 次の動画の途中から:

   มณีสวาท MaNeeSaWat EP.23 | TV3 Official
   https://www.youtube.com/watch?v=kmGczATL-l0&t=46m01s


一応台詞を書き出しておくと、こんな感じか:

และข้าพเจ้าขอถอนคำสาบานที่เคยมีในอดีตชาติทุกประการ

ข้าพเจ้า は、ドラマだと遺言状( พินัยกรรม )を読み上げる時に最初に出てくる単語だけど、一人称単数「私」のフォーマルな言回しにあたり(元は ข้าพระพุทธเจ้า の略形)、
ถอน は「(釘などを)引き抜く」「(預金を)引き出す」のほか「取り消す、撤回する」「キャンセルする」の意味があり、
ประการ は、「項目、事項、件」の意味があるけど、ここでは誓い・約束などの類別詞であり、全体の訳は、
「そして、私は、前世で行った誓い全項目を取り消します。」という感じだろうか(場面的には、神仏に伺いを立てているような気もするので「・・・取り消させてください」なのかもしれない)。



1.ขน...ลุกไปหมด  (・・・は)鳥肌だらけだ。

用例 - 次の動画の途中から:

   มณีสวาท MaNeeSaWat EP.15 | TV3 Official
   https://www.youtube.com/watch?v=ni49oqot1BI&t=47m51s


ขน は動詞として「運ぶ、運送する」という意味のほか、名詞として「(動物・人の体表の)毛、羽毛」「《繊維》羊毛、獣毛」の意味がある。

ขนลุก では、<立つ体毛、体毛が立つ>の趣旨から来るのか、「鳥肌」「鳥肌を立てる、毛を逆立てる」の意味がある。なお、上記の動画の台詞では、ขน の後に話し手の名前が入っている。

ไปหมด は修飾詞句と解しておいて、<尽きて行く>の趣旨から転じたのか、「全面的に、至る所に、一面に、全体にわたって」の意味があり、
ขนลุกไปหมด では「鳥肌だらけだ」の意味となるのだろう。

ขนพอง も「鳥肌」「鳥肌を立てる、毛を逆立てる」の意味で、
พอง は「腫れる、膨れる、膨れ上がる」「まめ、水ぶくれ、発疹」の意味で、ขนพอง では<体毛(毛穴)が膨れ上がる>という感じか。日本語の「サムイボ(サブイボ)」に近い表現だろうか。
〔更新履歴:(2019-5-16)、2019-5-13、(5-11)、5-10、5-6、5-5、5-3〕


5. นักมายากล 奇術師

 音が似ている、とあるアニメの呪文の一つを思い出させたので、メモしておこう。

用例 - 次の動画の途中から:
มณีสวาท MaNeeSaWat EP.9 | TV3 Official
***https://www.youtube.com/watch?v=9x4in-fapNw&t=9m20s

มายา は「欺くこと、だますこと、ごまかし」「幻影、錯覚、幻想」の意味がある。元々はパーリ語ということらしい。
日本語に「まやかす」という言葉があるけど(語源は不明)、「マーヤー」に動詞を作る接尾辞の「カス」がついて「まやかす」になったのだとすれば、「マーヤー」は仏教典を通じて入ってきたのかも、と妄想できるのかもしれない。なお、「まやかす」の意味は「ごまかしあざむく。だます」で、その名詞形には「まやかし」というがあり、「手品、奇術」という意味もかつてはあったらしい。

กล は「手品、奇術、曲芸」「策略、たくらみ、トリック」「陰謀、スキーム、計略」「機械、機械類」の意味で、
มายากล では<錯覚の〔幻想の〕たくらみ>から来るのか、「手品、奇術」「錯覚」「魔法、魔術」「魔法をかける」の意味。

นักมายากล で「手品師、奇術師、魔術師」の意味。
กลมายา では<幻影のたくらみ>から来るのか、「手品、奇術、曲芸」の意味。


แตกนักมายากล などと書いたりすると、思い出した呪文に更に似てくるかもしれない。



4. ตาฝาด 見間違える

用例 - 次の動画の途中から(1分間で3回ほど出てくる):
มณีสวาท MaNeeSaWat EP.2 | TV3 Official
https://www.youtube.com/watch?v=eJUn-TFGT1I&t=45m54s

名詞+修飾詞という一文にも見えるけど、動詞句と整理しておこうか。

   (注2) 後から見返すと、「見間違えて」という修飾詞句の方が良いかもしれない。

ตาฝาด では<目が間違ってとらえて>という感じから来るのか、「見間違える」という意味になる。ฝาด には修飾詞として「(味が)渋い」のほか「間違ってとらえて、誤認して」の意味がある。
意味的には เห็นผิด とにたような感じだけど、ผิด の語が入らない文ので柔らかい表現になっているのかもしれない。

หูฝาด では<耳が間違ってとらえて>という感じから来るのか、「聞き間違える」という意味になる。


(注3)この項目に似た表現をみかけたので、メモしておこう。

用例 - 次の動画の途中から:

   มณีสวาท MaNeeSaWat EP.16 | TV3 Official
   https://www.youtube.com/watch?v=8PO5BudX1OQ&t=47m21s

その台詞は、多分こんな感じかな:
ฉันต้องการพิสูจน์ได้ว่า มันไม่ใช้แค่ฝาดบนตา



3.ท้องแก่เต็มที่ 出産が差し迫った

用例 - テレビ・ドラマの次の動画の途中から:
แค้นเสน่หา KhanSanehha EP.1 | TV3 Official
https://www.youtube.com/watch?v=6PeIJu2B1TQ&t=9m09s

 辞書をみると ท้องแก่ は<臨月の、出産が差し迫った、出産間近の>のような意味と出てくる(タイ学士院辞書の定義に引っ張られた感じか: มีครรภ์จวนจะคลอด.)。
แก่ は「老いた、老けた」の意味があるけど、ここでは「成熟した」ような意味で使われているのかもしれない。

 しかしながら、最近では、ไม่เต็มที่ の状態があるようで、ท้องแก่ 8 เดือน のような言回しもみかけるので、その時期が拡大していて、ท้องแก่ は<妊娠後期にある>という感じになっている気がするところ。

用例2 - 次のネット記事の題名から:
แม่จะอดทน สาวท้องแก่ 8 เดือนโดนผัวทิ้ง จิตใจย่ำแย่ ห่วงแต่เจ้าตัวเล็ก
14 มี.ค. 2562 09:08 น.
https://www.thairath.co.th/news/society/1518885
 

 意味範囲の拡大は、แก่ の反義語 อ่อน には「熟していない、未熟な、若い、青い」の意味があって、ท้องอ่อนๆ では「妊娠初期にある」という感じになるので、これに引っ張られているのかもしれない。
ท้องแก่ の意味が拡大しているようなので、このために ท้องแก่ใกล้คลอด や冒頭の言い回しのような表現が出てきているのかもしれない。


そんな感じでまとめておくと、次のような感じかもしれない:

ท้องอ่อนๆ 「妊娠初期にある」
ท้องแก่
「妊娠後期にある、(妊娠して)お腹が大きい、身重の」「出産間近の、出産が差し迫った」
ท้องแก่ใกล้คลอด 「出産間近の、出産が差し迫った」
ท้องแก่เต็มที่ 「出産間近の、出産が差し迫った」


(注1) あとから読み返すと、แก่ は มีอายุมาก の意味があるから、ท้องแก่มีอายุครรภ์มาก と整理した方が分かりやすいかもしれない。



2. ซวย 運が悪い

 テレビ・ドラマを見ているとたまに聞く単語。声調の違う別の単語とかけて冗談を言う場面でも使われる。
元々は中国語(潮州語)の音訳らしい。


用例 - テレビ・ドラマの次の動画の途中から:

ประทีปรักแห่งใจ PraTeapRakHangJai EP.12 | 10-12-61 | Ch3Thailand
https://www.youtube.com/watch?v=UTzxqMkBTEg&t=26m09s

該当部分は短い台詞なので、参考までに一つ前の台詞を書き出すと、多分次のような感じか。

นี่ความสวยของฉันกับลูก เป็นพิษเป็นภัยขนาดนี้ช่างหรือ


ตัวซวย では、「運の悪い人、悪運をもたらす人」の意味だけど、人に修飾する際の類別詞は ตัว になる、とも言えるのかもしれない。



1. ลิ้นพัน 舌がもつれる


用例 次の動画の途中から:

กรงกรรม KrongKam EP.19 (ตอนจบ) 9/9 | 30-04-62
https://www.youtube.com/watch?v=ugaf0NKNQaI&t=28m24s


ลิ้นพันกัน では、<舌をからませ合う>の趣旨から来るのか、「フレンチ・キッス」の意味。最近では、「早口言葉」の意味もあるのかもしれない(後述参照)。

คำพูดลิ้นพันกัน では、修飾詞的になって、<複数の人が舌をからませて話す言葉>の趣旨から来るのか、「早口言葉」の意味。元々は พูดยากจนลิ้นพันกัน あたりが省略されたものかもしれない。กัน がつかないこともある。

พูดลิ้นพันกัน では、これも修飾詞的になっていて、<複数の人が舌をからませて話す、早口言葉でも話しているように話す>の趣旨から来るのか、「ろれつが回らない」の意味。元々は酔っぱらいが数人いるような場合で使うものなのかもしれないが、主語が単数の場合でも、このまま使える模様。
動詞 ชัก ( chák )

【 意 味 】 引っ張る

【 用 例 】 ア.ผู้ชักใย、イ.ชักชวน、ウ.ชักธงขาว

【 例 文 】 ア.2 กลุ่มวัยรุ่น เขม่นกันกลางถนน ชักปืนยิงต่อสู้ดุเดือด
           イ.ชักหนาวแล้ว



《解説》

 この単語には、
「(操るために糸などを)引く、引っ張る」
「引っ張り出す、引き出す、取り出す」
「引き去る、差し引く、ピンはねする」
「導く」
「(旗などを)掲げる、(例などを)上げる」
「ひきつけを起こす、けいれんする」の意味のほか、
修飾詞として「少し・・・、やや・・・、徐々に・・・、・・・し始めている、・・・しかけている」
といった意味がある。

この単語は引くという動詞 ดึง の仲間で、
引っ張って、更にある種の動作をする、
ような意味になっていると思われる。追加の動作としては、
動かす、取り出す、一部を取り去る、先頭に立つ、上げる
があるという感じだろうか。
また、無意識に筋肉が引っ張る(収縮する)から来て「ひきつけを起こす」に繋がっているのかもしれない。

ある種の状態を示すようになった時には、修飾詞と解されることが多いので(修飾詞の動詞的用法)、この単語がそのように使われている際には、後に続く文全体に修飾して、<ある状態に引っ張られる>のような趣旨から来るのか、その文で述べている状態の初期にあることを示すこととなるようだ(後述の例文イ参照)。


 上記用例ア については、ใย は「繊維、糸、糸[繊維]状のもの」の意味で、
<糸を(操るため)引っぱる者>の趣旨で、
「操り師」「陰で糸を引く人、裏から人を操る人、黒幕」という感じだろうか。

用例イについては、ชวน は「心をひく、誘う」の意味で、
<引っ張って先頭に立って(導いて)誘う>の趣旨で、
「誘惑する」「誘う(さそう・いざなう)、促す、説得して・・・させる、し向ける」という感じだろうか。

用例ウは、<白い旗を引っ張って上げる>の趣旨で、
「白旗を掲げる、降参する」という感じだろうか。
また、この意味では、日本語と同様に、ยกธงขาว という言い方もする模様。


 上記例文アの中の、ชักปืนยิง については、<銃を引っ張って、出し、撃つ>の趣旨で、「銃を取り出して撃つ」という感じだろうか。

例文イについては、全体では<既に寒い(状態)に引っ張られる>の趣旨から来るのか、
「少し[やや]寒くなった、徐々に寒くなってきた、寒くなり始めた」という感じだろうか。
 

 例文アに戻ると、これは次のネット記事のリード冒頭部分にあたる。

       สงกรานต์เลือดพิจิตรฉาวโฉ่ โจ๋เอาสาวเป็นโล่รับกระสุน!
       พฤหัสบดีที่ 18 เมษายน 2562 เวลา 20.15 น.
       https://www.dailynews.co.th/crime/704656

例文アの中で เขม่น は、「震える、引きつる、けいれんする」「嫌悪する、反発する、嫌う、嫉妬する、ひどく嫉む、粗を探す、非難する」の意味。

ต่อสู้ดุเดือด については、ต่อ はここでは「《古語》戦う」の意味で、ต่อสู้ では戦うの意味の重複語となっていて、
ดุ は「叱る、とがめる、戒める」「恐ろしげな、どう猛な、残忍な、猛烈な、激しい」の意味で、
ดุเดือด では<猛烈に腹を立てる>の趣旨から来て修飾詞化したのか「猛烈に、激しく、激怒して、怒り狂って」の意味で、
全体では「激しく戦う、怒り狂って戦う」という感じだろうか。



【 英 語 】 to pull, draw; to discout, take away; to lead; to raise, cite; to have convulsions; rather, somewhat, gradually, beginning to be
【泰泰解説】 ดึง, ดึงออกมา; หักออก,หัก; นำ; ดึงขึ้น, นำเอามาอ้าง; อาการที่กล้ามเนื้อกระตุกอย่างกะทันหันและรุนแรง; ค่อนข้าง, เกือบ, เริ่ม


【用例和訳】 ア.操り師、陰で糸を引く人・裏から人を操る人・黒幕。イ.誘惑する、誘う・促す・説得して~させる・し向ける。ウ.白旗を掲げる、降参する。

【例文和訳】 ア.若者グループ二組が道路の中ほどで反発しあい、銃を取り出して撃ち激しく抗争する。
            イ.少し[やや]寒くなった、徐々に寒くなってきた、寒くなり始めた。
動詞 เสก ( sèek )

【 意 味 】 呪文を唱える

【 用 例 】 ア.เสกมีดวิเศษขึ้นมา
           イ.เสกสมรส
           ウ.เสกน้ำอภิเษกครั้งประวัติศาสตร์



《解説》

 この単語には、
「(聖なるものを創るため)・・・に呪文[聖句・経文]を唱える、呪術(魔法)をかける、まじないをする」
「(呪文を唱えて)・・・を創る」
「(祝いの式で)水(聖水)を注ぐ、水を振りかける」
「神秘的な、魔法の」といった意味がある。

有資格者・能力者が所要の呪文を唱えた時に自ずと創りだされる種類の物である場合には、唱える=出現だろうから、「創る」の意味ななる感じだろうか。
また、この動詞がよく使われるのは、呪文を唱えて水を聖水(水注ぎ式用)にする時なのだろう。なので、その聖水の用途先としての「注ぐ」行為も動詞の対象となることがあるのだろう。


 用例アについては、〈現れるよう、魔法の刀に呪文を唱える〉の趣旨で「魔法の剣を作る呪文を唱える」の意味だろう。


用例イは、〈婚姻の水を注ぐ〉の趣旨で、「《王室》婚姻する、結婚する」の意味となる。
この เสก は、パーリ・サンスクリット語由来のもので、同語系の接頭辞 อภิยิ่ง, วิเศษ, เหนือ の意味でここでは〈格が高い〉の趣旨か)を付けると、綴りが เษก に変化して、อภิเษก となるらしい。これは、前々回記事にした単語である(記事を書いた当時に分解できそうというのは分かっていたけど、เษก が何に繋がるか分からなかったが、用例ウを見つけて判明したところ)。

使い方については、王子・王女クラスの場合は เสกสมรส で、それを超えると อภิเสก になる感じではなかろうか(どこかの国で王女クラスが結婚を延期するとかの話があったけど、あの時は、พิธีเสกสมรส という用語を見かけた気がするところ)。また、王族用語でなくすると、สมรสแต่งงาน となるのだろう。


 用例ウは、次のネット記事の見出しの一部にあたる。

      เสกน้ำอภิเษกครั้งประวัติศาสตร์ 'พระสังฆราช'จุดเทียนชัย
       พฤหัสบดีที่ 18 เมษายน 2562 เวลา 20.00 น.
       https://www.dailynews.co.th/royalnews/704638

上記用例中、เสกน้ำ は上述の点及び文脈も踏まえると「水に経文を唱える、聖水を創る」の意味になるのだろう。
ครั้ง は普通は「回、度、時」の意味だけど、見出し部分なので字数の制約があるからなのか、(あまり見かけないというか、初めて見かけるような気がするけど)ここでは「出来事、行事」のような意味だろうか。
อภิเษกครั้งประวัติศาสตร์ では〈歴史の行事である、水注ぎの儀式(による任命)〉の趣旨で「歴史的な(行事の)水注ぎの儀式、歴史的な戴冠式」の意味になるのだろう。


【 英 語 】 to pronounce an incantation or magic formula (over), to cast a spell on(/over); to create; to pour holy water in blessing ceremony; mystical, magical
【 類義語 】 ปลุกเสก, เสกเป่า
【泰泰解説】 ร่ายมนตร์เพื่อทำให้ศักดิ์สิทธิ์, ปั้นให้เป็นเนื้อเป็นตัว ,รดน้ำในพิธีมงคล

【用例和訳】 ア.魔法の剣を作る呪文を唱える。イ.《王室》婚姻する、結婚する。ウ.歴史的な戴冠式用の聖水を創る。
前置詞 ชิด ( chít )


【 意 味 】 ~に寄って

【 用 例 】 ア.นั่งชิดกำแพง、イ.เดินชิดขวา、ウ.ใกล้ชิด

【 例 文 】 ได้ตะโกนด่าทอกระเป๋ารถเมล์ ท่ามกลางผู้โดยสารคนอื่นๆที่อยู่เต็มรถเมล์ เนื่องจากไม่พอใจที่ถูกให้เดินชิดใน


《解説》

 この単語には、
「~に寄って、~に詰めて、に近寄って、~に沿って」、
修飾詞として「近い、親しい、厳重に」「近くに、親密に、徹底的に」といった意味がある。
文脈・用法から近寄る先が明らかになると、前置詞としての目的語が不要となるので、修飾詞的になると言えるのかもしれない。


 上記用例アについては、〈壁に寄って座る〉の趣旨で「壁の近くに座る」の意味。

用例イについては、〈右に寄って進む〉の趣旨で「右側通行する、右側に沿って行く、右側を歩く」の意味。
方向指示をする用語として使われる際には、เดิน など ชิด の前の動詞が省略されて ชิดขวา となることも多い。


用例ウは、近いという意味の基本的な修飾詞 ใกล้ との重複語( คำซ้อน )で、<近くに寄って>の趣旨で、「近寄って、寄り添って」の意味のほか(寄るものが心・意識という趣旨なのか)「親しい、親密な」「慎重に、注意深く」の意味。
(泰日系の辞書だと ชิด を動詞のように「詰める、寄せる」などの意味で整理されていることが多いかもしれないけど、一番よく見かける用例ウが何かよく分からなくなるし、ชิด のみ単独で動詞的に使われることは少ないだろうから、ここでは個人的な分かり易さを追求して前置詞・修飾詞と整理してみたところ)


 上記例文については、次のネット記事から一部を取り出したものだ。

   แค่'กระเป๋ารถเมล์'ให้ชิดใน งงใจ'หนุ่มหัวร้อน'ด่ากราด!?
    ศุกร์ที่ 12 เมษายน 2562 เวลา 13.45 น.
    https://www.dailynews.co.th/regional/703703


上記例文中、เดินชิดใน については、用例イを応用したような感じで、<中に寄って進む>の趣旨で、「中ほど(奥)へ進む、中へ入る、奥に詰める」という感じだろうか(電車やバンコクの旧型バス(片側3ドア)だと中ほどしかないけど、エア・コンバスや最新型のブルー・バス(個人的には、同型のものを最初にバス公社に納入しようとして多分失敗した企業にあやかり「ベストリン・バス」と呼んでいるところ)のような片側2ドア・バスだと、ชิดใน でも中ほどと奥の二つがあるような気がするところ)。

ตะโกนด่าทอ については、ทอ は「織る」「輝く、放つ、放射する」の、ด่าทอ では〈罵り放つ〉の趣旨で「きつい調子で罵る、口汚く罵る、罵詈雑言を浴びせる」の意味で、全体では「大声を出して罵詈雑言を浴びせる」という感じだろうか。

ท่ามกลาง については、ท่าม は多分古語で ที่ の意味らしく、全体では<中の場所で>の趣旨から来て「~の中で、~の真ん中で、~に囲まれて、~の面前で」という感じだろうか。


【 英 語 】 close to, next to; close, near, intimate, tight
【 類義語 】 ใกล้, ติด, เคียง, ประชิด, แนบ, สนิท
【 対義語 】 ห่าง, ไกล

【用例和訳】 ア.壁の近くに座る。イ.右側通行する、右側に沿って行く、右側を歩く。ウ.近寄って・寄り添って、親しい・親密な、慎重に・注意深く。

【例文和訳】 バスの中ほどへ進まされて不満を感じ、満員バスにいる他の乗客の面前で、大声を出して車掌に罵詈雑言を浴びせた。
〔最終更新:2019-4-16中規模修正後〕


名詞 อภิเษก ( aphísèek、 อะ-พิ-เสก

【 意 味 】 水注ぎの儀式による任命

【 用 例 】 ア.พระราชพิธีบรมราชาภิเษก
        イ.พิธีราชาภิเษก
           ウ.อภิเษกสมรส
 


《解説》

 この単語には、「水注ぎの儀式、水注ぎ式、水注ぎの儀式による任命」といった意味がある。

 用例アは、タイの新聞をみてると最近良く見かける表現である。タイの王族用語の一つで、付属物を外して王族用語でなくすと、用例イの形となる。


 先ず用例イについて、これを分解してみると、พิธีราช(ราชา)อภิเษก となる( で始まる単語の合成では、 が母音 に綴り変化するパターンがあって、その逆をしてみたもの。この綴り変化はわりとよく見かけるけど、タイ語文法での名称は何と言うのだろうか?)。
พิธี は「儀式」、
ราช は「王室の、王の」(ราชา も同旨)の意味で、
全体では、〈王の、水注ぎの儀式による任命の儀式〉の趣旨で「戴冠式、即位式」の意味となる(他国の戴冠式で、水注ぎの儀式は多分ないだろうけど・・・)。

พิธีราชภิเษก とを王族用語化すると、それぞれ พระราชพิธีพระบรมราชาภิเษก になるらしい(理屈は知らないけど・・・)。
พระราชพระบรม はいずれも「王室の、王の」の意味(いずれも更に分解できるけど、訳が分からなくなるので・・・。二つの違いは良く分からないけど、印象としては、前者の方が国家的・公的という意味合いが強くなるような気がしていて(例えば「王宮」は後者を使って พระบรมมหาราชวัง)、この場合だと家の家長を継ぐという側面が私的な要素という感じ???)。
พระราชพิธี では「王室の儀式」の意味で、国家行事的なものを指していると思われる。
พระราชพิธีพระบรมราชาภิเษก とが結合すると、後ろの พระ 外れて用例アの形となるらしい。


 用例ウ อภิเษกสมรส については、สมรส は「婚姻、結婚」で、全体では〈婚姻の水注ぎの儀式〉の趣旨で「《王室》結婚式」の意味。
タイのテレビ・ドラマを見ていると、結婚式の場面と言えば、水注ぎの儀式の場面が多いので、庶民もこの儀式をやっているのだろう。


 ついでに、「アピセーク」と聞いてバンコクの主要な大通り ถนนรัชดาภิเษก を思い出す人がいるかもしれないので見ておこう。

รัชดาภิเษก は、ราชาภิเษก の分解パターンと同様 รัชดอภิเษก と分解できて、
รัชด [รัดชะ–] (あるいは รชตะ  [ระ-ชะ-ตะ])は「銀、銀の」「25周年、25年を記念した」の意味で、
全体では〈25年を記念した水注ぎの儀式〉の趣旨で、特に「国王即位25周年式」の意味らしい(王族用語化されると、พระราชพิธีรัชดาภิเษก かな)。

名称から明らかなように、バンコクの ถนนรัชดาภิเษก は、前国王の国王即位25周年を記念して作られた道路らしい(この道路については、ソイ番号の付き方から、ソイ・アソークの終わりからラドプラオ辺りまでの直線道路と長年思っていたけど、次のサイトをみるとバンコク中心部を囲む大きな環状道路らしい、と知って個人的に少し驚いているところ)。

ถนนรัชดาภิเษก https://th.wikipedia.org/wiki/%E0%B8%96%E0%B8%99%E0%B8%99%E0%B8%A3%E0%B8%B1%E0%B8%8A%E0%B8%94%E0%B8%B2%E0%B8%A0%E0%B8%B4%E0%B9%80%E0%B8%A9%E0%B8%81


【 英 語 】 water-pouring ceremony, appointing by water-pouring ceremony
【泰泰解説】 การรดน้ำ, การแต่งตั้งโดยพิธีรดน้ำ

【用例和訳】 ア.《王室》戴冠式、即位式。イ.戴冠式、即位式。ウ.《王室》結婚式。