shibayaのブログ
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お久しぶりです、生きてます!笑

 

しばらくブログを書かないでいると改行が上手くできなく

なりますね(苦笑

 

また見づらくなるかと思いますがごめんなさい。。

 

 

 

さて、今日は以前から気になって居た事とこのタイミングで

思うことについて書きたいと思います。

 

9月が近づき学生は夏休みも終わりが来る頃なのでしょうか?

 

 

 

ここ数年決まってこの時期にはいじめや自殺関連の記事が多くなります。

理由はこの時期がとても自殺する子達が増えるからだそうです。

 

 

いじめやその他、学校や交友に不安を抱える子達に

死ぬほど辛いなら学校なんて行かなくてもいいんだよ。と

 

 

少し前に比べてそういう声も多くなったように思いますし

僕もそう思います。

 

 

死ぬ前にこの記事を見て思いとどまってほしい、そういう

思いも少なからず理解する一方で、僕はそういった記事が多く

目に触れる事で逆に精神的に追い込まれる子達も居るんじゃないかなと。。

 

 

死を目の前にした人は自分を客観的に見ることが出来ないくらい

に追い込まれている人もいます。自分もそうであった様に。。

 

たまに思うんです。この国の、この世界の死ぬことの

許されない空気がより一層、弱者の生きようとする力を縛り付け、

生きようとする道を狭め生きることを苦しめてくると。。

 

 

今日の「死なないで生きて、生きてればきっと良いことがある」

の記事も凄く大きな声で迫ってき、自分の意志や尊厳を否定

されてるかのような圧迫感を感じます。

 

 

なぜ死ぬことは許されないのだろうか、、

自分から望んで生れ落ちてきた訳じゃないのに、、

まだ、この世に生を受けて幸せと感じられるうちに、、

愛してくれた人の顔を忘れないうちに、、

自分の尊厳を守るために、、

力尽きることをもう少し許してはくれないだろうか。

 

 

 

少し話が逸れたかな、

結局そういう記事では多くの子が見ることなく

本当に伝えたいメッセージに触れることなく死んでしまうのでは

ないかな?僕なら、タイトルは「死んでもいいよ、死んでもいいから・・・」

 

を入れるだろう。

そして、経験と不安に思っているだろう制度につて説明するかな。。

 

 

勿論賛否両論あるだろうけど、ひとつ言えるのは

この生と死の問題で語ってる人たちの中で本当に死を

目の前にした人たちはどれだけいるのだろうか。。