きょうはちょっと、
つわりで苦しんでいたときに
悶々と考えていたお話を
したいと思います。笑


きっかけはこの記事です。


タイトルがちょっと過激なのですが。

要するに、
パートタイマーのお母さんが
家事や弟の世話を
娘にやらせっぱなし。

それに嫌気がさした
娘さんが家出して、
「もう家族に
自分の居場所を教えたくない」と
話している、そんな内容です。

これが大変な事態であることは
当たり前として。


この記事についた
コメントが、
私にとっては中々興味深いものでした。

てっきり、
「"母親"なんだから家事を放棄するなんて
言語道断!」
「母性がないのか!」
という声が真っ先に集まると
予想していた私は考えが古かったのかな。


多数だったのは

「父親は何してたの?」
「どうして息子にはやらせないの?」

おう。
皆さんやりますな。


「夫は800万も稼いでるんだから、
家事なんかやらせるな!」
...ともならないようです。


むしろ
「妻が放棄した家事や子供の世話を、
夫が"親の責任"として自らやっていれば
仕事と家事の両立がいかに大変か。
"こんなことやってられん!"と
現実がわかり、妻としっかり向き合おうと
したはず。」
「長女に任せきりにしていたから、
娘の苦労もわかってやれなかった。
父親も、親としての責任を放棄していた。」


とな。
何とも素晴らしい洞察力...えーん


「女の子なんだから家事をやれよ!」
ともならずに。
「だったら息子にもやらせるべき」という
声さえも出ている。

時代は変わりましたな。
(もちろん、親としてお母さん
しっかりしてよ!というのは大前提の話。)



私個人の話に戻ると、
フルタイムで働いていた時期に比べ
今は家事に割ける時間が
圧倒的に増えました。

夫が、このご時世に珍しいくらい
ハードな仕事をしているので、
そうしないと、家族として成立しないと
思ったから退職を選択したのもあります。

自分がした決断に後悔はなく、
同居し始めたときは、
夫の健康管理も大切に出来、
自分の心も穏やかで、すごく良いなと
思っていたのですが。


妊娠して、つわりが始まってからは
何もかもが狂いました...えーん


そもそも、自分の仕事である
「家事」がままならないのです。

食材や、排水溝やお風呂など
水回りを見ただけで吐いてしまう日々...

(胎盤が出来るまで、赤ちゃんを細菌から守るためだと言われていますが、
この"言われている"程度の解明しかできていないあたりに「お産は女性の仕事」と、
他人事扱いしている
医学界の空気を感じざるを得ません。)


私からすれば
自分のアイデンティティを奪われたわけで、
朝から晩まで働いて
疲れて帰ってくる夫に申し訳ないわ、
「私は何のために生きているんだろう...」と
考えた日々でしたおーっ!

そんなとき夫は、
「家事をしてほしくて
結婚したわけじゃないんだから。」と
言ってくれましたが
自分が情けなくて情けなくて...。


そこで、ふと思ったのです。
「もしかして、
本来自然界で言うと、
"家事は女の仕事として必須"では
なかったのでは。」と。

ここまでの症状が出るってことは、
むしろ「やるな」という
自然の摂理なのではと。

(と思っていたら、
近年日本で主流になっていた
"女性が家事育児に
かかりきりになる"というスタイルは
人類の歴史上で見れば
ごく短い期間のものらしいです。
決して「人類のスタンダード」
ではないということですね)

とはいえ、
私だって、できることなら
毎日美味しいものを作って、
部屋を快適に保ちたい。
やりたくてもやれない
もどかしさを一番感じているのは
当の本人なのです。

夫も、仕事がハード過ぎて
「十分にケアできない自分」を
責めていました。夫のせいじゃないのに...

両方の母親も、本当に辛いとき
駆けつけてくれて救われましたえーん
(その間、それぞれの家のことは
両方の父親がやってくれていたわけで、
本当に感謝です。)
でも、遠方ですし、
それぞれ仕事があるので
頻繁に頼れるわけではないですものね。


つわりは病気じゃないといいますが、
3ヶ月に及んだ
あの"症状"はちょっとした病気以上でした。
(もちろん個人差はありますが、
もっと重い人もいるみたいです。)

自分の思い通りにならない
理不尽を経験することも親になる試練。
それも学びましたが、

「吐いてでも家事をやるのが妻の務め」って、
昔の「運動中、水は飲んじゃいけない」と
同じ精神論な気がして、

そういう非合理的な価値観漂う感じが
つわりの辛さ自体よりも
何だかしんどかったですショック

「母である」ことは「人権よりも重い」
というプレッシャー。


何の科学的根拠があるのか?
自分の努力だけで
どうにもできないことには、
各々が最大限の力を発揮できるよう
科学で解明したり、社会の制度で
助け合っていく。
それが成熟した社会なはずなのに。

「自助努力で何とかしなさい!」
「耐えなさい!」の精神論ばかりでは
残念ながら人は進化せず、
次世代に問題を擦り付けるだけ。

とはいえ、
どうも日本には
「母親なんだから母性で何とかなる」
精神が根強い気がしていました。



そんな日々を送っていたもので、
先に述べた
記事に対する多くの人のコメントが
私にとっては意外だったのです。

「この国も成熟してきているんだなあ」と。

先に登場した家事放棄のお母さんも、
「親として」子供に何が出来るか
フラットに考えて欲しかった。
母性とか、本能とか一旦はずしていいから、
人として、どう振る舞いたいかを冷静にね。


もちろん私だって、
命を授かった身だから、
命を賭けて子供を産みます。
それが親の責任。
自分より子供が大事。
そんなのわかってます。

でも、母だから、とか父だから、とか
"性別として"の精神論は、
時として
親としての責任以上のものを
人に課してしまうと思うのです。
(男性も、それを背負っている人は
多いと思います。)


そんなときに出会った本がこちらでした。



いいですね。
自分は親として何が出来るか。
考えていきたいと思います。






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