「2009年に生まれた105人の日本人」
(社会人類学年報vol38)
ベトナム人看護師のサポートに関わってきたなかで、就労が長くなると永住権取得の相談が多くなってくる。そして最近は「帰化」申請の助言をするケースが出てくるようになってきた。本人の考えだけでなく故郷の親族に相談したうえでの判断だろうから私はその意志を尊重して個人的経験を基にアドバイスしている。
ところで帰化はここ10年間のデータをみると毎年11000人から16000人の間を行き来しながら許可がでているようだ。「帰化」という古めかしい日本語問題はさておき、外国人にとってけっこう大きな決断で日本丸に乗り込む人生ドラマが、ホスト側は事務作業で済ませてしまう認識のギャップに私は違和感を覚えることがある。
鄭大均氏が昨年発表した「2009年に生まれた105人の日本人」はその人生ドラマを静かに語ってくれる面白い論考である。一方に311後に帰化して話題になったドナルド・キーンというビッグネームを対置させながら、庶民の帰化体験談はいたって平坦かつ冷静である。この冷静さは帰化問題がほとんど在日問題であったことに由来するのであろうか。
氏は「それでも今日の日本で帰化者に祝福の言葉を送ってくれるのは進歩派よりは保守派であろう。にもかかわらず、外国人や移住者の受け入れに寛大なのはむしろ進歩派であるというところが、この国のわかりにくいところであるが、それを説明する変数となるのは帰化タブーであろう。」と語り、これに続く鄭氏の独壇場は面白い。
さまざまに深刻な問題を抱えながら帰化したあと不満を漏らす多くは、法的所属は認められても社会のメンバーになれないことにある。これについては「小泉八雲以来、欧米系日本人によってしばしば指摘されてきたテーマであり、日本人の偏見や差別の問題を浮き彫りにするテーマであると同時に、個人のパーソナリティと文化との関係を問うテーマでもあるのだろう。」と述べる。
各地で多文化共生として日本語教育が盛んにおこなわれ、外国人が日本に馴染む一歩として大事だが、これを読む限り、日本人の多文化共生作業は最近始まった話しではないのである。