福が来る家づくり、福井市の住宅リフォーム工務店@アイ・サン・ホーム社長石橋直巳のブログ -680ページ目

「お客さまへの手紙」 4

今日も顔出してくれて、ありがとう。

昨日、ブログの更新ができなかった。

連休明けはさすがにバタバタでした。

毎日書こう、と決めたのにイキナリ挫折です!

ま、「困ったことはおきない!」と信じ、

毎日、がんばろう!


ここからつづきです。

つづき

そのことが、「住宅をやっていこう」と決心した理由です。
そして、もう一つの理由があります。これは、私の小さいころの経験からなのですが、子どもは褒めて欲しい時があるのです。今は昔と時代が違いますが、子どもは親に褒めてもらいたいものなのです。そして一緒にかまって欲しいものなのです。子育てには家族の愛情と絆が大切なのです。

家づくりには、そのエッセンスがたくさん詰まっています。私は何組ものご家族の家づくりに携わり、家づくりを通して、家族の絆が強くなって行くのを見てきました。一人として、自分のことだけを考える人はいませんでした。

突き詰めると、妻のため、夫のため、子供のため、母のため、父のためにと皆、家族の事を第一に考えています。その思いが必ず、家づくりには出てきてしまうのです。私がいうのも何ですが、親を大切にし、子どもを大切にし、妻、夫を大切にしているご家族はきっと幸せになれると信じています。

今になってようやく親父の気持ちがわかった気がします。
同じ気持ちだったんだなと。


私はこれからも、お客さまに、「あったかい家族」と「家族の絆」を大切にしながら、10年経っても、「ありがとう」と言ってもらえる「家づくり」を目指して精進してまいります。

私の愛する家族を紹介します。  










幸せ作りマスター
石橋 直巳



最後まで読んでくれて、ありがとう。
いかがでしたか?

この手紙を見せるのは、とても勇気が入りました。

こんなにみっともない自分を見せるのが、恥ずかしかったから。
これを読んだお客さまは、どんな反応をするんだろう?と、とても心配だし。

でも、出してしまいました。

出してしまった今、何か変な感じがしています。

ちょっと、表現しづらいんだけど、「ま、いっかあ」って感じかな?
意外とスッキリしている、自分発見です。

全文をコチラにのせました。

師匠に、「さらけだしてください。自分と向き合ってください」
と言われ、まず踏み出した、第一歩。

まだまだ、DPは始まったばかり。
次なる「指令」がもう出ています。

この「指令」もまた、とんでもない「指令」でした。
そのとんでもない「指令」に付いては明日、書きますね。


いつもホントありがとう。あなたがいてくれるだけでうれしいです。
「ありがとうの波動」は「幸せを呼び込む」と聞きました。
あなたに送ります。『ありがとうの波動』<<<<<<<<

「お客さまへの手紙」 3

今日も顔出してくれて、ありがとう。

このGW中、海外旅行に出かけたのが56万人だとか。

きっと、楽しい家族の思い出ができたんだろうなあ。

来年はうちの子供たちも連れてってあげたいなあ。

最近、家族のことをよく考えるようになりました。


ここから昨日のつづきです。

つづき

そのとき、生まれて初めて父にお願いをしました。「住宅の会社をやりたい」と。
「何言ってる。そんなものがうまくいくわけがない」と最初は反対されましたが、渋る父を、埼玉に本社がある、ノウハウ提供会社まで連れて行き、なんとか説得して、別会社としてなら、という条件でOKをもらいました。

本当にうれしかったのを覚えています。初めてお願いをして、通ったというのもありますが、
「オレはこれでこの会社では初代だ」、二代目としての呪縛から逃れられるという思いがあったのです。また、親父では出来ないことをやってお客さまに喜んでもらうことができるという思いもありました。これでオレも一人前になれる、認められるとの思いです。

思えば、これが父に対しての最初で最後のお願いになりました。
その年の10月に父の体に異変が起こり、即入院となりました。癌でした。しかも、手の施し様がない、末期癌。医者に、もって一年と言われてしまいました。

おそらく、無理が祟ったのでしょう。ガムシャラに仕事してましたから。さぞかし残念だったでしょう、こんな最悪の状況で私に会社を委ねるのは。父が間際に「すまん」「頼む」と言ったのが忘れられません。声にはなってなかったのです。

ただ、手を伸ばしてきて、その手をガッチリと掴んだだけでした。親父との握手をこんな形でするとは思わなかった。「俺でいいのか?」「俺でいいのか?」聞きたかったけど、その返事はもらえませんでした。それが最後の父の言葉になってしまいましたから。

そのとき、決心したのです。建築の会社は止めよう、住宅で行こうと。「建ててもらってよかった。ありがとう」と言ってもらえる仕事がしたい、と思ったのです。父と違う道を歩きたかったのに、同じ道を行く事になってしまいました。
そのことが、「住宅をやっていこう」と決心した理由です。


長い文章、読んでくれてありがとう。
つづきはまた明日にします。

いつもホントありがとう。あなたがそこにいてくれるだけでうれしです。
せめて、「ありがとうの波動」を送ります。受け取ってください。

「お客さまへの手紙」 2

今日も顔出してくれて、ありがとう。

昨日で、僕がコンプレックスの塊だった2代目だということがバレてしまいましたね。

コンプレックスの塊だということを、ずっと隠していたかったんです、本当は。

かっこ付けていたかったというのもあるんですが、そのこと=弱音を吐くこと。

人に言ってはイケナイこと、言ってもショウガナイことだと思っていたから。

情けないけど、「比べられる」のが一番イヤだったんです。


ここから、昨日の続きです。

つづき

しかし、覚悟を決め、父の会社に入社しました。それが16年前のことです。
私は帰ってきてからは、まず現場からということで、現場監督として先輩の下で現場に出ていました。

でも、その頃私の中に、「うちは建築屋なのに、なぜ住宅をやらなくなったのだろう?」という思いがありました。

お客さんが誰なのか?がよく分からなくなっていたのです。施主がお客さまなのか、設計事務所がお客さまなのかよく分からない状況だったのです。前列右から4番目が私です。

特に感じたのは、商業施設ならまだいいのですが、住宅の場合でも、設計事務所が発注の権限を持っていると、施主様の住宅を建てているというより、設計事務所の書いた図面をただこなしているだけになってしまっていたのです。


いつからお客さまに「ありがとう」と言ってもらえなくなったんだろう?
建築の会社とはこんなものだったのかと常に思うようになりました。

そんなある日、会社に一通のDMが届きました。「安くていい家をつくるためのノウハウ」という内容のものでした。これを見た瞬間、私は「そうだ住宅をメインに戻そう」と考えたのです。
住宅会社ならば、設計施工で仕事が出来る。お客さんの顔が見れる。きっと出来上がったあとから
「ありがとう」と感謝してもらえる。これだ!と思いました。
そのとき、生まれて初めて父にお願いをしました。「住宅の会社をやりたい」と。


長い文章、読んでくれてありがとう。
つづきはまた明日にします。

いつもホントありがとう。あなたがそこにいてくれるだけでうれしです。
せめて、「ありがとうの波動」を送ります。受け取ってください。



「お客さまへの手紙」 1

今日も、顔だしてくれてありがとう。

ゴールデンウィークも終盤ですね。

心のリフレッシュ出来ましたか?

僕は、子供達が海で採ってきたワカメを天日干しして
美味しく頂きました。自家製自然乾燥モミワカメです。

うちの奥さまが、「こういうの、久しぶりね」と言ったのが、

何故か耳から離れません。う~ん、何故だろう?


さて、行きますか。(深呼吸ス~、ハ~)

師匠に言われて作った、「宿題」を見てください。

お客さまに宛てた、手紙です。

長いので、一部ずつにしました。

ここからが、僕のスタートになります。



なぜ私が今の仕事をやっているのか、
わけを聞いてください


私は、建築の業界に携わって今年で16年になります。父親へのコンプレックスから、違う道を選びたかったのに、気がつけば後を継いで16年。父が亡くなってからも早、8年が経とうとしております。

実は子どもの頃、私には両親と一緒に遊んだという記憶がほとんどありませんでした。特に父の思い出は片手で足りてしまうほどしかありません。当時は父が会社を興したばかりで家計も苦しく、母も働きに出ておりましたので当然のことかも知れません。祖父母に育てられたという少年時代でした。祖父母はとても厳しかったけど愛情いっぱいで育ててくれたと思います。 3歳のころの私と祖母です


高校では、土木工学のスケールの大きさに、建築なんか小さいものだという変な自信が付き、違う自分に出会えた気がしていました。大学も土木工学科の道を選んだのですが、なんと学年で一番になってしまい、信じられないことですが、3年間学費免除の特権を受けていました。

大学も卒業の時期になり、就職をどうしようかというころ、私は心の中では、もう福井には帰らないつもりでいましたので、そのまま東京の建設会社に就職しました。

それから何年か経ったある正月、「そろそろ帰って来い」との父の言葉。
拒んでいると、当時専務だった叔父が「なんでや!」と涙を流しながら訴えてきます。
「お前は跡取だ。その跡取が10年もよそで働いていると言うことは、10年分地元での付き合いが遅れるということだ。」
叔父は私にとって、父以上に苦手な存在でした。その迫力に負けたというのが正直なところでした。

帰るのが嫌だった理由に、二代目として見られるのが嫌だという思いもありました。「また比べられる」と。折角、自分の力で勝負できる道を見つけたのに、という思いがあったのです。

長い文章、読んでくれてありがとう。
つづきはまた明日にします。

いつもホントありがとう。あなたがそこにいてくれるだけでうれしです。
せめて、「ありがとうの波動」を送ります。受け取ってください。~~~

恥ずかしいのに

今日も、顔だしてくれてありがとう。

GWは、お休み取れてますか?

お父さんが一番気合が入り、また一番○い思いをする時期ですね。

この時期、仕事に家庭にてんてこ舞いになっているのはきっと同じですよね。


「なぜあなたが今の仕事をやっているのか、訳を教えてください」


この「宿題」はとても深い「宿題」でしたよ。

考えるだけで、すごい時間がかかりましたから。

A4で8枚くらいになっちゃた。

でも、この「宿題」をやって、分ったことがあるんです。

それは、本当の自分。出きれば誰にも言いたくない自分。

「おれって、こんなに情けないやつだったんだ」

って思い知らされました。


恥ずかしいから、早く、封印したかった。封印したいのに、

「これ、使いましょう」

って、まさに、悪魔の一声に聞こえました。

えぇぇ!これ見せるの!?恥ずかしいし、かっこ悪い。書き直したい。

「何言ってるんですか!さらけ出さなければダメですよ」
「これをお客さまに早く見せてください」

キツイお言葉です。

これを出すのは結構、勇気が入りました。

でも、前を向いて歩くと決めたのだから、行っちゃえ!です。

まだ、途中途中ですが、見てもらってもいいですか?


でも、明日からにしよ。


ごめんなさい、今日はこれから、お弁当もって家族で海に行ってきます。
子供が「早く、早く」とやかましいので。



いつもホントありがとう。あなたがそこにいてくれるだけでうれしです。
せめて、「ありがとうの波動」を送ります。受け取ってください。~~~